第141話 あつあつブニェロス


 目についた屋台で林檎を購入したリリアーナは、ついでに産地や収穫について話を聞いてみたいと思っていたが、流れ的にそういった聞き取りは諦めて店をわずかばかり離れた。

 値段をつり上げて売ろうとしたことが明るみになり、店主としては居心地の悪い思いをしているだろう。

 少しでも有利な値段で売ろうとするのは、商売人の心理として当然の働きだ。それを理解しているからこそ、ふっかけられていることがわかってもリリアーナは店主の老人を責めるつもりはなかった。

 ノーアの指摘も厚意からのものだろうし、もう少し双方に対し上手いフォローができれば良かったのだが。

 語ることは得意でも、人の感情を汲み取って会話をするのはやはり難しいなと内心で唸る。


 久しぶりの、貨幣を用いた買い物。手元に残った銀貨と金貨は返そうと握り込んでいた手を開けば、「どうぞそのままお持ちください」と柔らかな声が降ってきた。

 どうやら本当に、今日の『お小遣い』として与えられたものらしい。

 金貨一枚には相当な価値があるはずだ。今日はすでにイグナシオの店で高価な買い物をしているというのに、良いのだろうか。

 とはいえ、カミロがこう言う以上は返すと言ったところで受け取ってはもらえまい。

 リリアーナは大人しくうなずいて、二枚のコインをポシェット側面へしまい込んだ。


 そうして差し出されたカミロの手を取り、再び三人で手を繋いで歩きだす。

 左隣をちらりとのぞけば、少年はその顔にまだいくらか不服そうな色を残していた。


「お前が買い物の損得を気にするとは、少し意外だな」


「別に気にしてなんかないよ」


「まぁ、そういうことにしておくが。どうやら身分のある者は、自らの手で金を渡して買い物をしないらしいから。わたしも直に物を購入したのはこれが二度目なんだ」


 前回の雑貨店では、まだ貨幣の価値がよく理解できていなかったため、ガラスの鉢を購入するのに手持ちの金貨を差し出した。

 そのまま受け取ってしまっても良かったのに、あの店の老婆は適正な釣り銭を返すために鉢が安価であることなどを教えてくれた。

 売る値段は売り手が決められるが、買い取る値段を上げることは買い手側にも許されるとは思う。

 本当にそれが欲しい、必要だという付加価値がそこにあるなら……リリアーナにとってあの青いガラス製の鉢には、金貨一枚に相当する価値があった。

 だが不相応なつり上げは売り手への侮辱にもなりかねないし、余所へ知られれば相場というものを乱す要因にもなり得るだろう。

 一対一で終わる取り引き、物々交換の多かったキヴィランタとは文化が違うということを至るところで感じる。貨幣制度と流通、相場についてはまだまだ学習が必要だ。


「需要に、値付け、相場……。実地の買い物から学べることはたくさんあるな。こうして街に来てみて良かった」


「領主を手伝うのに現場の知識なんて……まさか、商人にでもなりたいのか?」


「自分でなるつもりはないが、実はちょっと商売に興味がある」


 目下、何をするにしても金銭が必要だ。

 そして金策の手段として一番の近道は、何かを売って利益を得ること。

 何を、どこで、どうやって売るのかは未だ全く考えつかないけれど、こうして実際の売買を見ておけば何かのヒントになるかもしれないし、将来的なことを考えても商売について学んでおくことは無駄にはならないはず。


「確実に向いてないからやめておいた方がいいと思う」


「やってみないとわからないだろう?」


「まぁ、商業の大元をあんな人間に握られてるようなら、勉強しておくのも悪くはないかもね。この領に限った話でもないけど」


 あの岩蛙のことを言っているのだろう。ノーアは周囲の露店を眺めながら、目を細める。

 商店らの元締めのひとりとして欠かせない役割を担っている岩蛙も、こと売買に関しては自分などより何倍も詳しい、その道の専門家だ。あんな人となりでなければ、何らかの接点を持って対話の機会を設けてみたかった。

