第182話 サンルームお茶会-三人兄妹②


「まぁ、リリアーナは中身と外見があんまり合ってないから、今すぐ十年くらい年取ったほうが他家の令嬢たちとも話が合……わないな、無理だな、うん」


「こらレオカディオ! ……ゴホン。リリアーナ、そう急いで大人になろうとしなくても、どうせいつかは年を取るんだ。子どもの時にだけ許されることも多い。今を大事にして、ゆっくりやっていけばいい」


「んなこと言っても、もう授業なんて僕が去年やったようなとこまで追いついてるんだから。歳相応にってわざと子ども扱いするほうが、むしろリリアーナに失礼だと思うなー」


「そんなことはないだろう」


「あるってば。アダル兄は上に兄弟いないからわからないんだよ!」


「良識をもって考えろ、子どもは子ども扱いするべきだ!」


「そーやって自分だけ先に十五歳になるからって大人ぶっちゃってさー!」


 自分の何気ない一言でなぜか兄たちが揉め始めてしまい、過熱していく応酬を前にどうしたものかと言葉を探す。

 そういえば以前フェリバとカミロからも、子どもでいられる時間を大切にしろと言われたことがある。

 普段から年相応の振る舞いすらろくにできていないのに、もっと早く大人になりたいなんて身勝手な我が侭だ。二度も窘められているのだから、こんな場所で口にするべきではなかった。


「その、すまない。兄上たちが羨ましかっただけなんだ。あまり気にしないでくれ」


「羨ましい? ……そうか、リリアーナは自由な外出が許されていないものな。こちらこそ配慮が足りなかった。だがあと数年の辛抱だ、いずれ社交の場に出るようになったら俺が付き添、」


「ん? いや、違う。顔つきとか大人びてきたのを見て、その成長ぶりが羨ましかったんだ。ふたりとも背だってずいぶん伸びただろう?」


「そっち? なーんだ、僕もアダル兄も心配損じゃん」


 ふたり揃ってどこか憮然とした表情になるが、目の前で揉められるよりはずっといい。

 中央に行ける十五歳記まではあと七年もあるが、十歳記までなら残り一年と半年ほどだ。別に他家との交流にさほど興味はなくとも、行動できる範囲と知人が増えることは喜ばしい。

 こんな自分でも十歳になって社交の場へ出たら、ノーアの他に同年代の友人ができるだろうか。

 そんなことを漏らせば、レオカディオは何やら難しい顔をしながら唸った。


「うーん。まぁ、外向きの言葉遣いと話題に気をつければ何とかなるんじゃない? リリアーナの見た目ならあっちからホイホイ寄ってくるだろうし。ほんとは十歳記前でも家同士の交流会って名目で、互いに子女の紹介くらいはするもんなんだけどね」


「何? わたしはそんな紹介をしたこともされたこともないが?」


 向かい席のアダルベルトを見ると、眉間にペンでも挟めそうなしわが寄っていた。長兄にとっては、これもあまり好ましくない話題だったようだ。


「リリアーナの場合は、その、だな。父上が大事にしているからな。信用できる相手でないと見せたくないのだろう。その点でも此度のサーレンバー領行きは、ブエナペントゥラ殿への信頼と友誼の表れだ。あちらでクストディア嬢と仲良く過ごせると良いな」


「だが父上は、アダルベルト兄上とレオ兄のことだって大事にしているだろう。なぜわたしだけ紹介がない?」


「む……」


 これまでだってそんな催しがあるとは聞いたことがなかった。何も知らない自分が部屋で過ごしたり、授業を受けている間に客を迎えて行われていたのだろう。

 これでも一応、中身の年齢相応に聞き分けの良い子どもとして過ごしてきたつもりだ。何か理由があるなら教えてもらえれば納得するのに。また何か大人側の『配慮』が働いているのだろうか。


「父上が過保護すぎるんだよ」


「過保護?」


「そ。リリアーナが可愛いもんだから、下手に会わせて気に入られたり、噂が外に広まったりしないように隠してるの。イバニェス家の娘ってだけで見合いの釣り書きが山ほど来てるのに、外見を知られたら今の何倍も来るよねきっと。まぁ僕は、選択肢は多いほど良いって思うけど?」


「……そうか。父上がそうしたいなら、別に構わない」


 紫銀の髪も、赤い精霊眼も好き好んで得たものではないが、今の自分リリアーナを構成する一部だ。この容姿に原因があるというなら仕方ない、持って生まれたものとして諦めよう。

 それに、見合いというのはたしか、伴侶となる相手を検分し見定める場のことだったと記憶している。ならば元々ファラムンドに一任していること。こうして理由を知ったところで何ができるわけでもない。

 そうして黙ったのを消沈と取られただろうか。香茶を飲み干したレオカディオが、わざと音をたてるようにしてカップを置いた。


「物分かりがいいのは結構だけど、父上はちょっとやりすぎなとこもあるんだよ」


「レオカディオ、」


「アダル兄だってそう思ってるから、リリアーナに色々と便宜を図ってあげてるんでしょ? お人形やペットじゃないんだからさ、いつまでも屋敷の中に隠しておくなんて変だよ」


