第216話 お嬢様会談②


 訪問の先触れを出してあるためか、今日はノックからそう間を置かずに扉が開かれた。

 これまでの二回の訪問も、一応先に報せは出していたはずだが。部屋の主の胸中はどうあれ、今回は少なからず歓迎の意識があるようだ。

 応対に出た黒鎧はやはり何も言わぬまま部屋に招き入れ、奥まで先導して歩き出す。金属の擦過音をたてながら歩く様子も、林立する物品の多さも相変わらずだった。

 前の二回とは異なる道筋を経て、着いたのは向かい合わせに設えられた空色のソファセット。毛織の模様が華やかなラグが敷かれ、正面の席では足を組んだクストディアが優雅にティーカップを傾けている。

 ドレスとは異なる色のリボンを使い、頭の高い位置でふたつに結った髪型もこれまで通り。訪問客が姿を見せたことにはとうに気づいているだろうに、歓迎の挨拶どころか視線を向けようともしない。

 無礼も三度目ともなれば慣れたもの。こちらの要望で時間を割いてもらったのだし、と割り切って、リリアーナは教わった通りの礼の形を取る。


「ごきげんよう、クストディア様。本日は来訪のご許可をありがとうございます」


「あ、僕はただの付き添いだから、いないものとでも思って気にしないでいいよ」


 スカートを摘まんできちんと礼をすると、クストディアはあからさまに嫌そうな顔をしながら対面のソファを指さした。

 兄とふたりで着席をしても、お茶などは出てこない。元より期待はしていないが、もしかしたら毒見役のいない場では、自分たちが飲食物を口にしないと知っているのかもしれない。


「よくもぬけぬけと顔を出せたものね」


「どこへ出しても恥ずかしくない顔をしているもんでね」


 その場にいる三人分の視線を受け、レオカディオは口を禁んだ。


「先日は失礼を。そちらの鎧の方は、転倒でお怪我などされませんでしたか?」


「顔面を打って鼻血を出したわ」


 隣の兄がひとりで噴き出してくつくつと笑うが、気にせずにおく。


「護身のためとはいえ、痛い思いをさせて申し訳ありませんでした、名は……たしかシャムサレムといいましたか。その甲冑、要所が重すぎる上に関節部が干渉して動きに支障が出ているようです。ああいう咄嗟の転倒時に受け身を取ることもできないのは今後も困るでしょうから、専門の職人へ任せて調整をしてもらったほうが良いと思いますよ」


 顔を強打させた侘びと親切心からそう声をかけると、鎧の男は頭をわずかに傾けクストディアを見てから、また元通り直立の姿勢に戻った。言葉で応える気はないらしい。


「恩着せがましいわね、怪我をさせておいて謝罪のひとつもないのかしら?」


「それなら主人として君が謝るのが先だろう。イバニェス家の令嬢に負傷をさせて、知らん振りで済むと本気で思ってるの? もし痣が少しでも残るようなら、嫁入り前の娘を傷物にした咎だ、そっちの鎧の人はコレで終わる話じゃないよ」


 レオカディオは「コレ」と言いながら、手刀の形にした指先で首を切る動作をして見せた。もちろん、免職という意味ではなく物理的なものを指しているのだろう。


「その程度で私を脅しているつもり?」


「まっさかぁ。謝る気もなければ賠償能力もない君を脅したところで、こっちが何か得するわけでもないし。ただ、管理責任を問われるのは飼い主の方でも、処分受けるのはそっちの彼なんだからさ。ろくな躾ができないんなら、首輪をして鎖にでも繋いでおかないと」


「ふん。いないものにしては、ずいぶんと良く喋る置物だこと」


 ただの付き添いだと自分で言っておきながら、どうしてこうも余計な口が回るのだろう。体調不良はどこへ行った。隣で流暢に嫌味を並べるレオカディオは、むしろ生き生きとしているようにすら見える。


「これは喋る置物だとでも思って、どうか気にしないでください」


「えー、何その扱い」


「兄上、今日は穏便な話し合いに来たんです。いい加減に黙らないと、ご自慢の顔へ泥炭を塗りたくりますよ」


 横目でそう宣言すると、レオカディオは唇を尖らせて黙りこんだ。

 三度目にしてようやくクストディアと落ち着いて話せる場が持てたのに、出だしから険悪な雰囲気にされてはたまらない。


「言っておくけれど、私は謝るつもりなんてこれっぽちもないわ。謝罪させるつもりで来たならお生憎さまね。その子が勝手に蹴りつけて勝手に怪我をしただけ、シャムにも私にも落ち度なんてあるものですか」


 肘掛けに腕を置き、余裕の態度でそんなことをのたまうクストディアだが、強引に取り押さえようとしたことや、顔以外なら傷つけても良いなんて指示を出したことは忘れ去っているのだろうか。

 別に資客としての扱いだとか、令嬢らしい振る舞いだとかを期待して来たわけでもないのだが、この傍若無人な態度を改めようともしない少女を前にしていると、こちらばかり礼を尽くしているのが馬鹿らしくなってくる。

 頭の中で怖い顔をしているバレンティン夫人のことは、一旦隅に置くことにした。


「……はぁ。もういい、何だか面倒くさくなった」


「は?」


「謝罪は求めていないし、今日だって形ばかりの礼を押し付け合うつもりはない。どうせ他に誰も見ていないのだからな、わたしも楽にさせてもらおう。それと、先日の負傷については自分にも落ち度があったと思っている。互いに痛み分けということにして水に流し、今日は忌憚なく話をさせてもらいたいのだが、どうだろう?」


