第155話 追いついた男②


 ここまで逃亡を続けた相手がなぜ立ち止まっていたのか。

 理由までは相方も探知ができなかったようだが、もしかしたら拠点へ戻る前に追跡者である自分を排除するため、待ち伏せでもしているのかと思った。

 が、実際に追いついた路地で待ち受けていたのは、エルシオンが想像もしていない光景だった。


「もう追いかけっこはお終いかなーって思ったら。おやおや、それ、何があったの?」


「……」


 被っていたフードを持ち上げ、人好きのする笑顔で問いかけてみるが、誰からも回答はない。

 商業区の裏道を駆け続けてたどり着いた路地の先には、黒いコートを着た男がうつ伏せに倒れていた。

 横向きに伏した顔はよく見えないが、黒手袋の手はもがき苦しんだかのように土を掻く形で広げられている。

 その背格好もそばに転がる杖も、見覚えのあるもの。遠目ではあるが、街の表通りで一度、子どもの手を引いて菓子屋へ入るところを目撃している。

 ここまで追ってきた男に間違いはないだろう。伏した体は微動だにしない。果たして息はあるのか。

 そばへ寄って外傷の有無を観察しようとしたところで、相方が囁く。


<外傷はなし、呼吸も落ち着いているから昏倒しているのかしらね。持病か毒か、それとも魔法なのかは不明。武器らしいものは持ってないし、杖に刃物を仕込んでるってのもないけど、でも、なんだろ、普通のヒトにしては体の組成が少しおかしいような……まだ目を離さないほうがいいかも>


「当然」


 唇を動かさずに応え、慎重に二歩近づく。手が届くまであと十二歩。

 倒れた男の両側には、攫われたふたりの子どもがいた。

 片方はこちらに背中を向けて立ち、もう片方は男のそばへ座り込んでいる。

 立っているほうは女の子なのだろう、頭に猫耳のある上着には、ご丁寧に尻尾までついている。

 ふたりとも着ているのは相当上質な衣服だ、金貨一枚や二枚では済むまい。どこかの裕福な商家の子だとしたら営利目的の誘拐、もしくは後継者争いなど内輪の揉め事という線もあるか。

 どちらだったとして自分には全く関係のないこと。


<どっちの子も怪我とかはしてないみたいね。ただ座ってるほうは衰弱が激しいから、早く治療院にでも引き渡したほうがいいわ>


 そこまで世話を焼いてやるつもりはないのだが、言い出したら聞かないからその通りにしないと後がうるさそうだ。

 面倒だなと思いながらも表には出さず、少女らを警戒させないよう両手をひらひらと振って見せながらのんびり近寄る。


「そこの男に連れてこられたんだろ? お兄さんがちゃんとお家に返してあげるからさ、その前にちょっとだけ話を聞かせてもらえないかな?」


「……」


 その場のふたりへ問いかけてみても、やはり無言のまま。

 うるさく泣きわめいて手がつけられないよりは余程マシだが、誘拐されかかったにしては恐怖や戸惑いが見られず、うつむいたままこちらを見ようともしない。

 何かおかしな術にでもかけられているとしたら、念話がそうと伝えてくるだろうし。怯えているだけにしても様子がおかしい。


「オレの名前はエルシオン、旅の途中でこの街に寄ったんだ。お嬢さんの名前は?」


 どうにか警戒心を解けないものかと思い自分の名を先に告げると、小さな困惑の気配とともに、少女が少しだけこちらを振り返る。

 目深に被った耳つきのフードに阻まれその顔は見えないが、わずかにのぞく頬から顎のラインは、かなり整った容姿だろうと予想がつく。


「安心してくれ、オレは君たちを助けにきたんだよ」


<格好も登場も怪しすぎるんだから、怖がらせてんじゃないわよバカ!>


 どうも幼い子どもというものに幻想を抱いているらしい相方から、棘々しいダメ出しが飛んでくる。

 だが、柔らかい声音と笑顔を作るエルシオンが秘かな注意を向けているのは、倒れたままの男よりも、むしろふたりの子どものほうだった。


 外傷もなくその場で昏倒していると思われる黒コートの男。

 たしかに、息を潜めて機会を伺う者特有の緊張感が感じられず、ただ眠っているだけだろうとエルシオン自身も感じていた。

 持病か毒か魔法、相方が予想した中のどれかだとするなら、まぁおそらく魔法だろう。

 そして、この場でそれができるのは、自分がここへ到着するまでに接触の叶った者だけ。


 何をするでもなく佇む、ふたりの少年少女。

 どちらも武器らしいものは何も所持しておらず、魔法の詠唱をしている素振りも見られない。

 だが、じっと息を殺しているようなその様子は、まるで外敵から逃れる好機を探る、小さな野ウサギのようだ。

 ……いや、この場合は仔猫か。

 警戒の半分を少女らに向けながら、それを悟られないようもう一度優しく声をかける。


「なぁ、ちょこっと君らの話を聞かせてくれるだけでいいんだ。とりあえずそこの悪いヤツを縛って、安全になってから話をしよう。その後でちゃんと、お父さんとお母さんのトコまで送るからさ?」


