第154話 追いついた男①
ひとつの区画を走り抜けても、また同じような建物が密集して並ぶ。
建築様式も高さも使われている素材も似たものばかりだから、同じ場所を何周もしていると錯覚しそうになる。
無軌道な増築の果てなのか、薄暗く入り組んだ細い路地は、知らずに立ち入った者をあえて迷わそうとしているかのようだ。
商店が軒を並べる表側、人通りの多い主要通路から少し裏に入るだけで、街並みの雰囲気はがらりと変わった。
土がむき出しの道は荒れ放題で荷車も通れそうになく、そこら中に打ち捨てられた廃材や空き家が目に付く。
だが、いずれも表通りと比較して多少うら寂れている程度。
すれ違う人々の様子を観察する限り飢餓は見られず、荒んでいると言うほどではない。
王都や南方領の貧困街など、はなから「存在しないもの」として扱われている地域なんて、こことは比べものにならないくらい酷い有り様だ。
街へ着く前に寄った村などの管理はともかく、この主要街においては優秀な領主とやらの統治が上手くいっているということだろう。
<ちょっと、そっちじゃないわよバカー! 次の角を右って言ったでしょ!>
「ああ、そうだったっけ」
叱咤の声へ気だるげに答え、男は一度通り過ぎた道を戻った。
曲がり角に建っているのもまた廃屋だ。入口の扉を釘と木材で打ち付けられている。
通り過ぎざまに眺めてみても家屋としての造りはしっかりしているし、無人ならそれ幸いと宿なしの人間が勝手に住み着いたりしそうなものだが、そういった様子は見られない。
このあたりに無人の廃墟が目立つのは一体どういう訳なのだろう。
<しゃっきり走りなさいよ。あんたの足なら、あれくらいすぐ追いつけるでしょ!>
「いや、まじで横っ腹が痛くってさ……」
<自業自得よ、もう。がっつくからいけないんじゃない>
「だって、あんなまともにうまい飯食ったの久しぶりだったんだから、お代わりくらいするだろフツー。……う、吐きそ。毒の除去ならできるけど、消化を早くする魔法なんて知らねぇし」
脇腹を押さえ、重い息を吐きながら毒づく。
「くそ、あのヒゲオッサンのせいで余計に横っ腹が痛くなった……」
<どーでもいいわ、鎮痛でもかけときなさい。ほら、相手は立ち止まってるみたいよ、ちんたらしてないで今のうちに急いで!>
「へいへい。つか、本当に誘拐なら、もう少し泳がせて巣を叩いたほうがいいんじゃないか?」
<そんなの、捕まえてからいくらでも吐かせられるでしょ! 一体どこの何玉だか知らないけど、幼い子どもの誘拐に加担するなんて
「それ、引っこ抜くのも砕くのもオレだよね」
憤怒に息巻く相手には、男のそんな呟きも届かない。
やれ同族だ誘拐だと騒ぎ立てる思念にせっつかれ、こうして追跡を続けているわけだが、相手を人攫いとして見る意見に対しては、男――エルシオンは、どこか懐疑的だった。
誘拐犯が、目当ての子どもを釣るために菓子屋へ連れ込んだという点は、まぁ納得もできる。
だがその場合は、裏口への通り抜けを頑なに拒んだ、あの貫禄のある女将も共犯という線が濃厚となる。それはいまいち素直にうなずける話ではない。
たしかに朗らかな笑顔の奥に凄みを秘めた女性ではあったが、彼女には後ろ暗いことをしている人間特有の饐えた空気を感じなかった。
それは、先ほどまみえた髭の自警団員も同じだ。
タイミングと口ぶりからも、逃げる男をかばうために足止めとして立ちふさがったのは明確。
だというのに、放つ剣気も肌で感じる人柄も、とても重犯罪へ加担している人間とは思えなかった。
魔術師でもないのに、あそこまで精霊たちに纏わりつかれているのを見たのも初めてだ。
稀に見る使い手だったが、精霊らの糧となるような生き方をしているか、それとも何らかの守護を受けでもしているのか。どちらにせよ只者ではない。
