第148話 悪寒の正体への対処は諦め
「ノーア?」
「……訊きたいことは山ほどあるが、今さら疑いはしないよ。ただひとつ言えることは、この状況で一番まずいのは彼に見つかること自体より、君と僕が一緒にいるところを見られることだ」
少年は苦々し気に顔をしかめ、被ったフードをくしゃりと握りしめながら一歩前へ出る。
その剣呑な視線をカミロは膝をついた姿勢のまま受け止めた。
「外にはイバニェス家の護衛の者たちがいるんだな?」
「ええ、この店の出入り口付近、通りの両側、それと裏手へ。何が起きても対応できるよう配備させております」
「ここから指示を出せるのか?」
「ええ、窓のすぐ外にひとり、中継が待機しておりますので。……事情をお伺いしても?」
「……外に、僕の追っ手がいる。なんでこのタイミングで来たのかは知らないけど」
そこでノーアは言葉を切って、窓のほうへ視線を向けた。
歪んだ透明度の低いガラスは、数歩離れるだけで像がぼやける。この位置からでは外の様子を覗き見ることも、また外から店内の様子を見ることもできない。
アルトからの報告では宿についての話をしているそうだし、奴の移動を待って安全が確認できれば、店から出ても大丈夫だろう。
見つかりさえしなければこの場はしのげる。そう思ったからこそ、ノーアのほうからカミロへ打ち明けたのは意外だった。
「詳細は明かせないが、常識外のとんでもない手練れだ。部下の命が少しでも惜しいなら、下手な手出しはやめておいたほうがいい」
「追っ手と仰いますが、あなたの身を拐かすことが目的ですか? それとも」
「どうだろうね、すぐに命を取られることはないと思うけど。一緒にいるところを見られるのは、
「……」
カミロがそれに答えるより先に、横からノーアのマントを掴んだ。
「待て、まだ気づかれていないのだし、もうしばらくここで待って、外の安全が確認できてから一緒に出れば良いだろう。聖堂まではもう少しなのだから」
「気づいてないとどうしてわかる。この店から、僕たちが出てくるのを待ってるかもしれない」
「え、いや、だって、……そうだ、子どもを狙うのに自警団員と一緒にいるわけがない。街に来た理由はともかくとして、あの場所に立っているのは偶然ではないか?」
「そういえば、一緒にいる黒い服は自警団員だと言っていたな。じゃあ何かに利用されてるか、暇つぶしの立ち話でもしてるんだろ。
アルトが盗み聞いた会話の内容から、もう少し待っていれば宿に向かうため奴がこの場を立ち去るかもしれない、ということがわかっている。
だがどうやってそれを聞いたのか、なぜわかるのかをここで打ち明けることはできない。
もどかしいが、何とかノーアを足止めして時間を稼がなくては。上手い言い訳は思い浮かばないけれど、話を長引かせていればそのうち奴も移動を始めるだろう。
聖堂の部屋に帰ることさえ叶えばノーアはひとまず安全だろうし、馬車で街を脱すれば自分のほうも距離と時間を稼ぐことができる。
ノーアに勝手をさせないためマントをきつく掴んだままでいると、カミロはいつもの仕草で眼鏡の位置を直し、杖をつきながら立ち上がった。
そうして窓側の壁へ背を預け、ほんの一瞬だけ窓の外を見てから顔を戻す。
「……対象は街路樹のそばにいる、フード姿の者で間違いないですか?」
「ああ、そうだ」
ノーアの返答でそれだけ確認をすると、カミロは拳を作った手を伸ばして指の骨で窓を不規則に叩きだす。
コツコツ、コツ、……コツ、 コツ
何度か小さな音をたてて叩き、しばらくすると外から一回だけ、コツ、と同じような音が返ってきた。
「……?」
店の外にいるとしたら、エーヴィだろうか。
おそらく何らかの符丁なのだろう。今の合図で、一体どういった内容のやり取りが行われたのかはさっぱりわからないが。
