第152話 足止め


 細い路地の真ん中に両足でしっかりと立ち、変な角度で引っ張られ続けた肩を回す。

 何回か屈伸をして、膝と足首の調子も入念に確認した。右肩と左足を同時に引かれておかしな格好で走る羽目になったが、どうやらどこも痛めてはいないらしい。

 凝っていた首を鳴らし、ようやく自由になった己の体にキンケードは安堵の息をつく。


 普段の警邏以外に、今日は領主からの要請で動ける人手が駆り出されているため、詰め所の中は朝からひと気が少なかった。

 事務職の団員たちはいつも通りだが、訓練以外であんなに裏手が静かなのは久方ぶりだ。

 昼食を頼むために声をかけようとした後輩の姿もなく、仕方がないから置いてある固いパンと瓶詰めで適当に遅めの昼食をとり、さてしばらく寝るかとくつろいでいたところで、突然体のあちこちが引っ張られた。

 尋常じゃなく驚いたが、皆が出払っていたお陰で慌てふためく姿を見られずに済んだのは、まだ運が良かったのかもしれない。

 見えない手につかまれているなどという、物理的にそう・・とわかる感触ではなく、体の内部の骨や肉が直接引っ張られるような、何とも気色の悪いものだった。

 どこへ向かっているのかもわからず、誰何しても答えはない。そうして引かれるまま足を動かしてはみたものの、自分の理解が及ばない出来事も三度を越えれば、誰に関連しているのかはすぐに察しがついた。

 だが聞き及んでいる予定の通りなら、この時間はもうとっくに帰りの馬車にいるはず。

 もしや何かあったのかと、変な格好で走りながら思っていた矢先にこれだ。


 『追われているので、足止めを頼みます』


 簡潔すぎる状況説明でも、あの一言で十分すぎた。

 周辺に屋敷の守衛部らしき気配は何も感じられず、山ほど配備していた護衛が何の意味も成していないことがわかる。屋根の上には走り去る三人の後を追う影があったが、知覚できる範囲ではそれだけ。

 単に撒かれたのか、すでに無力化されたのかは判断がつかなくとも、あの男が単独で令嬢を連れて逃げるような状況はただ事ではない。

 おまけに、フードの下からのぞいた少女の青褪めた顔。


「チッ、……なーにが、どんな事態にも対応できるよう備えてあるだ。嬢ちゃんにあんな顔させてんじゃねーよ、バカミロめ」


 大抵のことはひとりで何とかなるあの男がついていて、さらに人知の及ばぬ知識と大人顔負けの魔法の腕を持ったリリアーナがいてなお、逃げるしかすべのない相手。

 勝つことを考えるなと、そう忠告を残した少女の言いたいことはきちんと理解している。

 自分などがどう踏ん張ったところで、到底敵わないレベルの相手だということ。

 舐められたもんだ、なんて毒づく気にもなれはしない。あの少女が決して自分を過小評価しないと信じているから。だから。


 その古びたフード姿の男が路地の先に現れた時には、すでにキンケードの覚悟は固まっていた。

 目測で十三歩分。間をあけて立ち止まるなり、男は怯えるように肩を竦めて声をあげた。


「うっわ、何だそれ、アンタそれ、大丈夫なのか? きもちわるっ!」


「出会い頭に何言ってくれてんだ兄ちゃん。ふざけてんのか、アァ?」


 その反応は二番煎じだ、どう言われたところで痛くも痒くもない。凶悪と誉れ高い顔面を存分に歪めながら睨みつける。

 どうやら自分の体には、何か・・がまとわりついているらしい。

 視える人間には視えているそうだが、自分にはさっぱりだから、突然骨や肉を引っ張るなんて妙なことさえしなければ何も気にはならない。むしろ武器強盗の一件で身を救ってくれた恩すらある。

 ……見えないから普段は全く気にならないのだが、何となくむず痒い気もして腕や胸のあたりを軽く払った。


「ここらで見ねぇ顔だな、ちょいとウチの詰め所までツラ貸してもらおうか」


「……あ、その黒い服、アンタも自警団ってやつか。あいにくと今は取り込み中だし、オレ本命いるからナンパはお断りしてるんだ」


「誰がテメェみてぇな青二才を口説くかよ。そのナリは旅行者か傭兵か? ちっと最近このあたりに変質者が出没しててなぁ、お前さんみてぇな不審人物を片っ端からしょっぴいてる最中なんだわ。悪ぃな、身の潔白を証明すんなら事務官相手にでもたっぷり吐いてくれや」


