第218話 お嬢様会談④
とはいえ、強硬に問い質したり、あまり直截な訊ね方をしても相手の機嫌を損ねるばかり。リリアーナとしても決して過去の傷を掘り返したいわけではないから、八年前の事故についてはもうふれずにおきたい。
クストディアが腹を立てているのは顔を見るだけでも明らかだが、追い返そうとする素振りも見られないし、まだ対話を続ける気はあるようだ。話を促すための、つつく材料を少し変えてみることにする。
「お前が三年前からずっと、わたしの父に会いたがっていたとブエナペントゥラ氏は言っていた。三年前と言えば、再び領道での落石事故が起きた年だ。あれは、父がサーレンバー領へ向かう途中の出来事だった」
「そうよ! 三年前、私の十歳記の祝いの日、ファラムンドが来るのをずっとずっと楽しみにしていたわ。あいつもあの領道を通って、落石に潰されて死んでしまえば良かったのに!」
「……! 楽しみにって、事故に遭うことを期待していたと? まさか、あの崩落について何か知っているのか?」
「さぁね、知っていたとしても教える義理はないわ。私が呪ったから事故が起きたと騒ぎ立ててみる? それともファラムンドに、私が暗殺を企てたと告げ口でもするのかしら?」
息を飲み、続けようとした言葉が肺の中で萎んで消える。
クストディアの怨詛の籠った声は、憎しみというよりもむしろ燃え盛る怒りを滲ませているようだった。
そして、ひとつ腑に落ちる。現在十三歳のクストディア、三年前にサーレンバー領へ向かっていたファラムンド。もし偶然でないなら、あの遠出は彼女の十歳記の祝いを兼ねていたのではと思っていた。結局、事件のせいでそこから三年もの間、こちらへ来ることはできなかったようだが。
「領主も、父親も一度に失って。そうすれば、あんたたちだってそんな澄ました顔をしていられなかったでしょう? 腐って濁って、私みたいになるに決まっているわ」
「……ん、そうだな。そうだと思う。三年前のあの時も、そばにキンケードがいなければ、危なかった」
父を奪われた怒りに駆られ、命も何もかも投げ出して無理な構成を回そうとした。
あの時の暴走しかけ、容量を超えて爆発した感情の内訳は今でもあまり理解できていない。我を忘れて噴出した怒り、この胸から溢れて零れた分は、どこかに消えてなくなってしまったようだ。
もう同じことを繰り返さないよう、感情の手綱はしっかり握っていなければと何度も自戒をしている。それでも、万が一、目の前で家族や侍女たちが失われたら――
「怒りで我を忘れて、何をするかわからない。三年前のあの日、わたしもあの事故の現場にいたんだ」
「え?」
疑問の声は隣から聞こえた。そういえばあの後はしばらく寝込んで、屋敷の中もばたばたとしていたから、レオカディオとは崩落事故についてちゃんと話したことはなかった気がする。
「わたしは街に出ていて、別邸で崩落現場から戻った自警団員と鉢合わせた。それで、当日の護衛をしていた者がすぐに向かうことになったから、無理を言って馬に同乗させてもらった」
「リリアーナは別邸で報せを聞いて倒れたって、僕はそう聞いてたよ……。無茶をするなぁ、見たくもないもの見る羽目になったでしょ」
「……」
兄の呟きには沈黙を返し、未だ怒りを湛えるクストディアの目を見返す。事故の現場を見ている、それがどうとは言わないが、こちらとて何も考えずに問いかけているわけではない。
「流れ落ちた膨大な土砂も、父が乗っている馬車が潰れているのも、真っ赤に染まった車内も目にした。護衛や侍女たちは岩に擦り潰されて死んでいた。現場に到着した時は、諦めて、怒りと悲しみで何もかも投げ出しそうになって。絶望というよりも……何だろうな、とても投げやりな気持ちになったのを覚えている」
結果的に、ファラムンドは軽傷で済んだ。カミロもあのままでは命を落としていたのを、危ういところで修復が間に合った。馬車のそばに倒れていたテオドゥロも一命をとりとめた。……他の皆は、助からなかったけれど。
