第139話 情報の等価交換③


 ぐったりと頭をもたげながら脱力するノーアは、フードの中でぶつくさと何か文句を言っているようだ。

 雑踏に紛れて聞き取れなくとも、おそらくこちらに対する苦情の類だろうということはわかる。

 一応、精白石についての疑問点を投げかけるのは、「たぶんまずいだろうなぁ」と思って自粛しておいたのだが、聖堂に関しては突っ込んだ話をすること自体がまずいらしい。

 せっかくの機会ではあるが、これ以上ノーアを悩ませるのも悪いし、確実に厄介なネタであろう精白石についてここで持ち出すのはやめておこう。


「……まだ何かろくでもない質問があるという顔だな?」


「ろくでもないとは何だ。お前のことを思って口にするのをやめたというのに。いずれも前々から気になっていたことではあるが、ふれるのはまずいというのはわかったから、もういい」


 自分にだってふれてほしくない話題はあるし、問われたところで答えられないこともたくさんある。

 あっさり疑問の解決といかなかったことは残念でも、ひとまず聖堂関係者にとって、そのあたりの話題が丸ごと秘匿案件だということは良く理解できた。


 そして、彼の様子から他にもわかったことがある。

 聖句の原典に関するこちらの問いに対し、ノーアは「知らない」ではなく、「答えられない」と返した。

 そんなものはないとか、知らないとか、いくらでもごまかしようはあったはずなのに。

 それらを選ばずあえて正答を避けたことは、彼の誠実さと受け取っておこう。


 つまり、変形する前の原典は実在しているのだ。

 そして聖堂関係者はその事実を知っている。

 口伝だけでは音が変質してしまうと予想がつきそうなものなのに、文字として残すことを禁じたまま広め、なぜか元の詞があることすら秘密にしているようだ。

 原典が広まると都合が悪い?

 それなら全く別の詞を広めれば良いのに、ヒトの口から口へ伝わる間に変わっていくに任せるなどあまりに不確実ではないか。

 聖句だけでなく、魔法の行使に関してもおかしなことを流布していると自覚があり、構成の教導として正しくないとわかってやっていると思われる。

 間違いを、間違いだと自覚しながら人々へ伝える、その姿勢も理念も全く理解ができないし、何も知らず翻弄されている民たちを思えば怒りすら湧く。


「……ふむ」


 聖堂に対し、わけのわからないおかしな集団と思っていたものが、もの凄くわけのわからないとてもおかしな集団、という認識へアップデートを果たした。

 何が目的でどうしてそんなことをしているのか、さっぱりわからない。

 真実は知りたいが、できれば近寄りたくないし関わり合いも避けたいというのが正直なところだ。

 いつか成長してそれなりの立場を得たとしても、否、領主の身内という立場があるからこそ、聖堂の上位者へ近づいて直接掛け合うのは悪手と思われる。

 それよりも、何とかしてノーアに口を開かせるほうが手段としては近道かもしれない。

 ……そんなことを考えかけて即座に却下した。


「まぁいいさ、言いにくいことなら無理に答える必要はない。わたしはまだまだ知らないことがたくさんあるからな、何か他のことを教えてもらえれば十分だ」


「……フェアじゃないだろう。僕はあの時の構成が、君の手によるものだと聞き出したのに」


、ということが確かめられただけで、こちらにも利はある。良い自戒になった。目立たないように、平穏に暮らしたいと願っているのなら、今後はもっと気をつけるべきだとな」


 まぁ、三年前のあれは非常事態だったから、できれば例外としておきたいところだが。

 そんなことを零せば、ノーアは伺うようにこちらを見てから、何とも複雑そうな顔をして小さく息をついた。


「絶対無理だと思うよ、それ。君は生きているだけで目立つ種類の人間だ」


「な、何だと、そんなことはないぞ、慎重~に注意深く過ごせば地味に生きることだって、」


「地味、とか。おそらく君には一生無縁の概念だからね」


<現在の容姿だけではなく、リリアーナ様は持ってお生まれになられた才覚も着想も、どうしても常人離れしてしまいますから……何をしても目立ってしまわれるのは、もう仕方のないことかと>