 軽い口調で話しながらも、レオカディオの声にはいくらかの怒気が籠っている。

 それが自分ではなく、ファラムンドに向けられているらしいということは理解できるが、一体どうしたのだろう。妹の代わりに怒ってくれている、……というのとはまた違うようにも感じた。


「父上の気持ちはわからないでもないけどさぁ、あと数年もしたらもっとアレなんだから、まだ小さい今のうちに披露して目を慣れさせておけばいいのに。毎日顔を合わせてるせいで僕もちょっと慣れすぎて、基準が麻痺してる気がするもん」


「慣れ?」


「リリアーナを初めて見る相手はビックリしちゃうって話。こないだ街に出た時も、挨拶した相手とかに驚かれなかった?」


「……」


 そういえば淑女らしさを意識して挨拶をしたイグナシオとラロは、自分を見てずいぶん驚いていたような気がする。

 ポポは以前よりファラムンドに話を聞かされていたそうだから除外だろうか。それ以外の場所だと、ずっとフードを被っていたため素顔は見られていないかもしれない。それにしても……


「なぜ驚かれるんだ? 髪や目の色がいけないのか?」


「……まぁ、その辺の自覚はそのうち身に着くことを期待するとして。リリアーナだって自分の髪の色とかが珍しいことくらいは理解しているだろ?」


 それはまぁ、と曖昧にうなずく。屋敷の中にも自分と似た色彩を持ったヒトはいないし、一番容姿が似ていると思われるレオカディオとも微妙に違う。母親はその次兄と同じ色をしていたそうだから、自分だけが家族の中で浮いているのだ。

 ……先天的なものだから仕方ないとはいえ、できれば、父や兄たちと同じ藍色の目がよかった。


「顔立ちがソレで、色味まで人目を惹くんだからさ。十歳記で初めてリリアーナを見たら余計に印象強くなって、嫁に欲しいって輩がじょばじょば増えて絶対に揉めるよ。だから今のうちに慣らしておけばいいのにって話」


「じょばじょば……?」


「そ。見合い話だって早めにあたりをつけておいた方が、変なのにたかられなくて父上も楽だろうし」


「やめないかレオカディオ。そもそも俺とお前の縁談がまとまらないから、リリアーナへしわ寄せがいってるんじゃないか」


「それをアダル兄が言っちゃう?」


 またも何やら剣呑な雰囲気になりかけたので、フェリバに合図を送ってお茶のお代わりを注がせた。

 少しはお茶会の主催らしい差配ができたかなと満足するが、香茶を飲む兄たちの表情は晴れない。


「……ひとりは父上の跡を継いでこの家に残るとして。残りのふたりが欲しくて、どこの家も手ぐすね引いて狙ってるんだよ。特にリリアーナは女の子だから、何とかして手に入れようって家は両手足の指でも足りないよ」


「なぜわたしが……。それに狙うとはずいぶん不穏な言い方をするな、見合いとか婚姻の話なのにか?」


「だからだよ。貴公位の家も商人もみんな、自分の家の利益のために四六時中目を光らせてるんだから。イバニェス家と血縁を持てる機会なんて逃すはずないじゃん。とは言っても、下手な抜け駆けをすれば他に睨まれるのはわかりきってるし。自分以外の家や貴公位同士で繋がるのを警戒して、どこかしこも水面下で牽制しあってる最中ってこと」


「レオカディオ、本人を前にそういう話は……」


「本人の前だからしてるの。分別つく頭はあるんだし、リリアーナだってもう知っておくべきでしょ」


 険しい顔をして話を遮ろうとする長兄は、おそらく幼い妹のことを慮ってくれているのだろう。心配がゆえに薄暗い話を隠そうとする大人たちと同じだ。

 だが、そうして思いやってくれる家族たちには申し訳ないけれど、自分の中身は八歳の娘子ではない。婚姻にまつわるどんな話を聞かされたところで、情報のひとつでしかないのだから。


「わたしにも教えてほしい。自分が関わることなら、ちゃんと知っておきたい」


「リリアーナ……」


「アダルベルト兄上が色々と心配してくれているのは、理解しているつもりだ。それでも、わからないままでいるほうが良くない気がする。わたしとの婚姻が、それほどまでに利のあることなのか?」


 じっと向かいの目を見つめていると、降参とばかりに眉の角度が下りてきた。

 アダルベルトは左側のソファに座る次兄を見て、自分の手元へ視線を落とす。話の続きがしたければ任せる、といった目配せだろうか。

 それを受けたレオカディオのほうも何とも言い難い表情を浮かべてから、組んだ足に手を乗せてこちらを向いた。


「えっと、うちみたいな貴公位の結婚ってのが、家同士の繋がりを作るためにあるのはもうわかってるんだよね。でも、それ以外にも色んな思惑と損得勘定から結婚話は舞い込んでくるんだよ。うちの支援が欲しいとか、交易路の優遇とか、施策に噛みたいとか、色々ね」


