第140話 ぬいぐるみによる観測


 人混みの落ち着きはじめた露店通りは午前中よりも見通しがよくなり、三人並んでいても衝突の不安もなく歩きやすいようだ。

 身なりの良さが物珍しいのか、それともフードからわずかに覗く顔立ちに見惚れてか。たまに屋台の人間たちが注視を向けてくるが、それ以外には特に変わった動きもなく、平和な昼下がりの光景と言えた。


 前を向きながらも視線の動きで警戒を怠っていないことがうかがえるカミロ。微細に表情を変えながら楽しそうに話すリリアーナと、それに応えるリステンノーアと名乗った少年。

 ポシェットの中で周辺の探査を続けながら、アルトは頭上で交わされるふたりの会話を聞いていた。


 普段はほぼ四六時中、主とは行動を共にしているため、リリアーナが初耳となる情報はアルトにとっても初めて得るものが多い。

 特に聖堂に関する事柄は、キヴィランタにおいては縁遠いもの。

 互いに世間とは五十年近い途絶がある上に、リリアーナは大人たちの事情から隔離されている様子なので未知の部分が多い。

 関係者であるこの少年からならば、主が気にしていた情報を得られるのではと密かにアルトも期待していたのだが、やはりそう上手くはいかないようだ。


 年相応に無知で、愚かで、何も知らないというならそれでも良かった。

 だがこの少年は、リリアーナから問われたことのほとんどを、知っていながら明かさないでいるように見受けられる。


 赤い瞳に灯るのは、深淵をも恐れぬ知性の輝き。

 ずっと、誰よりもそばで見てきた眼と同じもの。

 アルトはすでに数十度目となる身体精査を少年へと走らせ、その体が平凡な――やや虚弱気味ではあるが、何の変哲もないヒト種であることを確かめる。


 リリアーナに対してかしずくカミロに対しては言語化の難しい敵愾心を抱くのに対し、なぜかリステンノーアにはそういった種類の感慨がちっとも湧かない。

 むしろ主に対するものと同種の慕わしさまで感じている。そんな自身の内部で起きる不可思議な動きに、アルトは疑問を拭えないでいた。

 相手がまだ幼いから、リリアーナに対して害になる可能性が低いためだろうか。

 それともやはり、主と同じ精霊眼を有しているせいだろうか。

 あとは、リリアーナ自身が楽しそうに接しているから。


 やや皮肉屋で主に対し失礼な物言いをする部分は気になるところだが、高い水準の教育を受けていること、領主家並みの良い暮らしをしていることなどは、その所作や薄い手の平からも察しがつく。

 貴公位の家柄にあると言うし、カミロすらも遠慮がちな態度を取るような相手だ。リリアーナと友人関係を築くにも、立場的な問題はないと思われる。


 そうしてアルトは思考中枢でいくつも納得のいく点を並べながら、是だからこそ否だと示す、どこか釈然としない矛盾を感じていた。

 整然とした道に見えない障害物でもあるような。

 ぶつかって踏み潰して歩いていることにまるで気づけていないような。

 前進しているのだから問題なし、と以前の『アルトバンデゥスの杖』であれば片付けられていた程度の違和感が、どうにも気になって仕方ない。


<……?>


 リステンノーアと会話をしていたリリアーナが、不意に指先でポシェットの表面を撫でた。

 アルトを呼ぶとか応答を求めるといった時の動作ではなく、つい無意識に触れただけのようだ。

 これまでふたりが交わしていた会話はずっと聞いていたが、数々の質問に対しては明言を避けた少年が、聖堂まで会いに行けば何でも答えると確約をした。

 それがどういう意味を持つのか、まだアルトには判断の材料が足りない。

 ただ再会を促すための釣り餌とも思えず、了承を返したリリアーナもまた何かを思案している様子だった。


 歩きながら、それまで続いていた会話がふつりと途切れる。

 まだ目的の店には到着しないのだろうか。

 何となくリリアーナに念話の声をかけたくなったアルトは、口実を探して周囲へと意識を向けた。

 通行人に対する探査は続行しているため、その中から報告できそうな事柄をいくつかピックアップしてみる。


<リリアーナ様。すぐそこ、右手側の屋台をのぞいている若者は、屋敷の従者のひとりですね。ポポ氏の店へ向かう途中にも一度すれ違いましたが>


「……ふむ」


 あまり居住棟には近づかない役職のようだから、おそらく見覚えはないのだろう。リリアーナは指摘した若者の横顔をじっと見つめてから小さく唸った。

 その視線に気づいたらしき男性は、慌てたように帽子を下げ、外套の襟を立てて顔を隠す。


<それと、左手斜め後方を歩いている夫婦らしき男女も、午前中にリリアーナ様の背後を歩いておりましたから、護衛の者かと思われます。朝とは上着と被り物を変えてますね、変装の一環でしょうか?>


