第138話 情報の等価交換②


 領道で起きた「落石事故」のことは、自分などより自警団や聖堂の大人たちに訊けば、もっと詳細に知ることができるはず。

 土砂を戻すために用いた円柱構成陣についても、何のために使ったのか、どこで得た技術か、どうやって構成を回したのか、疑問に思う余地はいくらでもあるだろうに、そのものに対して深くは追及してこない。

 ノーアに何らかの考えがあるのか、それとも短い受け答えの中で求めていた回答は得られたから十分ということなのか。

 自分ならここぞとばかりに満足いくまで追及するところだが、これはひとつの質問に対しひとつの情報という公平な取り引きだ。

 ノーアの知りたかった情報が「三年前に目撃した円柱陣の発生源とその発動者」ということなら、自分はその問いに対してしっかりと答えを提示している。

 であれば、対価として秤の片側へ乗せるに足るものだったと思って良いだろう。

 こちらも遠慮なく知りたいことを訊かせてもらおう。


 前々から、聖堂関係者に直接たずねてみたいと思っていた疑問点はいくつもある。

 年端は行かずとも、その中枢に近いであろう人物からこうして直に話を聞ける機会なんてそうそうありはしない。

 欲しかった情報を得られるまたとない好機。

 これまで推察を重ねるのみで解決しなかった疑問、それらを頭の中に並べてみて、一番気になるものを選び取った。


「聖王国内で唱えられている『聖句』は口伝のうちに長い時間をかけて変形していったものだと推測しているが、ノーアはその原型を知っているか?」


 官吏の授業を受けても、書斎の本を読んでも、アダルベルトから話を聞いてもわからなかったこと。

 ふれられる範囲の情報が不足しているため、ひとりではいくら考えたところで正解にはたどり着けない。


 聖堂になら人々の口を伝って変形をする前の、きちんと意味が通る詞の原型が残されているのではないか?

 完全な形で元の詞が残っていなくても、音の羅列となってしまった聖句の元々の意味くらいは知っているのでは?

 ……そう思って訊ねてみたのだが、ノーアはしばしの沈黙を挟んだのち、力いっぱい眉をしかめた嫌そうな顔をこちらへ向けた。


「たしかに、訊きたいことがあるなら答えるとは言ったけど、……そういうことを、訊くか?」


「ん? もし知らないとか答えられないような事柄なら、別の質問にするから無理をする必要はないぞ?」


「……じゃあ、それでいい。この問いには答えられない。他にしてくれ」


「わかった」


 書物に文字として残すことを禁じるほどだ、そう易々と外部の人間へ開示して良い情報でもないのだろう。

 そうなると、聖堂内のもっと上の立場にある者から許可を得るか、もしくは原本が残されている可能性に賭けて聖堂の書庫のような場所を調べるか。

 どちらも今の状況では到底手が届きそうにない。

 ひとまず聖句の原典に関しては保留として、次の質問を挙げることにした。


「そもそも、どうして聖句を文字で残してはいけないんだ?」


「……。君さぁ……。何でそう……、」


「うん? これもダメか?」


「ダメとかそういう話じゃなくて……。いや、質問されれば何でも答えるようなことを言った僕が悪かった。この質問もパスだ、借りふたつってことにしておいてくれ」


 別に答え難いことを無理に聞き出すつもりはないのだから、知られたくないことなら他の質問に切り替えるだけでいいのに。妙なところで律義な奴だ。

 借りというのは質問の回数が増えたと思って良いのだろうか。そう考えていると、わずかに眼差しを鋭くしたノーアが一層声音をひそめる。


「それと、こういうことは聖堂関係者だけじゃなく、他の人間にも無闇にたずねるのはやめておけ」


「……? 前に、うちの長兄には少し訊いたことがあるぞ。書斎にある本だけではわからないから、誰か知らないかなと思ったのだが」


「身内ならまだいいけど。その手の話を不用意に探るのは、君の立場では危険を伴うと覚えておいたほうがいい」


「そうなのか、わかった」


 何やら聖句関係の話には、秘められているなりの事情があるようだ。

 家族以外の他者にはおいそれと訊けない、聖堂を直接探ることも難しい。となると、どうやって情報を得ようか。

 正攻法でいくなら、やはり聖堂の上位者と掛け合って、明かしてもよい相手であると認めさせるところからだろう。十歳記すら終えていない今の自分では道程が遠い。

 イバニェス家はあまり聖堂と仲が良くないようだから、道程どころかまず足掛かりを掴むのすら難しそうだ。

 だが一度気になってしまった以上、聖句について探るのをやめるという選択肢はない。


「聖堂っていうのも、なかなか厄介な所だなぁ……」


「厄介どころか、普通は関係者に直接そんなこと訊こうなんて発想自体が浮かばないと思うけど」


「そうか? 隠されたら気になるものだろう?」


「気になる以前に、常人には隠していることすら気づけないよ。そもそも君はその手の話に対して忌避感が薄すぎる。貴公位の家には、たしか官吏が直接赴いて講義をしているはずだろう? その理解力があるなら、必要なことはもう一通り教わっているんじゃないか?」 