「……わたしは、ここから離れたところに住んでいます。そんなに遠くまであなたは送ってくださるの?」


「もちろんだとも、仔猫ちゃん」


「仔猫?」


 初めて応えた少女の声音は、白銀の鈴を鳴らしたような涼やかな響きを持っていた。

 何か歌わせたら、さぞ耳に心地よい囀りを聴かせてくれることだろう。

 もしかしたら誘拐は、身代金でも後継争いでもなく、この娘自体が目当てだったのかもしれないという考えが頭を過ぎる。

 もっと間近で顔を見てみたい、そんな稚気に進める足が早まる。


 その時点で、エルシオンの注意は半分どころか大半が目の前の少女へ向かっていた。

 警戒の割合はどうあれ、誰が何を仕掛けてくるにしたって対処はできる、という強者ゆえの慢心。

 そこを突いたのか、砂粒ほどの隙を見抜いたか。

 少女にふれるまであと五歩というところで動きがあった。


<――上!>


 その念話よりも自分の察知と反応が早い。 鋭く翻したマントの表面で音もなく飛来した兇器を払う。

 硬質な音をたて地面に転がったのは、二本の細い短刀だった。

 横目でそれを確認しながら引き抜いた短剣で、時間差の三本目を打ち払う。

 今のは頸椎へ直撃コースだ。

 死角から、マントを払った後の位置まで見定めて、確実にりにきている。

 その迷いのなさ、久しぶりの手応えに自然と不敵な笑みが浮かぶ。


 屋根から落下しながら投擲してきた相手は、路地の反対側の壁を蹴ってその反動で舞い、さらに短刀を投げてきた。

 空中の不安定な体勢でありながら、その狙いは的確。

 ひとつ横跳びをして避けても、回避先まで先に軌道を読んでいる。

 下手にかわして少女らが傷つきでもしたら事だ。回避した分もあわせ、全て短剣で打ち落とす。

 計十三本の投擲、襲撃者はそこからもう一度壁を蹴り、払った短刀の落下音と大差ない着地を見せた。


 屋根の上から飛び降りてきたのは、道行く領民らと変わりない服装をしたひとりの女だった。

 目元の化粧が濃い以外、どこにも変わったところがなく逆に印象を掴みにくい。

 その筋の専門家であることは明らかだが、素顔を隠しもせずこうして姿を現したのは、ここで確実に始末をつけるという意思表示かもしれない。

 着地から静かに立ち上がるなり、新たな短刀を指先に構える。


「良い領主がいるにしては、物騒な街だな!」


「……」


 歩幅を広げ、愛用の短剣を逆手に持ち替える。

 あの髭の男に負けず劣らず、こちらも相当な使い手だ。

 今日は運がいい。これまでになく大きな手掛かりに近づき、並外れて熟達した相手と二度もやり合えるなんて。


 追いかける相手の頭上を、屋根伝いに追跡している人間がいることには気づいていた。

 建物が密集しているとはいえ、途中には広めの道も高低差もあったというのに、ほとんどペースを崩さず追い続けた手練れだ。

 逃げる手引きをしている仲間なのか、それとも自分と同じように誘拐犯を捕獲するために追っている者なのかがわからず、ここまで出方をうかがっていたわけだが。

 それが追いついてみたら、肝心の犯人が昏倒ときた。


「なるほど、そこの男をやったのはアンタか」


 男を倒したのは、子どもか屋根に潜む人間のどちらか半々と見ていたが、どうやら上が当たりだったらしい。

 その当たりが今度は自分にまで刃を向けたとなると……誘拐とは完全な別口なのか。

 ともあれ、殺そうとしてくる相手は全てが敵だ。

 子どもには好かれやすい質だと自負しているが、抱く警戒のせいで少女らに怖い思いをさせていたのだとしたら、悪いことをした。

 利き腕の肩をぐるりと回し、ふたりの子どもを背に庇う形で、短刀を構えている女に向き合う。


「仔猫ちゃん、ちょっと危ないからそこの壁際に寄っ、――」


 背後の少女らへ、そう注意を促そうとした言葉が途中で止まる。


 自分で台詞を止めたつもりはない、……声が出ない、体が動かない。


「――――っ?」


<な、何、どうしたのよ!>


 声だけじゃない。四肢に何がふれているわけでもないのに、腕も、足も、全く動かすことができなかった。

 眼前の女の仕業だろうか。だが、拘束に類する攻撃なんていつの間に。

 可能性があるとしたら、短刀を弾いた時。あれが目眩ましにでもなっていたのか?

 不可視の糸? それとも楔?


 ……いや、物理的な拘束じゃない。

 となると魔法による攻撃しかないが、そんな予兆は何もなかったし構成も視ていない。


 一体何だ、何が起きている?

 この自分の眼に捉えられない構成なんて、この世にあるわけが――


「……っく、そ!」


 知り得る限りの状態異常回復、外部干渉の解除、毒素除去の構成を片っ端から描き上げる。

 並列でなくて良い、雑でもいい、どれかがヒットしさえすれば!

 高速で描画と破棄を繰り返す。


 だが、どれも当たらない。


(ンっな、馬鹿なこと……あるわけ……っ!)


 この数十年、味わったことのない焦燥に頭が熱くなる。

 いや、魔法の酷使でオーバーヒートしているのか。複数展開はしたことがあっても、何十もの構成をこんなに早く描くなんて、今まで一度も試したことがない。

 それはつまり、自分の限界を知らないということだ。


 そんな危ないことに手を出すほど焦らなくてもいい。あの細い短刀ならば、急所へ直撃しても即死することはない。

 体の拘束を今すぐ破るのは一旦諦め、思考を切り替える。

 自分を縛っているモノが何にせよ、仕掛けてきた目の前の相手を潰せば解けるはず。


 それは、ほんの数秒の試行と思索。

 短刀を構えた女が、兇器を振りかぶるまでのわずかな時間。

 全ての構成を破棄し、白迅雷撃エ・エレクトラを放つための構成を瞬きの間に描き上げたその時。

 エルシオンの背中にふれる、綿のように軽い感触があった。


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