第149話 悪寒の正体への対処は諦めて逃走


 店の裏口から出ると、すぐにカミロが脇に置いてあった木箱で扉を塞ぐ。

 中に何か入っているらしく多少の重みはあるようだが、相手が相手だからこんなものでは大した足止めにはならないだろう。

 だがそれを口に出すことはしない。騒ぎを起こして人目につくことを嫌がるようなら、こういった小細工も有効かもしれないのだし。

 そうして手早く木箱が積み上げたところで、隣の建物の陰から小柄な男が姿を現した。

 警戒してさがろうとするノーアの前に、カミロが手を立てて「大丈夫です」と告げる。男の顔に見覚えはないが、さきほど裏手にも配備していると言っていた護衛だろう。


「これを持って急いで馬車へ。二番通路の右側、街灯下につけていつでも出せるように」


「了解」


 菓子の包みを渡したカミロが小声で指示を出すなり、男は踵を返して駆けて行った。

 街中で見かけるありふれた服装と平坦な顔立ちは、一度人混みに紛れてしまえば次に会っても判別が難しそうだ。

 その背が表側への角を曲がるのを見届けるよりも前に、カミロに促されて裏通りを進む。

 木箱や空き瓶、積まれた木材など様々なものが置かれていて、ただでさえ細い道がさらに狭く感じる。


「次の角を右です、物が多いので足元にお気をつけください」


<対象は店に入り、今は先ほどのマダムが相手をしているようです。他の客も来たので少し立て込んでいますね、まだ裏口からこちらへ来る様子はありません>


 アルトの報告に少しだけ安堵しながら、ノーアに続いて細い横道へと入る。

 体裁構わずこちらを追う素振りがないということは、建物を壊すとか空を飛んで上から探すような、悪目立ちする追跡はないと思って良いだろう。

 あちらが本気を出せば、逃げ切ることはまず不可能だ。


 細い路地は障害物が多いのに加え、先頭を歩くノーアは聖堂の白い衣装の上からマントを羽織っているため余計に動きにくそうだった。

 足元にさえ気をつければ、道の幅は真っ直ぐ進む分には問題ない。だが痩身の少年は速く駆けること自体が難しい。

 ノーア、自分、カミロの順で細い道を微妙な速足で歩く。

 これぐらいの速度なら、多少構成に集中していても転ぶことはないだろう。


「……何か、手持ちに隠遁の魔法は?」


「ちょうど今、やろうとしていたところだ」


 ノーアの声に応えながらも慎重に構成を思い描く。

 まずは探査の遮断が最優先。

 店の中にいて姿や顔を見られた様子はないのに、あの男は真っ直ぐ店に向かってきた。

 本当に今晩泊まる宿の話をしていたなら、それを無視して突然菓子屋に入ろうとするわけがない。

 奴が動いたのは、自分たちが裏口から出ようとしたタイミングだった。

 ……つまりあちら側も、何らかの探査手段を持っていると見るべきだ。


 だが、ノーアとの会話内容――『勇者』だとわかっていること、その力量を鑑みた上で対策を練っていることを聞かれていたなら、こんな悠長に店内で足止めをされているはずはない。

 つまり音声までは探られておらず、そして、自分の正体はまだ悟られていない。

 逆に、こちらが特殊な精霊眼を持っていることと、居場所と動きなどは離れた場所からでも探れるようだ。

 精度がどの程度かは知れないが、アルトと同種の探知方式ならば素通りさせる方法を知っている。


読取探査スキャニングの透過】


 続けてもう一枚、平行して描いていた構成を広げる。


【空気振動の中和、範囲消音】


 効果範囲は地上だけでは足りない。地面の振動で足音を探られる危険もあるから、地中へも伸ばして球状に設定しておく。

 以前の自分では考えられないほどシンプルかつ、脆弱な構成陣。

 不満はあれど、労力を省くためにはやむなし。

 居所を知られたくない以上、精霊たちを集めて構成を回すわけにはいかず、そうすると自前の力だけで魔法を扱わなくてはならない。

 三歳の頃から無意識に収蔵空間インベントリへ穴を繋げ続けていたお陰で、一度に扱える魔法の幅はいくらか増えているが、限度の見極めは重要だ。

 今の体力なら、単純な描き込みの構成であれば、もう二枚くらいは重ねられるだろうか?


「消音?」


「ああ。足音だけでなく、何か物音をたてても範囲の外には漏れない。会話をしても大丈夫だぞ」


「……君の魔法は気持ち悪いな」


「また言ったな、本当に失礼な奴だ。というわけでカミロ、三人分の音を消しているから、歩きにくいだろうがなるべくそばにいてくれ」


「もちろんです」


 魔法行使についての言及すらなく、即答が返ってくる。

 果たしてそれを素直に喜んでいいのかとも思うが、今は緊急事態だからその懸念は脇へ置いておく。

 細い道を抜け、また裏口から出た時のような裏通りに出た。

 自分たち以外、他に通行人は見当たらない。すぐにカミロが行き先を示す。


<リリアーナ様、対象が店の表から回り込んで裏道へ出ました、迷わずこちらに向かっております!>


「こっちに? 途中は他の道もあったのになぜ」


<あ、体温! リリアーナ様、熱の遮断もおねがいします!>


【温度……の、遮断!】


 足を速めたまま展開している範囲消音の構成に描き足し、三人の体温が感知されないようにする。

 常識が通じない相手ではあるが、犬じゃあるまいしさすがに匂いで追ってくるなんてことはないだろう。

 あとは知られる可能性があるとすれば何だ?

