第223話 気づいた異変。


 エーヴィを伴い、テオドゥロと顔だけ知っている自警団員のふたりを護衛に引き連れて本邸の書斎へ。

 ここの廊下にもクストディアの部屋があるフロアのように、待合用の長椅子でも置かれていれば良いのだが。そんなことを漏らすと、丸一日立っているわけでもないのだから大丈夫だと、護衛のふたりは笑ってくれた。エーヴィが「何日でも直立でお待ち致します」と答えたことで、その笑みはすぐに引っ込んでしまったけれど。


 今日もまた、資料が収められている方の書斎へ入る。前回見つけた謎の手記のことが、あれからずっと気掛かりだった。

 自分と同じように、聖堂の方針や行っていることに疑問を持った誰か・・が、これまで調べた上げたことを書き留め、誰に見せるでもなくあんな場所へ差し込んでいた手帳。

 それとも、誰かの目に留まることを期待して、あえて書架へ置いていたのだろうか。ここはサーレンバー領主の身内のみが利用する書斎だ。であれば、あれを書いた人物にも、気づいてほしかった相手にもおおよその見当は――……


「あれ?」


 目的の本棚を見上げ、両隣を確かめ、もう一度目の前の棚を端から端までじっくり確認する。

 場所は間違っていないはずなのに、前に見つけた手帳も、同時に手に取った中央聖堂便覧もそこにはなかった。厚みのある本ばかりの段に、ぽっかりと数冊分の隙間が空いている。


「誰かが持ち出したのか?」


<周囲の本は前回と変わりないようです。リリアーナ様がご覧になって興味を持たれていた、あの三冊だけが抜き取られているようですね>


「三冊? ……ああ、あの精霊についての憶測を書いていた本もないのか。そっちはどうでも良いのだが、手記だけでも戻ってこないものかな。一体誰が持って行ったのだろう?」


<それらしい痕跡は何も残されていないようで。お役に立てず申し訳ありません……>


 何もアルトが謝るようなことではない。どの本も自分の所有物ではないのだし、サーレンバー邸の誰かが、もしくはあの手帳の持ち主が自ら持ち去ったのなら、部外者であるリリアーナは文句を言えない。

 隙間の空いてしまった棚に何となく手を置き、ふと気づいて適当な本を一冊抜き取ってみる。


「……掃除がされているな。前回は棚の前面しか拭かれていなかったのに、本の上に積もっていた埃もみんな綺麗になっている」


 自分が書斎へ通うようになったことで、ブエナペントゥラが清掃の徹底を指示したのだろうか?

 利用者の少なすぎる書斎に手が入るのは喜ばしいが、もしそうなら初回の利用よりも前に掃除が終わっているはずだ。

 万が一、使用人のうっかりで掃除が遅れたなんて理由だった場合を考えると、ブエナペントゥラにそれを確認することは憚られる。清掃と本の行方に関係があるかもまだわからないのだし。


「うーん、誰が持って行ったのかは知らんが、用が済んだら元に戻してくれるかな?」


<本の内容が、リリアーナ様の目にふれるとマズいものなのでしたら、誰かが隠したという可能性もあるのでは?>


「掃除のタイミングと同じだ。それならわたしがここを利用する前に隠しているはずだろう。現にブエナ氏も、仕事で使う本はいくつか抜いていると言っていた。……まぁ、考えたところで仕方ないな。そのうちまた差し向いで話す機会があったら訊いてみよう」


 こんなことなら、あの場で手帳の中身をもっとしっかり読んでおくべきだった。薄いとはいえ細かな字で几帳面に書きつけたノート。内容が興味の核心を突いていたこともあり、後でじっくり読もうと保留にしてしまったことを今になって後悔する。

 念のため付近の棚も見てみたが、消えた本や手帳が差し込まれている様子はなかった。


 そこで、書斎の扉が外から叩かれる。つい先ほど自室で聞いたのと同じ、来客を知らせる合図のノック音だ。

 この書斎へ訪ねてきそうな相手となると、ブエナペントゥラかアントニオ、もしくはレオカディオだろうか。

 話を聞きたいと思ったばかりだが、さすがにこの時間に領主自ら足を運ぶことはない。レオカディオも部屋で休んでいる頃だろうし、ならばアントニオだろうか。

 リリアーナはそんな見当をつけながら扉まで近づき、少しだけ開いて声をかける。すると、廊下側からテオドゥロが困惑顔を覗かせた。


「読書中にすみません、来客っていうか、ここに入りたいって人が来てるんですけど……」


「誰だ? 相手によっては別に通しても構わないが」


「それが、真っ黒な甲冑を着てて、あんまり喋ってくれないから良くわからないんですよね。このお屋敷の護衛の人でしょうか?」


 そう聞いて、隙間だけだった扉をしっかり押し開く。テオドゥロともうひとりの自警団員の向こうにエーヴィが立ちはだかり、さらにその向こうに午前中も会ったばかりの黒鎧、シャムサレムが立っていた。

