第135話 潮風の男③


 自警団員にとって、「三年前」と言ったら共通してひとつの事件しか思い浮かばない。

 一年を通してそれなりに色んなことが起きたけれど、あの件だけは特別だ。

 あからさまに顔色を変えたナポルを見て、問いかけた男は笑ったまま不思議そうに首をかしげる。

 半ば当事者の一員でもある自分にとっては笑いごとではないのだが、やはり外の人間にはどこにでもある噂話とか、その程度の認識なのだろう。

 連鎖的に思い出してしまう当日のことや、葬儀の日の記憶を頭から振り払いながら、ナポルは正面の赤い目を見返した。


「……どっかで花畑の噂でも聞いてきたのかもしんないけど、あんまり楽しい話でもないっすよ。領道の事故のことでしょ?」


「花畑? 事故?」


「あれ、違った? 領主様とそのお嬢様が、犠牲者への弔いに植えたっていう枯れない花畑の噂。訊きたいのってそのことじゃなくて?」


 今度はナポルが首をかしげる番だった。

 三年前の陽の季の出来事といえばその件しか思い浮かばなかったのだが、もしかしたら自分の勘違いだったのだろうか。


「いや、その花畑も気になるけど、まずは事故のこと教えてくんない? 近くの領道でなんかあったの?」


「……そか、本当に何も知らなかったんすね、こっちの早とちりだ。えっと、三年前のその季節に、西のサーレンバー領へ向かう途中の、領道で……大きな落石事故があって……」


 視線が下向き、語尾もだんだん小さくなってしまう。

 思い出すだけで気落ちする事件だが、もう三年も経ったのだから、客観的に説明することくらいはできるはず。

 膝に置いた手をぐっと握って、起きたことだけを言葉にする。あまり個人的な感情の吐露をしすぎると泣いてしまいそうだ。


「突然、領道沿いの岩場が崩れて。サーレンバー領へ向かう途中の領主様が乗った馬車と、護衛についてた自警団の先輩や同期が、それに巻き込まれて。……何人も犠牲者が出たんだ」


「そうか……。でも領主サンは無事だったんだろ?」


「あ、うん、ちょうど何かの陰になってたらしくて、領主様と従者の人と、あと自警団の先輩がひとりだけ助かったんだよ。その他は、みんな……」


 大きな岩と土砂にすり潰されたせいで遺体はひどい状態だったらしく、遺族との対面すら叶わなかった。

 領主の取り計らいにより、犠牲となった御者や侍女も含めた合同葬儀が行われたけれど、自分も亡くなった先輩たちの顔を見せてもらうことはできないまま、閉ざされた棺桶を運んで埋葬が行われた。


 領主の護衛隊の指揮なんていう大役を任せてもらえるほどの熟練で、キンケードも慕っていた年嵩の大先輩。

 三つ年上の、無口だけど書類仕事も鍛錬もきっちりこなしていた真面目な先輩。

 それと自分みたいな下っ端もよく気遣ってくれた、優しい経理の人。花の季に式を挙げたばかりで、葬儀にはお腹の大きな奥さんが表情をなくして立っていた。

 慢性的に人手不足の自警団でも中核を担っていた面々だ。精神的にも、仕事の面でも、彼らが喪われてしまった穴はあまりに大きすぎる。


「……」


「そか。悪かったな、あんま思い出したくないようなこと訊いて」


「あ、いや……。でもその落石事故が何か? 三年前の陽の季に起きた出来事って言ったら、俺はそれくらいしか思い当たらないけど」


 事故自体を知らなかったのなら、街に来たばかりの旅人が気にするようなことでもない。

 そう訊ねたところで、香ばしい匂いと共にテーブルへ大きな影がさした。


「ウン、やっぱりネ! こないだキンサンと一緒に来てくれた自警団の子だネ、いらっしゃいだヨ~!」


「あっ店長さん、俺なんかのこと覚えててくれたんですか、どうも……」


 豪快な笑いに巨躯を揺らしながら、筋骨隆々とした男がテーブルに皿を並べはじめる。

 派手な衣装と同じくらい派手な顔立ちはあまり料理人に見えないが、この店の店主だ。

 そういえば前回ここへ昼食を食べに来た時は、キンケードと一緒だったことを思い出す。それ以前に何度も来店はしていたのだが、この店長と顔を合わせて挨拶をしたのはその時だけだった。


