第159話 ドライフルーツとミルクティー①


 赤い皮に白い部分がついているのは林檎、房の仕切りが見える橙色のものは柑橘。赤い小さな破片はおそらく苺だ。

 それ以外の黄色や緑、白いものは元が何なのかよくわからない。

 果物の原型を留めてさえいれば、もしかしたら書斎の植物図鑑で見たことがあるかもしれない。

 だが廉価で販売されていたこれらの乾燥果実は、いずれも砕けて商品価値の下がったものばかり。元がどんな形のどういう果物だったのか、欠片を眺めながら想像するしかない。

 もっとも、食材の類は調理後の姿しか知らないものが多いから、名前だけ聞いてもわかるかどうか。

 リリアーナは銀の器に盛られた色とりどりの乾燥果実を指先でつまみ、観察しながら口へと放り込む。


 向かいの席には眉間へしわを寄せてウンウン唸るカステルヘルミ、ティーポットをのせたワゴンの前でご機嫌のフェリバ、その隣に控えるトマサ。

 レースのカーテン越しには柔らかな陽光が差し込む。

 自室でのティータイム、落ち着くひととき。いつも通りの平和な昼下がりだ。


 テーブルの上をふわふわと漂っていた淡い円が明滅を繰り返し、形を取り戻し、消えかけ、そしてとうとう息絶えた。

 脱力したカステルヘルミが「だはぁ~」と変な声を出しながらテーブルに崩れ落ちる。


「む、無理ですわーやっぱり無理ですわぁ……。所詮は下っ端ぺーぺーの底辺魔法師に過ぎないわたくしにこんなことを求められましても、課題の荷が重すぎるというか分不相応と申しますか……」


「無理と言いながらできているではないか。自分でもちゃんと視えているだろう?」


「ぼうふらみたいなのが……浮かびますけれど、どうしてもすぐに消えてしまいます、うう……」


 乾燥させた苺は酸味を強く感じるが、風味のまろやかなミルクティーと良く合う。

 鼻腔を通り抜ける爽やかな香りと後味を堪能しつつ、ぼうふらとは一体何だろうと思いながらカップを傾けた。

 遅めの朝食兼昼食は、リリアーナの体調を慮って量を少なくされていたため、実は小腹が空いている。

 こういう時こそ食べでのある硬いビスケットが欲しいところだが、ティータイムにテーブルへ並んだのは同じ店で購入した乾燥果実だった。

 小粒ながら果物の食味がぎゅっと凝縮されておりとてもおいしいけれど、正直言えば物足りない。

 とはいえ、メニューに関してはアマダや医師の判断によるものだ。そちらが正しいと思うからこそ物足りなさについては一言も漏らさず、小さな乾燥果実をつまんで空腹を紛らわす。


 次に摘まんだ白っぽい欠片を口に含むと、あまり覚えのない甘みが舌の上に広がった。

 銀皿に盛られた鮮やかな色彩は目にも楽しいし、口に入れるまで味の想像がつかないのも面白い。

 腹は膨れないが、これはこれで良いものだ。

 ミルクティーで一旦味をリセットし、食べながら考えていた助言内容を吟味する。

 構成描画の初歩の初歩でつまずくカステルヘルミには、今は理屈や理論よりも、自身による試行の積み重ねで何とかさせたほうが成長の足しになるだろう。


「円がふらふら揺れるのは、視線が揺れているせいなのか? そこにある、と思えば位置は固定できるはずだ。そのほうが維持は楽かもしれない。消えるのはしかたないから、コツを掴めるまで何度でも試してみるといい」


