第150話 悪寒の正体への対処は諦めて逃走中


 木材の残骸を乗り越えて扉の外へ出る。

 いくら消音の範囲内とはいえ、突然扉が吹き飛ぶところを誰かに目撃されたら面倒なのでは、という危惧は屋外に出て解消された。

 風に乗って話し声や物音は聞こえてくるが、周辺に通行人は見当たらない。


「勝手に壊してしまって大丈夫なのか?」


「ここはすでに持ち主のない空き家ですから、まぁ構わないでしょう」


 朽ちかけの廃屋から出て狭い玄関ポーチをまたげば、そこはまた代わり映えのしない薄暗い通りだ。

 賑やかな表通りのさざめきが遠い。マダムの菓子店を出てから幾度も角を曲がって進んだが、今はどの辺なのだろう。

 すっかり方向感覚を失ってしまったけれど、カミロはすでに知った道とばかりに迷う素振りもなく歩みを進める。

 三階建ての建物に囲まれた細い通路にはがらくたが散見し、そうして打ち捨てられた物の腐臭なのか何なのか、少し空気が悪いようだ。

 横に伸びる道の先には酒瓶を持った老人がふらふらとした足取りで歩いていたり、建物越しに子どもの泣き声や女性の金切り声が聴こえる。

 そうして入り組んだ路地を歩いては曲がり、どこへ向かっているのかも知れない道を行く。

 難なくついていける程度の早足だが、それは自分の歩調に合わせているためだということはわかる。

 普段から体を動かしているお陰で、このくらいではまだ疲れたりしないが、もっと体力のない少年の息切れが隣から聞こえる。喉から高い音の漏れる呼吸音は相当辛そうだ。


「ノーア、大丈夫か?」


「大丈夫じゃ、ない、けど、……止まるわけにも、いかない、だろ……」


 額にかいた汗で白い前髪がはりついている。

 せめて着込んでいるものを脱げたら少し楽になるのだろうけれど、今マントを外すと人目につく。

 いっそマントごと中に着ている白いローブも脱いでしまえば……と思っても、無駄にじゃらじゃらとしたあの衣装は脱ぐだけで時間がかかりそうだ。

 せめてもの癒しに涼風や冷水を出しても良いが、自分はすでに二種の構成を展開維持している。精霊たちの助力を得ていないため、持続時間を考えるとかなりギリギリだ。

 この先何が起こるかわからない以上、少しでも余力は持っておきたい。


「はぁ……、まだ、追ってきて、いるのか……?」


<対象は現在、先ほどの廃墟の外周を迂回しているようですが、未だにこちらを見失ってはいないようですね。一体何を手掛かりに追跡してきているのか……>


「ああ、まだ追われているようだ。ソナー式の探査妨害と、音と熱を遮断してあるのに、なぜかこちらの位置を見失っていない。何を目印に我々を追っているのか、心当たりはあるか?」


「目印って言われても……」


 ぜいぜいと息を荒げながらも足を止めないノーアは、そこで「あ」と小さく呟いて、マントの中から左手を掲げた。

 開いた指には、ポポの店でも見た金剛石の指輪が嵌っている。

 何らかの構成が刻まれた、見事な意匠の金の指輪。カット面の多い石はこの暗がりにあってもなお多彩に煌めく。


「あっ」


 それを見て、自分も下げているポシェットを押さえる。


<あっ!>


 同じことに気づいたのだろう、当のアルトからも短い思念波が届いた。


「そうか、なるほど、効果の秘められた物品をマーカーとして追跡をしているというのは、有り得るな……。ここで捨てるわけにもいかないし、仮にそうだった場合、馬車へ着くまでに撒くのは無理なのでは?」


「……もういい、やはりここで別れよう。僕を置いて、君たちはさっさと帰れ」


「こんな所で見捨てるような真似をするわけないだろう」


「何を勘違いしてるか知らないけど、別に、囮になるつもりはないよ。……僕ひとりなら、どうとでもなる」


 呼吸の合間で途切れ途切れにそう言いながら、次第にノーアの歩みが鈍っていく。

 これまで駆け足には届かないまでもずっと早足で歩いてきたのに、諦念を漂わせながら進むのをやめようとする。

 その腕を取るため立ち止まると、同時にカミロも足を止めた。


<ああっ、もう先ほどの廃屋を回り込んできました、このままでは追いつかれてしまいます!>


「……!」


 アルトからの報告に顔を上げてノーアの背後を見る。

 まだその姿は目視できないけれど、廃屋の中を突っ切って稼いだ時間などあっという間に詰められてしまう。

 いくら音や熱を遮っても、捨てられないものを目印に追われているのでは、身を隠してやり過ごすことすらできはしない。

 ノーアの体力はもう限界だし、自分の足だって全力で駆けても速度などたかが知れている。

 仮に馬車へ乗り込めたとして、奴がその気になれば二頭立ての馬車に追いつくくらい訳もないだろう。

 そのまま屋敷まで追跡されたりすれば、こちらの正体を明かすも同然だ。


 ……ならば、どうする?

