第183話 別邸×馬車


 冬の季も半ばに差し掛かり、身に沁みるような寒さが本格的になってきた。

 たとえ短時間でも屋外へ出るなら、外套の他に襟巻きと手袋もつけなくては震えが止まらないほどだ。ヒトとなった今の体は特に寒さに弱いらしく、朝晩などは手足が冷たくてかなわない。

 だというのにフェリバは冬でも手にふれれば温かく、夜も足が熱いため掛布団から出して寝ているなんて言うから耳を疑った。体質、もしくは代謝の差だろうか。

 長く冷え性に悩んでいたトマサも、教えた運動をするようになってから冬場の辛さが軽減したと喜んでいるし、自分もそろそろ本格的に体を鍛えたほうが良いのかもしれない。じっと小さな手を見る。


 街に入ってから速度を落としていた馬車が芝生の中程で停止するのに合わせ、リリアーナはこっそり座席の足元に展開していた暖気の構成を消した。

 カーテンの隙間から窓の外をのぞくと、見慣れた黒い制服の上に同色の外套を着込んだ自警団員らが慌ただしく行き交っている。


「さ、リリアーナ様、いったん降りて休憩してきましょう。水場を使うくらいであんまりゆっくりはできないですけど」


「ああ、この先は次の休憩まで長いらしいからな。お前たちもしっかり休んでおけ。座っていて足がだるいようなら、今のうちに膝下を揉むなりしておいたほうがいいぞ」


 フェリバに外套を着せられ、ポケットに入れておいた手袋を装着する。前庭から家屋へ移動するだけだから襟巻はいいだろう。

 準備が整ったところで扉を開けてもらい、エーヴィの先導でステップを降りる。途端、強く吹き込む寒風に首をすくめた。


「わー、やっぱ外は寒いですねえ、馬車の中はホカホカしてたのに」


「カステルヘルミ先生の魔法のお陰だな」


「え」


「そうだったんですか! ありがとうございます、これなら道中も助かりますねぇ、さすがルミちゃん先生!」


「え、あ、おほほほ、これくらいどうってことないですわ!」


 震える声でそう応えるカステルヘルミも寒さに弱いらしく、馬車から降りる姿は丸々と着膨れしている。

 陽光の差さない朝は一段と冷え込む。見上げる空は一面灰色の厚い雲に覆われているが、水の匂いはしないから雨は降らないだろう。

 ファラムンドやレオカディオの乗車する馬車に向かって礼をしている男らを尻目に、侍女たちと連れ立って足早に別邸へ続くアーチをくぐる。


 サーレンバー領への出立は早朝になるとあらかじめ聞いてはいたが、やはり寒いものは寒い。

 護衛の自警団員の合流と、一時休憩を挟むためにコンティエラの別邸へ立ち寄る必要があり、その際、街中での人目を避けるためには仕方ないらしい。

 関係各所へは領主がしばらく隣領へ滞在することが知らされていても、一般にまで周知されないほうが確かに問題は起きにくいだろう。「領主不在の隙を狙って、わざわざ面倒事を起こすような輩がどれだけ出るか楽しみだ」と、朝食を終えたファラムンドはアダルベルトやカミロと話しながら悪い顔で笑っていた。

 自分は食事を終えて席を立った後、カミロに用事を思い出して食堂へ引き返した時のことなのだが、当のカミロが口元に指を一本立てたのでそのまま話しかけずに踵を返した。

 その面倒事を引き受ける羽目になるアダルベルトにしてみれば、たまったものではないだろう。だが、領主代行としてこの機に政務の手腕を試されているのだから、何か想定外の問題が起きた時こそ長兄の能力の見せ所なのかもしれない。

 十五歳記を前に激務の日々となるが、屋敷にはカミロも残っているし、アダルベルトならばきっと上手くやりきるだろう。


 別邸の水場で用を足し、長い廊下を連れ立って歩きながら雑談に花が咲く。エーヴィが別邸の内部にも詳しいらしく、お陰で案内人がついてこなくても迷うことがなかった。


「初めての長旅だからリリアーナ様の体調が心配だったんですけど、ルミちゃん先生が一緒なら大丈夫そうですね!」


「そうだな。寒さは防げるし、必要とあらば水も湯も出せる。心強い限りだ」


「ほほ……そ、それほどのことは……ありますわ……」


 笑みを引きつらせるカステルヘルミが物言いたげな顔を向けてくるが、廊下を歩きながら窓の外を見て知らんふりをする。

 サンルームにアダルベルトを招き、誕生日の贈り物をした前々日。イグナシオによって仕上がった品が届けられてすぐに、カステルヘルミには髪飾りを渡していた。兄のタイリングにも劣らない、繊細な細工の施された見事な品だ。

