第198話 顛末


 悠然と歩み寄るファラムンドの後ろから、息を切らした様子の従者と自警団員が駆け寄って来るのが見える。両手で紙束を抱えたソラは追いつくなり、息を整えながら「速すぎますよ」と小声でぼやく。

 そんな抗議もどこ吹く風、ファラムンドは振り向きもせずリリアーナの隣に並び、肩にそっと手を置いた。温かく大きな手がふれているだけで、それまで身を苛んでいた緊張や困惑が全て溶けていくようだ。

 安堵から肩の力が抜けたのがわかったのだろう、ファラムンドはもう大丈夫だと労わるように、乗せたままの手で軽く肩を叩いた。


「これはこれは、イバニェス公、ご機嫌麗しゅう……」


 ご機嫌取りの矛先を変えた双子の親は、青褪めながらも両手を擦り合わせてファラムンドの顔色をうかがう。一転したその卑屈な様子を見るだけで、父やブエナペントゥラの目を盗み自分を部屋へ連れ込もうとしたのだと察せられた。

 ファラムンドはそんな上辺だけの挨拶を一笑に付し、足を踏み出す。


「いいや、気分は良くないな。子どもに張らせて蝶がかかるのを待つなんて、蜘蛛の巣でもあるまいに。些か、礼儀がなってないんじゃないか?」


「と、とんでもない! 歳の近い子ども同士、興味を惹かれあうものもあるでしょう。偶然顔を合わせて、少しばかりお話をしていただけですとも!」


「偶然、ね。まぁ子どもだけなら、そういうことにしておいても良かった。だが大人のお前たちは覚えてるはずだな、俺は昨晩はっきり言ったぞ?」


 ファラムンドが一歩進むごとに、その圧に押されるようにして対峙しているサーレンバー家の親族らは二歩分ずつ後退する。

 分の悪くなった彼らは一体どんな表情を浮かべているのか、リリアーナの位置からはもう父の広い背中しか見えない。


「仲介も書状もなく、うちの娘と顔繋ぎを持つことはたとえ王族だろうがお断りしている。すでに中央もサーレンバー領主も了承済みの取り決めをこうも堂々横紙破りとは、いい度胸をお持ちだ」


「いいえ、滅相もない!」


「万が一にも、子ども同士が知己の仲となったところで、イバニェス家は他領の後継問題に一切関わるつもりはない。無駄に時間を割いている暇があったら、南河開発の赤を埋める手立てでも考えたらどうだ? ハズレ掘りの未払いに対する苦情は、うちだけでなく周辺領にだって届いているぞ」


「それは……」


「三度目はない、下がれ」


 ファラムンドが一層低めた声でそう言うと、息を飲むような短い悲鳴を残し、双子とその両親らは廊下を走り去って行った。

 彼らの背中を見送りきるよりも前に、腕を組んだファラムンドがこちらを振り向く。普段聞いたことのない声音だったため、どんな表情をしているのかと気になったが、見上げるのはいつも通りの父の顔だ。

 隣に立っているフェリバからは安堵の、カステルヘルミからは感嘆らしきため息が聞こえる。

 今の自分では対処が困難だったから、ファラムンドが駆けつけてくれて良かった。忙しい彼の手を煩わせてしまったのは口惜しいけれど、あのままでは強引に振り切ることもできず、部屋に連れ込まれていただろう。

 クストディアと違って物理的に害される心配はなくとも、父の口振りからもろくなことにならなかったのは明白だ。


「父上、お手間を取らせました、申し訳ありません……」


「あれくらい何でもないさ。向こうの窓から可愛いお前の姿が見えたんで飛んで来たんだが、大丈夫だったか、おかしなことはされていないか?」


 その言葉に、フェリバとカステルヘルミの視線がリリアーナの左腕へ注がれる。あの双子に掴まれ引っ張られていた箇所だ。

 熱を持つような鈍い痛みを発しているのに今頃気がついた。足だけでなく、この分では腕も腫れているかもしれない。証拠が残る前に治癒をかけたいが、どのみち今から癒したところで足と同じように痕は消しきれないだろう。


