第146話 悪寒の正体


 出所のわからない寒気に店内を見回すと、作業台の向こうへ回ったマダムと目が合った。

 その手元にはカミロから渡してもらった小分け用の布袋と、どこかで見覚えのある簡素な紙袋。

 ふっくらした手を振りながら、白いパンのような柔和な笑みを向けてくる。


「すぐに包んじゃうからね、もうちょっとだけ待っててくれるかい?」


「は、はい」


 首元を押さえたまま何とかそれに返事をして、練習通りの笑顔を返した。

 意識して呼吸を整えるが、やや拍動が早くなっている。暑くもないのに首筋や背中へ冷たい汗が浮かぶ。

 急な体調不良だとして、原因が全く思い当たらない。

 先ほど口にしたブニェロスか果実水に何か入っていたのかという疑惑が浮かぶが、即座に却下した。

 カミロが共にいて自ら毒見までしたのだ、まず毒物の類ではないだろう。

 あの栞のように、魔法による精神操作がかけられているというわけでもない。ざっと見回す限り付近にそれらしい構成は見当たらず、店内には自分たちの他に客は、


<ぉげーっ!>


「……っ?」


 突然アルトからおかしな念話が飛び込み、思わず肩が跳ねた。

 妙な声を飛ばしてくるのはいつものことではあるが、この緊張した状態で驚かせるのはやめて欲しい。

 抗議にポシェットの上から押し潰してやると、すぐさま自分よりもずっと慌てた思念波が送られてくる。


<ああああのっ、リリアーナ様! どうぞお心を平静に保って精霊目や魔法は一切使わずに、そちらの窓からこっそりと外をご確認くださいー!>


「外……? 何かあるのか?」


 目視できる距離ならアルトの探査だけでも十分なはずなのに、わざわざ自分に確認させる必要とは。

 常とは異なるその様子に、この不調に繋がる何かが起きているのだと察する。

 慎重に窓へと近づき、背伸びをして薄いカーテンの端から屋外を覗いた。

 透明度の低いガラス越しでは少しぼやけているが、午後のうららかな日差しの中、大小さまざまな荷物を携えた通行人らの姿が見える。


<斜め左手の街路樹のそば、黒い制服を着た自警団の若者と会話をしている、フード姿の男をご覧ください!>


「フードの……男……?」


 歪んだ像の中、左側へ目を向けると木陰になった辺りに自警団の黒い制服を見つけた。

 顔まではよく見えないが、身振り手振りを交えながら何かを話している。その対面にいる相手はこちらに背を向けているため、顔を確認することができない。

 古びた朽葉色のマントに厚手の皮手袋。背負った荷袋と頑丈そうなブーツを見る限り、冬支度の買い物にいそしむ街の人間というわけではないようだ。

 旅人か、商人の馬車の護衛といった辺りだろうか。

 自警団の若者が通りの反対側を指さすと、フード姿の人物がそちらに顔を向けた。


「ひぁ」


 口を閉じるのも忘れたまま、窓から頭を下げる。

 瞬時にして心拍の速度が倍になった。

 額から全身からどっと冷や汗が噴き出る。

 視界に入っている床が水面のように揺れている。あまりの驚きに動揺が抑えきれない。


<ずっと周辺にいる人間たちを精査しておりましたが、あれは何らかの認識阻害をかけているようで気づくのが遅れました、申し訳ありません>


 心持ちボリュームを控えめにしたアルトからの念話が届く。

 付近におかしな動きをする者はいないか、街歩きをする自分の安全に気を配りながら、ついでに護衛についている従者たちの動きなども見ていたのだろう。今のアルトなら街の一区画分くらいは探査可能なはず。