 左手を帯剣している鞘に沿えて、足を広げる。

 斬りかかるために半身を引くのではなく、ここは通さないというバカにもわかりやすい意思表示だ。

 こちらの出方をうかがっていたらしき男は、何やら口元で呟きながら額を指先で掻く。

 頭の上に引っかかるだけだったフードがぱさりと落ちて、鮮やかな赤毛が露わになった。

 その髪の色を見て得心がいくし、半ば予想がついていたことでもある。「燃える炎のような赤い髪をした男」への最大限の警戒は、以前に領主邸の裏庭で告げられた時からずっと覚えている。

 先ほどのひどく顔色を悪くした様子を見る限り、間違いはないだろう。眼前に立つこの男こそ、あの時にリリアーナが怯えていた相手なのだ。


「変質者……そうか、じゃあそれだ。さっきこの道を走ってったの、変質者だよ。子どもをふたり抱えてたと思うんだけど見なかった? この辺ですれ違っただろ?」


「ハァ?」


 訝しんでそんな声を出せば、男はこくこくと子どもじみた仕草でうなずき、キンケードの背後を指さした。


「人攫いだ。そーいうのアンタら自警団の管轄だろ、追いかけて捕まえなよ」


「…………ッ、……ぶ、ゲホッ、ごほっごほっげほっげぇっ!」


 噴き出すのをこらえ、喉で押さえたものが肺に逆流してひどくむせた。

 子どもを攫う変質者。

 当の追っ手にもそう見られていたと言ったら、あのすかした顔がどう歪むだろうか。後であの男カミロをからかう絶好のネタができた。

 咳のしすぎで痛む胸元を押さえながら、キンケードは笑いの消えきらない顔を上げる。


「なるほどなるほど、貴重な目撃者ってワケか、そりゃあ助かるな。そんじゃ詰め所に来てじっくり話を聞かせてくれや、歓迎してやるからまぁ遠慮すんなよ、シケたとこだが水と乾いたパンくらいなら出るぜ?」


「任意同行って雰囲気でもないよね、オッサンもあの変質者の仲間だったりする?」


「誰がオッサンだ! てめぇとそう変わんねぇだろ!」


「ふーん、そう? そうかな、……そうかもね?」


 赤い前髪を揺らし、邪気のない様子で微笑む。


 嫌な感じだった。

 自分の呼吸、体温、鼓動すべていつも通り。何の不調もないことはすでに確認してあるのに、どこか重い。

 地に引かれる重力とか物の重みとか、そういった体で感じるものとは違う、気持ちに対して妙な圧迫感がある。

 剣の師から受けた威圧感とは異なるし、あの武器強盗のように肌で強者と感じるわけでもない。

 寒気、怯え、恐怖、諦念、焦燥、これまで知っているどれとも違う、何かわからない「イヤなもの」だ。


「……ッハ!」


 腹からひとつ大きな息を吐き、それらのごちゃごちゃとしたものをまとめて全部吹き飛ばした。

 自分の知っているどれであっても、どれでなくとも関係はない。

 任された役目はすでに果たしているのだから、これが勝負ならとうに自分の勝ちだ。

 このまま延長戦としけ込んで立ち話に興じるも良し、言いくるめて詰め所まで連行する……のは難しいとしても、他の手段で足止めを続けてもいい。抵抗するなら剣だって抜こう。

 腰に下げているのは自警団の貸与品だが、今は戦って勝つことは求められていないのだから、このナマクラでも十分だ。


 にやりと不敵に笑って見せるキンケードに、赤毛の男は初めてその顔に不快感を表した。


「そう、やっぱグルか。自警団まで手中にしてるとしたら厄介だけど、さっきの親切な若者は素面だったしな。逆にアンタからゆっくり話を聞きたいとこだが……今は追いかけっこの最中なんだ、そこどいてくんない?」


