第147話 悪寒の正体への対処


 四角いフレームの向こうから、真っ直ぐにこちらを見つめる目。

 嘘偽りもごまかしも全てを見通す透徹した眼差しには、今さら表情を取り繕ったところで敵いはしない。

 ここで「何でもない」と言い張るような、見え透いた嘘をついたところで誰の得になるわけでもなし。むしろまずい状況だということを隠すよりも、カミロにきちんと報せたほうが打開に繋がるのは確かだろう。

 ……ただ、その理由をどこまで打ち明けられるものか。


 特に理由を添えずとも、カミロであればこちらの頼みを無下にはしないと信じられる。

 命じたことをそつなく、期待以上の成果をもってやり遂げてくれるだろう。

 だが今は、何を頼むべきなのかも考えがまとまらない。

 この危険を乗り越える、もしくはやり過ごすためにカミロの助力は必須。だというのに、具体的にどうすれば良いのか、手立てが全く浮かばない。

 焦る気持ちと、すぐそばにある危険、それと目の前で返答を待つカミロを前に、許容量を超過した思考の道筋が大渋滞を起こしていた。



1・店のすぐ外に『勇者』がいる。

  →なぜ『勇者』だとわかるのか?

   ・見たことがあるから知っている。

    →五十年前の『勇者』をどこで見た?

     ・魔王城で会いました。×

  →なぜいたらまずいのか?

   ・顔を合わせたら殺されるかもしれない。

    →なぜ『勇者』に殺されるのか?

     ・生前は『魔王』でした。×


2・店のすぐ外に危険人物がいる。

  →護衛たちで捕縛して事情聴取を。

   ・敵う相手ではないから手出しはまずい。

    →なぜ敵わないのか?

     ・『勇者』だから→(1へ)


3・人目にふれずとにかくこの場を離れたい。

  →顔を隠したまま馬車へ向かいましょう。

   ∟(途中で見つかる可能性)

   ∟(対象を見失うリスク)

   ∟(危険である限りもう街へは来られない)



「あ、あ、ぁ……えっと……」


 考えが詰まって言葉にも詰まり、余計に焦りが生じる。


 大抵のことはひとりで何とかできる自信はあった。体がヒトの幼子になったとはいえ、知識も経験も、魔法の腕前も生前より引き継いでいるのだから。

 だが、相手が『勇者』である場合のみ話は別だ。今の自分ではどれだけ精霊を集めても、どんな構成を描いたとしても、奴にだけは敵いっこない。

 リリアーナとして生まれる前の、万全の態勢で対峙した『魔王』デスタリオラであってすら、『勇者』エルシオンに敗北したのだ。


 だからこそ備えておきたかったのに。

 今の自分が弱いと理解しているから、ちゃんと準備をしておきたかったのに。

 裏庭に『領地』を作って、屋敷に防備を敷いて、もしいつか奴が襲ってきたとしても、何とか大切な者たちの命だけは守れるようにと。

 まさかこんな所で不意に現れるなんて思うわけがない。

 今、この場に現れたのは、本当に偶然なのだろうか?

 やはり「領主の娘」が怪しいと、こちらの正体に繋がる何か掴んでいるのでは――


「……外に何か見えましたか? 護衛の者を誰か呼、」


「ま、待て! カミロ、ちょっとだけ待て、今、考える、考えるからっ!」


 窓を見て立ち上がろうとするカミロの口へ、両手を押し当てて行動ごと塞ぐ。

 一度逸れていた視線は再び正面へ戻り、押さえた手の下で動きかけた口が引き結ばれる感触がした。


 ノーアとふたり揃って、これだけ恐慌をきたしていれば誰の目から見ても不審だということは理解している。こちらを心配して外の様子を見ようとするのもわかる。

 だからこそ、不用意に「様子見」をさせて、彼らと自身を危険に晒すわけにはいかなかった。

 仮にも『勇者』であるなら、無辜の民を傷つけるようなことはないと思いたい。

 だが、まだあちらに目立った動きがない以上、こちら側からの接触は「お前が普通のヒトではないと知っているぞ」と言っているようなものではないか?

 もし仮に……万が一、自分の正体が知られている、もしくはその糸口を掴まれている場合、わざわざこちらから証拠と口実を差し出すようなものだ。


 かといって、このままやり過ごすのも得策とは言えないだろう。

 アルトの探査が通らない上、魔法による接触を試みれば一発でバレるため、マーカーを付けて追跡することも不可能。

 ここで一度見失ったら次はどこに現れるのか、どこに潜伏しているのか、所在を掴むことは難しい。

 初手を取れた今、この千載一遇の機会こそ、何かに生かすべきなのだ。

 その何かが、わからない。


 別に、こちらとしては積極的に奴を殺したいわけでもなく――実際に殺すことは不可能でも、気持ちの問題として、害意はない。

 自分はただ、再び得ることのできた二度目の生を、平穏無事に過ごしたいだけ。

 大切な者たちに囲まれた暮らしを守り、うまいものを食べて、このまま「リリアーナ=イバニェス」として真っ当に生きて死にたい。

 その障害となるなら排除もやむを得ないが、相手にそれを邪魔する気がないのなら……

 立場上、和解は難しいとしても、『魔王』の役割から解放された今はもうヒトや聖王国の脅威となるつもりがないと理解を得られれば、このまま見逃してはもらえないだろうか?

