第176話 サンルーム談義-護衛②


 一度は大きな崩落の起きた領道も、すでにこの三年の間で大掛かりな補修工事は済んでおり、ファラムンドが自分たちの同行を許可したならば安全確認についても万全ということだろう。

 あの事件では自警団側の人員も複数犠牲になっている。今回護衛についてくれる面々も複雑な思いがあるのではないだろうか。

 そんな思いからリリアーナが表情を曇らせると、道行きの不安からと察したキンケードはいつも通りの不敵な笑みを浮かべて見せた。


「なんも心配ねぇよ。領道の岩壁はガッチガチに補強工事をしたし、今回の護衛には魔法師もいる。ああ、その関連で今日にも話が行くと思うが、お前さんの家庭教師、あの魔法師のねーちゃんにも同行してもらったらどうかって話が出てるぜ」


「カステルヘルミか……」


 中央から招かれた魔法師という肩書はあれど、未だ実力の面ではひよこ以下。魔法師の頭数に加えたところで何の役にも立たないだろう。

 だが解雇をさせないため、長く教えを請いたい立派な魔法師ということにしてある。ファラムンドもカミロも、リリアーナのそんな真逆の評価を信じているはずだ。万が一、サーレンバー領で何か起きた際にその能力を買われ、協力を願われたりすれば面倒なことになる。

 それでも、彼女が自分と一緒にいることで大人たちが安心感を得るというなら、同行させるくらいは構わない。

 髪飾りを渡したことで機嫌も上向いていることだし、この調子ならもうすぐ次の段階へ進めそうだ。サーレンバー領でも引き続き魔法の訓練をさせよう。


「まぁ、雇われとはいえ契約外のことだから、本人の了承も必要だけどな。嬢ちゃん的にはどうなんだ? たまの遠出くらい勉強のことは忘れ……いや、逆だったなそういえば。あのねーちゃんが教わる側か」


「ああ、今ちょうど訓練のいいところだし、あれは一応わたしの専属教師だ。わたしだけがサーレンバーへ行ったらやることがなくなってしまう。それに、どうやら父上の後妻を狙っているようだから、一緒に遠出となればむしろ喜ぶかもしれんぞ」


「何? マジか、そういうアレなのか。そうかぁ。……さっきの話の後で何だが、嬢ちゃんは嫌じゃないのかそーいうの?」


「別に、誰を選ぶも選ばないも父上次第だし、わたしの関与する所ではない」


「ふーん。冷静なもんだなぁ」


 どこか鼻白んだように膝の上で肘をつくキンケード。トマサがここにいれば、行儀が悪いとたしなめているところだろう。


 今度のサーレンバー領行きは、有名な楽団による演奏会の鑑賞と、領主同士の懇談会のためということになっている。

 一応それらも大きな目的の内ではあるが、ほとんど名目に等しい。一番の目的は、自分とレオカディオを一時的にイバニェス領から遠ざけ、当面の身の安全を確保することだ。

 今後の予定や報告を告げにきたカミロの、苦さを帯びた無表情はまだ記憶に新しい。


 十日前のコンティエラの街で、自分たちを追跡した不審者の足取りも正体も依然として掴めぬまま。転移によってその場は難を逃れたが、キンケードでも敵わなかった相手が再びイバニェス領へやってくる危険性を勘案し、今年いっぱいは懇意にしているサーレンバーの領主邸で過ごすことになった。

 リリアーナがその報せを受けたのは三日前。領主を含め、イバニェス家の人間が領外へ出るというのに、準備期間がこれほど短いのはずいぶん異例のことらしい。話は前から出ていたものの、それだけ急に決定したことなのだろう。

 お陰で従者も侍女らも旅支度のため忙しそうに動き回り、屋敷の中は慌ただしい雰囲気に包まれている。


「何もわざわざ隣領の世話にならずとも、いつも通り屋敷から出ないでいれば安全だと思うのだがなぁ……」


「それはあの野郎に嬢ちゃんの身元が知られてないなら、の話だろ」


「顔は見られていないし、領主の娘とばれるような会話もしていないが?」


 何もここまで大ごとにして隣領まで避難することはないのでは。そんな疑問を乗せて首をかしげれば、キンケードはしかつめらしい顔をして僅かに声を低める。


「いいか? まず、街を歩いて見たならわかってると思うが、嬢ちゃんみたいな上等なコート着て歩いてる子どもはそうそういねぇ。それに、小さい鞄を肩に下げてるだけで荷物を持ってなかったろ。この時期に働きもせず手ぶらで悠々街を歩いてるガキなんてのも、ほとんどいねぇんだよ」


「あ……」


<ア……>


「そんで、連れのカミ口も杖だけで手ぶらだ。となれば馬車で来ていることは察しがつく。街歩きに馬車を使うような身分……街の大商人や管理職なんかに嬢ちゃんと似た年頃の娘がいたとして、そんなの片手の指ほどもありゃしねぇ。その筋に聞き込みすりゃ、お前さんまでたどり着くのは時間の問題だ」


