【サーレンバー領事変】

第175話 サンルーム談義-護衛①


 ひとつひとつ、鎖を編んで目を足して、一周が終わるごとに円が大きくなっていく。

 小さな手に細いかぎ針はよく馴染む。左手で回しながら紡いだ長編みのループをくるりと閉じれば、またひとつ段が完成した。

 趣味としての楽しみは読書が上回るけれど、頭の中をクリアにして気分転換をするとか、何か落ち着いて考え事をするには、無心に手元を動かすレース編みがもってこいだ。

 慣れてしまえば図案は思い浮かべるだけで事足りる。必要なのはかぎ針と糸と、あとは腰を落ち着けてリラックスできる場所だけ。

 一本の糸が紡ぐ様々な紋様、周回円を基本として連なる鎖の層。やはりレース編みは、魔法の構成を描くのとよく似ている。


 段を閉じるために左手の人差し指で糸を引くと、フェリバが斜め後ろから近付いてきた。リリアーナが一息つくタイミングを見計らっていたのだろう。

 顔を傾けて視線を向ければ、いつものように晴れやかな笑顔を浮かべて見せる。


「リリアーナ様、キンケードさんがいらっしゃったようですよー」


「そうか。通してくれ」


「はーい」


 軽やかに反転し、白いエプロンのリボンがふわふわと揺れる。その背を見送って間もなく、フェリバは長身の男を伴い戻ってきた。

 自警団の黒い制服をきちんと着込み、中途半端な髪を後ろでひとつに結った大男。精悍な顔立ちに太い眉、硬そうな頬に角ばった顎。


「……誰だ?」


「親子で同じコト言ってんじゃねーよ! オレだよ!」


「ああ、その声は間違いなくキンケードだな。見ない間にずいぶんすっきりしたじゃないか、髭はどうした?」


 耳元から顎まで覆っていた黒い髭が、綺麗さっぱりなくなっている。キンケードと言えば雑草のごとく生え放題の髭という印象でいたため、その別人のような風貌に驚いた。

 先に会ったファラムンドからも同じ反応を受けたらしいキンケードは、自身の顎を手でさすりながら顔を顰める。


「こないだのアレで、ちっと焦げたからな。あと治療の邪魔だとか言われて、問答無用で剃られたんだよ。それからは毎朝自分であたってる、無精髭のまま登館するわけにもいかねーし」


「そうだったのか。火傷の具合はどうだ?」


「見ての通りだ、もう何ともねぇって!」


 そう言って快活に笑って見せるキンケードだが、額や頬にはまだ赤い箇所も残っている。

 表層の傷跡であれば代謝が進めば数日で消えるかもしれないが、電撃に打たれた火傷なら真皮よりも深くダメージを負っているかもしれない。

 そう懸念を抱くと、何を合図するでもなくアルトからの念話が届く。


<電流の大半は体表を走ったようですね。皮下組織や内臓に大きな損傷は見られません、ご安心ください>


 あえて感電をさせなかったということか。奴が本気で『白迅雷撃エ・エレクトラ』を放っていたなら、たとえ精霊たちの守護があったとしてもヒトの体では黒焦げになっていただろう。

 あの日、キンケードが鍛え直しの剣を帯びていなくて本当に良かった。もしあんな物を携えていたなら、手加減の具合も変わっていたはずだ。


「そんな顔すんなって。医者もすぐ痕なんか消えるって言ってんだから、大したことねーよ」


「……うん。まぁ、そうだな。せっかく寄ってもらったのに立ち話も何だ、そこに座れ」


 リリアーナが正面の一人掛けソファを手で示すと、男は妙に落ち着かない素振りで腰を下ろした。

 そしてお茶の準備を始めるフェリバに対し、すぐに戻るからとそれを断る。


「忙しい中に呼びつけてすまない。今日お前が来ると聞いたものだから、少し話をできればと思ったんだ」


「いや、打合せはもう終わったから構わねぇよ。ただココで優雅に茶飲み話ってのが、どうも腰のすわりが悪くってなぁ」


「何だ? 気に入らないか?」


 そう訊ねて窓から天井へぐるりと視線を巡らせる。

 壁の二面に透明度の高いガラスを張り、天井にも採光のための天窓を設えたサンルームは、ここ最近リリアーナのお気に入りだった。

 冬の季に入って日照時間も短く、今日も薄曇りのため陽光はあまり入ってこない。それでも窓が大きく空まで見えることで解放感があり、昼間は暖炉に火を入れていなくても十分暖かい。