 商業について学びたくても書斎に専門書は置いておらず、授業で取り扱われる予定もなさそうな現状。

 身近に詳しそうな者の心当たりもないから、どこかで教授してくれる相手か、もしくは教本などを見つけられれば良いのだが。


 そんなことを考えながら歩いているうちに、肉や小麦の焼ける良い匂いが漂ってきた。

 建屋の店とは異なり、露店はその日によって顔ぶれが変わるから見分けにくいが、この辺りは前にも来たことがある。

 石造りの一階部分に木材を足した建築様式、石灰質の塗り材で白く塗られた壁と鮮やかな扉。

 目を引く色合いの看板と壁に這う蔦、記憶よりも育っている鉢植えたち。

 前回はキンケードに抱き上げられて歩いた道だから視点の高さは異なるけれど、確かに見覚えがある。

 以前はすぐそこの角に、幌つき馬車を用いた出店があった。

 丸眼鏡をかけた奇妙な行商人、アイゼンと遭遇したあたりを過ぎれば、開けた場所にベンチや花壇などが設えられ、その場で受け取って食べるような軽食屋台が軒を並べる。


「この辺は昼食時を過ぎてもまだ人が多いですね。通行人にお気をつけ下さい」


「うむ。手荷物の大きな者が多いから、買い物がひと段落して食事に寄っているのか……あ、あの赤い幌の屋台だな、ブニェロスを売っているのは」


「ええ、そう並んではいない様子ですから、すぐに購入できそうです。隣の果実水もご一緒にいかがですか?」


「あんまり甘くないものが良いな」


「かしこまりました」


 応えるカミロに手を引かれ、数人並んでいる順番待ちの最後につく。

 鼻先をくすぐる良い匂いと一緒に、じゅうじゅうと油で揚げる調理の音が聞こえてくる。

 普段の食事は完成した料理が目の前に運ばれてくるため、こうして調理の様子を間近で観察できるのも新鮮だ。


「さっき食事したばかりなのに、本当にまだ食べる気なのか……」


「あれはポポが腹に溜まらないように作ってくれた軽食だから、言わば前菜のようなものだろう。ブニェロスは昼食だぞ?」


「その、ブ……何とかっていうのが、そんなに食べたいのか?」


「うむ、三年振りだ。これはとてもうまい、ノーアも食べたら絶対驚く、これはうまいぞ」


「二回言わなくていいよ」


 ノーアは呆れたように眉をひそめながら、並ぶのに邪魔だからと繋いでいた手を放す。

 すでに揚げてあるものを程よく冷まし、あとは包んで受け渡すだけのようで、順番待ちの列は思いの外すんなりと進んでいく。


「肉と野菜を炒めて味付けしたものを、小麦を練って伸ばした皮に包んで揚げてあるんだ。うまい上に肉と野菜と穀物と油脂が一度に摂取できる、栄養摂取の面から見ても実に効率的な優れものなのだぞ?」


 おまけにカトラリーや皿を必要としない。手軽で片付けも不要という、屋外で食べるのにとても適した食物と言えるだろう。

 そんな説明を半眼で聞き流すノーアは、これだけ言ってもまだブニェロスに興味が向かないようだ。

 多少脂っぽいし、味付けも濃いから、もしかしたら個人の好みによっては口に合わないかもしれない。

 育ちが良さそうだから、こうした庶民の軽食自体に何か忌避感を持っている可能性もある。

 どうしても嫌だと突き返されたら無理強いするつもりはないが、せっかくならおいしく食べてもらえれば良い。気に入ってもらえたらなお良い。

 列の消化に合わせて一歩進めば、もう屋台は目の前だった。


「おーや、可愛いきょうだいだ。みっつで良いかい、お父さん!」


「……はい」


 陽気な店主に声をかけられ、銅貨を渡してブニェロスの包みを受け取るカミロの顔は、無だった。




 前回そうしたように、近くの花壇へ並んで腰かける。

 カミロがハンカチを敷いた上に自分が座り、持参したハンカチを隣に敷いてノーアを座らせる。

 思い切り渋い顔をされたものの、少年は何も言わずに大人しく腰を下ろした。文句を言うだけ無駄だと覚えたらしい。


 柑橘を絞った果実水で喉を潤している間に、毒見を済ませたカミロが紙包みを渡してくる。

 まだ中は熱いから食べる際は気を付けるようにと注意を促す男から、ノーアとふたりでそれを受け取った。


「本当に手で食べるのか、君が?」


「この形状ならナイフとフォークを使うより、このまま齧ったほうが楽だろう、手も汚れないし。何だ、カトラリーを用意しないと食べられないか?」


「僕はいいんだよ……」


 何やら不明瞭な声で異論を唱えるノーアを置いて、ブニェロスが冷めてしまう前に紙包みを開き、齧りつく。

 少し大きめの口でいったら、今回はちゃんと一口目で中身の肉にたどり着いた。

 よく揚がってパリパリとした皮に、濃厚なたれと絡まった肉のうまみが口いっぱいに広がる。

 紙の外装は素手でも持てる温度だが、カミロの言う通り中はまだ熱いようだ。

 こぼさないよう注意して口の中ではふはふしながら食べていると、隣でも恐る恐るといった様子でノーアが口をつけた。


「……!」


 パリ、という一口目を含んで動きが止まった。

 その体勢で頬張ったまま咀嚼して、時間をかけて嚥下するのを横目で観察してみる。

 そのまま二口目、三口目と無言のまま食べ進め、「あちっ」と顔を上げたところで置いてあった木製のコップを手渡すと、喉を鳴らして果実水を飲み込む。


「だから熱いと言ってるのに」


「……」


「うまいだろう?」


「……まぁ、うん、嫌いではない」


 素直じゃない。

 ともあれ余計な心配する必要もなく、ブニェロスがノーアの口に合ったようで何よりだ。

 小さく齧りながら黙々と食べ進めるのを見て安心し、自分の手元へ目を向ける。

 食堂のテーブルで落ち着いて食べるアマダの料理もうまいが、こうして屋外で誰かと一緒に食事をするのも心地よい。

 腹だけでなく心の内まで満たされるようだ。

 きっと同じ料理でも、気分や場所が異なればまた違う味わいになるのだろう。

 逆に、どれだけおいしいものでも、侍女や家族もいないひとりきりの部屋で食べるのは、想像しただけで味気ないように思う。


 ……ノーアは、いつもあの白い部屋で食事をとっているのだろうか。

 貴公位の系譜にあるなら粗末なものを食べているということはないだろうが、体の細さを見る限り十分な栄養を摂取できているとは思い難い。

 ヒトにはせっかく味覚があるのだから、おいしく、楽しく、十分な量の食事を摂れていると良いのだが。


 二口目を齧りながら何となく反対側を見ると、カミロはすでに食べ終えて口元を拭ったハンカチをしまうところだった。

 食事の最中を他者へ見せない。野生動物か何かか。


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