 アルトからの念話を受けて、リリアーナはさりげなく後ろを振り返った。

 その一瞥でばっちり視線の合った男女は目を見開き、揃って屋台のほうへと方向転換をする。

 どちらもアルトの記憶にはない人間だが、その態度からもカミロが用意した護衛に間違いはないだろう。

 リステンノーアが怪訝そうな顔をするのに対し、リリアーナは「何でもない」と首を左右へ振った。

 それでも視点が高く事情を知るカミロだけは、何に目を向けたのかを悟ったらしい。


「もしお気に障るようでしたら、もっと距離を取らせますので」


「ああ、いや、別に気にしてないから大丈夫だ。護衛がついていることは、ちゃんと先に教えてもらったしな」


「本日はそれを気取られずに散策をお楽しみ頂くつもりだったのですが、逆にお気遣いを頂いてしまうとは。申し訳ありません、次回までに改善に努めます」


 低めた声は、屋台を眺める振りをする男女へも届いたのか、その肩がびくりと震える。

 アルトとしては念話を送る口実以外に大した意図はなかったのだが、探査の報告をした結果、護衛たちの先行きに暗雲が立ち込めたようだ。


「まぁ、仕事さえちゃんとしていれば構わないだろう。うん。それよりも、このあたりは果実の良い香りがするな」


「果物のシーズンはもう過ぎておりますから、少し収穫の遅かったものや、残ってしまったものを安値で売っているのでしょうね。ここまでの店で並んでいたように、この時期になると越冬の保存食として、加工された乾物や瓶詰として売られることが多いです」


「ああ、春まではデザートに使われる果物も瓶詰が多いものな……あれはあれで、甘みが強くて気に入っているが」


 足を止めたリリアーナの視線の先で、老婆が一抱えもの林檎を受け取って手持ちの布に包んでいた。

 幌のない簡素な屋台だ。設置された台の木箱には、青い林檎が山積している。


「前に見かけた林檎とは色が違うな?」


「イバニェスではシードル用の青い林檎も生産しておりますが、食用として出回るものは少ないですね。お屋敷では普段の入荷は赤い林檎が主ですから……試しにいくつか購入して、アマダに渡しておきましょうか?」