 長く使われずにいたのを、カミロが指示して整えてくれたばかりだ。クッションやカーテンなどの布物は新たに持ち込まれたらしく、古びた様子はどこにもない。無用な飾り気を省いた内装の雰囲気はリリアーナの好みだった。

 テラスを備えた窓は裏庭の一角に面しており、暖かい季節になればここから外に出ることもできるのだろう。南を向いた窓の外は広々とした裏庭が広がり、明るくて眺望も良い。

 この数日は授業後などの空いた時間を見繕い、サンルームへ来て柔らかなソファに身を沈め、本を読んだりレース編みをしてゆったりと過ごしていた。

 今日も午前中の習い事を終え、昼食までの空き時間を使ってここを占拠している。もっとも、このサンルームは整え直した今でもリリアーナ以外は誰も利用していないらしいが。


「気に入ってはいるさ、オレもこの部屋はわりと好きだ。春先とかな、窓開けとくといい風が入るんだぜ」


「そうなのか。長く使われずにいたと聞いたが、以前はお前も利用したことがあるんだな」


「ああ、ココは嬢ちゃんの母親のお気に入りだった。だから……オレも来るのは久しぶりだ」


 だから、長く利用する者がいなかったのだと。

 だから、今でも他の家族は誰も使おうとしないのだと、カミロから聞いている。


 彼らの思い出を上塗りするようなことがあってはと、その話を聞いて最初は遠慮したのだが、他でもないリリアーナが利用するなら母親も喜ぶだろうという言葉を受けて、この部屋へ足を踏み入れた。

 隅々まで清掃され、調度品も整えられた部屋には、母親の気配の名残なんてものは何も感じない。

 それでも、良い部屋だと思う。病弱であまり外へ出られない妻のために、結婚してすぐファラムンドが大判のガラスを買いつけて屋敷の一角を改装したのだとも教えられた。


「さっきは嬢ちゃんがそこに座ってるの見て、まぁ、やっぱ親子だなって思ったよ」


「似ているか?」


「そうだな、だんだんと面差しは似てきたかもな」


 そう言って、キンケードは何かを懐かしむように目を細めた。自分に重なる、かつてここにいた女の面影を追っているのだろうか。

 今ならもう少し母親のことを訊けるかもしれないと思ったところで、男は「さて、と!」と両手で自分の腿を打ち鳴らす。


「オレのほうも嬢ちゃんと話したいと思ってたとこだ。ちょうどいい、まず何からいく?」


「性急だな。まぁ、わたしもこの後の予定があるから、必要な話はさっさと済ませるか。この機を逃せば次はもうサーレンバー行きだろう?」


「ああ、その辺のことはもう聞いてるか?」


 キンケードに首肯を返し、編みかけのレースとかぎ針をローテーブルに置いた。

 代わりに冷めた香茶を一口飲んで口を湿らせる。冷やしてもおいしい茶葉と聞いてそのまま置いていたものだが、確かに温かい時とは風味の感じ方が変わって悪くない。

 手の中でカップを弄びながら正面に座る男の顔を見返した。どうにも髭のない顔が見慣れず、キンケードと話しているという気がしない。


「四日後に出発だから、旅支度などでうちの侍女たちも忙しくしている。先に武器強盗の件が片付いて良かったな、お陰でお前に護衛を頼めるのだから」


「ああ、そっちの話もあったか。まぁ後でいいや。さっきの打合せで最終的なことが決まったばかりだが、今度のサーレンバー領行きにはオレと、自警団の部下が四人同行する。嬢ちゃんの他にファラムンドと次男も行くから、世話係の従者や侍女も含めたら結構な大所帯になるな」


