第221話 ニ通の返信と彼女の部屋


 昼食を終えて自分の部屋へ戻ってすぐ、ソファに腰を落ち着けるよりも前に、閉じたばかりの扉がノックされた。護衛たちと決めている合図の音、来客の報せだ。

 すぐにフェリバが応対に出ると、廊下側の相手と二、三言交わしてから、その手に大きさの違う封書をふたつ抱えて早足で戻ってきた。


「リリアーナ様っ、お屋敷からお手紙が届いたそうですよー!」


「もう往復したのか、早いものだな」


「ほんとは今朝届くはずだった早馬が、雨のせいで道が悪くて遅れちゃったそうです。この二通はリリアーナ様と私宛てだからって、旦那様の従者の方が持ってきてくれました!」


 受け取った一回り大きい封筒を開けてみると、中からは更にふたつの封書が出てきた。裏面の記名にはカミロとトマサの名前があり、それぞれに封もされている。

 先にトマサの手紙から開けてみると、かすかに花のような香りが漂った。

 文面へ目を通している間に、エーヴィがお茶の支度をしてくれる。はじめは知らない茶葉の香りかと思ったが、これは便箋の方に香りをつけているようだ。繊細な心遣いのできるトマサらしい。


「……ん、トマサも充実した日々を送っているようで何よりだ。怪我の件では心配をかけてしまったが、もうほとんど痕は残ってないと伝えなければな。アダルベルト兄上や他の使用人らも変わりないらしい」


「えっ、リリアーナ様、もう読んだんですか。トマサさんのお手紙、書いてあること難しいです……」


「便りならではの作法というものがあるから、慣れないと内容を汲み取りにくいかもしれない。まぁ、せっかく受け取ったのだからゆっくり読むといい。……返信を出すなら翌日の朝までにと父上が言っていたな、また後で書いておこう」


「うえーん、ルミちゃん先生、ちょっと助けて! ここのこれ、どういう意味です?」


 ふたりが顔を寄せ合ってわいわいと読み進める間に、カミロからの手紙を開封する。

 時節の挨拶、広範囲の雨雲に覆われたが天候は大丈夫か、寒くはないかと一通りこちらを案ずる言葉が並び、負傷の件について知ったせいだろう、くれぐれもご自愛をとあるが、やや遠まわしに「無茶はお控え下さい」と言っているのがわかる。

 それから屋敷の中は普段とそう変わらず、特筆するべき問題も起きていないと向こうの様子がしたためられていた。

 どうやらイバニェス領へ戻ってくると目されたエルシオンは、まだ目立った行動を起こしていないようだ。お披露目も済ませていないような領主の娘について調べまわったり、屋敷を訪ねたりすれば、いくら記憶消去のすべを持っていたとしても何かしらの痕跡は残るはず。

 ひとまずあちらのことは、カミロに任せておけば何があっても大丈夫だろう。


 その次は、アダルベルトの近況について。領主代行を任された立場上、失敗をしてはならないと気を張り続けているせいか、最近顔色があまり優れないようだ。元々壮健な身だから日々の執務は問題なくこなしているが、気晴らしや休憩が足りていないのかもしれないと懸念している。

 カミロが心配事を素直に明かすのが、何だか珍しいと感じてしまう。この距離ではそれを知らされたところで何もできないこちらを慮り、いつもの彼なら伏せたままでいそうなのに。それほどまでに、アダルベルトの状態が思わしくないのだろうか。


「……なるほどー。つまり、自分も頑張ってるから、そっちも頑張りなさいねって励ましてくれてるんですね。ありがとうございますトマサさん、私も頑張りますよー!」


「トマサさんは達筆ですわねぇ。始まりと終わりの挨拶なんかも、どこへ出しても恥ずかしくない言葉選びで。お嬢様のほうはもうニ通ともお読みになられまして?」


「ああ、あちらは変わりなくやっているようだな。安心した」


 カミロからの手紙の文末は、良い報せがひとつあるので、戻りの日を楽しみに、というようなことを書いて締められていた。一体何だろう?

 それぞれの便箋を元通り畳んで封筒へ戻す。トマサからの手紙は、お手本のようなしっかりしたもので体裁の勉強になったし、カミロからは内容の密度のわりに分量の少ない、伝えたいことが簡潔にまとめられた読みやすいものだった。ふたりとも仕事のできる大人だなと、こういう部分でしみじみと感じてしまう。


 エーヴィが淹れてくれた香茶をすすって、返信に何を書こうかと考える。

 皆で馬車に乗って街で買い物をさせてもらい、お土産を仕入れたこと。その翌日に一晩中雨が降って庭がぬかるんでしまったが、開放してもらった書斎で読書を楽しんでいること。あとはクストディアともう一度ちゃんと話をして、色々な本の話題で盛り上がったことを伝えれば、カミロたちにも安心してもらえるだろうか。

