第134話 潮風の男②
雑に吹く北風に髪を乱されるのが気に食わないのか、しばらく頭を手で押さえていた男は再びフードを目深に被り直した。
目の前がチカチカするほどの色彩が隠され、体に感じた熱はやっぱり気のせいだったなと周囲を見渡す。建物に街路樹に石畳、どこかくすんだ色合いはいつも通りの街並みだ。
告げられた名前は聞き覚えのあるもので、ナポルは愛想だけの曖昧な苦笑を浮かべる。
「俺はナポルです、よろしく。……エルシオンって、あの勇者様の名前っすよね。じいさんたちの世代に多いみたいだけど、こんな若い人にもいたんだなぁ」
「あぁ、うん。活躍した四、五十年くらい前に名付けブームになったとか聞いたことある」
「勇者様にあやかって強い子に育つようにって願いが込められてるんだから、悪いものじゃないとは思うけど。同じ名前が多いとなんか大変そうすね」
生まれ育った村にも、年配に同じ名前の男性がいた。この街や中央ではもっといるだろう。
『勇者』が現役だった時代をとうに過ぎたことと、同名が広まりすぎたせいで最近ではその名前をつける人も減ったようだが、この男の親はおとぎ話なんかに語られる『勇者』のファンだったのかもしれない。
両親の想いがこもっているなら多少古臭くても良い名前だ。そう気遣っての言葉に、男は「あと二十年もすればその世代みんないなくなるから別にいいけど」とそっぽを向いた。
「あはは、ひどい事言ってる。それじゃ、えーと、昼飯食いに行きますか」
どの店にしようか迷っていた所だが、旅装の男……エルシオンからの「肉を食べたい」という要望のお陰で一つに絞れた。
「あっち、露天通りの向こうにうまい煮込み料理出してくれる店があるんすよ。内装のセンスはちょっと独特だけど、味は保証するんで」
選んだ店は、使っている食材が良いものばかりだから、普段の昼食に使うには少しばかり価格帯が上だったりする。
それでも聖堂側にある高級店なんかよりはずっと入りやすい雰囲気で、自分のような庶民も多く利用しているし、自警団の中堅もよく通っていると聞く。
自分的にはちょっとした祝いの日や、奮発しておいしいものを食べたい時に使うような店だ。
ここからもそう遠くないし、せっかくコンティエラに来たならうまいものを食べて良い思い出にしてもらいたい。
方向を指さして先導すると、男は肩にかけていた荷物を担ぎ直してナポルの隣に並んだ。
「ところでアンタのその服装、街の中でも同じの着たヤツをちらほら見かけるな。どっかの守衛か何かか?」
「これは自警団の制服。知らなかったんすか? 領内なら他の町にも派出所が置かれてるはずだけど」
「んー、どうだったかな、気がつかなかった。自警団っつーと、街の治安維持部隊みたいなモンか」
「役割としてはそんな感じだけど、今のイバニェスは領軍とか領主様の私兵とか置いてないから。かわりに強盗を捕まえたり酔っ払いの喧嘩を仲裁したり、野犬を退治したり、こう、街の平和を守るために色んなことしてるっていうか……」
「おっ、カッコイイじゃん、そーいうの」
「そ、そうかな、あはは」
「兵を擁してないのか。じゃあこの辺は他所の領との争いがない、平和な場所なんだな」
並んで歩きながら、エルシオンは街並みや通り過ぎる人をそれとなく観察しているようだ。
今は冬の季の準備で人通りが多くなっている分、道も店のあたりも普段より少しばかり賑やかになっている。
この賑やかさが、街の豊かさとして男の目に映れば良いなと思った。
「んー、十何年か前にあった戦からは特にないはず。俺が自警団に入る前のことだからあんまり詳しくないすけど。昔から、北側のクレーモラとはちょいちょいぶつかってるみたいで」
「クレーモラ……ああ、海へ出る前に通り過ぎたな。なんかギスギスしててメシもまずかった」
「そ、そうなんすか、良く無事に通過できたな……。前の戦いで賠償金みたいなのいっぱい取ったから、あっちは街も領政も未だに荒れてるって聞くけど」
その手の小難しい話には疎いため、先輩や飯屋の常連たちからの又聞きの情報だ。
自分の周囲と、この街の平穏さえ保たれていれば十分だから、あまり余所のことには興味が持てない。
もっとも、隣領であるクレーモラの情勢はイバニェスにとって全くの無関係とも言い難い。彼らが困窮すれば、またいつこちら側へ攻め入ってくるかわからないのだから。
「この辺が豊かだから、お隣さんとしては羨ましいんだろうな」
「うん……それはちょっとわかるかも」
「どこもそうやって、自分より恵まれてる相手を妬んで恨んで、下らない争いばかり繰り返してるよ。領地を広げたいだの金が欲しいだの、欲をかいて余計に状況を悪くしてる。魔物が消えてせっかく安全になったのに、なんで平穏に暮らせないんだか」
