第177話 サンルーム談義-護衛③


『どうした、ひでぇ顔色だ。嬢ちゃんがそこまで警戒するってこたぁ、何かあるんだな?』


『その通りだ。キンケード、くれぐれも相手を良く見てから戦え。もしも、赤い……燃える炎のような赤い髪をした男であれば、無茶をせずすぐに降伏しろ。悪行を働かぬヒト相手になら無体はすまい、それで助かるはずだ』


『赤い髪の男って何だそりゃあ、まるで話に聞く勇者様みてぇじゃ……』



 この屋敷が武器強盗による襲撃を受けた際、現場へ向かおうとするキンケードには相手を良く見極めて戦えと伝えていた。

 まだあの時点では襲撃犯の正体がわからず、もしかしたら『勇者』が襲ってきたのではないかと不安を抱いたためだ。

 キンケードの性格上、たとえ相手が本当に赤い髪をしており、とてつもない強者だったとしても降伏なんてするはずがないのに。敵いようもない相手に無理をして欲しくなくて、あんなことしか言えなかった。


 そして十日前、街の路地でキンケードと遭遇し、追っ手の足止めを頼んだ際の短い警告。

 消音の効果範囲に阻まれて途中までしか伝えることはできなかったが、この男なら「決して勝とうとはするな」という言葉だけで、以前の忠告に繋げてくれるだろうという確信があった。


「……うん、ちゃんと覚えていてくれたんだな。まぁ、その、あの日にアレと遭遇するなんて、わたしにとっても全くの予想外だったし、追われている時はどうなることかと思ったものだが」


 真っ直ぐに向けられる視線が居心地悪く、何となく目を逸らしてしまう。後ろめたいことがある証拠だと、自分でも思う。

 もしここで回答をごまかそうとすれば、おそらくキンケードは追及してこないだろう。軽度とはいえ全身に火傷を負うような危険に遭い、不本意な忘却をさせられた相手。その重要な手掛かりだというのに。

 窓の外に広がる庭を見て、手元のカップを見下ろして、それから正面の男の顔を見返した。


「……ああ、間違いない。あの日に追われていたのは、侵入者騒ぎの際にわたしが警戒していた、赤い髪の男だ」


「どこのどいつだと、言うつもりはないのか?」


「お前に話したくないわけじゃないんだ。……が、説明がとても難しい」


 エルシオンのことを話すとなれば、なぜ『勇者』に狙われているのか、その理由まで打ち明ける必要が生じる。

 自分がかつて『魔王』デスタリオラとして生き、その力と記憶を保持していることだけは、たとえ相手がキンケードでもまだ話す決心がつかない。

 この男であれば真実を知ったあとでも態度を変えたりせず、過去の事実だけを受け止めてくれるはずだと、信頼できるのに。いや、キンケードだけじゃない。ファラムンドやカミロ、侍女たちだって、きちんと話せばわかってくれるだろうと思う気持ちはある。

 足りないのは覚悟だ。最も嫌われた『魔王』なんて呼ばれた自分が、ヒトの少女として生まれ直した。その真実を知られた後、これまで築いてきた関係が失われてしまう可能性を怖れている。

 まだ秘めておける――現状維持が叶うのであれば、そこへ踏み出すことはできそうにない。


 こちらに話す意思がないと見て取ったのだろう。しばらくそのまま黙っていたキンケードは、長い息を吐き出してからソファの背もたれにだらりと寄り掛かった。


「裏庭で忠告くれた時にも思ったんだよ。屋敷からほとんど出たこともねぇ箱入り娘が、領主邸を襲撃してくるような相手、それもオレが敵わねぇような人間にどうして心当たりがあるんだって。カミロも何か勘付いてやがるみてーでな、前にオレが護衛について街を歩いた日、馬で領道へ向かった辺りで何かあったんじゃないかってしつこく訊かれたぜ」


「それは……、すまないことをしたな。お前が隠し事をしているわけでもないのに」


「いや、大人どもは何かといや嬢ちゃんに隠してばっかなんだ、お互い様だよ。それでもな、前にも言ったろ。お前さんひとりで手に負えないと判断したら、必ず周りを頼れって」


「……うん。そうだ、その通りだ」


 予想外の『勇者』との遭遇から危機を脱することができたのは、あの場で力を貸してくれたカミロ、エーヴィ、キンケード、そしてリステンノーアのお陰だ。自分だけではどうすることもできなかった。

 そうして周囲の皆の力を借り、散々迷惑をかけているというのに、身勝手な事情から肝心なことを打ち明けられないでいるのは、どう考えても自分に非がある。

 ファラムンドたちが幼い娘を慮って情報を伏せているのとは訳が違う。

 今後もエルシオンから狙われる危険が続くのなら、警戒し正しく備えるためにもきちんと話しておくべき、……なのに。


「ああ、本当に。この件については話せないでいるわたしが全面的に悪い。狙われる原因が自分にあって、家族や護衛の皆をいらぬ危険に巻き込んでいるというのに。すまない……」


「おい、待て、嬢ちゃんを責めてるつもりはねーんだ。言い方が悪かった。話せないことがあるのはしょーがねぇよ、領道の時に色々見ちまったのを黙ってんだから、オレだって同じだ。隠し事があるっての自体は、別に悪いことじゃねぇ」


「だが、わたしが知っていることを伏せているせいで……。ん、いや、あの追っ手に関しては正体を知ったところで手の出しようもないから、いっそ知らないままのほうが良いかな、とも思うが」