 厳しい顔のまま、当然のことだとばかりにすらすら述べてみせるキンケードの言葉を聞いて、リリアーナは絶句した。

 確かに、その通りだ。自分の正体だの何だの余計なことばかり考えて、あの日の姿を客観的に見て察しのつく情報までは思案が及ばなかった。

 果たしてエルシオンはそこまで考えているだろうか。

 再びイバニェス領まで来て、聞き込みをして得た情報から、あの日に遭遇した子どもの片割れが領主の娘だとあたりをつけたとして――その後、どういう行動に出るのか。


「あー、それと、これもまぁお前さんに何の非もなく大人どもの事情だが。あの日に街へ出たのは商工会の面倒なヤツをやり過ごすためって理由もあったろ? だから他の護衛に任せず、連中に顔を知られてるカミロがお伴についたんだよ。馬車を乗りつけて宝飾店へ入ったり、通りを歩いたり買い物してりゃ、領主の右腕が身なりの良い子どもをふたり連れて街を歩いてるって話は、商工会にも必ず伝わる」


「なるほど、あの日あの時間、屋敷にはいなかったという事実を見せつけるためか。……いずれにしろ、調べようによっては簡単に身元は知れるということだな」


「ああ。おまけに多少強引な手で聞き込みをしても、野郎の記憶は残らねぇってんだからな。どこから漏れたか、不審な人間に訊ねられたかは後から調べようもない」


 だからこの屋敷に籠っていても、決して安全とは言えない。

 それと、なぜサーレンバー領にレオカディオまで同行するのか疑問だったのだが、キンケードの話で納得がいった。

 あの日、カミロが連れていたのは子どもふたり。フードを目深に被って顔は見えなくとも、身なりの良い少年と少女を連れて歩いていたとなれば、歳の頃からレオカディオとリリアーナ、ふたりの領主家子女だと思われても不思議はない。

 精霊たちの悪戯によってリステンノーアがコンティエラの街へ来ていたことは、自分とカミロしか知らない情報だ。ファラムンドには伝わっているだろうが、彼の身分を考えればその他へ漏らすとは考え難い。

 つまり、あの日、自分たちを見た者がレオカディオと誤解したなら、その誤解はそのままエルシオンまで伝わる可能性が高い。

 まさかリステンノーアの身代わりに、レオカディオまで狙われる危険があるなんて考えもしなかった。色々と思い悩んだくせに、我ながら幅が狭くて浅い。


「はぁ……、わたしが浅慮だった。関係のない兄上まで巻き込んでしまうとは」


「嬢ちゃんがへこむ必要はねーよ、悪いのは全部あの野郎だろ。ったく、勝手に人の頭をいじくりやがって、まだボケるには早ぇってんだ」


 そう毒づき、忌々しげに顔を歪めるキンケード。

 エルシオンが対面した他者から自身の記憶を消去しているらしいという報告は、アルトとカミロの双方から聞いていた。魔法の仕組み、及び技術面から見てもにわかには信じ難い話だ。

 無論、そうした現象が実際に起きている以上、信じないわけにはいかない。


「その辺のことについても、キンケードから直に話を聞きたいと思っていたんだ」


「ああ、オレも嬢ちゃんと話がしたかった。先にファラムンドたちに報告は済ませたし、似たような話しかできねぇけどな」


 鋭い眼差しが剣呑に光る。あえて「同じ話」とは言わないのは、つまりそういうことだろう。

 自分の正体以外にほとんど隠し事を必要とせず、腹を割って話せる相手がいるというのは実に心強く、ありがたいことだ。

 リリアーナは背後に控えていたフェリバを下がらせ、ソファの上で姿勢を正してキンケードに向き直った。


「まず、お前が記憶している範囲を確認させてくれ。あの日、路地でわたしたちと遭遇して話したことは覚えているのか?」


「ああ、そのあたりは大丈夫だ。記憶がハッキリしねぇのは、その後だな。誰かを待ち伏せて、剣を抜いて戦ったような実感は残ってる。だが相手の風貌だとか、話した内容はなんも覚えちゃいねぇ。クソッ」


 これまで記憶をどうこうされた経験はなくとも、キンケードの悔しさの一端は理解ができる。

 自分が何をしたのか、何を言ったのか、明確な意識があったにも関わらず何も覚えていないというのは恐ろしいことだ。それが人為的なものなら尚更許しがたい。

 だが、接触した相手から自身に関する記憶だけを恣意的に消去するなんてことが、本当に可能なのだろうか――

 思案に沈みかけるリリアーナの意識を、キンケードの気迫が込められた声音が掬い上げる。


「だから、嬢ちゃんに直接確かめたかったのさ。あの時オレが足止めをした相手は、前に裏庭で言っていた、例の赤毛の男だったのか?」



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時系列的に次の間章へ入れられない話だったので、まじめ魔王さま⑤とサンルーム①の間に後日談の「5.5」を追加(2020/7/20)


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