 元々、裏庭でキンケードの剣を強化する際に素材を提供してくれた返礼のつもりだったのだが、盛大に喜び「何でもする」とか言うので、それならばと持ち出したのがこの言い訳だ。

 不慣れな場所では何があるか分からないため、自分が隠れて魔法を行使したら、それは全て・・カステルヘルミが使った魔法ということにする。

 ――二つ返事で了承を返したカステルヘルミは気づいていないようだが、期限がいつまでとは一言も言っていない。それと、「不慣れな場所」がサーレンバー領だとも言っていない。

 魔法師の先生らしいところを周囲に見せる必要があるし、このまま当面の間は隠れ蓑になってもらうとしよう。


 窓から覗く前庭では、先ほども見かけた細身の男が自警団員らと話していた。

 三年前にこの別邸を訪れ、馬を預けた際に小柄な侍女とともに出迎えた人物だ。別邸の管理を任されているとかいう、名前はたしか……ベルナルディノといったか。


<リリアーナ様、よろしいでしょうか? 少々気になるものを発見いたしまして>


「?」


 アルトからの念話に思考を打ち切り、肩から下げたポシェットへ目を向ける。片方の角が窓の外を示し、方位磁針のように揺れていた。


<今朝からずっと探査の及ぶ範囲内を見張っておりました。今、この別邸の敷地外、東側の外壁あたりを進んでいる馬車の積載物に妙なものが……>


 窓に顔を近づけてみても、背の高い植木に阻まれて外壁までは見えなかった。外周の造りが全て同じなら、ずっと向こうまで石造りの塀が続き、その上を金属の柵が覆っているはずだ。

 手前の庭ではキンケードが他の団員たちに何か指示を出している。ふと目が合ったので、ガラス越しに手招きをしてみる。

 すぐに意図は通じたらしく、部下たちに何か言い置いてからこちらに近寄ってきた。


「どした?」


 窓の錠を外し、固い窓をエーヴィに持ち上げてもらったところで、花壇を乗り越えたキンケードが声をかけてくる。

 理由を告げようとした口はいったん閉じ、自分が間に入るより直接説明させたほうが手っ取り早いだろうと、ポシェットから取り出したアルトをその鼻先に突きつけた。


<……はい、ではリリアーナ様とキンケード殿へ向けて念話にてご説明いたします。現在この別邸の東側、外壁沿いを進んでいる幌つきの荷馬車なのですが。荷台に山積した古い衣類らしき布の下、間に板を敷いた底に、長剣や槍、斧などの武器類を計二十本ほど、雑多に詰め込んでおります>


 そこまで聞くや否やキンケードの顔が強張り、東側を振り向いた。だが窓の外にいる男からでも、植木の向こうまでは見通せないだろう。


<もしかしたら、そういった運搬方法があるのかもしれませんし、私には不審か否かの判別がつきませんでしたもので、ご報告をと>


「真っ当な武具商なら、間違ってもそんな雑な運び方はしねえよ。その上、古着で隠しながらなんてもっての外だ。ネズ公、お手柄だぜ!」


「キンケード、もし向かうなら案内にアルトを持っていけ」


<あ、馬車が角に差し掛かりました、このまま北に向かうようです>


「ファラムンドはまだ中か……仕方ねぇ、事後報告だ。そんじゃ、ちょっくらこれ借りてくぜ」


 窓越しに伸ばした手からアルトを掴み取ったキンケードは、そのまま大股で前庭へ戻ると挙手のみで周囲の自警団員らを自分の元へ集めた。


「アージとそこのふたり、馬に乗ってオレについてこい、すぐそこにいる不審な荷馬車の取調べに向かう。ナポル、お前はひとっ走り詰め所まで戻って五人ばかり応援呼んでこい。別邸の外周北東、オレの名前を出していい、大至急だ!」


「「はい!」」


 鋭く飛ばされる指示と、自警団員らの威勢の良い返事がここまで聞こえてくる。張りのある声はよく響くため、離れた場所にいる従者たちがみな何事かと振り返っていた。

 不審な馬車と積み荷の正体は気になるが、あとは彼らに任せておけば良いだろう。


「リリアーナ様、外で何かあったんですか? アルちゃん渡しちゃって大丈夫なんです?」


「ああ、これから一仕事するようだから、お守りみたいなものだ」


「お嬢様、まさかああいうタイプがお好みとか?」


「ルミちゃん先生、何でもそーいう方向に考えるの、私よくないと思いますよー」


「だ、だって!」


 やいのやいのと言い合うふたりの横で、エーヴィだけがもの言いたげな目をこちらに向けていた。それでも、分をわきまえて何も訊いてこないのが彼女らしい。


「あれに任せておけば大丈夫だ、すぐに片付くだろう。わたしたちは先に馬車へ戻って出発を待っていよう」


 広々とした庭に並んでいるのは、自分やファラムンドが乗車している領主家の移動用馬車二台の他に、従者たちが乗っているもう少し簡素なものと、様々な荷物が積まれた幌馬車が二台。それを騎乗した守衛と自警団員たちが囲む形でサーレンバー領まで向かうらしい。