再びノーアに視線を戻したカミロは、促すように会計台のほうへと手を伸ばす。
「この店には裏口がございます。そちらから裏通りへ出て、一度当家の馬車へご同乗願えますでしょうか? 遠回りにはなりますが、聖堂の裏手までお送りいたします」
「まぁ、別にどこだろうと……。でも、本当にその判断でいいのか。そっちのお嬢サマを守るほうがあんたにとっては優先だろ、予定外のお荷物なんてさっさと切り離して、屋敷へ帰るべきじゃないか?」
「ここで別行動を選択すれば、私がリリアーナ様からお叱りを受けてしまいますので」
こくこくとうなずいておいた。さすがはカミロ、話がわかる。
店に裏口があるなら、なおのこと都合が良い。そこから預けてある馬車へ向かえば、このまま店内で待たずとも、表通りにいる奴に見つかることなく移動することができる。
「念のため、裏通りへ繋がる路地とこの店の入口に護衛を配備しますが、ご許可さえ頂ければ相手を取り押さえ、」
「やめておけ、相手は常識外の手練れだと言っただろう。疑うなら試してみても、僕は一向に構わないけど。そっちの素性を知られればお互い面倒なことになる」
「……かしこまりました、ご忠告に従いましょう」
カミロの承諾を待ってから、下ろしていた突起つきのフードを被り直す。
会計台の前ではマダムが片手に紙包みを携え、こちらの様子を見ていた。話が済んだと察したのだろう、にこやかな笑みと共にその紙包みを差し出してくる。
自分が持てば両手で抱えるほどの大きさだ。それを受け取ったカミロは片手で胸元へ抱え、恭しく礼をして見せた。
「割れ物だけど、まぁウチのお菓子は多少割れてたほうが食べやすいからね、乱暴に扱っても大丈夫よ」
「ありがとうございます、マダム。このまま裏口から失礼いたします」
「ええ、そっちの木戸を開けて左側ね。ちょっと狭いし暗いからお気をつけなさい」
店の奥へ向かう手前には、入口のように厚手の布がかけられている。それを片手で上げながら、マダムは豪快な手招きをした。
短い廊下の右手は厨房になっているのだろう、菓子を作るための作業台や窯らしきものが見える。
どんな器具や設備を使って菓子を焼いているのか興味深いが、見学はまたの機会にさせてもらおう。
往生際悪く背伸びをしてそれらを覗こうとしたところで、突如ポシェットが激しく振動した。
<ぁばばばばリリアーナ様、来ます! 『勇者』が真っ直ぐこの店に向かって歩いてきますっ!>
「んなっ」
「!」
驚きに肩が跳ねると、つられて隣のノーアもびくりと体を震わせた。
「な、何だよ?」
「来る、奴が店に向かってるぞ!」
「え、なん、なんで、おい、急げ! 早く裏口から!」
慌てふためく子どもを一瞥したカミロは、焦る素振りも見せず布を持ち上げて店の奥へと歩いて行く。
その先で何かガタリと木材のぶつかるような音がして、わずかばかりひんやりした風が入り込んできた。
普段は使われていない扉なのか、手でそれを支えたままごそごそと足元の障害物をどかしている。
「出たとこにも木箱が置いてあるから、戸はそれで塞いじゃって大丈夫よ。何だかよくわからないけど、足止めなら任せなさい!」
「おふたりとも、こちらへ」
木戸を開けているカミロに促され、まずノーアが早足に店の奥へ向い、その後ろについて会計台の裏へ回る。
廊下へ入る前に気の良い店主へ向かってきちんと礼をするため、広がったコートの両端を摘まむ……のは止めて、そのまま手を振って見せた。
「マダム、ありがとう。またいつか街へ来られたら、きっと寄らせて頂きます」
「ええ、いつでもいらっしゃいな、可愛いレディ。お菓子をたくさん焼いて待ってるわ!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます