第215話 お嬢様会談①
薄く切った肉のソテーにトマト風味ソースをかけたメインディッシュ、芋と根菜を揚げたようなものが添えてあり、彩りも良い。スープは薄味ながら穀類の香りがして甘みがある。葉物と一緒に並ぶテリーヌは細かく刻んだ具材が何なのかよくわからないが、舌触りが良くこれも口に合う。
あと一歩のところでアマダの仕事には及ばないものの、サーレンバー邸の料理人もなかなかの腕前だと言えるだろう。日ごと贅を凝らした料理が提供され、飽きることがなかった。
「リリアーナも急な雨で残念だったな。庭で降られてしまったと聞いたが、体を冷やしてはおらんか?」
ひとつくらい具材を当てたいと思いながら謎のテリーヌをちまちま食べているリリアーナに、それまでレオカディオと会話をしていたブエナペントゥラが不意に話を向けてくる。テーブルに手を下ろし、舌の上で検分していたものを飲み込んでから、斜め前の老爺を見返した。
風に押されながら上空へ居座っている雨雲は、夜になっても雨粒を枯らす気配がない。今もさあさあと絶えず窓の外を濡らしている。とはいえ日中よりは勢いも軽くなっている、おそらく明朝には止んでいるだろう。
「幸い、降り始めに気づけましたから。お片付けをして、すぐに中へ戻ったので大丈夫です」
「そうかそうか。この時期にここまで降るのは珍しいんだが、まぁ昨日のように出かける用がなくて何よりだ。庭でお人形遊びをしておったそうだが、芝生や東屋が乾くまではサロンなども好きに使って構わんぞ?」
「に、」
「へぇ、リリアーナも人形遊びなんてするんだね」
何のことかと言葉を詰まらせる間に、隣でレオカディオが珍しいものを見たような顔で声を上げる。
庭、人形、遊ぶ。……その連想で思い浮かぶのは、午前中に強化の下ごしらえをしていた
何を使って遊んでいたかまでは知らないようだし、あの場を見ていた誰かに話だけ聞いたのかもしれない。
どう答えるべきか考えながらさまよわせた視線が、食堂の入口付近で警備の任に当たっているキンケードを捉えた。
何やら顔の前に手を立てて変な顔をしている。その口が、「す、ま、ね、え」の形に動いた。お前か!
「……最近、お天気が良かったので。たまにはお外で遊んでみようと思って侍女に敷布なども用意してもらったのですが、天気の急な変化は予測がつきませんね」
「まぁ、リリアーナも部屋に籠って本ばっか読んでたらさすがに飽きるよね。ここの書斎にはもう行ったの?」
「はい。素晴らしい蔵書ばかりで。たくさんご本がありすぎて、滞在中には読み切れないのが残念です」
「ふーん、面白い本があるなら僕も何か借りようかな。雨が降ると頭痛くなるから、外出するのも億劫だし」
季節の変わり目や長雨の日によく体調を崩すレオカディオは、そう言って手にしていたカトラリーを置いた。
顔色はそう悪くないようだが、今日も調子が優れずあまり食欲がないのだろう。成長しても相変わらず線の細い次兄には、もっとたくさん栄養を摂ってもらいたのだが。
「体に障りますから、できればスープだけでも召し上がってください」
「うん、じゃあスープだけ。痩せて帰ったりしたら、アダル兄がまたうるさいからね」
「それと、書斎は手前からふたつめの部屋が、物語などの本を収めているそうですよ」
アントニオから聞いたことだが、書斎へ通っている自分なら知っていてもおかしくはないはずだ。ブエナペントゥラが仕事をこなす日中はなかなか話す機会が持てず、アントニオと知り合ったことや物置小屋のことはまだ伝えられていない。
……あの手記と聖堂の便覧についても内密に話を聞きたいと思っているから、そのうちふたりだけで話せるよう時間を作ってもらう必要がある。
「そういえばさ、クストディアともう一回話したいとか言ってたあれはどうしたの。もう行った?」
「いえ、取り次ぎをお願いしたままですが……」
テリーヌの正体を突き止めるのは諦めて視線をファラムンドへ向けると、ブエナペントゥラと揃って何やら難しい顔をしていた。
「面会は断られてしまったのでしょうか?」
「いいや。リリアーナなら部屋に入れても良いと言うんだが、侍女や護衛の入室は絶対に嫌だと言い張ってな。さすがにあんなことの後だ、クストディアの素行をそこまで疑うわけじゃないが、お前だけを行かせるわけにはいかないだろう」
自分の入室は構わないと言っているのが、少しばかり意外だった。面と向かってあれだけ罵られるほど嫌われているなら、断られる可能性のほうが高いと踏んでいたのだ。
まだ何か言い足りない文句でもあるのか、それとも今度こそ取り押さえるつもりなのか、クストディアの真意はわからない。もっとも、彼女に関してはわからないことだらけだから、わざわざ部屋まで直接問い質しに行くわけだが。
「それなら、僕が一緒に行ってあげるよ。侍女でも護衛でもないし、断られる理由はないでしょ。危ないなって思ったらすぐリリアーナを連れて部屋を出るからさ」