大切に想っている相手を喪わずに済んだ自分には、クストディアの絶望は理解できないものだ。だから安易に「わかる」なんて言えないし、クストディアとてそんな安い共感を許さないだろう。
だから、リリアーナは首を横に振る。決して理解し合えるものではない、あの瞬間に抱いた激情を伝えられないように、クストディアが抱く感情にだって上辺の推察しか届かない。
「お前の言う通り、あの時、父やカミロが喪われていたら、今のわたしはないだろう。だからと言って部屋に引き籠って他者へ乱暴するようなことはなかったろうが、それでも。今とは全く違う自分になっていたとは思う」
「……」
「我が父ファラムンドを、クラウデオ氏と同じ目に遭わせたかったのか? そして、自分と同じ思いをわたしにも味わわせたかったか?」
「……そうね。三年前にそうなっていれば、どれだけ気分が晴れたでしょうね」
残念で仕方ないと言って肩を竦める。そして、仄昏い、どこか自嘲を含んだ笑みを唇に乗せ、クストディアは嫣然と微笑んで見せた。
目を細め、口角を持ち上げて唇で弧を描くような独特の笑い方。自分ではしたことのない笑みだ。
顔の筋肉を操作して真似をしてみても、手元に鏡がないためちゃんとできているかわからない。指でなぞって確認する限り、口の角度は問題なさそうだが……
「リリアーナ、何してんの」
「む? いや、何か、クストディア嬢が強そうな笑い方をしていたから、自分でもできるかなと思って」
「何にでも向き不向きってものがあるんだからさぁ。パンケーキを煙で炙っても燻製肉にはならないでしょ?」
「パンケーキを、炙る……?」
なぜかレオカディオとクストディアが揃って変な顔でこちらを見るので、咳払いなどして場を仕切り直す。
「こほん。……ええと。うん。とにかく、お前が我が父の死を願うくらい憎んでいることはわかった。だが、三年前の崩落は原因などについて不明瞭な点も多い。こちら側の領兵とうちの自警団が、共同で捜査を続けていると聞いたことはあるが……」
「それが何だと言うのよ」
「わたしに何でも打ち明けるような義理はないと承知の上で、たずねるぞ。あの崩落の原因について、お前は何か心当たりがあるのか?」
「……」
目を眇めたまま組んだ足を組み替える。置いたカップを取ろうとして、もう中身がないことに気づいて伸ばしかけた手を止める。
クストディアのそれらの動作を、表情の変化を、リリアーナは正面からじっと観察していた。
「あの道は何度も落石が起きているわ。八年前に起きたなら、三年前にまた同じことが起きたって何も不思議ではないでしょう」
「極小の確率の問題だと?」
「でなければ何? 私があの日を狙って、採掘用の爆薬を仕込むよう命じたとでも言うの?」
「いいや、そんなことは言わない。何か少しでも手掛かりになるような情報はないかと思って訊いただけだ。何であれ答えてくれたことには礼を言おう」
クストディアはふいと顔をそむけると、ソファの背もたれに寄り掛かって両肘を置いた。この件についてこれ以上は何もしゃべらないといった態度だが、もう十分だ。
少女の素振りからは、虚勢や威嚇以上のものは感じない。まず間違いなく、クストディアは三年前の事件に無関係だろう。
こうも偽悪的な振る舞いを続ける理由も、自分たちを憎む原因も未だにわからないが、そのことに確信が持てただけでも今日の対話は価値があった。
どうも八年前の事故が憎しみの根になっているようだが、今はこれ以上掘り下げるべきではない。
「ふむ……。まぁ、そこまでわたしや父が嫌いだと言うなら仕方ない。今後も隣領同士ということで立場上の友好関係は保っていきたいが、そもそもわたしの方とて、お前のことはあまり好きではないしな」
「そーれ本人に言っちゃう?」
「彼女だってわたしが嫌いだと言うのだから、相殺するくらい構わないだろう」
「そういう問題かなぁ……まぁ別にいいんだけど」
ソファで斜めに寝そべったレオカディオはクッションを抱えたまま、何か言うのを諦めたように目を閉じた。