 金髪の侍女はこちらに背を向けて一体何をしているのかと思ったが、おそらくシャムサレムを警戒して前進を阻んでいるのだろう。黒鎧の見た目が不必要に物々しいため、その対応も致し方ない。


「ああ、既知の相手だ。この屋敷のご令嬢の……護衛というか、付き人というか。とにかく大丈夫だから、道を開けるといい」


「「……」」


 物言いたげな三人の目が、黙ったままの黒鎧へ向けられる。自分と問題を起こしたばかりだから、クストディアのことを持ち出したのはあまり良くなかったかもしれない。

 何かあればすぐに呼ぶし、書斎の扉は開けたままにしておくからと護衛たちを説得し、何とかシャムサレムを室内へと招き入れた。


 読書のために設えられている大きな机に手招きし、着席を促すも首を横に振られてしまう。もしかして関節部が悪くて座れないのだろうかと疑いたくなるくらい、これまで彼が着席したところを見たことがない。

 仕方がないのでリリアーナは自分だけ腰を下ろし、微妙な距離を空けて立っている甲冑姿を見上げる。


「それで、どうした。こちら側は資料などが置かれている書斎だから、クストディアが読む本なら隣だろう? わたしに用があったのか?」


「……両方」


 初めて、シャムサレムの声を聞いた。金属製の兜に籠って明瞭に聞き取れないが、くぐもった低い男の声だ。


「……隣に、本を取りに来たら、廊下に兵と侍女がいた。だから、君が来ていると思った」


「ああ、そういえば書斎を開放してもらったという話をクストディアにしたな。廊下に誰も立っていなければ素通りされていたところか。それで、わたしに何か話でも?」


 そう水を向けても、シャムサレムはあまり話すのが得意ではないのか、それとも話す内容を考えているのか、微動だにしないまま幾ばくかの時が過ぎる。

 話しだすまでに待ってやる必要のある相手は、ウーゼやウーゴで慣れている。そのまま急かすことなくじっと座っていると、シャムサレムは両手を持ち上げ、緩慢な動作で兜を脱いだ。

 中から現れた容貌は、護衛として想像していたよりもずっと若い。テオドゥロと同じくらいの歳の青年だった。

 鍛え上げられた筋肉質な首、無造作に伸ばした緑がかった黒髪。それらを目の当たりにして、頭の中で既視感とぶつかる。

 遠目に見たような覚えがあるな……としばし考え、少し前に庭で訓練している様子を窓から眺めた相手だと気づいた。


「あぁ、この前、裏庭の端で逆立ちのまま腕の屈伸していた奴!」


「……うん。見られてて、ちょっと、恥ずかしかった」


「そ、それは、大変申し訳ないことをした。盗み見をするつもりはなくてだな、たまたま目に入っただけなんだ」


 慌てて手を振り弁明をすると、シャムサレムは微妙な角度で頭を下げた。

 その拍子に長い前髪が揺れ、ひきつれたような皮膚がのぞく。よく見ると顔の右側、額から目元にかけて大きな傷跡が残っている。人前で兜を取らないのはこの古傷のせいなのだろうか。


「……こちらこそ、謝りたくて。この前は、追いかけて怖い思いをさせて、ごめん。怪我はもう?」


「あぁ、打ち付けた痣はほとんど消えている。そちらこそ鼻を強打したのだろう、乱暴な足止めをして悪かった。あの件は痛み分けということで、忘れてくれて構わない」


 クストディアの部屋でも告げたことを繰り返すと、シャムサレムは無言のままもう一度頭を下げた。


「わざわざ謝りに顔を出してもらって何だが。命じた本人は謝る気がないと言っているのに、お前が謝罪に来たと知ったら、後で怒られるのではないか? いや、わたしからこのことを言うつもりはないが、護衛たちも聞いているし、どこから耳に入るかわからんぞ?」


「……うん。ディアはきっと謝らない。俺は怒られても平気だから、いい」


「そうして謝意を見せる程度の良識をわきまえているなら、一言くらい主を窘めたらどうだ。主従では難しいかもしれんが、幼い頃から長く共にいるのだろう?」


「……ディアの望みは、何でも聞くと決めてるから」


 何だそれは、と口に出す前の言葉を飲み込む。本人のいない所であまり無理に聞き出すような真似はしたくない。

 仕える者として主の過ちを指摘することと、その主の願いを叶えることは全くの別物だと思うのだが。それとも、度の過ぎた我が侭を通すことが彼女の望みだとでも言うのだろうか。


 シャムサレムが顔を上げると、胴体部分の金属がまた軋んだ音をたてる。動作に合わせて金属板が擦れるのは構造上仕方のないことでも、この甲冑はあまり正しい手入れをされていないのでは?

