第151話 悪寒の正体への対処は諦めて逃走中の遭遇
抱き上げられた格好で顔を上げると、視点が高く背後がよく見える。
過ぎた道の向こうには、まだフード姿の男は見当たらない。とはいえ、視認できるような距離まで詰められたらもうお終いだろう。
小さな魔法をひとつ撃ってカミロの足を止めるなり、こちらの眼前に障壁でも出して追突させるなり、いくらでも捕獲のしようはある。
今は身元の知れるようなものを所持していないから、自分だけが捕まるならまだ耐えられる。出来得る限りの抵抗はするとしても、ある意味では自業自得だから殺されたって仕方はない。
だが標的にノーアが含まれているなら自分の捕獲だけで済むとも思えないし、何よりカミロは黙ってそれを見過ごすような男ではない。
こうして三人が追われるようになった時点で、もはやひとりの犠牲で何とかなる事態ではないのだ。
すれ違った通行人らが一体何事かとこちらを振り向くので、風に煽られそうなフードを深く被り直した。
実際に危機的状況ではあっても、領主の身内が厄介事に巻き込まれているなんて風聞を立てるわけにはいかない。
人通りのある道からまた細い路地に入り、消音圏内に駆ける足音だけが響く。
肩と首につかまった姿勢は耳がカミロの口元に近いため、荒い呼吸音がすぐそばで聞こえる。
意識して抑えている様子だが、この距離ではどうしたって耳に入ってしまう。
まだ苦しそうに見えなくとも確実に息は上がってきている。後遺症の残っている足への負荷も気がかりだし、ふたりも担いだまま、あまり長く走らせるわけには――
「ご心配なく。しっかりと掴まっていてください」
「カミロ……」
こちらの懸念を読んだかのように、そう耳元で囁かれた。
ずり落ちていた位置を直すために、たまに抱える腕が上に揺すられる。
なるべく担いでいやすいよう、動かずに足もまとめて体を硬くして、つかまった肩に体重を預けた。
少しでも男の負担を減らす方法として、筋力増強の魔法がいくつか浮かぶが、すぐさま却下する。
あれは自分の体の操作感が極端に変わる代物だ。コツを掴むまでにはいくらかの慣れが必要だし、走っている最中に突然感覚が変われば、最悪転倒だけでは済むまい。
その次に、自分とノーアの体重を軽量化してみてはどうだろうと浮かんだが、それも却下だ。
重力緩和を含む構成は、リリアーナの体で扱うにはいささか複雑すぎる。描くのに時間がかかる上、すでに展開中の構成どちらかを破棄しなければ集中力がもたないだろう。
手持ちの構成はいくらでもあるのに、今すぐ役に立つようなものが何も思い浮かばず、臍を噛む想いにきつく目を閉じた。
強い精霊眼を持っていても、記憶を引き継いでいても、これでは無力な幼子と変わらない。
何か……、何かないのか。この状況を打破するような妙案は。
<リリアーナ様! あの、どうもこちらへ接近しているものがあるようです>
まさに今、ソレから逃げ延びるために苦労している最中だというのに。この状況で一体何を言っているのかと困惑しかけたが、続くアルトの声に目を見開く。
<汎精霊たちのかたまり……いや、ヒトに群がっている精霊? あ、精霊に群がられているヒトです!>
駆け抜けた路地からまた少し広い通りへ出ると、右の道から真っ直ぐに向かってくる姿があった。
はっとしたようにカミロの顔もそちらを向く。
「いって、痛えっての引っ張るな! ってコラッ、折れるっ、ほんと何なんだよ一体!」
そのかたまりは、何やらひとりで喚きながら不自然な姿勢の駆け足で近づいてきた。
通りを横切ろうとするこちらに合わせて進行方向を曲げ、カミロのすぐ後ろまでやってくる。
下のほうから「なんだあれ」と、ノーアの愕然とした声が聞こえた。
思わずそう呟く気持ちもよくわかる。おそらく、少年の目には全く同じものが視えているのだろうから。
だが、自分はその姿を一度目にして、
「「キンケード!」」
驚きのまま発した声が、カミロと重なった。