 テッペイを持ち帰るから、ブエナペントゥラから甲冑を贈呈されて加工していることも、一筆添えておいたほうが良いかもしれない。

 前回の手紙よりも楽しい話題をたくさん伝えられそうで良かった。


「フェリバ。先ほど廊下へ出たとき、キンケードはいたか?」


「いえ、テオドゥロさんはいましたけど、キンケードさんはまだ戻ってないみたいですよ」


「そうか……。キンケードの方にも屋敷からの報告が来ているかと思ったんだが」


 昼食へ向かった時は一緒にいたのだが、何か用事があるのか、部屋へ戻る時には姿が見えなかった。むしろ屋敷からの早馬が着いたことで、あの男が呼ばれたのかもしれない。

 イバニェスを出る際にひと悶着あった件について、結局その後どうなったのかを未だに聞いていない。馬車に武具が積まれていることを見つけたこちらに義理があるとか言って、可能な範囲で教えると請け負ってはくれたが。


「お嬢様、午後はまた書斎へ向かわれますの? それともこちらでお手紙の返信を書かれます?」


「そうだな。本を読んでいると夢中になって時間を忘れそうだから、先に手紙を書いてしまおう。フェリバもまた書くだろう?」


「ううー、こんなちゃんとしたお手紙に、私のへっぽこな字で書いた変な文章のお返事、出しづらいです~……」


「フェリバさん、頑張ってくださいな。わたくしもお手伝いいたしますから!」


 半泣きになったフェリバがカステルヘルミの手を握り締め、濁音混じりの礼を言っている。前回は書き終わるまで相当時間がかかったが、カステルヘルミに任せておけば大丈夫そうだ。


「それにしても、トマサさんはすごい方ですわね。教養もありますし、礼儀作法も完璧で。小さな頃からきちんと習って身につけたものだとわかりますわ。ご出身はどちらなのでしょう?」


 カステルヘルミのその疑問に、フェリバと顔を見合わせる。首をかしげる様を見る限り、同僚でも知らないようだ。

 フェリバとカリナはコンティエラの街に家があると聞いているが、トマサの出自については今まで話に出たことがなかった。ずいぶん長く屋敷に務めていることと、カミロやバレンティン夫人からも信頼が厚いというくらいしか知らない。

 同じくエーヴィのことも、ずっと前から姉妹で務めていたことしか聞いていないが。


「わたしが礼儀作法の授業に詰まっていた頃は、トマサとお前の口調を参考にさせてもらっていたんだ。身近に女性が少ない環境だが、トマサは所作も丁寧でよい勉強になった」


「わ、わたくしのことも参考に? まぁ、それは存じ上げませんでしたわ。いつも教えを受けるばかりですから、わたくしでもお嬢様のお役に立てる事があったのは何よりです……」


 たしかカステルヘルミは、他領にある小さな町の町長の娘だと本人が言っていた。小さいとはいえ、ひとつの町を治める家の育ちだ。普段の振る舞いなどそれなりに品があるのは、幼い頃からの教育の賜物だろう。


「……クストディアも立場上、礼儀作法などの習い事はしているはずなんだがな。今は受けていないのだろうか」


「こちらのお宅のお嬢様ですか? お作法って、普段の生活でも繰り返して体で覚えるものですし。反復練習が必要なことは本人のやる気次第ですから……って、何だかこれ、わたくしが自分で言うのも変な感じですわね」


 カステルヘルミの言う通り、振る舞いは頭よりも体で覚えるものだ。何度もバレンティン夫人の授業を受けて、その点は痛感している。

 クストディアは口調こそ優雅であるものの、その振る舞いには令嬢らしさを微塵も感じない。相手が自分やレオカディオだから侮っているという可能性もあるが、果たして他者の前ではきちんとした振る舞いができるのだろうか。


「三度、あの部屋へ赴いて色々と話してみたが、彼女についてはわからないことだらけだ。本の話をする時だけはそれなりに楽しかったんだがなぁ」


「客人の令嬢を傷つけても構わないとか、どうかしておりますわ。お嬢様、くれぐれも、おひとりであの部屋へ行かれませんように。もしまた向かわれるのでしたら、次こそわたくしがご一緒いたします!」


「うん、クストディアも王都から招いた魔法師に興味があるようだったし、連れて行けば案外歓迎されるかもしれないな」


 きっと、一芸を披露して見せろとか言うのではないだろうか。

 一応、構成の円を浮かべるところまで成長はしたのだが、残念ながらクストディアの眼にはその成果は視えない。初めてカステルヘルミと会った時のように、適当に光球でも浮かべさせておこう。


「お前があの部屋に入ったら、きっと驚くぞ。ここよりも広い室内が物でいっぱいなんだ」


「物、と仰いますと?」


「調度品やら置物やら木箱やら、とにかくたくさん物がある。窓際には植物の鉢もいくつか見えたな。ソファセットも複数あって、そこまでの経路が様々な物品の壁で迷路のようになっているんだ」