「ああ、五歳まではいたな。問題を起こして領外へ追放処分になったと聞いたが」


 聖句の授業で同じ話ばかり繰り返していた官吏の男は、今頃どこで何をしているのか。

 懲罰や罪科に関してはあまり詳しくないが、役職を追われた上で領外へ追放というのは、それなりに重い処分だろう。

 自分の周囲においてはレオカディオが嫌な思いをした程度でも、ファラムンドが不当な処分を下すとは思えないから、他のところで相応の罪を重ねていたということだ。

 領内の子どもたちに手を出していたという又聞きの話が、どこまで真実かはわからない。噂話や商人伝いの兄からの報せよりも、自分は父が下した裁定を信じる。

 もう顔も思い出せない官吏ではあるが、アダルベルトが信頼を寄せていたという話を聞いた後では、一方的に悪人と思うこともできなかった。

 自身に未遂以外の害が及んでいたならともかく、彼のしたことは全て伝聞なのだ。

 だからこの件に関しては、信頼している者たちの判断を信じている。自警団とファラムンドの調べによって罪ありきとされたなら、彼は罪人であり、すでに相応の罰を受けた。それでおしまい。

 益体もなくそんなことを考えていると、隣でフードの頭が下を向いた。


「……そういえばあったな、そんなこと。思い出した、あれは君の教師役だったのか……。その、……悪かった」


「どうしてお前が謝る?」


「不快な思いをしただろう。面識もない官吏だけど、僕にも責任の一端はある」


 退屈な授業とちらつくパストディーアーに辟易とはしても、不快というほどではなかった。

 むしろ腕を切断されたり雷に打たれたりと、大変な目に遭ったのはあの官吏のほうなのだが、それらも自業自得と言えばそれまで。

 彼がレオカディオに対し何か不愉快なことをしたらしいのは事実なのだから、相応の報いは受けるべきだ。

 あの男が落雷に打たれ罷免されたと聞いた時、果たして次兄の胸はすいただろうか。


「あの官吏はきちんと罰を受けたようだし、悪さをしたのはノーアではない。いくら聖堂関係者だからといってお前が謝罪する必要はないさ、それくらいの分別はつく」


 口にしたのは本心からの言葉だが、ノーアの表情は晴れない。

 きつく結んだ唇からは何も返されず、視線も足元へ落ちたまま。握られた手にも少し力がこもっている。

 自分はあの官吏に指一本触れられてはいないし、万が一何かあったとしても、ノーアが責任や負い目を感じるようなことでもないはずだが、この件に関して何か気掛かりでもあるのだろうか。

 追放された官吏の身内という様子でもなく、大人の責任を負うような立場でもないだろうに。

 首をひねって考えてみたが全くわからない。


 ちらりと右上へ視線を向けてみる。

 こちらの会話は聞こえていなかったのか、カミロは前方を見たままでその表情にも変化はない。

 別に助け船を求めたわけではないし、話が聞こえていないほうが好都合とも言えるだろう。

 五歳記でのやりとりを見る限り、自分が聖堂について興味を持っていることは、大人たちにはあまり知られないほうが良い気もする。

 何にせよ、今は興味と疑問ばかりが先立ってる。

 考えてもわからないことは、要素となる情報が足りていないのだ。ノーアの心情を測ることは早々に諦め、何やら消沈しているらしき少年の手をこちらも強めに握り返した。


「まぁ、何だ。ヒトの数だけ思惑も事情も様々あるものだ。どんな立場にあっても、他者の考えや行動を完全に制御することなどできるものではないさ。お前が何を気にしているのかは知らないが、他人の行いに対してあまり気負うな」


「……台詞が年寄り臭い」


「何とでも言え」


 冷えた手を握りながらでは、さすがに失礼だと責める気にもなれない。

 ノーアは相変わらず視線を落としたままだが、軽口を叩いたせいかその雰囲気は幾分和らいだ。

 とりあえずこの話題が良くないということは確かだ。続けたいほど気になることもないし、何か別の話、他の質問に切り替えるべきだろう。


「ええと、他の訊きたいことを言って良いのだよな? 聖句とは別件で、ひとつ疑問に思っていたことがあるのだが」


「ああ、僕に答えられる問いならちゃんと答えるよ」


「最近は聖堂が主導して、魔法師たちに対し妙な詠唱を教えているそうではないか。構成を描くのに不要な身振りや呪文ばかりを重視して、魔法の行使や精霊眼について肝心なことを何も教えていないのは、何か理由でもあるのか?」


 顔を上げかけたノーアの頭がぐらりと揺れた。

 どこか具合でも悪いのかと思いきや、空いた左手で額を押さえながら、恨みがましい目でカミロを見上げる。


「これ、いつもこんななのか……?」


「これ?」


 何のことだと、ノーアと揃って隣を歩く男を見上げる。

 問われたカミロは変わらず前方を、いや、それよりもっと、どこか遠くを見ていた。


「リリアーナ様はいつも探求心と知的好奇心にあふれておいでで、私などは及びもつかないほど賢くいらっしゃいますから。ご興味を持たれたことは殊更深く知りたいと思われるのでしょう、そのたゆまぬ勤勉さには心より尊敬申し上げます」


「目を合わせて言えよ……」


 ノーアは頭痛をこらえるように頭を押さえながら、力のこもらない唸り声でそんなことを漏らした。


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