 ぽかんと口を開けていたクストディアの眉がつり上がり、きつめの眦が一層鋭くなる。


「何よそれ、痛い目見たから生意気な口をきいても許せと言うの? 良識を疑うわね、イバニェスでは礼節ってものをちゃんと教えているのかしら」


「お前に良識や礼節について語る口があるとも思えんがな。私とて、敬意を払うべき相手にはきちんと礼を弁えて話をする。先に無礼な対応をしたのはそちらだろうに。お前が礼を弁えないのなら、わたしからも礼を尽くす義理はないはずだ」


「何ですって……?」


「リリアーナはウチではいつもこんな感じだよ。まぁ、もっとも、君がそれを吹聴したところで誰も信じやしないだろうけど。普段の行いと積み重ねた信頼の差が出るよねぇ。さすが僕の妹なだけあって外面はいいからさ、素直な子どもは大人受けするんだよ」


 少しの間も黙っていることのできない次兄は、なぜか得意満面でいらぬことばかりを喋る。半眼になったクストディアは感情の抜け落ちた眼差しで隣を睨みつけているが、リリアーナは自分も同じような顔をしている自覚があった。


「……泥炭ではなく馬糞でも口に詰めておくべきじゃないかしら」


「……そうだな、次に余計なことを言ったら口を塞いでしまおう」


「え、そこでふたりが結託するのおかしくない?」


 そう言って驚いて見せる様子もどこか芝居がかっており、この兄に付き添いを頼んだことを少しだけ後悔した。


「レオ兄、ただ付いて行くだけと自分で言っていたはずだろう。これ以上つまらぬ横槍を入れて話の邪魔をするなら、席を外してもらうぞ」


「付き添いにコレを選んだ時点で人選ミスだと思うのだけど」


「お前が護衛も侍女もだめだと言うから、こんなことになったのではないか」


「だったら家庭教師を連れてくれば良かったじゃない。凄腕の女魔法師がいるんでしょう、どんなものかちょっと見てみたかったのに」


 凄腕と聞いて理解に間が空いてしまったが、カステルヘルミのことを指しているのだとわかった。まだサーレンバー領では魔法の披露などしていないのに、一体誰から凄腕なんて話を聞いたのだろう。噂の尾ひれとかいうものだろうか?


「家庭教師を……カステルヘルミを連れてくるよう仕向けるために、護衛の同行を禁じたのか? 迂遠なことをする、はっきりそう言えば良かったろうに。だが、あれは打たれ強いわりに一度へこむと元に戻るまでしばらくかかるから、お前にいじめられると困ると思って連れてこなかった」


「別にいじめやしないわよ。部屋の調度品を燃やされでもしたら嫌だもの」


 そよ風を吹かせる程度しか扱えない上、怒らせたところで魔法による報復なんてする気質ではないから、害になる心配など無用のものだが。

 まぁ、わざわざここで言う必要もないだろう。魔法の腕を恐れていたほうが、いじめられる心配もいらない。


「では、今からでもカステルヘルミと交換してこようか。あれは黙っていろと言えば何時間でもじっとしている忍耐と根性がある。うちの次兄と違ってな」


「そうね。この置物、目障りだからそうしてちょうだい」


「ちょっと、待った、自薦した上に途中で投げ出したら父上たちに怒られちゃうよ。わかった、今度こそ黙って置物になってるから、ふたりは僕に構わず話を続けて」


 慌てたように両手を振り、そのまま重ねた手で口を塞いで見せるレオカディオは、何とかこの場に居座りたいようだ。

 毎日忙しそうにしている中、予定を空けてまで付き添いに来てくれたわけだし、邪魔さえしないのであれば自分はそれでも構わないが。と、リリアーナは向かいのクストディアへ可否を問う視線を向ける。


「ふん。あんな腰抜け親父が怖いだなんて、あんたも大したことないわね。未だに親離れもできないの? まあいいわ。それで、そっちのお嬢さんは私に一体何の用なのかしら」


「それ、それだ。前回も父上や私のことを悪し様に罵ってくれたろう。なぜそうも嫌うのか、さっぱりわからないから理由を訊きたいと思ってな」


 クストディアにはいくつも訊ねたいことがあるけれど、最たる目的は自分やファラムンドに対する憎しみの理由を問うことだ。

 『魔王』であった生前ならともかく、今の『リリアーナ』は初対面の相手から強い憎悪を向けられるような覚えはない。ファラムンドだって、実直に領主としての務めに励む彼の、一体どこに嫌う要素があるというのか。

 全くの無関係な人物なら気にせずにもいられたが、隣領の領主の娘から理由もわらかず憎まれたままでいるのは、どうにも不可解で腑に落ちない。


「そんなことのためにわざわざ? よっぽど暇なのね……。シャム、お茶。こないだのベリーのやつ、ミルクと砂糖多め」


「あ、わたしはミルク多めの砂糖は少なめで」


「僕はミルク抜き砂糖たっぷりで」


「……生憎と、置物に出すお茶はないわ。シャム、二杯よ」


 銘々が好きに注文をつけてから、心底嫌そうな顔のクストディアが指を二本立てる。

 侍女の代わりを務めているという話は本当のようで、指示を受けた黒鎧はひとつうなずくと、大きなキャビネットの向こうに消えて行った。


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