第178話 サンルームお茶会-長兄①
必要な会話を交わすのみで、香茶の一杯も飲まずにキンケードは帰っていった。
元々、朝から打合せのため屋敷を訪れる予定だと聞き、タイミングが合えばという条件でサンルームに招いただけの突発的な客だ。この後に招待している相手がいるとわかっているからこそ、キンケードも長居をしなかったのだろう。
洗面所で用事を済ませ、フェリバに髪や裾の乱れを直してもらってからソファへ戻ると、エーヴィがテーブルの支度を始めていた。
大判のレースをあしらったクロスの上には、自室から持ち込んだ来客用のティーセットと、細々飾り付けられた茶菓子。必要だと聞いて取り寄せた花はガラスの花瓶ではなく背の低い籠に盛られている。
普段よりもいくらか華やかにはなっているが、ソファ周りなどはそのままだ。準備はこんなもので良いのだろうかと見回しながら、自分の定位置に腰を下ろす。
「問題ありません。家族内でお茶会の催しというのも珍しくはなく、特に年頃の子女を持つお屋敷では予行の意味を含めて行われることが多いようです。とはいえ外でのそれとは異なり、肩の力を抜いて会話とお茶を楽しむためのもの。アダルベルト様もその点はよくご存知でしょう」
こちらが抱いた疑問を読んだように、ソファの掛け布を直しながらエーヴィが朗読めいた声音で補足する。その仕事ぶりは疑いを挟む余地もなく洗練されたものだ。
自分の仕事を見つけられないのか、一緒に来ているフェリバは両手をゆらゆらとさまよわせながらワゴンのそばに佇んでいる。そこに控えているだけで良い、と視線を向ければ、どこか気まずげな顔をしながら手を下ろした。お茶会の練習とはいえ、初めてのことが多く戸惑っているのかもしれない。
かくいう自分も貴公位レベルの『お茶会』の手本を知らないため、今日のセッティングは全てエーヴィに一任していた。
予行として兄たちが先にお茶会を開き、そこに招待してもらう約束をしていたが、自分と侍女たちの練習なら立場が逆でも構わないだろう。そう思い立って長兄宛てに招待状をしたためたのは一昨日のこと。
自分よりも多忙な兄の予定に合わせる旨を伝えると、この日の昼前であれば時間を取れると即日返事があったのだ。
<リリアーナ様、兄君が二階から降りてきます。もう間もなくこちらへ到着されるかと>
「ん。フェリバ、お茶の支度はいいか? もうすぐ兄上が来るようだ」
「そんなことがわかるんですか、さすが兄妹ですね。はい、お茶は任せてください、いつでもお出しできますよ!」
フェリバはそう言って握り拳を固め、そわそわと入口のほうを見ながらポットの温度を確認している。緊張でもしているのか、どうにも今朝から落ち着きがないようだ。
ひとつ分を編み終えたレースのドイリーと道具類は持ち込んだ籠の中へ片付けて、そのまま兄の到着を待つ。本番であれば幾人もの客を相手にしなくてはならないそうだが、今日招いているのはひとりだから気楽なもの。
そろそろかと思いソファから立ち上がると、開け放ったままの入口に侍女を連れたアダルベルトが姿を現した。
すぐにそちらへ向かい、スカートの端を摘まんで優雅な礼をして見せる。
「ようこそお越し下さいました、アダルベルト兄上」
「ああ、今日は招いてくれてありがとう、リリアーナ。ふたりで話ができるのは久しぶりだから、楽しみにしていたよ」
鷹揚にうなずき、ゆったりとした歩調で入室してくる。
食事の席で毎朝顔を合わせてはいるものの、食堂での席は少し離れているから、こうして間近で長兄を見上げるのはいつ以来だろう。また少し背丈が伸びたような気がする。
きちんと整えた黒髪に、普段は見ない上着と細かな刺繍の入ったタイ。装いには疎い自分でも、これが正式な場での盛装だと理解できる。所用で外出する際のファラムンドにも引けを取らない立派な出で立ちだ。
出迎えたままその姿を見上げていると、アダルベルトは一歩手前で片膝を落とし、こちらの右手を取って指の根元あたりに軽く唇をふれさせた。見たことのない恭しい仕草は、まるで何かの儀式のようだ。
「……?」
「こういう挨拶は初めてか?」
「あ、うん、はい」
「そうか、父上には黙っていないと妬まれそうだな。手を取って口づけを送るのはレディへの敬愛を込めた挨拶だが、あまり親しくない者が混じるパーティなどは手袋をして行くといい」
「そういうものですか……わかりました、気をつけます」
兄からの助言に神妙にうなずくと、立ち上がったアダルベルトは口元を隠しながらくつくつと笑った。音に出して笑うのは珍しい。
「リリアーナなら要点さえ掴めば本番でぼろを出すこともないだろう。今日はもう、普段の話し方で構わないんじゃないか?」
「練習なのでは……」
「お披露目は十歳記の祝いで、その次はうちでお茶会を催すんだろうけれど。どちらも事前の打ち合わせがあるから大丈夫だ。今日は侍女と一緒に流れだけさらえばいい」
そう言って視線を上げたアダルベルトと、横手に控えていたフェリバの視線が交わる。ほんの瞬きの間のことだ。
すぐに体の向きを変えたアダルベルトは連れてきた侍女から何か包みを受け取り、腰を屈めてこちらに差し出してくる。
「手土産というほどのものではないが、最近中央で流行しているという砂糖菓子だ。俺には甘すぎたが、リリアーナの口には合うんじゃないかと思って」
