第219話 お嬢様会談⑤


「――それで、鴉の魔物が巣に溜め込んでいた宝の中から、無事に形見の指輪が発見されたというわけだ」


「ふん、間抜けな話ね。指輪のひとつやふたつどうだっていいじゃない。第一、それ魔物である必要もないでしょう、鴉だって光る物を集める習性があるんだから」


「まぁ、古い民話を集めた本なのだからそう野暮なことを言うな。あえて魔物としたのは、不用意に近づくのは危険だという戒めを込めたのかもしれんし、討伐するのに相手がただの野良鴉では格好がつかなかったのかもしれない」


 イバニェスの書斎にあった本のひとつで、各地に口伝で語られる昔話を集めた小話集は五歳の頃に読んだものだ。訓戒を含んだなかなか興味深い話が多く、今でも気に入っている。物語の書架に収められているが、他の本より版組の文字が少しだけ大きい。おそらく子ども向けの本なのだろう。

 たくさん喋って喉の渇きを覚え、そういえば二杯目の香茶も少し前に飲み干したのだったと思い出した。

 互いに気に入っている本の概要や面白かった部分を語ったり、同じ本を知っていれば感想を語り合ったりする間に、気がつけばずいぶんと時間が過ぎていた。

 何を語るにも一言二言、文句を言わないと気が済まないらしいクストディアだが、暇に飽かしてこれまで読んだ本の量は相当なものだ。読書から得た知識も多彩なようで、文句がついてくることにさえ慣れてしまえば、様々な本について語り合うのは存外楽しかった。


 とはいえ、あまり長居はせず体調の優れない次兄を部屋で休ませようと思ったばかりだ。話している間、妙に静かだったなと隣にいるレオカディオの顔を覗き込んでみると、押し付けたストールに包まって寝息をたてていた。

 どうやらふたりで話に夢中になっている間、退屈させてしまったらしい。

 元々白い顔にはわずかに赤みがさしているが、気持ちよさそうに寝ているので起こすのもためらわれる。浅い呼吸も規則正しいし、できることならこの状態のまま部屋のベッドまで運びたいくらいだ。

 じっと観察していた顔を正面へ戻すと、クストディアも頬杖をついてレオカディオの寝顔を眺めていた。


「……あんたたち三人兄妹って、あんまり似てないわよね」


「そうかもしれないな。長兄は父に似ていて、次兄はどうやら母に似ているらしいんだが」


「らしい、って何よ。絵姿くらい見たことあるでしょうに」


「いや、ないな。屋敷には色んな絵が飾ってあったけれど、母の絵は見たことがないから、顔を知らない」


 五歳記の折に、画家を招いて数日がかりで家族の肖像画を描いてもらったことがある。おそらくこれまでも記念日などの節目には家族の絵を描いて残してきたのだろうから、屋敷のどこかには生母の絵もあるはずだ。


「お前の家族の絵は、どこかに飾ってあるのか?」


「……、え? あぁ、正面の階段を上って、三階の正面に肖像画が掛けてあるわ。おじい様と……両親と、一緒に描いてもらった最後の絵がね」


「正面から三階にはまだ上がったことがなかったな。帰るまでには寄ってみる。クラウデオ氏は父とも懇意にしていたと聞いているから、ぜひ顔を見ておきたい」


 本の話で盛り上がったとはいえ、亡き両親の話を持ち出せば機嫌を損ねるだろうかと反応を見ていたが、クストディアは「そう」と短く返すのみで、怒り出すようなことはなかった。


「あ。クラウデオ氏といえば、私の探していた本を所有していたかもしれないと言ってな、ブエナペントゥラ氏が私室の蔵書を探ってくれているんだ。だいぶ前に回収騒ぎがあったとかいう珍しい本なのだが、」


「何よそれ、回収騒ぎってまるで『勇者』エルシオンの伝記みたいじゃないの」


「それだそれ」


「はぁ――っ!?」


 指さしてうなずくと、突然クストディアは大きな声を出してから、丸く開けた口をそっと閉じた。


「何ふざけたこと言ってんのよ、あれがどれだけ珍しい本だかわかってるの、ウチにあれば苦労しないわよ、私だってまだ読んだことがないのに、お父様の部屋に、はぁ? お父様の部屋にあの本が?」


「お、落ち着け……」


「私は落ち着いてるわ! とにかく、あの本がお父様の部屋にあるだなんてそんなはずないわ。私がねだっても、おじい様だって手に入れられなかった本なのよ? ちゃんと版型も著者名も発行年も出版元も伝えてそれでも入手できなかったってしょぼくれてたんだから!」


 一息にまくしたてるクストディアは毛を逆立てんばかりに鼻息を荒くし、ふーふーと息をついてから乗り出していた上半身をソファの背もたれにつけた。その後ろでは黒鎧が左右に揺れる微妙な動きを見せている。たぶん、なだめようとして特に方法が思いつかず、諦めたのだろう。