眠たげな様子ではないから、ただ単に楽な姿勢でいるだけだろう。今日はちゃんとこちら側にも座れる場所を用意してもらえていて良かった。初日のように、立ったままの対話を求められたらレオカディオを休ませるため中座するしかなかったろう。
そこでふと、最初に顔を合わせた時にクストディアから受け取った、脚本の写しのことを思い出した。
「そういえば、先日没収されてしまったと伝えた脚本の写しだが。こちらに戻ってきているか?」
「はぁ? 知らないわよ、たとえ持って来たって追い返すわ。一度あげたものを返されたって、ゴミになるだけですもの」
「ということは、まだ父上の手元にあるのかな……。せっかく譲り受けたものだ、今の年齢でだめなら、成長してから読ませてもらえればと思ったんだが」
レオカディオに取り上げられ、ソラに隠されてしまった『燃ゆる月の慕情』という題の印字された冊子。普通の物語ではない、演劇の台本という形式の本も一度読んでみたかったのに。
恨みがましい横目を隣へ向けても、次兄は素知らぬ顔で目を閉じたままだった。
「何やら、男女の情愛を描いた古典作品だとかどうとか言って、取り上げられてしまったんだが。次兄が中を見ても何も言われなかったから、十歳記を過ぎればわたしが読んでも平気だろうか?」
「さぁね。あんたが恋愛物を読んだところで、理解できるかどうか疑わしいけど」
「失礼だな、その系統の話ならわたしだって読んだことがあるぞ。この兄がくれた本で、ええと、『露台に咲く、白百合の君』といったかな?」
「ふん。またずいぶんと低俗な流行り物を選んだのね。まぁ、こんな世間知らずの子どもにはぴったりかもしれないけど」
その知ったような口振りからして、クストディアも同じ本を読んだことがあるのだろう。女性の間で流行しているとフェリバが言っていたし、トマサ以外に読んだことのある者がいてもおかしくはない。
同じ本を読んだ後に感想を語り合う楽しさは、アダルベルトと交わす論議で味をしめている。あの本を読んだクストディアが、靴屋と令嬢の物語をどう思ったのか気になった。
「去年読んだけれど、よく覚えているわ。重病が発覚してもうろくに外も歩けない老人へ、わざわざ自作の靴を贈るとか。嫌味が効いてるわよね。その上、靴を作るしか能のない男が家を継いで、あえなく没落するのよ」
「……あれは、そんな話だったか? うちの侍女は、男の身分よりも性根の優しさを見て、父親がふたりの仲を認めたのだとか言っていたが」
「自分の手仕事を見せることがどうして優しさになるのよ。腕に自信があるなら、娘の父が健在なうちに靴を贈ったはずでしょう。あの「好きにするがいい」って台詞だって、仲を認めたんじゃなく諦めの吐露に決まってるわ!」
「物事の受け取り方って、性格が出るよねぇ……」
隣でレオカディオがぼやく。書斎であの本の感想を自分が語った時も、この兄は妙な反応をしていた。様々な受け取り方のできる内容なのか、それとも自分たちの読解力に問題があるのか。もう少しサンプルが欲しい、屋敷へ帰ったらカステルヘルミとフェリバにも読ませて感想を聞いてみよう。
「他には?」
「他? 他って、別の本か? ええと、恋愛を扱っているらしい作品はそれくらいだな。冒険譚とか紀行物なら色々と読んでいるんだが。最近読んだ中では、長兄が勧めてくれた『或る剣士の物語』も面白かった」
「あれを読んだの? あんたが? ふぅん、あのつまらない男の勧めねぇ。ぱっとしない内容だから、地味な奴にはお似合いよ。中盤の谷間での戦いはなかなかだったけど」
「ああ、
「ほ、保存食? あの流れでどうしてそうなるのっ、人でなし、鬼畜、正気を疑うわ!」
ひどい言われようだ。自分なりの言い訳を考えたが、憤るクストディアの様子を見ていて、まぁいいかと言葉を引っ込める。
同じ怒りの表情でも、今の顔は悪くない。
口を尖らせぷりぷりと立腹を表明するクストディアは、再び指を二本立て、背後に控える黒鎧へお茶のおかわりを指示した。
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