以前に見た時よりも、群がる精霊が減っているためいくらかヒトの形に近くなっている。
淡く光る、こんもりした泥人形といった風体だ。
焦点を物質に絞ってよく見れば、髭はそのままだが、伸び放題だった髪は後ろでひとつに縛って前よりも多少すっきりとしていた。
その顔は間違いなく、自警団のキンケードだ。
揃って名前を呼んではみたが、そういえば消音をしているからこちらの声は届かないことに思い当たる。
同じことに気づいたのだろう、カミロは道の脇に寄って速度を落とし、妙な格好のキンケードと並走しながらもう一度名前を呼んだ。
「キンケード、なぜあなたがここに?」
「知らねーよ! 食休みに昼寝しようとしたら、急に体中の骨とか肉とかなんかそこら中が引っ張られてここまで来たんだよ! まぁ大体理由はわかったけどな、もうちと穏便に呼び出してもらいたいモンだぜ。……で、何があった?」
鋭い目で自分と抱えられているノーアを一瞥し、しゃべりながらも雰囲気をがらりと切り替えて周囲を探る。
少し首を伸ばしてその腰に下げられた剣の柄を確認してみると、よく似てはいるがこの前強化した剣とは別のものだった。おそらく自警団員に支給される揃いの鋳造品だろう。
用が済んだらまた大事にしまっておくと言っていた通り、強化済みの剣は普段持ち歩いていないらしい。それが幸いとなるか、不運と出るかはまだわからない。
「詳しい説明はまた後日に。追われているので、足止めを頼みます」
「追われて……?」
眇められた黒い目がこちらを見て、小脇に抱えられているノーアを見て、それからにやりと悪人面を浮かべて笑う。
「カミロお前、そのナリじゃ人攫いにしか見えねぇからな。街の連中に通報されて面倒事になる前に、さっさと馬車にでも乗り込んじまえ」
「御託は結構。頼みましたよ」
「おう!」
それ以上は詳しい説明を求めることもなく、キンケードは威勢のよい返事とともに足を止め、踵を返す。
距離が開く前に、その大きな背中へ向かって慌てて告げる。
「キンケード、決して勝とうとはするな、足止めだけでいい。相手は、」
肝心なことを伝えきる前に消音の圏外へ出てしまった。
だがその後ろ姿は、髭面だけをこちらに向けてしっかりとうなずき返す。言いたかったことは、どうやらきちんと伝わったらしい。
キンケードには襲撃者騒ぎの折、赤い髪の男に注意するようにと伝えたことがある。
あの時の忠告を覚えているのなら、追っ手と相対した時に理解するだろう。あれこそが裏庭で話した際に、自分が最も警戒していた相手だと。
<以前にリリアーナ様が『守護せよ』と命じたのを、あの精霊たちはまだきちんと守っているようですね、感心感心……>
アルトの言う通り、キンケードに群がったままでいるのは、裏庭の『領地』で守護を命じた精霊たちなのだろう。
元々屋敷の敷地内には土着の精霊が少なかったため、あれらは周辺から呼び寄せた精霊だ。だから『領地』を離れても、従ったままでいるのだろうか。単にキンケードが好かれているだけという線もあるが。
何にせよ、足止めに残ったキンケードの身が危険に晒される可能性が高い以上、ああして彼を守ってくれるのは有難い。
きっと『勇者』もあれを視たら驚くだろうし、それだけでも多少の時間稼ぎは叶うだろう。
逆に驚きすぎて、即斬り殺されるようなことがなければ良いのだが……
「大丈夫です、リリアーナ様。あれは賢くはありませんが身の程を弁えている男です、決して無茶はしないでしょう」
「ああ……、うん。キンケードのことは信じてる」
その腕前も、判断力も。
だから、もし何か不安があるとしたら相手のほうだ。
『勇者』としての存在理由に繋がるような追跡を邪魔する者に対し、あの男はどこまで加減ができるのか。
邪魔でさえなくなれば無関係なヒトなどあっさり見逃すとは思うのだが、どうやって邪魔で
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