第217話 お嬢様会談③


 何となく黒鎧の後ろ姿を見送ってから、視線を正面へ戻す。すると、クストディアはじっとこちらの顔を見ていた。睨んでいるようでもあるが、元々の目つきが少し鋭いようだから、もしかしたらただ単に眺めているだけなのかもしれない。


「……毒見役も連れていないのに、出されたお茶を飲むつもり?」


「ああ、やはり知っていたのか。その通り、普段なら使用人が確認をするまで手をつけないのだが、ここでお茶を飲んでもし私の身に何かあれば、今度こそシャムサレムの首は飛ぶだろうな。置物が証人になるから言い逃れもできん」


「私が、混ぜ物をしろと命令したかもしれないじゃない」


「だとしても、それを実行した彼はただでは済まん。もちろんお前も、もうこんな優雅な暮らしはできなくなる。そんな自身の不都合と引き換えてまで、今この場で毒を盛るほど馬鹿でもないだろう。……まぁ、身の破滅を覚悟してでも私が憎くて仕方ないというなら、話は別だが」


「ええ、あんたもファラムンドも大嫌いよ。憎くて憎くて仕方ない。そこになぜも何もないわ、嫌いなことにいちいち理由なんてないでしょう?」


「そういうものか……?」


 自分の場合はどうだろうと考えてみても、そもそもあまり嫌いなものというのが思い浮かばない。

 辛みのある食べ物は苦手なだけだし、本を粗末に扱われると嫌だなと思うのは、嫌いというよりは不快感に当たるだろう。自身や身近な者たちへ危険が及ぶことは、もはや嫌いとかそういう類のものではない。


「うーん、嫌いなもの、嫌いなもの……」


「だいぶ前に雷が苦手とか言ってなかった?」


「音にはびっくりするが、嫌いというほどではないな。……あ、」


 横で呟くレオカディオの言葉で思い出した。以前、雷が嫌だと話したのは、『勇者』の魔法によって魔王城の広間を破壊された過去を連想したせいなのだが。当の赤毛が脳裏へよぎった途端、気分がずんと重くなる。……これだ。


「嫌いな人物なら、わたしにもひとり心当たりがある。ああ、たしかに、嫌いなことにいちいち理由はいらないな、なぜと問われても一言ではとても言い表せない」


「え、そんなに嫌いな奴がいるの、誰、僕の知ってる人?」


「レオ兄は会ったことのない相手だ。この先も知らないほうがいいし、わたしも二度と顔を見たくない。声を聞きたくない思い出したくもない。死ねとまでは言わないが、金輪際わたしにもイバニェス領にも近づかず、どこか知らない遠い場所でひっそり生涯を終えて欲しいと願っている」


「リリアーナがそこまで言うほどの相手? 性悪のクストディアならともかく、今まで箱入りで育ってきた君がそんなに嫌う奴って何なのさ、もしかして何かされたの?」


「置物がうるさいわよ」


 そういえば黙らせてる最中だった。レオカディオが再び自分の口を手で塞いで「大人しくしています」のポーズを取ると、ちょうど銀盆を携えたシャムサレムが戻ってきた。白い湯気をくゆらせるカップからは、酸味のある果物のような香りが漂う。


「いい香りだな、絞った果汁でも入れているのか?」


「茶葉に、乾燥させた果実の粒が混ざっているのよ」


 出されたカップは持ち手と縁が金色で、細かな模様の描かれた瀟洒なものだった。中身の色合いは自分も飲んだことのある、ミルクを垂らした香茶と大差ない。試しに一口飲んでみると、香茶の香りを追いかけるように、苺とミルクの甘い匂いが鼻腔いっぱいにふわりと広がる。

 味がわからないまま砂糖を控えめにと頼んでみたが、これで正解だった。ほのかな甘みによって茶葉の苦味と果実の風味がどちらも引き立つ。それと、後からミルクが加えられることで程よく冷めて飲みやすい。

 普段のお茶も自分が飲みやすい好みの温度に冷まして淹れてもらっているが、それを伝えずともちょうど良い温さになっているのが何だか嬉しかった。


「これは、とてもうまいな。乾燥させた果実を茶請けにつまむのは好きなんだが、そうか、あれはお茶に入れてもいいのか。今度試してみよう」


 うんうんとうなずいて香茶の風味を堪能していると、隣から無言の視線を感じる。カップを手にしたまま顔を向けてみれば、口をつぐんだレオカディオが何か言いたげな目でこちらを見ていた。


「別におかしなものは何も入っていない、大丈夫だ。レオ兄も少し飲んでみるか?」


「……」


「変な横やりを入れて会話の邪魔をしないなら、一切無言でいろとまでは言わない。付き添いに来てくれたこと自体は感謝しているんだ、これでも」


 半ばまで減ったカップを差し向けたままそう言うと、レオカディオはわずかに目を眇めてから持ち手の部分に自分の手を重ね、一口だけ香茶を含んだ。


「……シルヴェンノイネン産、バイラのレッドベリーブレンド。淹れ方がもったいない、抽出時間はもう少し長く置いたほうが葉の香りも出るよ」


 指先で押し戻しながら呟かれたのは、使われている香茶の名前だろうか。シルヴェンノイネンのほうは良いお茶の産地として有名な領だと覚えている。あそこから取り寄せる茶葉はいずれも高級品だから、イバニェスの屋敷はとっておきの時にしか飲まない。

