第137話 情報の等価交換①
リリアーナとして生きる現状にさしたる不満はないのだし、生前のように好き勝手に振舞って何でも知りたいと思うのはさすがに贅沢というものだろう。
今だって十分すぎるほど配慮されていることを知っている。渡された書斎の鍵も、カミロからもたらされる様々な報告も。
子ども相手だからとおざなりにせず、周囲の大人たちはきちんとこちらの望みに向かい合ってくれているのだから。
鈍くなっていた歩調を戻し、顔を上げた。
「……何でもない、しようもない愚痴だ。これから成長するにしたがって知ることが増えていけば、わたしだってお前のように領内のことにも詳しくなるのだからな」
「君はもっと他に、知るべきことが色々あると思うんだけど」
「ああ、それは以前、次兄からも同じように言われたことがある。読書や学習が足りないと指摘されたのは二度目だな、うむ、もっともっと学ばなくては」
「「…………」」
リリアーナの頭上で斜めに交わされた視線は、無言のままそっと逸らされた。
三人で手を繋いだまま歩みを進め、金物屋の角を曲がる。
路地のような細い道を過ぎて反対側へ出れば、そこはたくさんの通行人で賑わう露店通りだ。
色とりどりの幌で日避けをした露店や屋台がいくつも並び、衣類や小物など様々な品を並べて呼び込みをしている。
そんな中でも昼を過ぎて並べる品のなくなった店が退いたのか、以前見た時とは異なり所々に空きがあるようだ。
「ここからはまた人が多くなりますので、どうぞお気をつけください」
「うむ。ノーアも気をつけろよ、そのフードは視界が悪いだろうから、よそ見をしていると通行人や荷物にぶつかるぞ」
「そこまで粗忽じゃないよ」
むすりと応えるノーアは、頭のあたりをさわってフードの形を確かめた。黒い円錐状だった天辺は、今は後ろに倒されてしまっている。
度々リリアーナの視線が顔よりも上に向かうことで、フードの頭頂部が尖っていたこと、そして全体的なフォルムがとても三角なことに気づいてしまったらしい。
あれはあれで面白かったのに、と少しばかり残念な気持ちになる。
「……何」
「いや、何というほどでもないが。マントが重たそうだな」
「重いし、暑いよ。でも目立つよりはマシだとわかってる、仕方ないだろう」
「うん、ポポの店でもう少し寛いでいられたら良かったのだがな。上着とフードを脱いでいられたし、お前にはもう少し訊きたいこともあったのに」
食後のお茶を飲んで一息ついて、さて聖堂関係のこともいくらか訊ねてみようかと思ったところで、とんだ邪魔が入ってしまった。
あの闖入者がなければノーアからもっと色んな話を聞くことができただろうに、無駄な時間を過ごしてしまったことが惜しまれる。
「これから学習するんじゃなかったのか?」
「ああ、領内のことは自分で学ぶさ。それ以外でお前に訊いてみたいことがあったんだ」
「僕だって何でも知っているわけじゃないし、何でも答える義理はない」
そう言うと、横目でちらりとこちらをうかがう。
フードに覆われて表情は見えにくいが、隣同士で歩く距離が近いため会話に不都合はない。
むしろ雑踏に紛れる分、ポポの店とは逆の意味で話を他者に聞かれにくい環境とも言えるだろう。
「何か提供を求めるなら、相応の対価を払うものじゃないか?」
「ん、それもそうだな、教えてもらうばかりではフェアではない。とはいえ、ノーアは博識だから交換に差し出せるような情報がわたしの手持ちにあるかどうか……」
「それなら、じゃあ、」
少しばかり周囲の様子をうかがうような素振りを見せてから、ノーアは顔をこちらへ向けた。
「……三年前に、君の周囲で何か変わったことはなかった?」
「三年前? 何かと言われても毎日色々あったと思うが、この時期の話か?」
「陽の季の手前。何か大きな事件とか諍いとか、身の回りで問題は起きなかった?」
そう問われて、思い当たるものはひとつしかない。
きっと自分だけではなく家族も、この街に住まう者たちの誰もが同じ事件を思い浮かべることだろう。
あの時に受けた精神への痛みは忘れていない。悔しさと怒りも、埋火となって未だ胸の奥底にしまってある。
すでに過去の出来事ではあるが、全てが明らかになり決着をつけられるその時まで、自分の中では終わってなどいない。
その苦い思いを反芻しながら、なるべく声音に変化のないよう答えた。