「あの、ええと、父上は午前中お仕事の予定と聞いておりましたが、もう終わったのですか?」


「ああ、休憩を挟んで続きは午後だな。ところでリリアーナ、怪我をしているとか聞こえた気がするんだが?」


「う」


 往生際悪く話を逸らそうとしても、ごまかされてはくれない。眼前に屈み込み、視線の高さを合わせて顔をのぞき込んでくるファラムンド。

 口元は柔らかく弧を描きながら、目が全く笑っていない。

 今日起きたことは元々父に隠し立てするつもりはなかったものの、その眼光の迫力を前に、リリアーナは説明を綿に包むのは諦めた。





 父の腕に抱きかかえられ、使用している別棟の部屋まで戻る。

 迎えに出たエーヴィはさすがと言うべきか、唐突に現れた領主を前にしても表情を変えることなく応対をこなす。一方、途中までぞろぞろとついてきた従者や護衛は扉の前で全員遮断され、何かもの言いたげなソラを筆頭としてファラムンドの部屋へ戻って行った。 


 窓際のソファに下ろされ、手当ての道具を持ってきたフェリバに上着と靴を脱がされる。

 ブラウスの袖を恐る恐るめくってみると、案の定、双子に掴まれていた腕には赤い痕がついていた。ふたり分の手型。こんなにくっきり指の痕跡が残るものかと、自分の肌の弱さに驚いてしまう。

 色白で肌理の細かな子どもの腕、そこに浮かぶ赤紫の手の痕は何だか妙に毒々しく映る。


「痛みは?」


「え? あ、いえ、ほとんどありません。掴まれていた時は痛んだのですが、今はじんわりと熱を持っている感じしか」


 慎重に腕を取ったファラムンドに問われてそう答えると、父は眉をわずかに下げて微笑んだ。


「もういつも通りに話して構わないよ。ここへ着いてから気を張ってばかりで疲れたろう?」


「あ。う……ん、はい。父上……」


「気楽に過ごせるつもりで連れてきたのに、すまなかったね」


「いや、父上が謝るようなことでは! わたしの方こそ、着いて早々に問題ばかり起こして、本当に……」


 ファラムンドはゆるく首を振り、支えていた腕をソファの前に屈んでいるフェリバに託す。手形の痣にはひんやりと冷たい軟膏を塗布され、真新しい包帯を巻かれた。

 それから靴下を脱いで、足の痣の様子を見る。先ほどのように横向きに捻って確認すると、腕のものよりは色も薄い。ちゃんと治癒をかけて毛細血管の破れや腫れを治したのが効いたのだろう。

 フォローの言葉を求めてカステルヘルミに視線を向けると、ぱちぱち瞬きをしてからはっとした顔をする。


「さ、先ほどお二階で、治癒の魔法をかけてありますの。硬い物に当たったそうですが、足のお怪我は痕さえ消えればもう大丈夫だと思いますわ」


「うん、もう痛みも腫れもないし、足は全然平気なんだ」


「そうか、それは良かった。だが打ち身は時間が経ってから悪化することもある、きちんと手当てだけはしておこう」


 誰が魔法をかけたのか、それを伏せたままカステルヘルミは上手いこと治療済みである旨を説明をしてくれた。後でうんと褒めておこう。

 再びファラムンドの手から託されたフェリバが患部に薬を塗り、丁寧に包帯を巻く。鼻につんとくる匂いが気になるが、色からして何か薬草を煎じたものだろうか。

 手当ての様子が物珍しく眺めていると、隣に座る父に頭をそっと撫でられたので、そちらに顔を向ける。


「……で、どうしてこんな怪我をしたのか、お父さんに説明をしてくれるかい?」


「う」


 きちんと話すつもりはあったものの、やはり気まずい思いが大きく言葉が詰まる。

 真っ直ぐ射抜いてくる視線には微塵も棘を感じないが、自分にやましいことがあるとこうも居たたまれないものなのか。逸らし損ねた目がうろうろとさまよう。

 包帯を巻き終えたフェリバが、手拭いで指や軟膏の瓶を拭きながらこちらを見ている。その向こうに立つカステルヘルミも憂慮を湛えた目をこちらに向けている。先ほどは場所が本邸だからとふたりに対して説明を渋ったが、もうこれ以上先送りにはできそうもない。


 リリアーナは観念して、クストディアの部屋に入ってからの顛末を余すことなく――魔法を行使した部分以外を、順を追って説明するため重い口を開いた。


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