 精霊たちを呼んではいないが、もし魔法の行使自体を感知されているとしたらお手上げだ。

 小走りになりながら、ちらりとノーアが後ろを振り向く。


「追ってきているのか?」


「ああ、そうらしい。熱もカットしたから、もう少し離れて撒ければ良いのだが……、お前には謝らないとな」


「?」


「やはりノーアの言った通り、店の前で我々が出てくるのを待っていたのだろう。とっくに気づかれていたんだ」


 外で待ち構えていたのに、自分たちが裏口から店を出ようとしたから、奴は動いた。

 それまでずっと探知の網を張って、あの街路樹のそばで雑談に興じるふりをしながら店内の様子をうかがっていたとしか思えない。

 まだ勘付かれてはおらず、先手を取れた自分には猶予がある……なんて考えは甘すぎた。

 やはり楽観視はろくなことにならない、今後は身の危険が迫ったら、まず最悪の可能性を想定して詰めていこう。


 とはいえ、これまでの動きでわかったことは都合の悪いものばかりではない。

 こちらの予想外は、相手にも探査の手段があり店内の動きを察知されていたこと。

 そしてあちらの予想外は、元『魔王』である自分が、『勇者』エルシオンの顔を知っていたということだ。

 この悠長な追跡の仕方からして、まだその先に『魔王』デスタリオラの記憶を持つ者がいるとは想定していないらしい。

 ちょっとでもその可能性に思い当たっていれば、もっとなりふり構わず追うどころか、とうに攻撃をしかけていているはず。

 ……まだ知られていない、大丈夫。

 力では奴に軍配が挙がるものの、手数と情報はこちらが上と思っていい。


 本当にノーアを追っているのか、それとも異常な精霊眼の持ち主を発見したため、その素性を確かめたいだけなのか。未だ追いかけてきている理由そのものはわからない。

 だが、向こうが「ただのヒトの魔法師」と認識し油断しているのなら、その裏をかいて逃げ切ることくらいはできるかもしれない。


 探査妨害、消音、断熱、……あとは何が必要だ?

 馬車につくまでに、何とか追跡を撒かなくては。

 奴と対面し、一度でもこの『眼』を視られたらもう隠し立てのしようがない。

 どれだけ姿形が変わっていようと、かつて対峙した『魔王』デスタリオラだということが、あの男にだけはわかってしまうだろう。



「止まってください、その右側の扉です」


 その声にノーアとともに足を止め、カミロを振り返る。

 すると後ろから伸びた腕が、ためらいもなく古びた木戸を引き開けた。その際にガゴンと何か硬い音がしたが、どこか壊れたのではないだろうか。

 小さな扉の向こうは灯りがなく、暗くてよく見えない。

 本当に入って良いのか躊躇していると、カミロが先に中へと入り手招きをした。


 足を踏み入れた先は、物置らしき場所だった。

 割れた陶器や壊れた家具などが山積している。辺りを見回している間に、カミロは再び周辺の木材などで扉を塞いだようだ。

 傾いた棚に脚の折れたテーブル、空き瓶の詰まった木箱。それらの隙間をカミロの先導で通り抜ける。

 入った時のものよりも小さい扉をひとつ開けると、その先は細い廊下のようだった。

 黴臭くこもった空気から、長く居住者はいないことがうかがい知れる。

 薄暗い中に、壁や天井の隙間からところどころ帯状の光が差し込む。

 そうして中途半端に照らされる分、床を蹴るたびにひどい埃がたつのが見えるけれど、文句は言っていられない。

 カミロは足を進めながらも頻繁にこちらを振り向いて確認をする。それに倣い、たまに後ろを見てちゃんとノーアがついてきているのを確かめながら、朽ちかけの廊下を駆けた。

 漆喰の壁も床板も穴が空き、あちこちが崩れている。廃屋となって久しいのだろう。

 そのままカミロの先導で屋内を進むうちに、暗い廊下の先に大きな扉が見えてきた。

 造りからして外へ繋がる出入り口のようだが、鍵のあたりが板と釘で打ち付けてある。割れた窓の外にも板が見えるから、おそらく扉は外側からも封じられているのだろう。


「物音は……消されるのでしたね?」


「ああ、我々のそばなら大きな音をたてても大丈夫だが」


「では効果の及ぶ範囲で、離れていてください。危ないですから」


 肩で息をするノーアの袖を引いて、その背から二歩分さがる。

 こちらが距離を取ったのを横目で確認するなり、カミロは半身で右足を持ち上げ、その靴裏で打ち付けてある木材ごと扉を蹴り抜いた。

 板はいくらか湿気ていたのか、扉もろとも土壁を打ち抜くような鈍い音をたてて破砕される。

 扉も合わせて木材三枚分が一撃で貫通した。

 その大きな音にか、それとも突然の暴挙にか、隣の肩が跳ねたけれど自分も少しは驚いている。

 てっきり持っている杖で板を剥がすのかと思った。それなら魔法で加勢しようかとまで考えたが、要らぬ世話だったようだ。

 残った部分も遠慮を見せずどんどん蹴破り、すぐに大人でもくぐれるくらいの穴が空く。


「さぁ、どうぞ。破片にお気をつけて」


 先に外へ出たカミロが、恭しく手を差し伸べてくる。

 蝶番に引っかかった扉の残骸が、ギィ、と恨めしげな音を鳴らした。


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