第160話 ドライフルーツとミルクティー②
たしかにフェリバは柔らかいし良い匂いがするし、身を寄せたまま枕にして昼寝をしたら心地良いに決まっている。
だがもう幼児だった頃とは違う。腕も足もそこそこ伸びてきた、十歳記を二年後に控える令嬢なのだ。
外見年齢的にも、あまり甘えことをせがむことはできない。
たまに落ち着かせたり、慰めたりするために抱きしめてもらえるだけで十分だ。
そんなことを考えた延長で、もう少し育ったらぬいぐるみのアルトを持ち歩くという、幼いからこそ見逃されてきた行動も無理がでるなと思い至った。
必要なのは中に縫い込めた宝玉だから、別にぬいぐるみに固執することはない。
持ち歩くのが難しい年齢になったら、以前フェリバが言っていたように何か装飾品に加工してもらうという手も検討しておこう。
リリアーナが考え事に伏せていた目を上げると、正面のカステルヘルミと視線がかち合った。
顔をまじまじと見られていたようだが、目が合った途端、はっとしたように眉間へ力を込めて中断していた訓練を再開する。
構成への集中に眼力は必要ないと思うけれど、慣れるまで必要ならいくらでも虚空を睨みつけるといい。
「そういえば、昨日はこれくらいの時間に旦那様が様子見でいらしたんですけど、今日はいらっしゃらないんですかね?」
「ああ、わたしが寝ている間に来たと言っていたな」
「そーなんですよ。寝顔をご覧になるだけですぐ帰ってしまわれたんですけど。今日ならリリアーナ様とお話しできるのに……」
そう言ってふくれるフェリバを、横からトマサがたしなめる。
「無理を言うものではありません。お忙しくしておられるようですから、ご都合がつかないのでしょう。あなたがむくれたって何にもなりませんよ」
「むう……」
「父上は最近、特に忙しそうだな。そんな中に余計な厄介ごとを持ち込んで、申し訳ないことをした」
物心ついた頃から仕事に追われているように見えるファラムンドだが、最近は夕食を執務室でとることが増えて、朝食の席でしか姿を見かけない日もある。
父が忙しいということは、同じく補佐であるカミロも多忙であるはず。
そんな中に丸一日、自分に付き合って街を見て回る時間を作ってくれたことは、ありがたいという思いよりも申し訳なさが先に立つ。
馬車の中で話した通り、商工会の副会長を避けるために屋敷から出されたという理由もあるにせよ、自分のためにファラムンドとカミロの時間を無駄に使わせてしまったのだ。
その上、ポポの店で結局遭遇してしまった件だとか、正体不明の追跡者だとか、余計な問題ばかり持ち帰る羽目になった。
特にあの逃走については、護衛の者たちやキンケードまで巻き込んでしまったのだから、調査や対策について自分が思う以上に話が大きくなっているはず。
何か話を聞いているだろうかと、リリアーナはそばに控えるトマサを見上げた。
「なぁ、トマサ。キンケードについて何か聞いているか? 一昨日に街で問題が起きた時に、助けてもらって……そのせいで奴が怪我をしてしまったようなのだが」
その話が初耳だったのか、細い柳眉をわずかに持ち上げて驚きを浮かべたのは一瞬のこと。
すぐにいつも通りの表情に戻り、謝罪を述べた。
「申し訳ありません、私のほうへは何もそういった話は」
「そうか……」
「ですが、あれは鉄に外装をつけ岩と土を塗り込めて作ったような男です。ささいな怪我など怪我のうちにも入りません、どうぞご心配なさいませんよう」
それは、とても頑丈そうだ。
まとわりついていた精霊たちが守ってくれたようだし、トマサがそこまで言うのなら大したことはないのかもしれない。
生身の人間に対し、いきなり熱線の魔法を放ったりしないだろうという楽観視があったにせよ、『勇者』の扱う攻撃魔法はいずれも並の威力ではない。
相手が精霊たちの守護を受けているキンケードでなければ、もしかしたら命はなかったかもしれないのだ。それだけは、忘れず胸に刻んでおこう。
「街歩きでお疲れになったって侍従長は言ってましたけど、怪我人が出るような危ない事があったんですか?」
「え? あぁ、うん、あの日は色々あったんだ。キンケードの件以外にも、店で食事をしていたら商工会の副会長とかいう男が現れてな……」
追跡者の件はあまり漏らさないほうが良いと判断し、話の矛先を逸らしてみる。
するとフェリバとトマサは揃って表情を曇らせた。
「あの人と会っちゃったんですか、リリアーナ様、大丈夫でした? 変なことされてませんか?」
「歓談の邪魔をされた以外は特に。フェリバたちもあの男を知っていたのか」
「街の人なら大抵知ってますよう。一昨日もリリアーナ様が発たれてからお屋敷に来て、息子と顔合わせをとか言って騒いでたんですけど。なんか意外とすぐ帰ったと思ったらそんな所に、うわぁ、やだー、リリアーナ様ほんとに大丈夫でした?」
あの岩蛙はずいぶんとな嫌われようだ。トマサも言葉にはしないが、唇を引き結んだ表情が強い嫌悪感を示している。
「実害はなかった、大丈夫だ。カミロも一緒なのだから滅多なことは起きないさ。何やら自分の息子をわたしの伴侶に宛がうのが狙いだったようだが、父上が認めない限り望み通りにはなるまい」