「今日はお友達と一緒ネ? お料理褒めてもらったテ聞いたヨ、アリガトー!」


「あ、えっと、この人は旅の方で、はい、このお店は何でもうまいから連れてきました」


「ウフフ、今日のシチューも自信作ヨ、いっぱい食べてってネ!」


 そう言って木製のトレイを片手に一歩下がった足元から、パキリと音がする。何か固いものを踏み潰したようだ。

 床を覗いてみると、さきほど店員の女性が掃き集めていたのと同じ、陶器の破片が落ちている。テーブルの足の陰になっていて見落としたらしい。


「あ、ゴメンね、スグ片付けるヨー」


「気にしないから、後でもいいさ。なんか厄介な客が来たらしいな、せっかく雰囲気良い店なのに。この辺はそーいうの多いのか?」


「多くはないヨ、この街のヒトみんな優しいネ。副会長サンたちも、チョット興奮してタだけみたいだから、今は二階でお休みしてるヨ」


 店長はエルシオンに向かって軽い調子でそう答えると、破裂音のしそうな激しいウィンクを飛ばした。

 副会長というと、あの傲慢ちきな商工会のおっさんのことだろうか。上役の会長が温厚だからと、方々で好き勝手しているらしい悪評は自警団にも入ってきている。


「店の物をなんか壊されたんだろ? お偉いサンぽいけど、きっちり弁償はさせられそうか?」


「ウン、そーいうトコはポポとっても厳しいヨ、バッチリ弁償の請求するから大丈夫! アリガト!」


「そんなら良かった」


 朗らかにそう笑って、エルシオンはさっそくとばかりに手にしたスプーンでシチューを一口頬張る。


「ッ! ……ハフ、ふっ、うめぇ!」


「ウフフフ、熱いから気をつけて食べてネ。声かけてくれれば、バゲットならおかわりあるヨ!」


 手をひらりと振って去っていく店長に頭を下げて、ナポルもスプーンを手に取った。

 よく煮込まれた黒に近い色のシチューには、ごろごろと大きな肉の塊や根菜がたくさん入っている。

 じっくり火を通してあるため、スプーンを立てるだけで鶏肉はほろりと崩れた。

 注意深く吹いて冷ましてから一口。

 コクのあるシチューに鶏の脂がたっぷり溶け込んで、舌が痺れるほどうまい。

 柔らかに煮込まれた肉は、軽くほぐれるくせに噛むたびにじゅわりと肉汁が口の中へ広がる。

 色とりどりの根菜は持ち前の甘さを残しながらもよく味が染みていて、一皿の中で全く飽きがこない。

 前回キンケードと共に食べた牛肉の煮込みも大層うまかったが、長時間煮込まれたシチューも格別だ。

 ナポルが手でちぎったバゲットをシチューにひたして二口食べる間に、向かいの皿は中身がほとんどなくなっていた。


「……もう一皿、注文します?」


「ん? いや、大丈夫だ。久しぶりに手の込んだ料理食べたもんだから、つい夢中で食っちまった」


「小さい村だと、あんまりちゃんとした飲食店ないっすからね。家庭料理が出てくる感じの食堂なら俺の故郷にもあったけど。店頭にメニューとか何にも書かれてなくて、近所の年寄りのたまり場になってるやつ」


「あー、それなー、わかるわかる」


 カップを掴んでスープをちびちびと飲みながら、男は「それで?」とナポルを見た。

 一体何のことだろうと数度瞬きをしてから、領道の事故について、話の続きを促されているのだと気づく。


「いや、それでも何も、それだけ。三年経ったし、今はもう領道は元通り整備されてて、崩れた部分も補強し直されてるから。この後サーレンバー行くなら心配しなくていいすよ」


「安心して通れるのは有難いけど、領主が巻き込まれる落石事故ねぇ……。アンタさ、その事故についてもーちょっと他になんか知らない?」


「え、他にって……、」


 特に何もと答えるより前に、視線がさまよってしまったのは、対面するこの距離では隠しようもない。

 すぐに「これ以上は知らない」と答えてしまえば良かったのに。

 無関係の相手に軽く事情を説明するだけのつもりでいたから、まさか他に何か知らないかなんて突っ込まれるとは予想もしていなくて、つい動揺が表に出てしまった


「別に、三年前に起きたのは、それだけで……」


 歯切れ悪くそうごまかしてみても、正面の男は笑みを崩さない。

 どこもおかしなところのない明るい笑顔なのに、何だか少し怖いなと思ったのは、自分が隠し事を抱えている後ろ暗さのせいだろうか。

 ……そもそも考えてみれば、隠すほどのことではないかもしれない。

 こんな下っ端でもうっかり知ってしまうようなことならば、大した秘密でもないのでは?