 追われていた理由はともかく、あの日に追いかけてきた不審者が『勇者』エルシオンだと明かしたところで、相手は記憶の消去という奥の手を持っている。

 誰の記憶にも残らず、常人では到底敵わないほど強いとあっては、領の内外問わず人手による捜索は意味を成さないだろう。


「まぁ、実際オレも戦って負けてるわけだしな。どーやって負けたのかは覚えてねぇが、何か雷の魔法を受けたんだったか。嬢ちゃんの言う通り、オレより強くて記憶を消せるヤツなんて、捕まえようとするだけ無駄ってもんだ」


「うん……。だが身に迫る危険には備える必要がある。相手の得意な魔法など、明かせる範囲での情報提供は惜しまないつもりだ」


「そんでも、記憶を消す魔法なんてのには心当たりがないんだろ?」


「む……」


 事実、その通りなので二の句が継げない。口の中だけで唸りながら空のカップをテーブルに置いた。


「心当たりも何も、どう考えたっておかしいんだ。魔法の仕組みや脳の構造的に、狙った記憶だけを消去するなんてことができるとは思えない。……いや、実際起きているから、何らかの手段を取っているのは確かではある。むむー……」


 魔法によるものだと決めつけるより、暗示や催眠の類のほうがまだ可能性があるのでは?

 だが初対面の相手にそんな仕掛けをして歩くのは時間も手間もかかる上、確実性が薄い。特にキンケードのような自我の強固な相手には、先に意識レベルを落とすなど相当の手順が必要になるはずだ。

 あの路地で足止めを頼み、『白迅雷撃エ・エレクトラ』が炸裂し、その後エルシオンが追いついてくる間にそこまでの猶予はなかった。暗示でも催眠でもないなら、やはり何か、自分の全く知らない魔法が関与していることになるが。

 対面した誰もがエルシオンの記憶を失っているなら、常時発動パッシブの構成陣――それも本人が逐一扱うのではなく、物品に構成を刻むといった手段が疑わしい。


「うーん、構成を刻んだアイテムか……でもなぁ……。記憶というのは難しいものだ。一言で記憶と言ってもその時に見たもの、聞いた音、考えたこと、経験その他諸々を含むだろう? それでいて形はないし触れるものでもない。狙った記憶だけを魔法で消すなんて芸当、わたしでも不可能だ」


「嬢ちゃんが不可能だって言うと、ほんとに途方もないことだって気がするからスゲーよな……」


「実際、途方もないことだぞ。例えば今わたしが飲んだ香茶を取り除くなら、胃の中から取り出してしまえばいいし、時間が経過していたなら水と香茶の成分を体から抽出するという方法もある」


「記憶は取り出せねーのか?」


「香茶は胃の中。では記憶はどこにある?」


「頭」


「頭の中の、どこにしまわれている?」


「ん……? んー、どこっつーと……どこだ?」


 自分のこめかみを人差し指で軽く突き「脳だ」と言ってみても、キンケードはいまいちピンとこない顔をしていた。

 聖王国側の教養や一般常識の範囲では、脳の働きまでは知られていないらしい。とはいえ、キヴィランタでもそんなことまで把握しているのは『魔王』であった自分を含めごく一部だ。

 精神作用の構成にはあまり興味がなかったけれど、生体の部位としては学術的興味が湧いたため、魔王城の地下書庫であれこれ調べたことがある。その派生で神経作用の構成が生まれたわけだが……ともあれ、あまり個として得て良い知識ではなかったように思う。

 その時は結局、各々の心の持ち様と同じく、脳も不可侵であるべきとして安易にはふれないことに決めた。


「記憶は脳という器官に書き込まれるのだが、当然、絵や文字で書かれているわけではない。おそらく大陸中のどこを探してもそれを知るすべはないだろう。脳は胃とは違う、中身を取り出せない。どこに、どんな風に保存されているかもわからないのに、特定の記憶だけを消去するなんて、わたしの知っている範囲の魔法では無理だ」


 つまり範囲外、未知の魔法なら可能性はあるかもしれないのだが、どんな作用を及ぼして記憶を取り除くのか正直想像もつかない。

 こうして話していてもキンケードには副作用や後遺症が見られないし、本当に脳に干渉しているのかも疑わしいくらいだ。

 魔法では有り得ない、技術的にもほぼ不可能。そうした自分の見解が正しいと仮定するなら……もしかしたら、何か根本的な思い違いをしているのでは?

 とはいえ今それを考えてもこれ以上の発展はないので、ひとまず保留とする。


「……ふむ。と、いう訳で。奴の記憶消去に関しては今ある情報ではお手上げだ。窓から見ただけのカミロには効かなかったから、効果範囲や条件等があると思われるが、そのくらいか。……まぁ当面はサーレンバー領でゆっくりしながら、再び対峙した時にどうするかを考えておく」


「そりゃ対策考えるのは大事だろうが、相手はオレも簡単に打ち負けるような相手なんだろ?」


「あれはヒトの基準から外れている、聖王国の誰が相手でも正攻法では敵わないさ。何にでも相性というものはある。紙は炎に燃やされ、炎は水に消される、そういう話だ。決してキンケードが弱いというわけではない。むしろあの路地に現れたのがお前でなければ、足止めなんて危険なことは頼まなかった」


「ッハ、水は紙を通れないってか。まぁ、最近立て続けに負け込んでるんでちっとばかり自信なくすが、そこまで言われちゃ鍛錬にも身が入るってもんだな。たまには堂々と嬢ちゃんを守ってやりてぇから、いざという時のためによーく鍛えておくぜ!」


 そんな宣言とともに口元を歪めてにやりと笑うキンケードは、髭がなくなってもやはり悪人面だった。


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