第130話 闖入者


 階下から響くのは何か固いものを打つような音と、男の怒鳴り声、それに混じる女性の声。ただ事ではない様子だが一体何が起きているのか。


<……騒いでいるのは男性二名と、その連れの子どもが一名です。先ほどお茶を持ってきた女性らが対応しておりますが、聞く耳を持たないようですね。あ、棚を蹴りました>


 アルトからの報告と重なって、大きな物音と陶器が割れるような破砕音が響く。

 階段の手前にあった木製の棚だろうか。あそこには様々な形状の人形が置かれていたから、あれらが落ちて壊れてしまったのかもしれない。

 こんなに良い店で狼藉を働くとは許しがたい。下りて行けば騒いでいる人物を行動不能にするなり店外へ放り出すなり、いくらでもやりようはある。……が、店側の揉め事ならば、ただの客である自分が不用意に首を突っ込むわけにもいかない。

 すぐにポポも戻ってくるだろうし、店主の取り計らいに任せてここで大人しくしているべきだ。

 自分の行動によって変な噂が立てばファラムンドの迷惑になることは明白。その上、今はノーアを連れている。おかしなことへ巻き込むのは極力避けたい。


「カミロ、店を出る支度をしたほうが良いか?」


「そうですね。いざとなれば隣から下りることもできるのですが、この声は……」


 階下から響く怒声に心当たりでもあるのか、背を向けているカミロは言葉尻を濁す。


「おそらくこちらへ上がってきますね。この後の散策をゆっくりお楽しみ頂くためにも、ここで対処をして行こうと思います。せっかくお寛ぎの最中に申し訳ありません」


「いいや、構わない。お前の判断に任せる。下で騒いでいる相手が誰だか知っているのだろう、わたしはどうしていれば良い?」


 上ってくるという断定、ここで対処をしなければ後が面倒になるという言葉から、闖入者の目的が店側ではなく、自分たちだということが伺えた。

 ならばこの怒声の主は、『領主の娘』が二階にいるとわかっているのだ。対面するならば相応の態度が必要になる。

 座ったままそれを問うと、カミロは仕事中に見せる平坦な面持ちで振り返った。


「あの声はおそらく、街の商工会の副会長かと。店舗の取りまとめや交易に関して手広く扱うやり手ですが、利権に鼻の利く少々厄介な御仁です。領主に対し多少の無礼があっても、仲立ちという立場上こちらからはあまり強硬に出られないということを良くご存知なようで」


「ふむ……、商店のまとめ役か。ならばなおのこと、舐められない態度でいたほうが良いな?」


「ええ、リリアーナ様は、そうですね……本日は授業の一環として以前より予定していた市井の見学中であり、ここへは休憩に立ち寄った、というていでお願いいたします」


「わかった」


 簡潔にそう交わすと、カミロはそばにあるラックへ掛けていた黒いマントを手に取る。


「リステンノーア様、今のうちにこちらを。お立場に関わらず聖堂の方だと知られれば、互いに面倒なことになるかもしれません」


「みたいだね」


 面倒くさいという内心を隠す気のない顔で、ノーアは大人しくマントを着せかけられる。

 その間に椅子へかけていたポシェットをひざの上に置いた。アルトのほうで何か気づくことがあれば報せてくれるだろう。

 領内の繁栄のため商業が重要であることは理解できるが、領主でも強く出られないとは一体どんな事情があるのか。

 ファラムンドに迷惑をかけるわけにいかない以上、対応に関しては慎重を要する相手のようだ。

 再び黒い円錐になったノーアが席に着いたところで、派手に踏み鳴らす靴音が階段から聞こえてくる。問題の相手がとうとう上がってくるらしい。


「お待ち下さい、困ります、二階は予約のお客様が!」


 引き留めようとする女性の声が響く中、子どもを連れたふたりの男が姿を現した。

 その前進と視線を遮るようにカミロが立ちはだかる。


 黒い背の向こうに見えるのは、岩蛙を引き伸ばしてヒト型にしたような中年男性と、店の入口に鎮座するテルバム杉の顔に似ている大柄な男。それと、岩蛙の背後から身なりは良いがあまり特徴のない少年がおどおどと顔を覗かせる。

 岩蛙はきらびやかな衣装を纏っているから、おそらくこちらが商工会の副会長だろう。

 階段とテーブルの間へ立つカミロには見向きもせず、真っ直ぐこちらを見据えてにたりと笑う。大きな口を横につり上げた顔はやっぱり岩蛙だ。


「これはこれは、リリアーナお嬢様ではありませんか、ご機嫌麗しゅう!」


 岩蛙は煮ても焼いても生でもうまいと、かつて狼人族の若者が楽しそうに語っていたのを思い出す。

 生食の場合は、森や城の裏庭でよく見かけるシダ植物でこすると体表のぬめりがきれいに取れるらしい。

 その内臓に毒素を分解・排出する器官を備えており、濁った沼に棲息していても驚くほど臭みがなく、むしろ毒性の強い沼地で獲れるものほど肉質が良くてうまいのだとか。

 聖王国でも入手可能かはわからないが、機会があれば一度口にしてみたいものだ。……と思ったところで、過去の記憶に逸れていた思考を戻す。


 ヒト型の岩蛙はこちらに笑みを向けたまま、少年の肩に手を回して促しながらテーブルへ近付こうとする。

 立っているカミロのことをあからさまに無視するその態度に、領主の身内に対する軽視が透けて見えた。

 厄介な相手と言われたことを疑うわけではないが、自分は初対面だ。どんな相手かはこの目で直に見定めよう……と思っていた気構えが秒で霧散する。

 先入観なしに対話をして観察をしてみるつもりでいたのに、その必要もなく人となりはおおむね知れた。


「いやはや、早くご挨拶をと思いましたのに、無礼な店員が邪魔をするものでとんだお騒がせを! こんな妙な店はリリアーナお嬢様にふさわしくないでしょう、私がもっと良い店をご紹介しますよ!」


 言葉の端々まで自信に満ちた声音は無駄に大きい。

 立ちふさがるカミロを避けてテーブルの前まで来た岩蛙を、座ったまま見上げる。

 これは店側の揉め事などではなく、自分のせいで持ち込まれた厄介ごとだ。ポポの店と店員の女性らには悪いことをしてしまった。後でしっかり謝って、壊された品の弁済もしなければ。


 岩蛙は、店員が引き止めたにも関わらず強引に二階へ上がり、一瞥するなり「リリアーナお嬢様」と名前を言い当てた。

 未だ社交の場に出ておらず、来客の対応もしていない自分の顔を知る者は少ない。もし屋敷の中で見たことがあったとしても、偶然鉢合わせたならまずそばに立つ顔見知りのカミロへ問うだろう。

 今この時間、この場所に誰がいるのかをあらかじめ知っていたのは明らか。

 どういう経緯で自分たちの所在を掴んだのか。ここへ来た目的も不明だし、もう少し様子を見てみる必要がありそうだ。


 意識を演じる自分へと切り替える。

 椅子に行儀よく腰かけたまま、岩蛙を無視してカミロへ視線を向けた。


「存じ上げない方が名乗りもせずに話しかけてきたのだけれど、カミロ、あなたはこちらの方々を知っているかしら?」


「ご歓談中に大変なご無礼を。リリアーナ様、こちらの方はコンティエラ商工会の副会長を務めております、パウントーザ氏とご子息、護衛の方でいらっしゃいます。……が、どうやらご挨拶をお忘れになられているようですね」


 その言葉を受けて再び三人組へ視線を向けると、岩蛙は表情を強張らせて笑みを引っ込める。

 こちらの素性を知っており、なおかつ初対面にも関わらず従者の仲介もなく話しかけてきた。バレンティン夫人の授業でも例題として出されたことのあるパターンだが、本当にいるものなのだなと逆に感心してしまう。

 これは公式、非公式を問わずかなり失礼な行為であると聞いている。ならば強く出られないとかいった事情は関係ない、こちらも相応の態度で接するべきだと判断した。


 自分はリリアーナ=イバニェス。貴公位序列第六位、イバニェス領主ファラムンドの娘だ。治める街の商工会如きに気兼ねする必要などどこにあろうか。

 この名を背負っての振る舞いと発言に問題がなければそれで良い。

 毅然と視線を向ける先で、気を取り直したらしい男が再び大きな口を笑みの形に歪める。


「こ、これはこれは……小さな淑女にとんだ失礼を! 私はこの街の商店を一手に取りまとめております、パウントーザと申します、以後お見知り置きを!」


 言葉だけは丁寧にそう名乗る岩蛙だが、未だ子ども相手という侮りが見える。

 領主の子女を軽んじる態度は、父であるファラムンドへ対する軽視の表れだろう。自分のほうが優位にあると信じて疑わない奇妙な自信。

 商工会の副会長なる立場がどれほどのものなのか、まずその点も測らなくてはいけないが、リリアーナという娘の素性を知ってもなお見下す行為は何か意図あってのものなのだろうか。

 他者への対応がまだ不慣れな自分とは違い、岩蛙はこれまで多くの対話をこなしてきた身分のある大人だ。商店のまとめ役という重要な役職に就く者が、常識的な礼儀をわきまえないとは考えにくい。

 ここへ乱入した理由も含め、何か裏がある可能性も考えて出方を探る必要がありそうだ。


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