第181話 サンルームお茶会-三人兄妹①
この予行を兼ねたお茶会は誰に隠していたわけでもない。カミロもファラムンドも知っているし、朝からの支度は他の侍女や侍従らにも見られている。レオカディオはそのうちの誰かから聞きつけたのだろう。
とはいえ、この時間には日課が入っているはずだ。アダルベルト同様に忙しくしている次兄がこうしてサンルームへ姿を現すのは、リリアーナにも予想外だった。
「何だレオカディオ、主催へ挨拶もせずに乱入とは行儀が悪いぞ」
「主催……?」
周囲に控える侍女やテーブルの上を見たレオカディオは、得心がいったように「なるほど」とひとつうなずくと、おもむろにソファのそばに屈み込み絨毯へ膝を落とした。
そして反応の遅れたリリアーナの右手を取り、アダルベルトと同じ仕草で指の付け根に唇をあてる。
ただ、長兄とは違ってすぐに手を放さない。両手で包み込むように軽く握り、蕩けんばかりの微笑みを浮かべながら妹のかんばせを間近に見上げた。
「君の顔を見たくて毎日焦がれていたのに、僕のいない所で笑顔の花を綻ばせていると聞いて、いても立ってもいられなかったんだ。許しておくれ、僕の可愛いリリアーナ。満ちた月のように僕の心を照らしてくれる君。意地悪な雲が隠してしまう前に、暗い空から君だけをさらってしまいたいよ」
「……?」
朗々と紡がれる言葉は、何かの時でも譜んじているのだろうか。意図がわからない。
レオカディオは手を取ったまま動かないし、反応に困ってアダルベルトのほうを見ると、長兄はがっくりと肩を落として嘆息した。
「レオカディオやめないか、リリアーナが困っているだろう」
「いやぁ自信なくしちゃうなー、顔色ひとつ変えないんだもん。僕の笑顔もキスも通じないなんて、リリアーナくらいなものだよ」
「通じてどうする。それと、比喩に花も月も挙げるのは欲張りすぎだ、夜空の月に比重を置きたいなら月光花や夜光草、もしくは灯火の明りなどにしておくべきじゃないか?」
「うっわ、口説き文句に添削入った」
「口説き文句?」
首をかしげながら繰り返してみると、気を取り直したらしいアダルベルトが今度は思い切り顔を顰めた。
「リリアーナには、まだ早い!」
「またそんな父上みたいなこと言って、アダル兄だってこないだ書斎でリリアーナのことベタ誉めしてたじゃん」
「俺は事実を言ったまでだ。リリアーナが見目も心根も美しく、賢くて貞淑でやさしい子なのは本当のことだろう、何の問題があると言うんだ?」
「出たよ、これだもんな……ほんと、アダル兄のそういうとこ……」
<次男殿のお気持ち、お察しいたしますぞー……!>
籠の中で何か言っているアルトはさておき、話を総合するにレオカディオはこのお茶会へ自分も混ぜてほしいと、そう訴えたいのだろう。
フェリバに目配せを送れば、心得てますとばかりに力強くうなずき、すぐに新しいカップとパイを乗せた皿がテーブルへ運ばれる。こうなることを予測し、レオカディオが現れた時からすでにお茶の支度を始めていたようだ。
「青林檎のパイはまだあるから、レオ兄も食べていくといい」
「うん、もらうー」
すぐにエーヴィがレオカディオのためにソファを整え、三人でテーブルを囲む位置に腰を下ろした。
アダルベルトにはもう贈り物と質問を済ませたし、あとは適当に会話を楽しむだけだから誰が加わったところで問題はない。
自分とレオカディオがサーレンバー領へ向かえば、次に三人で顔を合わせる機会は少し先になる。今日こうして共にテーブルを囲めたのはむしろ幸運だったかもしれない。
「主催のリリアーナが良いと言うのだから席に加わるのは構わないが。お前はこの時間、まだ講義があるはずだろう。まさか抜け出してきたのか?」
「課題はもう終わってるから大丈夫だよ。まさか、それがあるから僕をのけ者にしたの?」
「別にレオ兄を省いたつもりはないぞ。急なことだったし、三人の予定をすり合わせるのは難しいと判断したまでだ。実際、レオ兄はこの時間に授業が入っているではないか」
「そーいう問題じゃないんですぅー」
頬を膨らませる子どもじみた様子とは裏腹に、レオカディオは洗練された手つきで切り分けたパイを口に運んだ。
「……あれ、見た目のわりに甘くないねこれ、おいしい」
「レオ兄はもっと甘い菓子が好みなんじゃないのか?」
「その方が何かと得だからそういうことにしてるけど、おいしければ何でも好きだよ」
「得?」
「そ。甘いものが好きってことにしておけば女の子たちと話が合うし、お茶会にも呼ばれやすいから。顔繋ぎには大規模な夜会より、そういう小さい集まりのほうが親密度アップに向いてるんだ」
「へぇ……」
「お前の、その手の勤勉さには心底敬服するよ、俺にはとても無理だ」