「そこにある……そこにある……ある……」


 小声で呟きを繰り返し、半眼で虚空を見つめるカステルヘルミ。

 鬼気迫る形相ながら、呟きの合間でミルクティーを飲むのは止めないため案外余裕はあるようだ。


 裏庭の地面にひたすら丸を描かせることで、思い浮かべる円を明確にする訓練を積ませてきた「魔法の授業」は、今日からステップを一段上げることになった。

 無数の円と向き合い、構成の基本が円環であることはしっかり染みただろう。となれば次は実践あるのみ。

 詠唱という自己暗示、もしくはルーチンにより微小な構成を描けることは確認済なので、構成円だけを意識して描けるようにする練習だ。

 カステルヘルミには、何の効果も載せない状態の『円』だけを描けるよう、午前中から反復練習をさせている。

 一応は視認可能な円を浮かべられているのだから、本人が言うほどできていないわけではない。

 地面にひたすら描き続けた時と同様に、あとは根気と時間に任せていればどうにかなりそうだ。

 緑色の粒を口に放り込むと同時に、また薄くゆらめく円が霧散した。

 まだまだ今日からはじめたばかりの段階だ。こちらは十年単位の育成計画を練っているのだし、気長にいこう。


<体内の水分量は十分となりました、次の一杯で香茶はお終いにしておいたほうがよろしいかと>


「ん」


<体温は平常に近くなっておりますが、喉や足の炎症に差し障りますので、ティータイムを終えたら夕飯まではベッドでお休みください>


 返事の代わりに、テーブルの隅に置いているアルトの眉間をつつく。

 ポシェットへ詰めている間に少し耳の曲がったぬいぐるみは、<アフンッ>と言って前後に揺れた。


 普段であれば午前中は別の授業が入っていたり、この時間に書斎へ籠っていたりするのだが、今日はどちらも休みだ。

 体調の回復度合いは、体感で七割というところ。

 昨日一日をベッドで過ごしたお陰で発熱はいくらか引いているものの、まだ全快とは言い難い。

 筋肉痛とかいうもので両足が痛むし、乾燥した屋外でしゃべりすぎて喉も腫れている。

 そう酷いものではないから、今日、明日くらいを大人しく過ごせば治まるだろうか。

 外出から帰って寝込むのはこれで二度目。

 一応の理由があったとしても、街へ行くたびに発熱して寝込んでいるようでは、もう屋敷の外へ出してもらえないのではないかと少し不安になる。


「リリアーナ様、ミルクティーのおかわりはいかがですか?」


「うん、もらおう」


「乾燥苺は冷たいミルクに入れてもおいしいんですよー。こう、ふやけちゃう前のサクサクとろっとした感じが甘酸っぱくてですね、かき混ぜるとミルクの色も変わって」


「ほう、それはうまそうだな。前にクリームと苺の菓子を出されたが、あれに歯応えが加わる感じだろうか。今度試してみよう」


 さすがフェリバはあの店の常連だけあって、この細かな乾燥果実の楽しみ方も心得ているらしい。

 白い粒と苺の粒を同時に食べてみると、濃厚な甘さと酸っぱさが絡まり、個別に食べる時とはまた違う味わいに変化した。

 砂糖やシロップを使っていない、果物の甘みだけの菓子は自分の口に合うようだ。

 細かな破片となっているため今の年齢でも食べやすいし、腹が膨れないから食事に響かず栄養価の足しになる。

 手持ちがなくなったら、カミロかフェリバに頼んでまた買ってきてもらおう。


「リリアーナ様、お夕飯はもう普通に食べられそうですか?」


「ああ、昼食が少なかったから、夕餉は普段通りに頼みたいんだが……その、量とか、できればの範囲で」


「じゃあ消化のよさそうなもので、なるべくいつも通りにって伝えておきますね」


「ん、頼む。体調はもうだいぶ良いから、あと一日くらいゆっくりすれば大丈夫そうだ」


「そこはお医者様に診てもらわないとですねー」


 明るく応えるフェリバの隣で、トマサが無言のまま二回うなずいた。


「ちょっと歩き疲れて発熱したくらいで、何も医者まで呼ばなくとも……」


「なーにを仰いますか。お帰りになられた時は、お声がけしても起きないくらい疲弊してるって侍従長も言ってましたし、あの時は旦那様なんてもう大っ変だったんですから!」


「ファラムンド様がどうかされたのかしら?」


「だって、ほら、出迎えた侍従が馬車の扉を開けたら、リリアーナ様が侍従長の膝枕で眠ってたそーじゃないですか。そのまま侍従長が抱っこしてお部屋まで運んできた時、ちょうど旦那様も執務室から駆けつけてきて、どっちも自分の役目だーっとか怒ってしまわれて。さらには熱があることもわかって、そりゃもう」


「まあ、そ、それ初耳ですわ! ちょ、ま、フェリバさん、もっと詳しく!」


 特訓を放り出して食いついてきたカステルヘルミとフェリバが一昨日の話で盛り上がるが、素知らぬ顔をしてミルクティーのおかわりを飲む。

 馬車で帰る際、カミロには屋敷へついたら起こせと言っておいたのに、結局目覚めたのは翌日の昼近く、自室のベッドの上だった。

 起こしてくれれば自分の足で部屋まで歩けたし、寝るなら汗を流してからが良かったし、何より寄り掛かった体勢からずり落ちたなら、その時点で揺すり起こしてくれれば足を借りて寝こけることもなかった。

 もやもやとする不定形の感情を持て余し、伝聞でしか知らないその話はもうなかったことにしている。


「フッふぉふぉ、膝枕に抱っこ……!」


「もー、侍従長ずるーい。私だって街までお伴したかったし、リリアーナ様に膝枕したかったですよー」


 さっさと忘れ去ってほしい話題なのに、自分もやりたかったとごねる侍女に向けて、苺の粒をつまんで差し出した。

 フェリバはためらいもなく腰を折ってぱくりと食べる。その動きは機敏なトカゲにそっくりだ。


「フェ、リ、バ!」


「今のは、リリアーナ様からの施しです、おいしいです!」


 行儀の悪さを咎めるトマサへは、白くて濃厚な甘みのある、正体は何だかわからないやつを差し出した。

 ややためらってから礼とともに取り出したハンカチで受け取り、反対の手でつまんで上品に口へと運ぶ。

 どうやらこれが正解の食べ方らしい、覚えておこう。


「わたしだって枕代わりをしてもらうなら、フェリバのほうがいい」


「でっすよねー! やったー!」


「以前よりは筋肉がついたようだが、胸元とかは今も柔らかいしな。カミロよりも寝心地は良いだろう」


「もちろん! 二の腕も太腿も胸も、侍従長よりずーっと柔らかいですからね! 私のお肉はリリアーナ様のためにあります、いつでも枕にしてお昼寝して下さっていいんですよー」


 片手で拳をつくり、その二の腕をむにむにと揉みながらフェリバは満面の笑みを浮かべた。

 トマサとカステルヘルミが何とも言い難い表情でその様子を見つめる。

 ふたりの顔を交互に見て、この場は肯定も否定もあまり良くないのではと察したリリアーナは、ミルクティーをちみちみ飲んで返答をごまかした。


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