 リリアーナがそんな疑いを持ってまじまじと関節部分などを凝視していると、シャムサレムが一歩、後退した。


「何も取って喰いはしない。鎧の手入れが不十分なのではと思っただけだ。錆はないからしっかり磨いているようだが、金属用の油はちゃんと差しているのか? 肘の蝶番もだいぶ摩耗しているし、そのままでは動きにくかろう。一度しっかり専門の技師に見てもらったほうが良いと思うぞ?」


「……預けたら、その日は着られないから」


「それはまぁ、そうだろう。替えを用意するか、一日くらい休みを貰っても良いだろうに。そもそも、なぜ屋内でそんな甲冑を着込んでいるんだ?」


 この黒鎧を見た時から疑問に思っていたことをぶつけると、シャムサレムはまたぴたりと動きを止めた。

 だが、今度は先ほどよりも早く動きだして、伏せかけた顔を上げる。


「……ディアが、そう望むから。あの子を守りたい、けど、俺は、もう怪我をしたらいけないから」


「怪我をしないように鎧を着るのは、まぁ、わからないでもないが……」


 どうもシャムサレムの言葉は要領を得ない。訊き方が悪いのか、それとも受け取り方が足りないのか。

 別に室内でどんな格好をしていようと本人たちの自由だ。強固な鎧が身の安全のためと言うなら、そうなのだろう。

 せめて鎧の不調くらいどうにかしてやりたいと思うものの、自分が勝手に手を出せば、またクストディアの不興を買いかねない。さてどうしたものかとリリアーナが頭を悩ませていると、何も訊ねていないのにシャムサレムが自ら口を開いた。


「……ディアは、君や、君のお兄さんと話すのは、嫌ではないみたいだから。また気が向いたら、遊びに来てほしい」


「それは構わないが、たまにはそちらから訪ねてくる気はないのか?」


「……難しいと思う」


 レオカディオのように体が弱いならまだしも、そうではないのに部屋を出たがらない理由は何だ。単なる出不精なのか。そんな疑問が顔に出ていたのだろう、シャムサレムは肩を落とすようにして項垂れた。


「……君の部屋から、侍女とか、護衛とか、みんなどけてくれたら、大丈夫かも」


「何だと? こちらの侍女たちが信用できないと言うのか?」


「できない」


「まさか自室に侍女を置かないのは、サーレンバー邸の侍女も信用できないから?」


「できない」


「……クストディアの身支度を手伝ったり、髪を結っているは、もしかして全部お前が?」


「そう」


 何でもないことのように簡潔に答えるシャムサレムに対し、リリアーナの方はもう言葉も出ない。

 ブエナペントゥラも、年頃の娘なのにと色々ぼやいていたが、まさか孫娘の身支度まで全てこの男が受け持っているとは思わないだろう。

 老体がショックで病状を悪くするといけないから、今聞いたことは自分の胸ひとつに秘めておこう。そんなことを考えているリリアーナをよそに、シャムサレムはつたない言葉を続ける。


「……ディアは、部屋の外も、他人も怖い」


「怖い?」


 傍若無人に振舞い、客人や侍女を傷つけることを何とも思わない乱暴な娘。だが、その言葉を聞いて、到着した日に初めて顔を合わせた時のことを思い返す。

 クストディアの部屋へ赴き、本を読むのが好きだと聞いて興奮のあまりソファへ近づいた。あの時、過剰なほどに驚いて身を竦ませたクストディアは、不用意に近づく他人に対し怯えていたのではないだろうか。そこまで恐れるほど、一体彼女の身に何が。


「まさか、クストディアはこれまでに命を狙われたことでもあるのか? お前のその、額の傷とか……」


「……これは、八年前の」


「八年前って、サーレンバー領主夫妻の、あの落石事故か?」


 息を飲んだリリアーナが身を乗り出して訊ねても、口を引き結んだシャムサレムは目を伏せたまま、それ以上何も答えなかった。


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