「わたしは遠出が初めてだからあまり実感もないが、そんな大人数で移動しても大丈夫なのか?」


「馬車なら屋敷にある分で足りるから問題ねぇよ。警備のことなら、まぁオレらを信じてくれとしか言い様がねーけど。自警団としちゃ、嬢ちゃんにはあんま格好いいとこ見せてねぇからな……不安か?」


「いいや、不安などないさ。お前のことは信用している」


 以前のサーレンバー領行きでは護衛対象であるファラムンドと共に崩落の下敷きとなり、武器強盗の一件では捕縛がならず屋敷の前庭まで侵入を許し、先の『勇者』の件では足止めを頼まれたが簡単に敗北した。

 そうした、一連の自警団との関わりを指しているのだろう。だがいずれも不可抗力に近い、どう足掻いたところでそれ以上を成すのは難しいものばかりだ。

 挙げた成果ばかりが評価へ結実するものではない。自分の知っている範囲だけでも、キンケードを含め自警団の者たちはよくやってくれている。


「……まぁ、ここだけの話として、お前相手だから言うが。自警団を信頼した上で、移動中に何か・・が来るなら来いと思っている部分もある」


「おいおい、物騒なこと言ってくれるな。何事も起こさせないのがオレらの仕事だ。まぁ、嬢ちゃんの気持ちはわからんでもないがな」


 三年前の領道での事件は、未だに進展はないと聞く。自分の耳に入ってくる情報が全てではないとわかってはいるが、もし何か大きな動きがあればカミロだって知らせてくれるはずだ。

 サーレンバー領へ向かうなら、あの崩落が起きた現場にも通りかかる。アルトバンデゥスの探査能力が万全でない以上、今になって調べたところで犯人の痕跡が掴める可能性は極めて低い。

 それでも、もしかしたら何か――


「さすがに同じ場所で同じ『事故』は起きねぇだろうよ」


「……うむ。父上と兄上も一緒なのだから、道中を安全に過ごせるに越したことはない」


 あえて事故という言葉を使うキンケードに、目線だけで同意を返す。

 現領主と、次期領主候補、それと末娘。三人が揃って屋敷を出るなんて初めてのことだ。三年前に仕留め損なった獲物として、命を狙うなら絶好の機会のはず。

 それは同時に、取り逃がした犯人を捕捉するまたとない好機でもある。

 これまで何の手がかりも掴めなかった、イバニェス領主暗殺未遂の実行犯。再び狙いたいなら来ればいい、自分が同行する今度こそ捕まえて、必ずや三年前の罪を贖わせてくれる。


「……」


 そう思う気持ちが自分の中にあることは否めない。短絡的に過ぎるとわかってはいても、これ以上ない釣り餌だ。

 だが自身を囮に使うのとは訳が違う。今回は父と次兄まで同行するのだから、万が一ということがあってはならない。どんなに微小でも危険は排除しておきたい。

 いくら備えても思いがけないことは起きるのだと、これまで何度も身に染みて実感した。ファラムンドもレオカディオも大切だ、もし彼らに何かあったら替えはきかない。


 犯人は許せない、捉えたい。来るなら来いという気持ちはある。

 ――でも、家族の命を囮にしてまで、犯人に狙われたいだなんて願うことはどうしてもできなかった。


 目的に至る道程、以前の自分であれば迷わず最短距離を選んだだろう。

 しかし今の自分は、拾うものが多すぎてそれを選べない。身軽さを捨てて荷物が増えた。……まぁ、以前もそれなりに大荷物を背負っていた気もするが。

 捨てられないもの、守りたいもの。たった八年を生きただけでそれらが抱えきれないほど増えてしまったけれど、不思議と「重い」とは思ったことは一度もない。

 だから、きっと『リリアーナ』として生きるなら、これで良い。


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