 淹れ方についてはよくわからないが、カップを持ち直しながらクストディアの方をうかがうと、柳眉がぎゅっと持ち上がっていた。

 彼女の機嫌を損ねるとわかっての発言なのか、それとも単なる助言なのか、やや判別が難しい。そもそも、レオカディオが何を言ってもクストディアは不機嫌になるような気がする。


 飲みかけのカップを一度テーブルへ置いて、次兄の手を取った。重ねられた時に気がついたのだが、少し体温が高いようだ。

 フェリバがよくそうするように、自分と相手の額にふれて温度を比べてみる。前髪の下に手を差し入れても抵抗がなく、どこか困ったような視線だけがこちらに向けられる。


「大丈夫だよ」


「でも、熱があるだろう。頭痛もまだ続いているのか?」


「昨日よりはマシ。ほんとに具合が悪かったら、こんな面倒な所についてこないって」


 頬は白いまま、あまり赤みは差していないが発熱しているのは確かだ。ソファにかかっているストールを広げて肩に押し付け、横に置いてあった四角いクッションも押し付け、そのままぐっと体重をかけて丸い肘掛けへ凭れるようにレオカディオの体を押し倒した。

 安心させるようにクッションの上からぽんぽんと軽く叩くと、細い肩から力が抜けていく。


「姿勢を楽にして、少し大人しくしていろ。いくつか訊ねるだけだから、そう時間も取らせない」


「相変わらず貧弱な男ね」


「まぁ、そう言うな。体質ばかりはどうしようもない」


 血の気の薄い、白い顔。観念したように伏せられる色素の薄い睫毛。体の弱い兄を見ていると、街で出会ったノーアのことを思い出す。

 あの赤毛と予想外の遭遇をしたことで、体力の乏しい少年を引きずり回すことになってしまった。あんなことがなければ無用に辛い思いをさせる必要はなかったし、もう少し彼と話をすることができた上、ちゃんと約束通り聖堂の裏まで送り届けることができたのに。

 大元は自分のせいだとしても、あんなタイミングで街にいてしつこく追いかけてきた『勇者』が全部悪い。

 未だ苛まれる悪夢も、屋敷の防備に手間がかかるのも、ノーアに迷惑をかけたのも、楽しい買い物を邪魔されたのも、捜索のため自警団やカミロに要らぬ仕事を増やしているのも、何もかも全部あいつのせいだ。


「……何その顔?」


「ほんっとうにあいつのことが嫌いだなと、にくしみを噛みしめていた」


「だから、リリアーナがそこまで嫌いな奴って誰なのさ……」


 その問いには答えず、背中側にあった円形のクッションも追加で抱かせておいた。

 適温を過ぎてしまった香茶の残りを飲み干し、改めて観察するような目でこちらを睥睨しているクストディアへ顔を向ける。


「話を戻そう。とにかく、わたしもヒトを嫌う感情は理解できているつもりだ。だが、嫌う理由を説明しにくくとも原因だけははっきりしている。何だって嫌悪を覚えるに至る、元があるはずだ。お前がわたしと父を嫌っていることは良くわかったから、何が原因なのかを教えてほしい」


「そう問われて、私が素直に答えるとでも思っているの?」


「八年前の馬車の事故に、何か関係があるのか?」


「……っ!」


 なるべくふれたくはなかった核心を突くと、クストディアの眦が一層険しくなり、射殺さんばかりに睨みつけてくる。少女の背後では黒鎧がわずかに身じろぎ、金属の擦れる音がたつ。

 物を投げられるかもと身構えていたのだが、その手の中のカップを投げつけてくるようなことはなかった。クストディアは持ち手を握り潰しそうなほど指先に力を込めたまま、ソーサーごとテーブルへ戻す。


「馬鹿のひとつ覚えみたいに、直球で訊ねることしか知らないのね。子どもだから、領主の娘だから、見目が良いから、誰に何を言っても許されると信じて疑わない。あんたのそういう、無知をひけらかすような性根には吐き気がするわ」


「何を言っても許されるなんて思うほど、驕ってはいないさ。今のは踏み込まれたくない部分だと知りながらつついたんだ、すまない。わたしが悪かった。何か言って切り込まないと、全く取り合う気がないようだったから」


「元々取り合う気なんてないわよ。私を不快にするとわかっていて、わざわざ不良品の置物まで連れてここへ来たわけ?」


「そうだ。どうしても答えてほしい」


 レオカディオを早く部屋で休ませてやりたいから、答えるまで居座るとまでは言えない。ここでクストディアに回答を強いるような手札は何もないけれど、会話を拒むつもりなら最初から部屋になど招き入れなかったはずだ。

 話に応じる気はある。……むしろ、大人たちを排除した状況で、彼女からも何か言いたいことがあるのではないかと当たりをつけていた。


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