「ありがとう兄上、お茶の時間にでも頂こう。魔法の先生も甘いものは好きだからきっと喜ぶ」
受け取った四角い紙包みはエーヴィに手渡し、支度の済んでいるソファまで兄を先導する。
柔らかなソファへ浅く腰かけたアダルベルトは、そのまま感慨深げな表情でサンルームの中を見回した。同じような目をしたキンケードを見たばかりだ、何を思い返しているのかは想像がつく。
「ここへ来るのは久しぶりだな、やっぱり落ち着く。……この部屋のことは誰に聞いたんだい、リリアーナ。ずっと雨戸も閉じたままだったろう?」
「自分の部屋以外で会話のできる場所、ということでカミロが整えてくれたんだ。以前は母上が好んで使っていたという話も聞いている」
「そうだったのか。うん、リリアーナが利用してくれて良かったよ。あのままにしておくより、ちゃんと綺麗にしてまた使えるようにしたほうが良いと、思ってはいたんだ」
生母の顔を知らない自分とは違い、アダルベルトはこの部屋で母と共に過ごした記憶もあるはずだ。
それでも、良かったと言ってくれるなら、末娘である自分がこのサンルームを使っていることも、ここへ招いたことも、決して間違いではなかったのだろう。もしかしたら話を持ち出したカミロ自身も、この部屋をまた誰かに使って欲しいと思っていたのかもしれない。
兄はひとつ息をつくと気を取り直したように膝の上で指を組み、こちらへ目を向けた。
「元々は、俺たちのほうからお茶会の予行を申し出るつもりだったのに、忙しいからと後手に回って悪いことをした。サーレンバーへ向かう前に時間を作ってもらえて助かったよ」
「いや、こちらこそ忙しい中に足を運んでもらってすまない。渡したいものと、訊きたいことがあったから、この機会にと思って。しかし、兄上の予定はわたしなどよりずっと詰まっているだろう、本当に大丈夫なのか?」
「今日はリリアーナと過ごすために時間を確保してあるから、安心してくれ。最近は書斎で落ち合うこともなかったし、こうしてふたりでゆっくり話すのも久しぶりだな」
普段の勉学や領政の手伝いに加え、十五歳の準備があるせいか、最近のアダルベルトは以前にも増して忙しそうにしていた。
リリアーナより七年先に生まれているため、年が明ければすぐに成人となる。行動の自由が認められる大人であり、ファラムンドのそばで領政にも一役買っている。正直に言えば、長兄の立場が羨ましかった。
だが自分にないからといって他人を羨んだところで、どうなるわけでもない。勤勉なこの長兄であればきっと父の期待にも応えられるだろうし、自身の胸に問うても嫉妬より応援する気持ちのほうがずっと強い。
「そういえば、お土産のビスケットにも礼を言いそびれていたな。侍女伝いに受け取って、部屋で開封した時は驚いたよ。リリアーナからあれをもらうとは思わなかった」
「喜んでもらえたなら良かった。前にもああいう硬いのが好みだと言っていただろう。甘くないほうが良いというのはカミロから聞いたのだが」
「実は、そうなんだ。アマダに頼めば同じようなものを作ってくれるだろうけど、うちだと材料が良すぎるというか。甘いものはあまり得意でないから、軽食に摘まむならあれくらいシンプルなのがいい」
「何となくわかるぞ。わたしはアマダの菓子も好きだが、最近は同じ店で買ってきた乾燥果実の粒が気に入っている。凝ったものもおいしいけれど、ああいう味に飾り気のないものも良い」
様々な果物の味があるから飽きないし、腹にたまらず食事に影響しない点も好ましい。
そんな調子で読書の合間などに摘まんでいたらもう残り少なくなってしまった。サーレンバー領へ向かう前に一度フェリバが街へ下りると言うので、ついでに補充を頼んである。
そんな会話の隙間を見計らい、フェリバがふたり分のカップをテーブルへ並べた。
澄んだ黄金色の香茶はいつも飲んでいるものより香り高い。兄の眉がわずかばかり持ち上がるのを眺めながら、先にカップを手に取り口をつけた。
お茶も菓子も、招いた側が安全確認を兼ねて先に手をつけるのがマナーだとか。無論、テーブルへ並べられる直前に全て侍女が毒見を済ませている。
重みを感じさせない手つきでカップを持ち上げたアダルベルトも、一口含んで「ほう」と感心したような声を出した。
「面白い香りのお茶だな、花みたいな……前にどこかで嗅いだことがあるような気もする」
「先日、街へ行った際にイグナシオ宝飾店という店で出されて気になっていたんだ。その時は手をつけることができなかったが、カミロが茶葉を取り寄せてくれた。ティエン茶と言ったかな、何でも南海の渡来品だとか」
「珍しいお茶なのか。……うん、おいしい。俺も好きな香りだ」
「大きな瓶でもらったから、後で侍女に渡しておこう。休息時間にでも飲んでほしい」
「ありがとう」
素直に礼を述べる長兄の表情は、食事の席や屋敷の中で見かける時より幾分柔らかい。
以前は顰め面を浮かべてばかりいたし、もしかしたら嫌われているのではと思ったこともあるけれど、書斎で会って話すうちに態度が軟化してきたように思う。初めて話した頃と比べれば、眉間のしわもだいぶ減っている。
……もっとも、減っているというだけで、自分と話す時は相変わらず険しい表情をしていることに変わりはないのだが。
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