「兄上は、クストディア様と仲がよろしくないのでは?」
「それはリリアーナも同じじゃない?」
ぐうの音も出ない。たしかにレオカディオと一緒に赴いた時は、すんなりと部屋に通された。だが、初日のように言い合いをして険悪な雰囲気になっては、話し合いどころではないのではという懸念もある。
「そんな顔しなくても別に邪魔したりしないよ。付き添いとして、念のため一緒に行くだけ。それなら父上もブエナおじい様も安心でしょ?」
「そうだな……お前なら急場の判断も任せられる。リリアーナ、それで構わないかい?」
「はい。兄上さえよろしければ」
……そんな経緯により、翌日、再びレオカディオと並んでクストディアの部屋をおとなうことになった。
彼女のことを嫌っている様子だった次兄が、自らついてくるなんて言い出すとは思ってもいなかったが、何か別の思惑でもあるのだろうか。ちらりと隣を歩く横顔を見上げてみても、その細面からは何を考えているのか全く読めない。
背後には硬い面持ちのフェリバと護衛たちがついてきている。また長椅子のある場所で待機してもらうことになるが、話が長くなるかどうかはクストディア次第。
レオカディオが同行するため余計に魔法は使いにくくなったけれど、今度こそ絶対に怪我なんてするわけにはいかない。いざとなれば、目撃される危険を冒してでも身を守るつもりでいる。
――もに。
不意に横から頬をつつかれて、顔が傾く。
「んっ? な、なに、何をする兄上?」
「そんな顔をするくらいなら、もう一度クストディアと話したいなんて言い出さなければ良かったのに」
地味に痛かった頬を押さえながら足を止めると、レオカディオは呆れ顔を隠そうともせずため息を吐いた。
それならこちらだって、「そんな面倒そうな顔をするなら、ついてくるなんて言い出さなければ良かったのに」と言いたい。だがレオカディオが同行を申し出たお陰で、こうして翌日に面会の許可が下りたのだ。感謝するべき立場であることは弁えているので、文句はぐっと我慢する。
「むくれ顔も可愛いから、僕たちみたいなのは得だよねー。見目のいい顔面に産んでくれた母上に感謝しないと」
「顔面はどうでも良いのだが。兄上はこの同行に何かメリットでもあるのか?」
「そういう、損得勘定でしか行動しない人間みたいな寂しいこと言わないでくれる? せっかく妹を心配してついてきたのに。お兄ちゃん悲しいよ。まぁ事実なんだけど」
二歩先から振り向いて微笑む次兄の顔は、窓の外から差す朝日に逆光となってよく見えない。
日光が差す時間の廊下は、石の壁面や床に反射して眩しいくらいだ。日照時間が短くなってきているし、あえて日光を取り込むために天窓の戸板を開放しているのかもしれない。
昨日の昼過ぎから降り続けた雨は、明け方には止んだらしい。今日は風もなく暗雲一過の快晴となっているものの、案の定庭はぬかるんでしまってしばらく外での作業は難しそうだ。
構成を刻むだけならあの物置小屋の中でもできるのだが、あんな狭い場所で長時間作業をするのはさすがに息が詰まる。サーレンバーでの滞在期間はまだあるのだし、庭が整うまで数日待つつもりでいた。
「……ここの廊下、ちょっと眩しすぎるよね。頭痛に堪える」
「雨は止んだが、まだ痛むのか?」
「んー、こっちに来てから寝つきが悪いせいかなぁ。動いて喋るくらいは平気なんだけど。今日はホントについてくだけだから、できれば穏便に済ませてもらえると助かるよ」
言われるまでもなく穏便に、クストディアと話すだけで済ませるつもりだが、兄の体調が思わしくないのならなおさらだ。あまり長居もしないほうが良いかもしれない。
眩しそうに目を顰めるレオカディオと話して歩き、目的の部屋があるフロアまで辿り着く。
長椅子の置かれた休憩場所に護衛たちを置き、白黒の長い廊下を進みながら、数日前にここで見たものをふと思い出す。
「……前に、この廊下で、香茶をかけられた侍女を見たんだ」
「クストディアに? へぇ、とんだ暴虐お嬢様だ」
「兄上はクストディア嬢のそうした素行を、以前から知っていたのか?」
斜め上の顔を見上げると、レオカディオはいつものように人好きのする朗らかな笑みを浮かべた。
「あっちだって、僕の話が耳に入ってるって言ってたろ。領主の子が普段どんな行いをしているか、どんなろくでもない奴かなんて話はみんなが気になることだから、隠そうとしたって漏れるものなんだよ。人の口に戸板は立てられない。先々の、自分たちの暮らしに関わるならなおさらね」
「次の領主候補がどんな人物か計るために?」
兄の笑顔は変わらない。その藍色の瞳に愉快さすら湛えながら、稚気じみた動作で小首をかしげて見せる。
「どっちが得かを計るためにだよ」
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