 この髪と瞳の色のせいで目立つのか、と思いかけたのをアルトからの念話が容赦なく打ち砕く。

 生前は黒髪だったし、魔王という立場以外は取り立てて目立つ部分もなかったと認識しているのだが。

 どうやら今の生活では、余程注意していないと悪目立ちしてしまうようだ。

 普段は屋敷から外に出ないし、街歩きをする際は、前回も今回もきちんと髪を隠している。会話を交わすのも小声だからそう人目を引いてはいないはず。

 そう思いながら顔を上げると、それまでこちらを見ていたらしき店番の少年がさっと視線を逸らした。


「……!」


「まぁ、そんな戯言は置くとして、」


「い、いや待て、戯言じゃないぞ、大事な話だ」


「どうでもいいよ」


 取り付く島もなくバッサリと切り捨てられる。

 自分だって遥か遠方からでも一目で見分けられるような目立つ外見をしているくせに、という言葉はさすがに飲み込んだ。

 その珍しい見目を、もしかしたら気にしているかもしれないのだから、揶揄するように軽口へ乗せるべきではない。

 もやっとするが、我慢だ。

 飲み込んだ言葉の分だけ頬がふくらむ。

 それをちらりと見ながらも、ノーアは面倒くさそうな顔をするのみで取り合うことなく話の続きを始めた。


「五年ごとの祈祷と、聖句の唱和、それらの制度ができてもう四十年以上経つらしい。音としての聖句はすでに民間へ浸透しているから、誰も不思議になんて思わないんだよ。でも、君がその眼を持っているなら疑問に思うこと自体はおかしくないか……」


「この眼がなくたって、聖句は王国中で唱えられているのだから、ちょっと考えれば誰でも不思議に思うのではないか?」


「その、ちょっと、が普通は掴めないんだ。そういう風にしているから」


「そういう風……?」


 一体どういう意味かと首をかしげるこちらに構わず、ノーアは剣呑な眼差しを向けながら言葉を続ける。


「僕がここで疑問に思うな、気にするなと言ったところで、君は諦める気はないんだろ?」


「そうだな。わからないことや知らないことを放置していると、モヤモヤするだろう?」


「危険だと忠告しているのに?」


「んー、これは個人的な欲だから、お前の善意からの忠告を無碍にするつもりはないさ。わたしだって我が身が惜しい、危険だと言われている藪へ無暗に首を突っ込みはしない。……と思う」


 脆いヒトの身となった以上、安全第一で生きるつもりはあるのだが、状況次第ではどういった判断を下すのかその時になってみないとわからない部分もある。

 そのため断言を避けておくと、こちらの言い分が意に沿うものではなかったのか、それとも予想の範疇だったのか。ノーアは目を眇めながら一層声音を落とした。


「安易に他者へたずねさえしなければ、別に。……危ないとわかっていてもなお手を出すかどうかは、君の自由だよ。僕の関知するところじゃない。だから聖堂や魔法に関しての疑問は、君自身が手の届く範囲で調べて、ひとりで考察して、それでもわからなければ……」


「わからなければ?」


「…………」


 話しながらも横目を向けるばかりだったノーアが、初めて首を回してこちらを見た。

 赤い両の目が真っ直ぐに自分を視ている。

 構成は浮かんでいない、何の魔法も行使されていない、それでも空間が停止する錯視をした。

 間近でその眼を見るたびに、同じものだと感じる。

 自分と同じ。

 対と対。

 赤と赤。


 ――ふと、蒸気のように浮かんだ疑問に全ての感覚が止まる。


 人々の声が聴こえない。

 物売りの呼び込みが消える。

 雑踏から切り離されたように。


 鼓膜は少年の小さな囁きだけを拾う。



「僕に会いに来るといい」


「聖堂へ、ということか?」


 その問いかけにノーアは淡く、目元を細めるだけの笑みを浮かべた。



「……君が、もし僕のところまで辿り着けたら、その時は知っていることを何でも答えると約束しよう。さっきの借りふたつの分まで、何でも教えてあげるよ」


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