「それは良いな、何かいつもとは違う菓子を作ってくれるかもしれない」


 繋いでいた手を放し、内ポケットをまさぐったカミロが、取り出した硬貨入れから数枚のコインをリリアーナへと手渡す。

 小さな手の平に乗せられたのは、金貨と銀貨と銅貨、それぞれ一枚ずつ。


「馬車へ運ばせますから、お好きなだけ購入されて構いませんよ」


「そこまで大量に買うつもりはないぞ……」


 はにかんだような苦笑を浮かべて『お小遣い』を受け取ったリリアーナは、少年と一緒に屋台へと歩み寄る。その後ろから、微妙に口元を緩めたカミロがついてきた。

 店は値札のようなものを何も掲げておらず、屋台に見えていたテーブルも木箱を積み上げただけの簡易なものだ。

 山積みになった林檎の向こうで、好々爺然とした老人が笑いかけてくる。


「いらっしゃい、お嬢ちゃんにお坊ちゃん。今日はお父さんと一緒に買い物かい?」


「おと」


 歩みの途中で男は固まった。

 問われたリリアーナはちらりと背後を振り返ってから、「まぁそんなところだ」と軽い口調で返す。

 老人の目には、三人が幼い兄妹とその父親……親子連れに見えたようだ。

 外見的特徴で言えば、確かに黒髪のファラムンドよりは、灰色の髪をしたカミロのほうが血縁者に見えなくもない。顔立ちは全く似ておらず、あくまで髪色だけの話ではあるが。

 冬支度で賑わう昼下がり、仲睦まじげに歩く毛色の似た人間がいたら、それが家族に見えても何ら不思議はない。

 そんな客観的納得と、ざまぁみろという嘲笑と、どこか羨むような気持ちをないまぜにしながら、アルトは引き続き周囲へと警戒を向ける。


「青林檎はお好きかな、甘酸っぱくておいしいよ」


「うむ、とても良い香りだな。シードル……酒にする品種なのか?」


「うちのはそのまま食べても甘いんだが、今年はちょっと収穫が遅れてねぇ。安くしとくから、どうだい?」


 淡い緑色をした林檎は大玉で、虫食いや大きな傷は見られない。中まで精査してみても特に問題はなく、屋敷で見るものより酸度がやや強い。

 生食にはあまり適さないようにも思えるが、厨房長ならばリリアーナの好む味に調理してくれることだろう。


「そうだな、……これでいくつ買える?」


 そう言ってリリアーナが差し出したのは銀貨一枚。

 以前街へ来た時、キンケードが「銀貨一枚で林檎を十個買えば、おまけが一個ついてくる」という話をしたことはアルトも覚えている。

 季節も品種も異なるものだから、おそらく価格も変わっているだろう。

 それを探るために、すでに聞き知っている値段を示したのかもしれない。


「おや、そんなに買ってくれるのかい。そうだねぇ、お嬢ちゃんかわいいから、おまけして十個、」


「さっきの婆さんには銅二枚で四つ売っていただろ?」


「え? あ、あぁ……」


 横から入った少年の指摘に、老人が狼狽する。

 林檎がその価格であれば、銀貨一枚を出せば二十個は購入できるはずだ。

 露骨にうろたえる老人を見れば、それをわかっていながら少女に対し倍の値段をふっかけたことは明らか。

 リリアーナたちの身なりの良さから富裕層だと見て、そんなことをしたのだろう。


「ふむ……。そういえば今は移動中だから林檎を十個も持てないな。ではこの銅貨で二個売ってくれるか?」


「あぁ、その……」


「持ち帰っておいしい菓子にしてもらうから、この中から一番うまいのを選んでくれ」


 口ごもる老人に、リリアーナは差し出した銅貨を握らせる。

 リステンノーアはそれを見ても、今度は何も口を挟まなかった。

 アルトにとっては、以前に魔王城でも見たことのある光景だ。倍の値段を提示されたリリアーナが、怒らないだろうことも何となく予想がついていた。


「……はいよ。これと、これ、とっときの大きいやつだ。齧るにゃ向かないが、絞ってもジャムにしてもうまいよ」


「そうか、伝えておく。おいしかったら、次にまた見かけた時にも寄らせてもらおう」


「うん……うん、ありがとうよ。来年も買ってもらえるように、うまい林檎作って持ってくるよ、お嬢ちゃん」


 差し出された大玉の林檎二つはカミロが受け取り、音もなく近づいた女にそのまま手渡す。格好は異なるが、屋敷の玄関のあたりでよく見かける侍女だ。

 リリアーナが振り向く前に女は死角側から素早く立ち去り、その影すらも赤い瞳には映らなかった。

 どうやらアルトが感知している以上に、周囲には護衛の人間たちが張り付いているらしい。


「着ているもので金持ちだってことは丸わかりなんだから。それを自覚してないと、ああいう手合いは平気でこっちの足元見てくるぞ」


「それも売り方のひとつだろう。価格は売る側の一存で決められるものだ、違うか?」


「それはそうだけど……腹が立つじゃないか。騙されているようなものだろ?」


「騙されてはいないさ。その価格に納得がいかなければ、買わなければ良いのだから」


 自分が損をしたわけでもないのにむくれる少年に対し、リリアーナは極々薄く笑みを浮かべる。

 表面上はあまり変わらなくとも、これはとても楽しんでいる時の顔だとアルトにはわかった。


「わたしがあの林檎十個に、銀貨一枚分の価値があると思ったなら、それに相応しい対価として支払うまでだ。物の価値は、自分で決められる」


「……他の人間はもっと安く手に入れているのに、損じゃないって言うのか?」


「んー、わたしがとても困窮していたなら話は別かもしれないな。だが他者を妬むことはないさ、金銭に余裕がなくとも、払える価格で買えるものを購入するだけだ。何も変わりはしない」


「……」


 屋台を少しばかり離れてそんな会話をするふたりの後ろで、カミロは道のずっと先にいる青年へ何か合図を送っていた。

 指を立てたり倒したりというわずかな動作は、何らかの符丁なのだろう。

 これまでも幾度か、ふたりの見ていない角度で密やかな合図を交わされているのを観察してきたが、どういう意味が込められているのか読み取ることはできない。

 リリアーナが振り返ると同時に、男は何事もなかったように直立の姿勢へと戻った。


「貨幣制度は、モノの価値に数字をつけられるから面白いな。人の価値観によって変動する数値、物の多寡や季節で上下する相場……とても興味はあるが、書斎にはその辺について詳しく書かれた本が置いてない」


「君がそんなことに興味持ってどうするんだ、兄に取って代わって領主にでもなるつもりか?」


「そんな気は毛頭ない。父や兄の仕事を手伝いたいとは常々思っているがな」


 それにはまだまだ、色んなものが足りていないとリリアーナはひとりごちる。

 楽しそうだった笑顔は霧のように消えて、どこか物憂げに考え込む。

 差し出されたカミロの手を取りながら、視線を落とす令嬢のそんな表情を、男はどこか痛ましげに見つめ、少年は値踏みするような冷えた目を向ける。


 ……それらの様子を、アルトは第三者としてじっと観察していた。


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