 そう思って顔を上げると、エルシオンは何も言わないまま、じっとナポルが言葉を発するのを待っていた。

 まるで内心の葛藤まで全部見透かされているみたいだ。


「……いや、その。別に隠してるとか、内緒とか極秘事項って訳でもなくて、ちょっと人に言ってもいい事なのかわからないんだけど」


「わざわざそう言うってことは、オレに聞かせてくれるんだろ。絶対に他の誰にもしゃべらないって約束するからさ、それ、教えてくんない?」


「うん……」


 もしかしたら自分は、誰かにこれを聞いてもらいたかったのかもしれない。

 誰かに相談したいとか、訊いてみたいとは思っても、何となくこれまで口にすることが憚られた。質問すること自体まずい気がして、キンケードにすら問うことができないでいた。


 食べかけのスプーンを置いて、制服の胸元を握る。

 この男が「約束する」と言ったならきっと守ってくれるだろうと思えるし、どうせ街に定住することもない旅人なのだから、話してしまっても差し支えはないだろう。

 同じ自警団の人間には訊けなくても、部外者にちょっと聞いてもらうくらいなら。

 ナポルは置かれたカップから水を一口飲んで唇を湿らせ、テーブルに少しだけ身を乗り出して声をひそめた。


「俺、いつも先輩たちの書類仕事を引き受けてて、よく始末書の欄埋めとか報告書の清書とかしてるんすけど」


「そか、働き者だな。習慣になる前になんか見返り要求したほうがいいと思うぜ」


「う……もう習慣になってるから……。とにかくそれで、十日くらい前にも追加調査報告票っていう書類の清書を押し付け……頼まれたんだけど」


 清書を必要とするような書類は、たいていが領主邸へと運ばれる重要度の高いものだ。

 自警団には自分などよりもっと字の綺麗な団員もいるのだが、格式張った書類より、下手でも丁寧に書かれたもののほうがポイントが高いらしいとか何とか。

 理屈はよくわからないが、とにかく丁寧な字を心がけて、その日もいつものように誰かが殴り書いたメモ書きを見ながら、正式な形へ清書をしていた。


「その書類、報告者の欄はよく外回りに出ててあんまり詰め所にはいない先輩の名前で、内容はごく短いものだったんだけど」


 領主の目に、もしくはその従者の目に入るものと思って、丁寧に時間をかけて清書をした。

 だから内容もよく覚えている。


「『落石事故についてはサーレンバー内にて引き続き調査するも、守衛兵から得られた情報はなし、犯人の足取りは掴めず』って……そう書いてあったんだ。これさ、やっぱさ、おかしいだろ?」


「……なのに、『犯人』か」


「そう、それ。何度も読み返して、書き間違いじゃないかって確かめたんだけど。それに、もしかしたら三年前の件とは別のことかもしれなくて、でも事故なのに犯人の足取りってのは、どう考えてもおかしいと思うし」


「確かにおかしいな」


 聞いてもらえて、同意を得られて、肩にのしかかっていた何かがすっと消えるような心地がした。

 ナポルはカップの水をもう一口飲んで、肺の奥から長い息を吐き出す。


「はぁぁぁ……、やっぱそうだよな、うん。変だなって思ったんだけど、清書だからそのままを書き写さないといけないし、俺なんかが事情を訊きに行けるわけもないし、ずっとひとりで悶々としててさぁ……」


「じゃあこの話、他の誰にもしてない?」


「え、うん。話したのはこれが初めてだよ。でもこんな下っ端に見せて清書を任せる程度の情報なんだから、もしかしたら大して重要でもないのかな?」


 打ち明けて気楽になったせいか、途端になんだか気恥ずかしくなってくる。話すまでは途方もない秘密を抱えてしまったと思い悩んでいたのに、やはり大したことではなかったのかも。

 へらりと笑って顔を上げると、男もどこかぬるい愛想ばかりの苦笑を浮かべていた。


「そうだな、大事な話なら他人に清書なんて任せないだろうし。きっと領主サンにはその文面で通じる、別の用件なんじゃないか?」


「そ、そうだよな、そっか、そうか。気にし過ぎだったのか……」


 柄でもなく深刻そうにしておきながら、ただの思い過ごしだなんてものすごく恥ずかしい。首の後ろを掻いて、アハハと空笑いをしてごまかす。


「何か悪かったな、もったいぶったくせにおかしな話を聞かせちゃって」


「いや構わないよ、催促したのはこっちだし。まぁ、オレは無関係だから笑い話で済むけど、それ、他の人には言わないほうがいいんじゃないか?」


「だよなぁ、ただの勘違いならキンケードさんに相談しなくて良かった。話聞いてもらってスッキリしたから、もう忘れるよ」


 置いていたスプーンを取り、少し冷めてしまったシチューをかき込む。

 まだ鶏の脂はとろりとしているし、冷めにくいぶつ切りの根菜も一息に食べられる。元が絶品だから多少冷めた程度ではうまさに遜色はない。

 少し固めに焼き上げられたバゲットの麦の匂いが、この濃厚なシチューにまたよく合うのだ。皿の隅々まで拭うように掬って一滴も残したくない。

 おいしいシチューと肉と根菜と、焼き立てのバゲットが胃に満ちるたびに、腹の中から体温が上がって沈みかけていた気持ちも上昇する。

 まだ当面懐は温かいし、明日の昼またここへ食べに来るのも有りかもしれない。


 早々に食べ終えた連れを待たせてはいけないと、せっせとシチューを頬張るナポルは、対面に座る男の表情に気づくことはできなかった。


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