「そんなに興奮するな。第一、先日わたしが『勇者』エルシオン関係の脚本を持っているかと訊ねた時には、素知らぬ顔をしていたではないか」


「脚本は脚本よ、別人が書いた創作だわ。それだって結局上演中止になったいわくつきの物だけど。伝記の現物は好事家の間で途方もない値段がつけられているのよ、劇作家ごときがそんな本、読んだことあるわけないじゃない」


「うーん、ブエナペントゥラ氏も確かにあると言っていたわけではないから、何かの勘違いかもしれないな。ただ、氏はあまり本に詳しくないようだったから、指定された題名と中身が一致していない可能性もあるのでは? お前はちゃんとエルシオンの伝記だと伝えたか?」


「……」


 渋い顔をしているのを見る限り、ねだった際にそこまでは言っていないようだ。

 自分がそれを伝えた時も、「たしかクラウデオがそんなようなのを読んでいた気がする」というぼんやりした答えだったし、かつて息子の手元で見かけた本が、今では高値のつく稀覯本――孫娘からねだられている本そのものだと知らない可能性が高い。


「ええと……うん。もし、クラウデオ氏の私室から本が見つかったら、お前が先に読むといい。娘なのだから、その権利がある」


「軽々しくそんなことを言っていいの? 父の遺品だもの、読み終わったら独占してあなたになんか回さないわよ?」


「お前がそうしたいなら構わないさ。内容だけ教えてくれればそれでいい。私は別に、その本自体を読みたいわけではないんだ」


 元々、エルシオンについての情報収集として興味を持ったのが始まりだ。まさか出版後に回収されて入手困難になっているとは思わなかったけれど。彼の出自だとか、苦手なものとか、そういったことさえ知れれば本を読めなくても構わない。


「いくつか知りたい情報があるだけだしな。だから独占するのなら、読了後にまたこうして香茶でも飲みながら、必要なことを洗いざらい吐いてもらうぞ」


「……」


「まぁ、それも実際に本が見つかったらの話だ。ブエナペントゥラ氏には忙しい中に手間をかけてしまって申し訳ないことをした。……氏に依頼した探し物といえば、以前にもあったな。こちらで色紙の栞を探してもらったと思うのだが」


「栞?」


 ファラムンドの方からサーレンバー宛に手紙を出して、同様の栞の有無を問い合わせてもらったはずだ。当のクストディアはそのことを聞かされていないのだろうか。色合いや形状などの特徴を説明してみても、不可解そうな顔をして首をかしげるだけだった。


<……探査、終わっております。この部屋の中にも、奥の書庫にも構成の刻まれた紙片はありませんでした>


 そこでアルトからの報告を受け、下げていたポシェットを軽く叩いて働きを労う。これだけ物品の多い部屋をくまなく調べるのは大変だったろう。

 以前、屋敷で小動物を探した時よりも対象が小さい上、部屋の中には魔法の込められた品も色々と置いてある。調査に必要な時間を稼ぐという意識はまるでなかったものの、長話も無駄ではなかった。


「未だ出所のわからない危険な物でな、流通や製造元について調べている最中なんだ。もし見かけたら決して寝室には置かず、できればわたしの元まで送り届けてもらいたい」


「それを信じろと? 本当は高価な物で、上手いこと言って掠め取ろうとしているのかもしれないじゃない」


「そんなつもりはないんだが……。まぁ、信じられないならサーレンバー領の魔法師に鑑定を依頼して、こちらには一言、そういった栞が見つかったことだけ報せてくれればそれでいい」


 雑貨店の店主の件を考えれば、本当に危ない物なのだと教えるべきかもしれないが、ここでどう言ったところで説得力はない。その効力から見ても、効果範囲内で眠らなければあまり問題はないだろう。

 ひとまず現時点でクストディアの手元にはないと判明しただけ良かった。奥にあるという書庫もだが、これだけ物が多く未開封の包みもたくさん積まれている中から、人力で探し出すのは不可能もいいところだ。アルトの探査がなければ、自力なら『構成に反応する構成』を練って、反応が出るたびにひとつずつ開梱しなくてはならなかった。


 ……そんなことを考えながら周囲の物品を見回していると、また不機嫌顔になったクストディアが「何よ」と訝しげな声をかけてくる。


「いや、物が多い部屋だなと……初めて来た時から思っていた。これらの品は一体何なんだ? 前に兄も言っていたが、店でも始めるつもりか?」


「どうして私が店の真似事なんて。どれも欲しいから買ってもらったのよ」


「開封していない物も多いではないか」


「それが何よ。いつ開けてどう使うかなんて私の勝手でしょう? 貧乏領主の娘が、羨ましいなら物乞いでもして見せたらどう?」


 全く羨ましくはない。必要なものは買い与えられているし、大人たちからねだることを迫られるくらいだ。

 だが、クストディアの部屋の物品はどう見たって必要の範疇を大きく超えている。全てが彼女の所有物なのだから、好きに扱う権利があると言えばそれまでだが、購入費用だけでも相当なものだろう。