「アダル兄は話題作りの前に、もうちょっと愛想良くするべきだよ。そのしかめっ面じゃどこの令嬢も近づけないって。僕の口説き文句にダメ出しするくらいなんだから、甘い台詞のひとつやふたつ余裕で吐けるでしょ?」
「無理」
短く言い捨て、アダルベルトは普段の二割り増しで眉間にしわを溜めながらカップに口をつける。
「あんだけモテるくせに堅物なんだからなぁ。アダル兄ならどんな淑女もより取り見取り、選び放題だってのにさ」
「今はそんなことを話す場では」
「いや、わたしも興味があるぞ」
そう言うと、ふたりの兄は揃って「え」と短い声を出してこちらに顔を向けた。
「他家の子女と、いかにして交友を図るかという話だろう? 十歳記までは社交の場に出られないのは納得しているが、友人はいたほうが知見を広げるのに役立つと学んだばかりだ。たしか、サーレンバーの領主にも年齢の近い娘がいるのだったか」
「ああ、クストディア嬢だね。お隣の石巌伯がリリアーナを招待したのは、あの子の話し相手にするってのが目的だよ。年季の入った箱入り娘だから、リリアーナとは話が合わないと思うけど」
「そうなのか……」
さすがにリステンノーアのような子どもはそうそういないだろう。とはいえ、同年代の少女がどのような話を好むのか、どんな精神性をしているのかという良いサンプルにはなりそうだ。
自分が一般的な娘らしさから乖離していることを理解していながら、これまで参考になるような相手が近くにいなかった。良い機会だからクストディアと親密に接して、色々と学ばせてもらうとしよう。
「そーいえば、リリアーナがこないだ街に下りた時、友達ができたんだろ? 仲良く手を繋いで歩いてたって話を聞いたよ。何て名前? どこの家の子なの?」
「ノーアは……、いや、実はわたしも詳しくは知らないんだ、カミロに聞いてくれ」
とっさに同行していた相手へ説明を投げてしまったが、多分これで正解だ。
リステンノーアについて詳細に語ることができない以上、知恵の回るレオカディオに突っ込まれるのは避けたほうがいい。きっとカミロなら、自分などより余程マシなごまかし方をしてくれるはず。
「ふぅん、ノーアちゃんっていうのか。リリアーナと会話の弾む相手なんてこの辺にいたかな、ホルダ家の末娘とか……いやそんな名前じゃなかったな。ねぇ、その子って可愛いの?」
「可愛い? うーん、どうだろう、痩せていて全体的に薄い感じで、少し前のレオ兄みたいな雰囲気もあったが」
「じゃあ、めちゃくちゃ可愛いじゃん! そっか、細身で儚げな美少女ノーアちゃん……うちに招くことがあったら僕にも挨拶させてよね、絶対だよ!」
何が嬉しいのか喜色満面といった様子のレオカディオとは正反対に、アダルベルトは頭痛をこらえるようにして額を押さえた。
うっかり略称を漏らしてしまったが、顔の広いレオカディオでもその名に心当たりがないとなると、やはり近領に住んでいるわけではないようだ。なぜか少女だと誤解しているようだし、後はカミロに任せてこのままにしておこう。
ちらりと長兄の顔を見れば、注意していなければわからないほど小さくうなずき返される。決して嘘はついていないしと思いながらも、いくらか抱いた罪悪感がそのお陰で軽くなった。
そっと兄たちから視線を逸らしてカップに口をつける。
「リリアーナにお友達ができたんなら、兄として僕も嬉しいよ。いつもうちに籠って勉強ばっかりじゃん。公式な場に出る前でもさ、少しは他家との付き合いを持たせてくれればいいのにね」
「あと二年の辛抱だ。それに、礼儀作法の授業もまだ途中だし、こうしてお茶会の練習が必要なほど不慣れな部分も多い。おかしな失敗をしてイバニェス家の名に泥を塗らないよう、社交前にしっかりと作法を身に着けておきたい」
「ほんっと、リリアーナって真面目だよねぇ……」
小声で呟きながら、唇を引いて薄く微笑む。あまり見ないその顔は冷笑にも映るが、レオカディオが心の内で何を思っているのかまではわからない。
四つ年上の次兄は、ここのところ子どもらしい顔の丸みが取れて、少しずつ大人に近づいているのが見て取れる。相変わらず線が細く、どちらかと言うと女性的な容姿にも思えるが、あと数年もすればアダルベルトのような大人に近い風貌になるのだろうか。
何となく、自分の頬をさわって感触を確かめてしまう。押せば容易にへこむし、もちもちとして柔らかい。
「何、どうしたの?」
「わたしも早く成長したい……」
リリアーナが切実な願いを口にすると、ふたりの兄は複雑そうな表情を浮かべながら揃って顔を見合わせた。
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