「本当、そうっすね。……平和が一番なのに」
力を持った人間の考えることは、平凡な自分には全然わからない。
だから率先して争いを起こす権力者の気持ちなんて、この先も一生理解できないだろう。
それでもキンケードやイバニェス領主のように、特別な力を持っていても、皆のためを考えて一生懸命働いている人もいるのだ。
そういった人たちのことは、理解はできなくても尊敬をしている。
「クレーモラと頻繁に小競り合いをしてた頃は、やっぱこの領も荒れたりとかしたそうなんすけど。でも先代あたりから治安も良くなってきて、今の領主様なんか水路とか道とか整えるのにすごい力入れてくれてて、そのお陰で他からの馬車も増えて、北側の雇用も増えてるし。偉い人でも、ああいう立派な人もいるんだなって」
「へえ、そんなに立派な人物なのか、ここの領主は」
「そりゃあもう。若い世代で領主様のこと悪く言う奴なんかほとんどいないっすよ!」
「うん? 若くないヤツには嫌われてるってことか?」
「嫌われてるってほどじゃないけど、上の世代にはまだ反発してるような人も多いみたいで。街が暮らしやすくなったり仕事も増えたりして、みんなが助かってるはずなのに……」
今の自警団にキンケードよりも上の世代がほとんどいないのは、そういった軋轢が原因だと聞いている。
十二年前の領間戦争と、その前のお家騒動が元で、現イバニェス領主への支持はくっきりとふたつに分かれてしまった。
束ね役への不信は、集合体としての脆さに繋がる。自分のような下っ端でもそれくらい理解しているというのに、体面だとか義理だとか下らないものに拘って、頭をカチコチにしている頑固な年寄りが多すぎる。
この男が言うように、あと二十年もすれば世代がごっそり入れ替わって、このおかしな状態も何とかなるのだろうか。
領主の息子ふたりはいずれも飛び抜けて優秀だという噂だ。どちらが後を継ぐことになっても、今代のように良い統治をしてくれるに違いない。
……つい、そんな益体もないことを考えてしまう。
「アンタは、領主サマのこと好きなんだなぁ」
「……っ! そりゃあ、ファラムンド様は強いし立派だしカッコイイし。権力者なんて碌なもんじゃないとか思ってたけど、あの人は別。みんなの暮らしを大事にしてくれる良い領主様だって思う。俺はこの街で育ったわけじゃないけど、ここも領主様も好きなんすよ、じゃなきゃ身の危険もある自警団なんて続けてられない」
「ふーん。アンタみたいなのがそう褒めちぎってると、なんか本当に良い街だなって思えてくるな」
「俺みたいなのって何すか……」
ナポルが脱力してそう訊き返すと、男はフードの下でからからと笑った。
ともあれ、旅人に良い街だという印象を持ってもらえたなら何よりだ。このあと向かう場所でイバニェスの良いところを伝えてもらえれば、きっと領のためにもなるだろう。
そのためにも、まずは旅の空きっ腹を満足させるうまい料理をたくさん食べさせて、「さすがはイバニェス領の主要街だ!」と思わせなくては。
飲食店が並ぶ通りの端に、その店はある。
異様に太い竹を彫った妙な彫像が店の入口に鎮座しており、食事処だとわからないから初見で入ってみようなんてまず思えない。
入口を挟む竹の彫像の上には、大きな木製の板に『ポポの店』と書かれた看板が掲げられている。
白い竹の口元には小ぶりな黒板が垂れ下がり、ピンクのチョークで今日のランチセットは鶏肉煮込みシチューだと書かれていた。
店の手前で足を止めると、エルシオンは竹の彫像をぺちぺちと叩きながらお品書きの黒板を一瞥した。
「ふーん、鶏のシチューか。うまそうだな」
「うん、どれもうまい中で特に煮込み系は絶品だよ。店の中はもっと妙な人形とか置いてあるけど、味は保証するから……」
「つーか、これってパク
「ぱく……?」
首をかしげるこちらを置いて、男は白い竹のつるりとした表面を撫で、丸く彫られた口の中を覗き込む。
頭が入るほど大きな穴だから、何だか竹の化け物に食べられているように見える。
「 ココよりずーっと東のほうに群生してる珍しい竹だよ。白い竹林って結構怖いぞ、真っ白な毒蛇とか棲んでるんだけど、竹と見分けつきにくいから数匹に囲まれるだけでヤバい」
「ど、毒蛇っ? そんな所も旅してきたのか、凄いなぁ……」
「こっち側にも運ばれてるとは思わなかった、出所はサルメンハーラか?」
竹の中をひとしきり覗いて満足したのか、口から頭を出した男は異様な外観に臆する様子もなく、そのまま店の入口をくぐって行った。
席までちゃんと案内をするつもりだったのに、ここで遅れを取るわけにはいかない。その背を追ってナポルも店の中へと入った。