「そ、そんなことがあったんですの、まぁ。家を通さずプライベートな外出時を狙うだなんて、非常識な御仁ですわね……」
父のことが話に上ったせいか、またカステルヘルミが食いついてきた。
円を浮かべる練習はもう十分頑張ったようだし、集中が切れたなら今日はここまでで切り上げよう。
銀皿を少し押し出してやると、嬉しそうにその中から三粒ほど小皿に移して、口へと運ぶ。
同じものを食べているのに、指先の揃った手つきは自分よりもずっと上品だ。
何だかんだ言いつつ、育ちの良いカステルヘルミは言葉遣いも所作も参考になる部分が多い。
「お嬢様は、ファラムンド様のお決めになられた殿方と添い遂げるおつもりとのことですけれど。まだ幼いうちからそんなこと仰らず、恋くらい自由にされてもよろしいのではなくて?」
「カステルヘルミ様、仰りたいことは良くわかりますが、それはいずれ終わりのある関係となります。あまり無責任に焚きつけるようなことはお控えください」
「自由にって、何も身分構わずという意味ではなくてよ、トマサさん。お茶会なり何なり相応の場で交流を持って、ふさわしい相手と恋仲に発展すれば、ファラムンド様もお嬢様のお気持ちを汲んで認めて下さるかもしれませんわ」
「そういった交友の機会についても、すでに旦那様がご検討を重ねております。不用意に貴公位の婚姻に関わる話へ踏み込むのは、どうぞご遠慮くださいますよう」
……何やら当人である自分を置いて、カステルヘルミとトマサが言い合いを始めた。
硬質な声音で応じるトマサに対し、カステルヘルミも一歩も退かない。それぞれに譲れない主張があるようだ。
配偶者については父に一任しているとか、心配してくれているだけだからそう硬い返し方をしなくてもとか、言いたいことはあるのだが何となく口を挟みにくい雰囲気。
生前も自分を挟んで話しながら、なぜか輪の外に置かれて口論となるのを幾度か見てきたので、どうにも女性同士の言葉の応酬というのは苦手意識がある。
「ええと、うん、その……」
ちらりとフェリバを見て仲裁のアイコンタクトを送ってみるが、なぜか満面の笑顔が返ってきた。
「これって恋バナってやつですかね、楽しいですね!」
「いや……」
「まぁ私はリリアーナ様のお相手が誰だろうと、リリアーナ様が幸せになれるなら何でもいいです」
概ね同意だ。ものすごく不快だとか趣味が合わないとかいう相手でさえなければ、誰が選ばれようと否やはない。
もとより、ファラムンドがそんな人物をイバニェス家と結びつけるはずないという信頼もある。
ふたりの兄や、カミロやノーアのように、話していて楽しいと思える相手なら良いなとか、その程度の希望は抱くようになったけれど。
そこでふと、フェリバの顔を見上げたまま首をかしげた。
「お前はそういう話はないのか?」
ぴたりと、不毛な言い争いをしていたふたりの言葉が止まる。
三人分の視線を一身に受けながら、フェリバは綿雲のようにふにゃりと笑った。
「え、やだなぁ、そんな話全然ないですよー。私は結婚とかそういうのしません、この先もずーっとリリアーナ様にお仕えするって決めてるんです!」
「いえ、だってフェリバさん、まだお若くてこんなに器量良しで、おまけに領主邸の侍女働きをしているなんて引く手数多でしょうに。本当によろしいんですの?」
「いいんです、私はリリアーナ様だけにお仕えできれば、それが一番幸せなんです」
なぜか得意満面のフェリバは、腰に両手をあてて堂々と立っていた。
仕えられる側として、そこまで言われて嬉しくないはずもない。むしろこちらから願いたいくらいだ。
これから先もずっとフェリバがそばにいてくれると、他でもない本人がそう言うのなら、受け入れるのに寸分の迷いもありはしない。
「わかった。いつかわたしがこの屋敷を出ることになったら、侍女として一緒についてこられるよう父上に掛け合う。一生を捧げるとまで言ってもらえるなら、わたしも一生をかけてお前を養うと約束しよう、フェリバ」
「リリアーナ様……っ!」
「「…………」」
<リリアーナ様の、そういうとこー……>
感極まった様子のフェリバが大きな目を潤ませる。
今生でも扶養する相手ができた以上、あまりうかうかとはしていられない。
ヒトの身ではそこいらの魔物を狩ったり、勝手に水路を引いて耕作したりなんていう食料調達手段は取れないのだから、なるべく早く金銭を稼ぐ手立てを手に入れなくては。
自分で自由に使うため、それと将来フェリバを養っていくため、金を得る手段については今一度しっかりと考えよう。
いつまでも小遣いをもらう立場に甘んじているわけにはいかない。
街でも思案した要件に思いを巡らせたことで、ひとつ大事なことを思い出した。
「……ああ、そうだ。フェリバ、一昨日持ち帰ったこの乾燥果実と一緒に、鮮やかな布袋がいくつかあったと思うのだが」
「はい、可愛い袋を四つ、侍従長からお預かりしてますよ。お持ちしますか?」
「頼む。あれは皆への土産物なんだ」
「わあぁ、すぐに持ってきます!」
その場で一度跳び上がり、エプロンとスカートの裾を翻しながらフェリバは早足で壁際のチェストに向かった。
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