第199話 煩悶と発散と、
自室に運び込まれた昼食をとった後、リリアーナは定位置となりつつある窓際のソファで柔らかなクッションを抱え、ごろごろと左右に転がっていた。
居たたまれないやら、恥ずかしいやら、申し訳ないやら。思い通りにいかないままならなさと、現在の自身の無力さにひとりのたうち回る。右に転がり、左へ転がり、胸に抱えたクッションをぎゅうぎゅう押しつぶす。
何か気晴らしでもして発散できれば良いのだが、生前も含めこれまで鬱屈を溜め込むことがなかったせいで、その具体的な方法がわからない。
「うー。うー。うー」
「お嬢様が唸っておられますわ……」
「ご幼少のみぎりには、そういったこともございましょう。人生何事も経験です」
「相変わらずドライですわね、エーヴィさん。あら、このビスケットおいしい」
放置してくれて構わないと言い置いたせいか、向かいのソファではカステルヘルミがカップを片手にくつろぎ、その横に控えるエーヴィもいたって普段通り。
茶菓子をつまむ女はついさっきまでファラムンドの一挙手一投足を思い返して夢見顔だったくせに、復活が早い。精神の柔軟性が自分より勝っているのを見せつけられているようだ。
いつまでも転がっていたところで、気分が上向くわけでもない。リリアーナは力の抜けた体を起こし、乱れてしまった髪を手櫛で整えた。
「すっかり参っているご様子ですわね……。お怪我はもう痛みませんの?」
「ああ。痕が残っているだけだから、入浴や睡眠をきちんと取って、血流を促せば数日で消えるだろう」
「ご気分もそれくらいすんなり快復されれば良いのですけど。先ほどのお話、わたくしも驚きましたわ。イバニェス領の方々は皆さんお優しいから、他人にひどいことをされたのなんて初めてでしょう。お嬢様のご心痛、お察しすることしかできませんけれど……」
「いや、まぁ、別にそれはどうでも良いというか。良くはないが、大して気にしてはいないんだ」
背を丸め、抱えたクッションにあごをうずめる。
こうも気落ちしているのは、クストディアから受けた仕打ちや、あの妙な双子に絡まれたことにショックを受けているせいではない。
足の怪我は自分の判断ミスだし、腕は掴まれる前に避けることができた。何もかも感情の上下に振り回された結果の、自業自得だ。
それにより自分だけが痛い目を見るならそれでも構わないが、今の体は『イバニェス領主の末娘』。リリアーナが傷つけば周囲にも影響を及ぼす。それは怪我を魔法で治したところで変わりない。
ずっと前からわかっていたことなのに、対処をしきれなかった。体は幼い子どもでも、中身は父よりずっと長く生きているくせに何という不甲斐なさだろう。
慣れない自己嫌悪と反省の念に、リリアーナの落ち込みきった心は気鬱の沼にずぶずぶ沈んでいた。
「はぁ……、情けない……」
腕と足の手当てを終えた後、クストディアの部屋で起きたことをリリアーナの視点から一通り説明すると、ファラムンドはしばらく黙り、午後からの予定を変更すると言い出した。
サーレンバー邸の侍女を呼んでリリアーナの昼食を手配させ、明日の晩まではこの部屋で食事をとって安静にするようにと頭を撫でる。その顔にも声にも怒りの感情は見えなかったが、たしかレオカディオも夕食まで帰らないと言っていた。今日の昼食は、ブエナペントゥラと差し向いで『大人同士の話』をするつもりなのだろう。
ファラムンドが気楽に過ごせるようにと慮ってくれたように、リリアーナだって父に気心知れた相手とゆっくり過ごしてほしかった。それなのに、面倒事を起こしてふたりの会話に不愉快な話題を差し挟むことになるなんて。
大きな手に髪を梳かれながら顔を伏せる娘が何を憂いているのか、きっと父には筒抜けだったのだろう。昼食の手配を終えると、ファラムンドは頬を包むようにして目を覗き込んできた。
「つらい目に遭ったばかりで気分が優れないかもしれないが、お前がそんなに落ち込むことはないんだよ、リリアーナ」
「つらくはないし、怪我も痛まない。ただ、父上……」
「うん。リリアーナはどうしたい?」
数度瞬いて、父の顔を見上げる。自分は持たない藍色の目が、真っ直ぐにリリアーナを見つめていた。
命じるでもなく、押しつけることもなく、こちらの言い分を待ってくれている。散らかる頭の中を急いで整理して、思っていることを言葉に繋げた。
「足は自分で打ちつけただけだから、クストディア嬢やあの黒鎧を責めるつもりはなくて。ただ、どうしてあんなことを言われたのか、どれだけ考えてもわからないし、納得もできない。だから、もう一度彼女と話をする機会を持てたらと……思っている」
クストディアに言われたことは全て話した。自分への罵倒も、父への暴言も。もしかしたらその理由について、ファラムンドには心当たりがあるのではと考えたが、今それを説明する気はないらしい。
慈しむように頬を撫で、前髪の上から額に軽く口づけを落とされる。
「わかった。お前がそう言うなら、お父さんからは何もしないよ。日は置いたほうが良いだろうけど、クストディアと対話の場を持てるように伝えておこう」