「領道の事故のことか。その季節に起きた大きな事件と言えばそれだろう、わたしなどに訊ねられても大したことは答えられないぞ。お前のほうが余程詳しいんじゃないか?」
「領道の、事故……?」
当然知っているはずだろうと思い返した言葉に対し、少年は意外そうに眉を持ち上げる。
「知らなかったのか? 合同葬儀は聖堂で行われたと聞いたが、留守にでもしていたか?」
「……あぁ、うん、詳細は耳に入っていなかった。君の知っている範囲で概要を教えてくれ」
様々なことに詳しいノーアが、まさかあんなに大きな事件のことを知らないとは思わなかった。
「知識が偏っているな」と小さく漏らすと、「君ほどじゃない」なんて返ってくる。まったく、減らず口の尽きない少年だ。
「この街の西側、サーレンバー領へ繋がる領道の途中で落石事故があったんだ。父上の乗った馬車が偶然それに巻き込まれてな……」
「イバニェス公が? でも、まだ健在だろう?」
「もちろんだ。幸い父上は無事だったが、侍女や護衛たちが何人も犠牲になった。怪我を負った者もひどい重傷で……」
その言葉を聞くノーアの目が、カミロの足へと向けられたのがわかった。
それにつられてつい隣を歩く男の足を見てしまいそうになるが、もう気にしないという約束だ。視線は前方に向けたまま、赤い光景を脳裏から振り払う。
「君もその場に?」
「あー、うん、馬車へ乗り合わせたわけではないが、報せを受けてすぐ、馬で現場に連れて行ってもらった」
「ふぅん……」
短くそう相槌を打つと、そのままノーアは前を向いて目を細めた。
静かな白い面持ちから考えていることは伺い知れない。
対価として払うにはあまりにありふれた、そこらの通行人でも知っているような情報だ。
三年前に身の回りで起きたこと。そんなことを訊いて、一体何が知りたかったというのか。
鼻先をくすぐる果物の匂いに半ば気を取られながら視線を上げると、聖堂の白い塔が目に入った。
のっぺりとしたロウソクのような尖塔。この街のどの建物よりも高く、頂上付近には小さな窓が見える。
あれだけの高さがあれば、さぞ見晴らしも良いだろう。
以前に垣間見たノーアの部屋、そこにあった鉄格子のような窓を思い出す。
蔦の這う枠の向こうには蒼穹が広がり、どこまでも見通せるようで――
「……窓?」
「何か言った?」
「も、もしかして……三年前に塔の窓から、あの構成陣を見ていた、とか?」
「この眼が何なのか分かった時点で、まずそれを心配するべきだったと思うよ。気づくのが遅すぎる、警戒心が薄すぎる、自覚がなさすぎる」
「ぐ」
ノーアからの駄目出し三連発にぐうの音も出ない。
思わず額を押さえたくなったが、あいにくと両手は塞がっている。
言葉もなく喉の奥で唸っていると、隣からは呆れを隠そうともしない嘆息が聞こえた。
「はぁ……。それじゃ、対価の情報はもらったから次はそっち。何か僕に訊きたいことがあるなら、ひとつだけ答えてもいいよ」
「……?」
そういえば情報の対価という話をしていたのだった。
領道の件について自分からは、「事故」という側面の話しか打ち明けることはできない。
てっきりもっと突っ込んだことを訊いてくるのかと警戒したが、本命は落石事故のほうではなく、あの円柱陣の出所について知りたかっただけのようだ。
あんな大規模な構成を描くほどの出来事、一体何が起こったのかと。
それならそうと、効果や持続方法や手順などいくらでも質問してくれて良いのに、ノーアはそれ以上魔法について訊ねる気はないらしい。
あの巨大な構成陣で一体何を成したのか、そういったことに興味はないのだろうか。
もっとも、描き方を問われたところで手本を見せるのは不可能だし、いくら同じ眼を持っていても彼に実現は不可能だろう。
同じだけの精霊を用意しても、構成を丸暗記しても、積み上げた研鑽ばかりはそう簡単に真似できるものではない。
他者に目撃されることを考慮していなかった当時の行いについては、反省はもう散々したあとだ。
ひとまずノーアの疑問は満たせたということで、遠慮なくこちらも気になっていたことを聞かせてもらうとしよう。
「……うん。ではひとつだけ質問をさせてもらおうかな」
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