「いくらサーレンバー領の税収が豊かとはいえ、これだけの品々を購入するには大変な額がかかったろう。お前は領主の家の娘として、これまで享受してきた暮らしや費用の分まで、きちんと返す心づもりがあるのか?」


「突然何の話よ?」


「民の租税や家の働きに生かされているのだから、大人になったらこれまで受けたものを返すのは当然だろう。執務に関わるとか、有力な家に嫁ぐとか、もしくは有能な男を婿に貰うとかそういう、領主家の娘としての役目・・の話だ」


 クストディアの眦がきつくつり上がる。

 不機嫌にさせる話題だとわかっていたし、怒らせているという自覚もあった。だが、自分と似たような立場の相手が不可解な暮らしぶりをしているのを見て、どうしても訊ねずにはいられなかった。


「金があるから買うというのは別に構わない。製造したり販売したりする側も潤うからな。だが、その購入にあてる金銭はお前が稼いだものではないだろう。自らの働きで返すつもりもないまま、浪費を重ねているのか?」


「買っているのはおじい様だもの、現領主が買っているなら何も問題ないじゃない! 部外者にとやかく言われる筋合いはないわ!」


「ああ、購入自体にはどうこう言わないさ、こちらとて別に説教したいわけではない。だが、同じ領主家の娘でありながら、十三歳にもなってその態度はどうかと思うぞ。礼節を弁えず、他者に暴力を振り、浪費を重ねる。末娘であるわたしと違って、ブエナペントゥラ氏の孫はお前しかいないというのに」


 クラウデオ夫妻が亡くなり、一度領主の座を退いたブエナペントゥラが再びその椅子に座ることになった。だが氏はもう高齢だ。次の領主をどうするのか、後継者問題についてはとうに話が上って、前領主の一人娘であるクストディアはその渦中にいるはずだ。


「知らない! どうせ私が継ぐわけでもないんだから、領主なんてなりたい奴がなればいいじゃない! 私は関係ないわ!」


「関係ないことはないと思うが……まぁ、継ぐつもりならそんな態度でいるはずもないか。では、お前は何のために生きているんだ?」


「何よ、それ……。税金の無駄だから、さっさと死ねとでも言うの?」


「まさか、そんなことは言っていない。お前がどう考えているのかを知りたくて訊いている」


 ソファの後ろに控えていたシャムサレムは、クストディアのすぐ横まで出てきていた。だがこちらに対して何かする様子はなく、じっと直立したまま正面を向いている。前回と違い、今はもうクストディアも取り押さえろと命じる気はないようだ。

 怒りと、その他の様々な感情の渦巻く目を見つめ返す。


「力や立場がなくとも、何かを成そうと懸命に生きているなら、わたしはその意思をこそ尊重する。お前はどうだ。これをするために生きていると、自信を持って言えることが何かひとつでもあるか?」


「……」


「……じゃあ、何かやりたいこととか」


「やりたい、こと……」


 クストディアの瞳が揺れる。薄く色づく唇が開きかけて、閉じる。

 何を言いかけているのか耳をそばだてようとしたところで、不意に横から肩を叩かれた。


「はい、そこまで」


「レオ兄?」


「サーレンバーの次期領主問題はごっちゃごちゃしてる真っ最中だから。アプローチの方法はどうあれ、僕たちが口を出すべきじゃない。他家や個人の事情にあんまり深く立ち入るのはマナー違反ってもんだよ、リリアーナ?」


 一体いつから起きていたのだろう。眠っているとばかり思っていた次兄は肩に置いた手へわずかに力を込める。

 いつも通りの笑顔と、自分よりも大きな手。その有無を言わさぬ様子に口を引き結び、了承のうなずきを返した。


「まぁ、そうは言っても何だなー。この数日で一通りサーレンバーの有力者とは面会してみたけど、あれは誰が継いでもお先真っ暗だね。イバニェス家の僕としちゃそのほうがありがたいから、将来的には存分に利を吸わせてもらおーっと」


 肩にかけていたストールを畳みながら、軽い調子でそんなことを呟く。

 白けた表情のクストディアは背もたれに肘をかけてそっぽを向き、レオカディオからは温まった柔らかいクッションを押しつけられる。シャムサレムはいつの間にかソファの後ろへ戻っていた。

 誰も何も言わない。その冷えた空気が、この対話の終わりを告げていた。


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