 何らかの手段で足止めをして探知範囲外まで逃れるか、探知方法を突き止めて所有物は手放さないまま目印を無効化するか。

 今できるとしたらその二択だ。

 力量差が歴然としているため、こちらからの手出しは得策とは言い難い。それなら多少時間はかかるかもしれないが、相手の探知方法を探ってみるほうがまだ現実的だろう。


「アルト、仮に物品へ刻まれた構成を目印にしているとして、奴がどんな探知をしているのか解析を頼む」


<はい、先ほどから試みてはいるのですが……いえ、引き続き解析に励みます!>


「頼んだ」


 ポシェットを口元まで運んで小声で指示をすると、あまり芳しくなさそうな返答が返ってきた。

 だが自分のほうは張っている障壁の維持と、予測できない事態への備えで手一杯だ。探知の手がかりを探るのはアルトの解析に頼る他ない。

 追跡の紐さえ断ち切れば、逃げ切る目はある。


 まだ生まれてたったの八年。リリアーナとしての未練は山ほどあるし、カミロもノーアも巻き込みたくはない。

 こんなところで諦めてたまるものか。

 ヒトの身となり弱体化したことを悔やむより、今できる最善手を全て打つ。

 全部やりきって、出し尽くして、それでも、どうしても駄目なら……どうせ一度は死んだ身だ。もう一度命を落とすことになったとしても、元通りになるだけ。


 何でも自分の力で解決できた以前とは違う。

 こんな無力感を味わうのは、三年前のあの時以来だ。

 力がない。

 力がほしい。

 自分にもっと力があれば。「強くなりたい」だなんて、生前は一度も思ったことがなかった。

 自身と、自分の大事なものを守れるだけの十分な強さを生まれ持っていたから。

 今の幼いヒトの身では、いくら魔法を扱えても、収蔵空間インベントリに繋げられても、守り通すだけの力が足りない。

 助けが欲しい。

 この小さな手だけでは到底足りない。守るために、守ってほしい。誰かに。



「……は、はっ、……はぁっ、」


 足を止めたノーアは、膝に両手をついて荒い呼吸を繰り返している。

 もうしばらくは歩くことも難しそうだ。

 きちんと休憩をさせてやりたいけれど、今はこの場を動かなければすぐに追いつかれてしまう。

 一時的に姿を隠す迷彩を張ったり、地面や壁を利用して隠れるスペースを造り出すことはできても、まずは相手の探知を切らない限りはそういった隠れてやり過ごす手は意味を成さない。

 アルトの解析が済むまでもう少し時間を稼ぎたいところだが、それも移動できないことには……。


 そうして逡巡に歯噛みしている間に、カミロはおもむろに着込んでいる黒いコートのボタンを外し、杖をベルトへと挟んだ。

 一体何をしているのか問う間もなく、「失礼を」とだけ言うと眼前で屈み込む。

 そのまま膝のあたりを抱えられ、右腕に腰かける形で抱き上げられた。


「わっ!」


 急に視界が高くなり、慌てて男の首へつかまる。

 落下しない体勢にうまく収まったのを確認すると、次にカミロは反対の腕をノーアの腰に回し、ひょいと小脇に抱えた。

 軽々と持ち上げる様子はまるで重さを感じさせない。

 実際、細身のノーアは自分よりもずっと軽いのかもしれないが。

 それでも、子どもをふたりも抱え上げればその負荷は相当なものだ。これがキンケードのように筋骨隆々とした大男ならともかく、この男の左足は健常なそれとは訳が異なる。


「待て、カミロ、お前は足が……!」


「どうぞご心配なさいませんよう。長距離でなければこれくらい、どうということはありません」


「おい何だ、この荷物みたいな扱いは!」


「揺れますので、舌を噛まないようご注意ください」


 ノーアの苦情など聞こえていないとばかりに、カミロはそのまま路地を駆けだした。

 子どもの歩調を気遣っていた時とは比べ物にならない速度で、薄暗い景色が見る間に後ろへ流れていく。


 速い。

 硬い靴底が規則的な音をたてて地面を蹴る。

 すぐに狭い路地を抜けきり、これまでよりも広い道に出た。

 何事かと振り返る通行人らを器用によけながら右に曲がり、ふたつ先の路地へと入る。

 眼下にコートの裾がひるがえり、これまでとは段違いの速度で逃れていることを思い知るが、駆ける速さのわりに揺れをあまり感じない。

 おそらく膝を使って、着地の衝撃を殺しながら走っているのだ。

 そんなことをすれば余計に足へ負担がかかるというのに。

 だが何を言ったところで止まりはしないだろう。

 ノーアが歩けず、カミロにとって正体不明の追っ手がすぐそこまで迫っている今の状況で、逃れるためにはこうするより他ない。


 安全を請け負う立場にあり、まず誰よりも事情を知りたいはずなのに、何も訊かないまま全てを背負って疾駆するカミロに対し、言えない言葉ばかりが詰まって肺の奥が痛む。

 せめて走る男の邪魔にならないよう、しっかりと首元にしがみついて体を固定した。


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