「そ、それは、壮絶ですわね……」


 滞在している部屋を見回してみても、棚やテーブルなどは必要な分しか置かれていない。一体ここの何倍の物があの部屋に詰まっているのか。集めた年月と金額は、自分には想像もつかない。


「部屋には侍女も置かず、全て護衛の男に身の回りの世話をさせているようだ。年頃なのにと、ブエナ氏も悩んでいる様子だったが。あれだけ物があってもソファ以外は使っている気配がなかったし、一体何を考えているんだろうなぁ……」


 自分とは関係ないのだし、ブエナ氏が孫娘に何を買い与えようが自由だとは思う。クストディアには説教のようなことを言ってしまったが、あれは単純に彼女の行いの意味がわからず、質問に答えて欲しかっただけ。別に何かを改めさせようという意図はない。

 訪れるたびにソファを替えていたのは、気分転換のためと取れないこともないが……

 そんなことを思い香茶を飲んでいると、カステルヘルミはじっと動かず、頬に手を当てて考え事をしているようだった。


「たしか、こちらのお嬢様は、小さな頃にご両親を亡くされているのでしたよね?」


「ああ、八年前に馬車の事故で一度に亡くしたらしい。わたしの母の懐妊祝いにイバニェスを訪れて、その帰りだったとか」


「それで、おじい様は領主のお仕事にお忙しくなさっていて。裕福だから、ねだれば物だけは何でも買って下さるんですのね……。ちょっとだけ、うちの姉と似ておりますわ」


「お前の姉?」


 四女と聞いているから、上には姉が三人いるはずだ。カステルヘルミはどこか困ったように微笑み、話を続ける。


「二番目の姉が昔、そうだったことがあるんですの。うちの両親は健在ですから、こちらのお嬢様とは状況が違いますけれど。……わたくしがまだ幼い頃、町が領主会談のための宿泊場所に選ばれて、それで親が忙しくしている年がありまして。同じタイミングで一番上の姉の結婚が決まり、三番目の姉が他領に行儀見習いへ行くことになり、わたくしは乳母に甘えてばかりだったのですが、……二番目の姉の周囲だけ、ぽっかり空いたようになってしまって」


「それで、何だ? 乱暴になったり、物を際限なくねだったりし始めたのか?」


「ええ、そんな感じです。部屋に籠ってろくに食事にも下りてこなくて、あれが欲しいこれが欲しいと我が侭ばかり言って。母が叱ると酷く泣き叫んで、まるで別人のようになってしまって。あの頃は、怖くてとても近寄れませんでしたわ」


 カップを両手で包み、過去の思い出を慰撫するように静かに語る。


「もちろん、わたくしの家はそこまで裕福ではございませんから、何でも買い与えるなんてことは無理でした。いつも廊下へ出ると、姉の叫ぶ声や使用人の悲鳴が聞こえて、わたくしまで部屋から出るのが怖くなってしまって。しばらく従妹のおうちで暮らすことになって……。一年くらいして戻った時には、姉は元通りになっていたので、結局どうやって解決したのかは知らないままなのですけれど」


「お姉さんは、すっごく寂しくなっちゃったんですねぇ」


 それまでソファの後ろで大人しくしていたフェリバが、腕を組んだままうんうんとうなずき、そう呟いた。


「でも下に妹がいると寂しいなんて言えないし、お父さんたちのお仕事の邪魔もできないし、上のお姉さんのことはお祝いしてあげないといけないって頭ではわかるのに、そうはできなくて。何か、もう、もう、うわーってなっちゃったんですかねー」


「うわー?」


「そうです。うわーって。私も下にやんちゃな弟たちがいるんで、ちょっとだけ気持ちがわかりますよぅ」


 感覚的なものだろうかと想像してみても、よくわからない。内心で首をひねっている自分とは裏腹に、カステルヘルミの方は微笑んだままそれにうなずきを返した。


「ええ、大人になった今なら、何となくわかります。あの時の姉の気持ちが。誰かに構ってほしくて、でもそれを言えなくて、物でしか心を埋められなかった。いくつになっても意地っ張りで寂しがり屋な人なんです」


「構って欲しい、か……」


 物であふれたクストディアの部屋を思い返す。使っていない家具、重複した棚、用途の見えない置物、未開封の紙包み。それらは彼女にとって、祖父から構われている証なのか。

 たくさんの物を置いて覆って、守っているのだろうか。

 ……何を?


「まぁ、寂しいとか構って欲しいとか、それを言ったらまた怒り出すだろうから、本人に確かめようはないが。一種の、心の表れではあるのだろうな」


「ええ、わたくしはそう思いますわ」


 たくさんの不必要な物を並べて、ずっと守っているのだろうか。

 その心を。


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