 それなりの大所帯だが、全て別邸の前庭に収容し、周囲は高い植木と壁に覆われているため外からはわからないだろう。

 ここで護衛と合流する他に、領主家以外が使う物資などもまとめて積み込むらしい。

 自分とファラムンドとレオカディオ、その三人分の食糧のみ屋敷から積んできているのは、やはり毒物などの混入を避けるためだと思われる。そのため道中は別の馬車でも、食事時だけはファラムンドたちの乗る馬車へ移動することになる。面倒ではあるが、父と兄の安全には代えられない。





     ◇◆◇





 朝、まだ早いうちから住処を出て行った馬と箱。

 ここの主らしい男や小さなヒトがそこに乗り込み、去って行くのを透明な窓越しに眺めたまま、ソレ・・はずっとそこに佇んでいた。

 外は風が強いらしく、窓枠がたまにガタガタと音をたてる。気温の上下は自分にあまり関係のないものだが、同室にいる手下ヒトにはずいぶん堪えるはず。だというのに、暖炉に木もくべないままずっと何かを書いている。

 自分がここに居ついた頃と比べ、暗くなった後も遅くまで灯りをつけているし、朝は外が明るくなるより前から何かしている。そんなに熱心に、一体何をしているのか。のぞき込んだところで文字はわからないし、ツクエに乗るのは嫌がられるからあまり近寄らないようにしている。


 ――退屈だ。

 窓枠から垂れた尻尾をふらりと揺らして、また外に首を向けた。

 泥水みたいな空がずっと遠くまで頭上を覆っている。なんだかつまらない気分になるのは、この空のせいかもしれない。

 色の澄んだ、雲があんまりない空のほうが好きだ。

 体が思うように動かず、ここのところ自由に飛ぶこともなかったけれど、また明るくなる時期が来たら外で思い切り羽ばたきたい。卵から抜け出して以降、縮こまった羽根がきゅうくつで仕方ない。

 広い空を飛び回る自分を空想しながら、背中についた翼を広げる。久し振りなせいか、ぎちぎちと妙な音がした。

 その聞きなれない音が届いたせいだろう、ツクエに向かっていた男がこちらを見る。何か言いかけて、それをやめて、しばらく何か考えてから手に持っている細い棒を置いた。

 朝に一度、見送りのために外へ出たきりだった召使いの男は、どうやら休憩をする気になったようだ。立ち上がって棚に手を伸ばし、見慣れた紙袋を取り出す。


「っ!」


 カリカリとしたおいしいものが入った袋だ。それと一緒に自分のために水差しなどを薄い板に置き、柔らかいイスが並んだ場所まで移動する。

 先回りしてその上に乗って待っていると、召使いは袋の中身を手で割りながら、丸いサラの中に落とした。程よい大きさになったそれに齧りつき、口の中でガリガリの歯応えを堪能しながら食べていく。

 男はそんな自分を眺めながら水を飲んでいるようだ。そんなもので腹は膨れないだろうに、いつも休憩を取る時には少しばかりの水を飲むか、イスの上でぼんやりしている。そういうときは決まって何か小難しいことを考えているらしく、たまにそばへ来てはぶつぶつと愚痴のようなことを零す。


 サラの上のものを全部食べ切って口のまわりを舐め取っていると、珍しく召使いがこちらに手を伸ばしてきた。

 頭にふれて、背中から尻尾へと手のひらをすべらせていく。その繰り返しが中々心地よいので、そのまま好きに触らせてやる。

 ただ、ヒトの手は柔らかいから、あんまり皮や鱗が硬いとすぐに切れてしまうかもしれない。

 腹が膨れて今はとっても寛容な気持ちだから、背ビレを倒して撫でやすくしてやった。ついでにこちらも撫でろと翼を広げれば、ちゃんとそちらを触ってくる。感心な召使いだ。

 温かい腿に頭を乗せて、目蓋を綴じる。

 そうして大人しくしていると、男は気の済むまで――もしくは無心からはたと我に返るまで、その小さな背を撫で続けた。



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