 宝玉だけの姿となり出力が衰えているとはいえ、アルトの探査にも引っかからないようであれば相手は余程の防護を張っているのだ。発見の遅れを責めることなどできはしない。

 それに何より――……


<私はヤツの姿形を知らないため、目視によるご確認を頂きましたが、やはりあれは>


「……何、妙な声出して。外になんかあるのか?」


「あああわわわ……ま、待て、顔を出すな、見るならこっそりだぞ、危ないぞ、絶対に見つかるなよ」


「何に? 何がいるっていうんだ?」


 窓枠から顔を出そうとするノーアの袖をとっさに掴むが、中腰の姿勢から動くことができなかった。

 忠告通り目から上だけを覗かせ、先ほどの自分と同じような体勢で外を見回す少年を見上げる。

 自分が見つかるとまずいのはもとより、同じ精霊眼を有してるノーアもあの男と顔を合わせるのは何だか良くないような気がした。


「並木のそばに、自警団の……黒い制服を着た男と、旅装の男のふたり連れがいるだろう?」


「ああ、いるな。あれがどうしたの?」


「フードを被っているほうは、『勇者』だ」


「――――っ!」


 自分と寸分違わぬ速度で、ノーアは窓から頭を下げた。

 目を丸くしてこちらを向く顔は、今日初めて見る表情だ。

 互いに目を見合わせたまま言葉を失くす。


 擦り切れたフードの端からのぞいた横顔と、鮮やかすぎる赤毛。

 この距離と歪んだガラス越しでも見紛うはずはない、片時たりとも忘れたことのないあの焔の色。

 危機感を抱きはしても、まさか本当に再び目の当たりにするなんて思っていなかったのだと今頃になって気づかされる。

 わずかばかりの領地を作り、侵入者騒ぎの際に屋敷へ防護を張って、その程度の気休めで満足をしていた。

 これまで平気だったのだから、これからもそうなのだろうと、どこか慢心していたのだ。

 本当に危機感を持っていたなら、裏庭を離れて行動するのにもっと何か手を打っていたはず。今の日常に浸りすぎた油断のツケを目の当たりにして、両足が小刻みに震える。

 準備も心構えも、危機感も何もかも足りなかった。

 あれだけ悪夢に肝を冷やされたというのに。


「あれが、勇者? なぜそうだとわかる、根拠もだけど何で君が身を隠して、いやそれより奴は何しに……いや、どうして今このタイミングでここへ……?」


 問いかけから後半は自問自答になりながら、ノーアは額を押さえて唸り声をあげはじめる。

 自分と同等かそれ以上に動揺している相手を見て、いくらか落ち着きを取り戻すことができた。


 なぜ『勇者』の容貌を知っているのかは答えられない。だが、ここへ何しに来たのか、どうして今なのか、それを知りたいのはこちらも同じだ。


<簡易探査を素通りするヒトに気づき、詳細に調べたら精霊眼持ちの赤毛だったので、もしやと思ったのですが、やはりあの男が……。かけている防護が強力なため、悟られない範囲の探査では所持品などを調べることはできませんでした。現在も自警団の青年と会話中、こちらの店へ注意を向ける素振りはありません>


 総毛立つ腕をさすり、労いにポシェットを軽く叩く。

 突然の遭遇に驚きはしたが、ここに自分がいることを知られていないならまだ猶予はある。

 相手より先にその存在を知ることができたのはアルトのお手柄だ。今は戦闘能力の面で到底敵わない以上、後手に回ったらそこでおしまいだった。

 顔を合わせた瞬間に即殺されるようなことはないと思いたいが、それは奴に自分の正体を悟られているかどうか次第だ。


(それにしても、どうして、なぜ今、この街に……?)


 ノーアに視られていたことからも、三年前の領道での円柱陣は『勇者』にも目撃されていたと考えたほうがよい。

 だが、あれを視て『魔王』デスタリオラの存命を確信した、もしくは復活を疑ったなら、この三年間に周囲で何もなかったのはおかしい。

 大陸中のどこにいたとしても、あの男の足ならひと月とかからずイバニェス領へたどり着くことができたはず。

 現場である領道には例の花畑が――自分の『領地』が残っているのだ、あれを調べれば現在の姿までいかずとも、何らかの痕跡を掴めるだろう。

 あの男が『魔王』を仕留め損なったと理解したまま、三年もの間、何の行動も起こさなかったはずがない。


 デスタリオラの関与を疑っても、どこに潜んでいるかまではわからなかったとしたら?

 それを調べるために、最寄りのコンティエラの街へ滞在している?

 三年ぶりの外出が許されて、自分がこの街へ来た日、それもノーアを連れている時にたまたま遭遇したのは偶然だと……?

 いや、ここへきて迂闊な楽観視はしないほうがいい。油断しすぎた結果がこれなのだから、ここからの行動は慎重に、奴の狙いを見定めて状況をよく考えた上で最適な判断を下さなければ今後の平穏な生活どころか父上や屋敷の皆にまで


「リリアーナ様、いかがされましたか?」


「おわぁ!」


 すっかり思考の淵に沈んでいたせいで、すぐ後ろからかけられた声に大げさに驚いてしまう。

 落ち着いてきていた心拍がまたどくどくと早鐘を打っている。呼吸も荒い。

 背後を振り向くと、床へ片膝をついたカミロの顔が目線の高さにあった。


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