「うん、その辺のことは大体理解しているつもりだ」


「それで、リリアーナの外見の話に戻るんだけど。抜群に整ってて人目を惹く容姿ってのは、それだけでも価値が跳ね上がるんだよ。だから父上も余所の人間になるべく見せないようにしてるし、三年前もこないだも街へ下りる時は顔や髪を隠せって言われただろ?」


「言われた……」


「イバニェス家の娘がとんでもなく可愛いなんて噂が広まって、格上の貴公位から婚姻を申し込まれたら面倒だし、まかり間違っても王族から求婚を受けたら断り切れない。リリアーナを狙う他の連中にとってもそれは避けたいはずだ。だから、牽制しあってる」


「イバニェス家に利益となるならそれでも、」


「でーも、父上は王族とか聖堂をやたら嫌ってるから、よっぽどの事情がなければ受けることはないんじゃないかな。問題は格上から申し込みが来た場合だね、他みたいに断っておしまいってわけにはいかないもん」


「むむ……。そもそも、王族や格上の家なんかがわたしを欲しがるものだろうか?」


 止めるものがなくなったレオカディオは湧き水のごとく次々と教えてくれるが、話の核がいまいち見えてこない。

 領主家との繋がりが欲しいという話はまだわかる。だが、相手がイバニェス家よりも格上ならば、格上同士や王族との婚姻を望んだほうが、よほど益があるのではないだろうか?

 自分のそんな思惑が見て取れたらしく、アダルベルトがどこか困ったような面持ちで口を開く。


「兄の欲目を抜いても、リリアーナは容姿に優れている。もちろん中身も素晴らしいのだが、それは何物にも代えがたい長所だ。その……あまりこういうことを女性の前で言うべきではないのだが。外見の美しい女性は異性に好かれ、有利な条件の縁談が数多く寄せられるわけで……だな……」


「嫁ぎ先にとっては、母親が美人なら生まれる子どもも容姿の面で期待が持てるからね。可愛い娘が生まれれば格上の相手に嫁がせて家同士の繋がりを持てるし、見目の良い男児が生まれれば社交の場でモテモテ、お嫁さん選び放題ってわけ。僕やアダル兄みたいにね」


「最後のは余計だ、レオカディオ」


「ともかく、リリアーナは身分が高くて、見た目もいいから、あまり社交の場に出て顔が知られれば、厄介な相手からの求婚やちょっかいが増える……とか父上は懸念してるんじゃないかな。イバニェス家の娘ってだけでも価値があるのに、類を見ない才色兼備ときたらそりゃ争奪戦にもなるよ」


 そういうものなのだろうか、と不思議に思っていると、レオカディオはぬるい香茶で唇を湿らせて先を続けた。


「イバニェス領は領地が広いし、気候が穏やかで耕作にも酪農にも適しているからね。田舎領主の辺境伯なんて言うヤツは『安定』ってことの重要さを知らないバカだけだよ。ウチと繋がりを持ちたい家が掃いて捨てるほどいるのがその証拠。だから父上も、リリアーナの婚姻に関しては今さら家の利とか考えてないんじゃないかなぁ?」


「はぁ、なるほどなぁ……」


「リリアーナがドン引いてる。アダル兄がこんな話を振るせいだよ、デリカシーってものが欠けてるね」


「えっ、お、俺のせいかっ?」


「いや、貴公位の婚姻には、様々な思惑や事情が絡まっているものだなと感心していただけだ。話してくれてありがとう」


 狼狽するアダルベルトに笑いかけ、ふたりの兄に礼を言う。

 自分が嫁ぐことでイバニェス家に何らかの利益がもたらされる、という単純な認識しか持っていなかったが、身分相応に色々な事情が絡まっているようだ。全てファラムンドの決定に任せると言って、自分で考えることを放棄していた面もある。

 ともあれ、こうして兄たちから事情のおおまかな部分を聞かされたからには、今後はもう少し自分でも考えることにしよう。


 テーブルの上に青林檎のパイがなくなり、注がれていた香茶もなくなったところでお開きのタイミングだ。

 この後にはそれぞれの予定が入っているし、自分も昼食のため部屋へ戻らなければいけない。トマサが支度をして待ってくれているだろう。

 ソファから立ち上がり、来訪の礼の言葉を告げると、兄たちはそれぞれ型通りの綺麗な礼をして応えた。

 覚えた通りの台詞を口にする自分とは違い、やはり場慣れをしている。バレンティン夫人から何度も言われている通り、社交のマナーは今後もついてまわるものだ。兄に負けないようもっと経験と練習を積んで精進しなくては。



「――次は、僕がもてなすよ」


 見送りの礼を終えた去り際に、レオカディオが横目で振り返りながらそんなことを言った。お茶会の予行をしてくれる約束の続きだろうか、それとも今日の返礼という意味かもしれない。

 ご機嫌な様子で笑いながら軽く片手を振って、開放してある扉から颯爽と歩み去る。


 その年齢にそぐわない流し目には、笑みの気配が感じられなかった。


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