 『魔王』でなくなった代わりにまた妙な役割はついてきたものの、これくらいは国内にいくらでも同じような者がいるはずだ。

 害にも脅威にもなり得ない、未だ十にも満たぬ罪なき娘を、『魔王』であった記憶と眼を引き継いでいるからという理由だけで殺すようなこと……


(……いや、心情的に何か生じても、殺すだろうな。それが奴の役割であるうちは)


 早まる動悸に胸の奥が痛い。

 喉が渇く。

 あの侵入者騒ぎを経ても、まだ心構えができていなかった自分の楽観視にきつく歯噛みする。

 もし本当に勇者と再びまみえたら、一体どうするのか。いい加減、はっきりと決断をしておくべきだった。

 奪われることを怖れ、防備にばかり思考を割いて、無意識に考えないようにしていたのかもしれない。


 自分は、本当に『勇者』に対して恨みなど抱いていないし、積極的な殺意もない。

 相手に対しての理解不能など色々思うところはあれど、とりあえず明確な敵意がないことは断言できる。

 だがこちらがどう思おうと、実際のところ全く関係ないのだ。


 問題は、『勇者』がどう考えているか。

 もし生まれ直しをしたリリアーナすらも『魔王』と見なされるのだとしたら、再度互いの存亡を賭けた殺し合いとなることは避けられない。

 実力で敵わない相手だとわかっていても、みすみす殺されるだけなんてことはしない。全力で抗わせてもらうつもりだ。

 その際は咎が向かないよう、まずファラムンドに親子の縁を切ってもらって、いや、皆の記憶を操作したほうが早いだろうか。

 全ての痕跡と心残りを排除した上で、誰にも迷惑にならなそうな場所を選び、……否、そこまでするなら、大人しく殺されたほうがましだ。思考を戻す。


 全ては『勇者』側の考え次第。ということは、和解の可能性とそのラインもあちらが握っているということ。

 奴の役割は『魔王』を殺すことなのだから、その追跡から逃れるには、自分がもう『魔王』ではないと判断させるに足る材料が必要となる。

 いくら口先で説いたところで証拠にもなりはしない。

 何か明確に、もう標的になり得ないことを示す必要があり――それが叶えば、もしかしたら。

 楽観視は危険、されど和解の可能性が少しでもあるのならそこに賭けたい気持ちもある。

 無謀とわかっていながら殺し合いを挑むよりも、生き延びる目がいくらかあるように思えるし。

 だが力量の拮抗しえた以前とは違い、力の差が歴然としすぎている今は接触を試みるだけで命がけだ。語らう場を持つより前に、正体がバレた瞬間に即殺されるかもしれない。

 やはり姿を隠してやり過ごすほうが賢明だろうか。それとも。


 ……どうすればいい?

 今この機会を逃したら、もう次はない。

 まず、何をするべきか?



「リリアーナ様」


 手首を掴まれ、塞いでいたカミロの口から手が放されていた。

 思考に気が逸れてすっかり力の抜けた腕が、すとんと体の横へ垂れる。

 黒手袋の指先が伸ばされ、頬にふれそうになったところで、それは肩へと落とされた。大きな手にふれられた場所から自分の輪郭を取り戻す。


「リリアーナ様、呼吸を。回数と速度を意識して、ゆっくりと息をなさってください」


「え、あ……」


「はい、吸って」


「……」


「はいて」


「は、……」


 言われるまま、緩やかな呼吸をいくらか繰り返す。

 鼓動はまだうるさいが、いつの間にか狭まっていた視野が回復してちゃんと店内が見えた。

 掃き清められた床と、菓子の並んだ机、すぐ横には青い顔をしたノーアが佇んでいる。

 正面にはカミロが、膝をついたままの姿勢で自分を見ていた。


 詰まっていた呼吸を再開したことで胸の痛みが収まり、渦巻いていた頭もいくらかクリアになってきた。

 焦りと、恐怖と、不安。それらにすっかり飲まれてしまっていたようだ。

 感情の波に弱く、身体機能までそれに引きずられてしまうのはこれで何度目だろう。

 コントロールできるようにと思っていたのに、いざそういった場面に直面すると頭がいっぱいになってしまう。生前とは精神の強弱だけでなく、脳と心の許容量自体が小さいのだと実感する。


「……すまない、カミロ。お陰ですこし落ち着いた」


 そう応えると、男は何らかの感情の揺らぎをその目に湛えたまま、指先でこちらの前髪を軽く払う。

 汗で額に貼りついていたのだろう。皮手袋の表面がほんの少し濡れているのを見て取り、慌ててその手を掴む。

 そのまま両手でぐねぐねと揉みしだいて、付着した汗をなかったことにした。

 気まずさから軽い咳払いと、半歩後退。自分の手の甲で額の汗をぬぐいながら、さりげなくポシェットへふれて状況報告を促す。


<対象は先ほどから動きが見られません。対話中の自警団員がずっと宿屋について語っているようです、今晩の宿泊先を勧めているのでしょう。聖堂に近いほど治安とサービスが良いかわりに、宿代が高いとか。何やら手持ちには余裕があるようで、良いベッドのある宿に泊まると言っております>


「ふむ……」


 このままもう少し店内で身を潜めていれば、奴は勧められた宿へ向かうのだろう。

 聖堂に近い場所を選んでくれればこのまま部屋へ入るまで探査で追ってもらうことができるし、もし遠い場所を選ばれても、行き先だけ聞いておけばひとまず明朝までの居場所は把握しておくことができる。

 出方を決める猶予はそれまで伸びたと思って良いだろうか。

 接触を試みるにしろ、身を隠すにしろ、それ以外の対処を実行するにしても、準備や考える時間があるに越したことはない。

 ひとまずはこの場をやり過ごして、様子を見る。


 ……そう決断をしかけたところで、これまでずっと何らかの思案に沈んでいたノーアが、決意を秘めた目でこちらを見た。

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