「いらっしゃいませ~、何名様でしょう?」
「あ、あの、ふたりです」
箒とちりとりを持った店員の女性に向かい、エルシオンの背後から指を二本立てて見せる。
陶器が床に落ちて割れてしまったのだろうか、小さな白い破片が爪先の辺りにも転がっていた。
「すみません、歩くとき踏まないように気を付けてくださいね。すぐに片付けますから」
「いえいえ……大丈夫です」
店の中には木製のテーブルがいくつか並んでおり、いつもは夜遅くまで埋まっているのだが、今は客が二組しかいない。もう昼食時をいくらか過ぎているせいだろう。
この分なら注文した品もすぐに出てくるだろうし、へとへとの昼休みをゆっくり過ごすことができそうだ。
店が混んでいると、早く食べて出なければ迷惑になると思って焦ってしまい、落ち着いて食べることができない。
キンケードたちはそう焦ることはないと言ってくれるのだが、どうしても店員や他の客の目が気になってしまう。それを小心者と笑われようと、他人に迷惑をかけるよりは幾分マシなはずだ。
客の少なさにこっそり安堵しながら、端のほうにあるふたり掛けのテーブルに寄って椅子を引いた。
「そこの棚がへこんで置物倒れてるね、なんかあったの?」
「あ、すみません……ちょっと乱暴なお客さんがいて。お料理はちゃんと出せますから大丈夫ですよ、ご注文お決まりですか?」
物怖じということを知らないのか、フードを脱ぎながらエルシオンは店員の女性に話しかけている。
止めようとしておろおろとさまよわせた手は、男の荷物を受け取って壁際へ置くことになった。
「割れてる食器もその乱暴な客のせいか、災難だったな」
「いいえ、良くあることですよ。お客さんは旅の方と……、あれ、自警団の方ですか?」
「うん、コイツがいい店を紹介してくれるって言うからさ。ここの煮込み料理がすごくうまいらしいな、期待してるよ」
「まぁ嬉しい、おいしいのは本当だけど。店長にも伝えておきますね!」
初対面の、名前も知らない女性店員と打ち解けて話をしている。すごい。
そういえば自分も偶然の接触から短い会話を経て、なし崩し的に店まで案内をすることになったのだった。
どちらかといえば人見知りするタイプの自分とは、まるで正反対を向いて生きている種類の人間だ。
「アンタも鶏煮込みシチューのセットでいいか?」
「あ、うん、飲み物は冷たい黒香茶で……」
「じゃあオレもそれで、あと何か肉料理をお任せで一品つけてくれ!」
「はーい、じゃあ……炙り腸詰のプレートがいいかな。お好みでシチューをつけてもいいし、バゲットにのせても合いますよ」
上機嫌の店員にひらりと手を振って、エルシオンも向かいの席についた。
少し薄暗い店の中で、鮮やかな赤毛は松明の灯りのように煌々と存在を主張する。
ようやく座れたはずなのに旅の疲れらしきものを全く感じさせないまま、男は同じ色の目を瞬かせてテーブルに片肘をついた。
「な、それでさ、アンタに訊きたいことがあるんだよ」
「あぁ、何かさっきもそんなこと言ってたっけ。仕事を探してるなら食べた後に斡旋所まで連れてくけど?」
「有難いが今のとこ金には困ってないからいいよ。そーいうんじゃなくてさ、ちょっとこの辺のコトについて教えてもらいたいんだ」
ロウソクの炎を閉じ込めたような赤い瞳。わずかばかり金の混じっている色合いが、本当にそこで燃えている炎みたいだ。
正面から向き合ってみると、エルシオンはこの広い街でも中々見ないほどの端正な顔をしているのに嫌でも気づかされる。
美形というよりは、領主のように男前と称するのがぴったりの容貌。
同年代に見えるのに、旅の中で鍛えられているらしく腕や首も自分などとは大違いに逞しい。
接した時間が短くてもわかるくらいの、人としての器の違い。名前に負けていないどころか、他の誰よりも『エルシオン』の名が相応しいとすら思う。
容姿以前に人好きのする朗らかな性格も、明るい語り口も、どう転がったところで真似のしようがない。世の中にはこんな人間もいるのだから、立場とか地位とかそういう問題よりもよっぽど不平等だ。
羨む気持ちすら湧かないまま、ナポルは切れ端のような嘆息を落とした。
「俺が知ってることなら話せるけど……、この辺ってコンティエラの街? それともイバニェス領のこと?」
そう問うと、肘をついた片手に日焼けした顔をのせながら、眼前の男はにっこりと愉しげな笑みを浮かべた。
「どっちかと言えば領のコトだな。……たとえば三年前の陽の季に、この街から西へ行ったあたりで何があったのかとか、さ」
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