「人にモノ頼む態度がなっちゃいねぇな、通してくださいお願いします、だろ?」


「……通してくださいお願いします」


「やーだねー」


 嫌味が効いた風でもなく、男はからからと笑い声をあげて前進を再開した。

 実力行使で通るつもりなのだろう。


「不審人物に声をかけるも、それを無視され身の危険を感じた。民間人相手に得物を抜くにゃ十分すぎる理由だよな、仕方ねぇな!」


「やだやだ、面構え通りのとんだ悪党だ」


 先制。相手の前進に合わせて、思い切り踏み込む。

 首を跳ね飛ばす勢いで抜き放った一撃は、その寸前、短剣の鍔元で受け止められた。

 鞘から引き抜き様の、膂力も遠心力も全てを乗せた斬撃だった。それを易々と、片手に握っただけの短剣で受け止め、びくともしない。

 鍔迫り合いをするつもりもなく、すぐに剣を引いて体勢を立て直す。

 得物の長さから、間合いが迫った今こそ反撃をしてくるかと警戒したが、男はだらりと持ち手を下ろしたまま足を止めている。


「……今のさ、止めてなかったらオレ死んでたよね?」


「死んでねーんだからいいじゃねぇか」


「いや、普通さ、こういう場合の初撃って様子見なわけじゃん? 牽制とかするでしょ? いきなり全力の急所狙いでくるとかオッサンおかしいんじゃない?」


「オッサンじゃねぇよ!」


 軽口を返しながらグリップの握りを確かめる。

 柄の皮は自分で巻き直してあるし、重みも長さも規定通りの量産品。普段から扱い慣れて手によく馴染むものだ。

 訓練用に刃を潰した剣とは違う、実戦用の本物の長剣。本当に民間人相手であれば、急所狙いに振り抜くなんてことまずするわけがない。

 ある意味では信頼だ、この相手が並々ならぬ実力者だとわかっている――信じているからこそ、初撃から全力で打ち込めた。

 防がれる、もしくは軽くかわされると予想がついていたから。


 そう、思った通りのはず、むしろ防いでくれなくてはこちらが困るところなのに、想像通りに軽くいなされたことで額にじわりと汗が浮かぶ。

 あの武器強盗もとんでもない相手だったが、あんなものとは格が違う。

 イヤな感じなんて言っている場合じゃない。これだけの相手を目の前に、剣を手にして、それだけ・・・・しか感じていないことのほうがよっぽどマズい。

 浮かびかける焦燥を飲み込みながら、気合だけで笑い飛ばす。


「ハッハ! 最近は食っちゃ寝でなまってたからな、ちょうどいい運動になるぜ。詰め所行く前にちっと遊んでけや」


「やっぱりナンパじゃん」


「ちっげーよ! 誰がテメェみてーな派手な男を引っ掛けるかよ、オレは清楚なねーちゃん派だ!」


「アンタの好みなんか聞いてないし。時間稼ぎはもういいよ、通してもらう」


 足止め役だとバレていたなら、さっさと押し通れば良いものを。これだけ時間を潰されても、まだ追いつけるという自信でもあるのだろうか。

 ……いや、あるのだろう。

 この辺の建物は昔から無茶な増築を重ねてきたせいで、細い路地がまるで迷路のようになっている。そこら中に突き当たりがあるし、見分けのつかない三叉路だの先が見えない横道だのはざらだ。

 地元の人間でなければまず確実に迷う。

 だというのに、先行しているカミロたちとあれだけ距離が開いていたにも関わらず、この道を選んで追って来た。

 この男は彼らを追跡をするための、何らかの手段を持っていると考えるべきだろう。

 向かった先で馬車に乗り込めたとして、果たして無事に屋敷まで逃げ切れるものなのか――


「いーや、通すわけにはいかねぇな」


 自分に依頼されたのは追っ手の足止めだ。

 それは長ければ長いほど、彼らが逃れる足しになる。


「じゃあ無理にでも通る。ちょっと痛い目に遭っても自業自得だ、恨むなよ」


「そりゃあこっちの台詞だぜ、赤毛の勇者サマよ。タダで望みが叶うほど、世の中甘かねぇっての!」


「……!」


 踏み込みを強く、腕をいっぱいに伸ばして間合い以上の一撃を放った。

 後ろに跳んでかわすか、また短剣で受け止めるか。次の手を予想しながら体勢を低く、懐へ潜り込んで足払いをかまそうと頭を下げた。

 地面へ手がつく直前に、頭上スレスレを何かが掠める。


「……チッ!」


 咄嗟に足払いはキャンセルし、勢いを殺さずそのまま思い切り横へ転がった。

 壁に衝突したところで、その壁面を蹴ってさらに跳ぶ。

 体勢を崩したまま空中で剣を真横に振り薙ぐと、硬い感触と共に金属の衝突音が響く。

 柄は厚く巻いてあるのに、腕が痺れるほどの衝撃。

 鉄の塊にでも振り下ろしたようだ。……実際は、どこにでもありそうな、何の変哲もない短剣だが。


 一度強く目を瞑って回りかけた視界をリセットする。

 瞬時に目蓋を開けると、間合いふたつ分先には、何事もなかったように男が飄々と立っていた。自然に下ろされた手の中にもう短剣はない。

 いつの間にか鞘へ戻したのか、それともどこかへ投げたのか。油断なく視線を向ける先で、やたら整った顔に微笑をたたえながら、すり切れたフードを被り直して赤い髪をすっぽりと隠す。


「図体デカいのによく動くなアンタ、大したもんだ」


「うっせー!」


「まぁ、礼儀は果たしたし、オレもう行くけどね。色々と聞きたいことあるからまた会うかもしれないけど」


「通さねぇって、言って、」


 ――――。


 剣を握り直し、立ち上がりながら言いかけた言葉は、視界もろとも真っ白な閃光に塗りつぶされた。

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