「父上は、こちらに着いてから彼女とは?」
「ああ。昨日の夜に行ったが、門前払いというか、部屋に入れてもくれなかった。前に十歳記のお祝いをすっぽかしたもんだから、まだ怒ってるのかもしれないなぁ」
あの憎悪の籠った眼差しはそんなことが理由とも思えなかったが、「恨まれる覚えは?」なんて訊くわけにもいかず、曖昧にうなずいておく。
その後はすでに準備の進んでいたらしい昼食がワゴンで運び込まれ、入れ違いにファラムンドが部屋を出て行った。指示通り明日の夕飯までは、こうして部屋で食事をとることになるのだろう。
父に安静を言い渡された以上、どこも痛まないからといって勝手に出歩くことはできないし、書斎に行きたいなんて我が侭を言うのは以ての外。
様々な後悔に燻る胸を抱えたまま、こうして部屋で転がっているより他にすることも思い浮かばない。
「うー……」
「あまり思い詰めると健康にもお肌にもよろしくありませんわ。そうして唸っているよりも、思い切り声を出してしまったほうが案外スッキリしますわよ?」
「急に叫んだりしたら、部屋の外の護衛たちも驚くだろう」
「クッションや枕を口に当てると、どんな大声でも外に漏れませんわ。わたくしもイライラが溜まった時などよくやりましたから、間違いありません」
自信満々といった様子でこぶしを固めるカステルヘルミと、なぜか横で深くうなずいているエーヴィ。
何となく侍女の向ける同意は別の用途のような気もしたが、腹の辺りに渦巻いているこのもやもやとしたものが発散できるなら、試してみる価値はあるかもしれない。
抱えているクッションを両側から押して綿の具合を確かめ、真ん中に顔をうずめて、「わー!」と大きな声で叫んでみた。
……確かに声がくぐもって部屋の外まで漏れなそうだが、こんなことで胸がすくだろうか?
「な、なっ、何ですか、リリアーナ様、どうされました?」
「フェリバ……いや、すまない、何でもないんだ。ちょっと大声を出してみただけで」
タイミング良く、いや悪くか、寝室を整えていたフェリバが扉を開けた体勢で目を丸くしていた。いくら綿で籠った声でも、さすがに同じ室内にいれば丸聞こえだ。
「イライラが溜まった時の発散法ですわ。他には甘いものをお腹いっぱい食べたりとか、思い切りお買い物を楽しんだりとか……。フェリバさんだったらどんなことをなさいます?」
「え? イライラ? えーと、えーと、パンを焼くとかですかね?」
「パン……?」
首をひねるふたり分の視線を受け、フェリバは少し曲がっていたエプロンを直しながらソファに歩み寄る。
「こう、パン生地を、えいやって叩いたり捻ったり押しつぶしたりして、力いっぱいこねるんですよ。へとへとになった頃には気分もスッキリしてるし、生地もできあがるし、おすすめですよ!」
「なるほど、物に当たるのもひとつの手ですわね。わたくしはクッションや枕を殴ったら埃がたって後悔したので、そっちの方法はやめてしまいましたけど」
物に当たる、という言葉にクストディアの癇癪を思い出した。フェリバたちのように意識して発散する手立てではなく、その場の感情のままに物を投げつけてはいたが、あれも苛立ちの発露ではあるだろう。
自分の存在が、もしくは話していた内容に、彼女が腹立たしさを覚えたことはわかる。とはいえ、当たられたほうはたまったものではないが。
「物に当たる方法はなしだ。食事はさっき終えたばかりだし、買い物は……外に出るのも難しい状況だからな。この機会にサーレンバー領の街の様子を見ておきたいとは思うんだが」
「ですが、せっかく隣領まで来て、ずっとお部屋に籠りっぱなしということはありませんでしょう? 護衛の方についてもらえば、お外へ買い物に出るくらいお許し頂けるのではなくて?」
「買い物……うん、買い物か、行けたらいいな。しばらく書斎にも行けないが、歌劇の鑑賞とやらで街には出ることになるのだから、通りの様子を見たりトマサへの土産を選んだりしたいものだ」
大声を出しても気分は晴れないが、こうしていつも通りに話しているといくらか胸が軽くなってきた。成り行き上の面子ではあるが、この三人に一緒に来てもらえて良かったと思う。
へこんだクッションを抱え直し、背もたれにぐたりと体を預ける。
食後のためか、何だか全身が妙に重たい。打ち身や疲労のせいで、もしかしたら少し発熱しているのかもしれない。
「リリアーナ様、朝から色々あってお疲れでしょう。ベッドは整えてきましたから、少しお休みになりませんか?」
「ん……、そうだな」
眠たげにしているのを見抜かれたらしい。フェリバに促され、だるい体を叱咤してソファから起き上がった。
手を貸そうと肌にふれられれば、熱が上ってきているのがばれてしまう。フェリバには散々不安そうな顔をさせてしまったし、もうこれ以上周囲の者たちに余計な心配はかけたくなかった。
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