魔法を扱う男と、老舗らしき店の主に、街の自警団員。もし仮に、自分の勘が外れており、本当にこの三者が全て共謀しているのだとしたら、この誘拐の背後には思いの外大掛かりなものが潜んでいることになる。
面倒事に巻き込まれるのはゴメンだし、子どもを解放して犯人から知りたいことだけ吸い上げたら、それ以上は関わらないほうが良さそうだ。
誘拐の目的も思惑もどうでも良い。
自分の目当てはひとつだけ。ようやく掴みかけた糸口、逃がしはしない。
<ちょ、ちょっと、子どもの片方の生体反応がすっごく落ちてるわ、このままだと死んじゃう、急ぎなさい!>
「へいへい」
見た目に反して人の好い念話の主とは違い、エルシオンのほうには攫われた子どもを助けなければという使命感など微塵もない。
治める人間の善し悪しに関わらず、誘拐も殺人もそこかしこにありふれている。
過去も現在も、この先だってずっと。
世界は変わらないが、自分は変わった。もう以前とは違う。今は細かい犯罪や揉め事にいちいち首を突っ込んで解決なんてしなくても良い、気楽な立場なのだから。
普段であれば、たとえ目の前で攫われようと相方が騒がない限りは見て見ぬ振りをしている所。……だが、この件だけは話が別だ。
誘拐犯と遭われた子ども。
そのどちらか、または両方が、長く追い求めてきた相手に関与していると自分の直感が告げている。
四十年、探し求めて世界を歩いた。
追いついて話を聞き出すことが叶えば、必ず、何らかの手掛かりになるはず。
「さっき言ってた妨害ってのは、まだ突破できないのか?」
<通常探査はもうやめたわ。正体を探るよりも、あんたが追いついたほうが早い>
「ちんたらしてんのはどっちだよ」
<あたしはやることはやってるわよ! ちゃんと追跡はできてるもの、ほら次の角を左!>
菓子屋の裏手から出たのは予定通りのことなのか、それともイレギュラーな事態だったのかは判然としない。
理由も動機もわからない。それでも、相手はこちらの追跡を早い段階から察していた。
生き物が自分の『気配』を察知するのはまず不可能のはずだから、何らかの手段によりそれを知れる魔法か道具を持っているようだ。
捕らえたらその辺もはっきりさせておこう。
迷いや躊躇のない遁走、この迷路のような裏道を熟知している様子は、街中の逃亡にこなれていることが伺える。
子どもとはいえふたりも抱えたままこれだけの距離を走り続け、そのさなかに的確な追跡妨害魔法の展開と維持までして見せた。
細かい探査は苦手なのだと普段から言っている相方だが、実際にそれを断念するなんて同行を始めてから今まで一度もなかったのに。
身体機能、魔法技能、いずれも相当な手練れであることは確かだ。
今の聖王国内にまだそんな人間が残っていたなんて。
もしかしたら外国や魔王領からの流れ者かもしれないが、気になるのはそうでなかった場合だ。
これほど抜きん出た能力を持つ人間が、もし余所から来たのではないとしたら――探し求めている相手との関連が疑わしい。
特異な知識、道具、能力、いずれもあの男ならば、他者へ分け与えるなど容易いことだろう。
すぐ目の前まで迫った手がかりの気配に、エルシオンは駆けながら拳を強く握って生の感触を確かめた。心身がひどく焦れる。
<……ん? あら?>
「なんだよ?」
<あの誘拐野郎、ずっと同じ場所で止まってると思ったら、探知妨害を切ったみたいね。何かあったのかしら?>
「それならもう追いつけるな、好都合だ」
胃のあたりもだるいし、そろそろ立ち止まって食休みをしたい。
痛む脇腹をさすりながら小路へ入り、念話の案内するまま角を曲がると、その先の路地にここまで追い続けてきた相手がいた。
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