第129話 自治領サルメンハーラ③


「ノーア、その、もう魔物がいないというのは……。あまり詳しくはないのだが、魔物だって野生動物と同じように、そこらで繁殖しているものだろう? 数十年ばかり森から出てこないだけで国中から姿を消すものか?」


「……僕から一々解説するほどのことじゃない。あんたなら知っているだろう?」


 細かい説明が面倒だとばかりに、ノーアはまたも隣のカミロへと話を振る。少し視線を外している間に皿の上はすっかり空になっていた。

 自分と同じように食後のお茶を手にしていた男は、それを慎重にテーブルへと置く。


「私も伝え聞いた話なので、真実とは言い切れませんが……」


「うん、ほんの茶飲み話だから気にするな。知っていることを教えてくれ」


 魔物や異種族の移動に直接関わった自分でもわからないことなのだ、全てが正答でなくとも別に構わない。

 それでも何か説明の中にためらう要素でもあるのか、カミロは少しばかり言葉を選ぶような間を置いてから話し始めた。


「五十年ほど前、かの『魔王』が存命のうちに、聖王国中の魔物や異種族が大小問わずベチヂゴの森へ向かって移動するという異常現象が起きたそうです。当時は『魔王』による一斉侵攻の前触れだとの噂が広まり、中央を始めとして方々で大戦への防備が進められたそうですが……」


「そ、そんな事実はなかっただろう?」


「ええ。結局キヴィランタからの侵攻はなく、『勇者』によって無事に『魔王』は討ち滅ぼされました。その後も森から出てくる魔物は少なく、聖王国内では数を減らしたまま素材目当ての討伐が進み、結果としてそれまで入手の容易かった素材までも希少性が高まり、高騰しているというのが現状ですね」


「へぁ……」


 つい喉から変な声が漏れた。

 カミロの言う「聖王国中の魔物や異種族がベチヂゴの森へ向かって移動した」という話は、おそらく生前の自分が出した通達が原因でもあるのだろう。あまり森から出るなという言葉を、森よりもこちら側・・・・にいてはいけない、という意味で捉えたまま広まってしまったのではないかと思われる。

 『魔王』でいた間に散々彼らの単純さに悩まされていたものだから、その思考や伝言のおかしな転がり方が容易に想像できてしまう。頭は痛くないが、気分的な頭痛がする。


 どおりで晩年は領地内での働き手が急増していたわけだ。

 ベチヂゴの森から続々とやってくるとの報告は受けていたが、聖王国中から集まっていたならそれも納得できる。

 当時はやることが山積しており、特に施工が軌道に乗ってからは目の前の案件を処理するので手一杯で、働き手の配分などは臣下に任せきりだった。

 そのため都度報告は受けてはいても、後から増えた作業員たちの出身がどこかなんて気にする余裕もなかったのだ。

 何せ広大な領土を股にかける大工事。そこに関わる住民の数も膨大であり、終盤は自分でも関わっている工員が把握しきれないほどまで膨らんでいた。

 ……その増員の理由がやっと判明した。五十年近くを経て、今さら、こんな場所で。


「あー……」


「リリアーナ様、ご気分が優れないのでしょうか? 頭痛でしたら少し横になって休まれますか?」


「あぁ、いや、大丈夫だ。すまない、少し考え事をしていただけで、体は元気だ……」


 思わず額を押さえてうめき声を上げてしまったが、背筋を伸ばして何とか気を持ち直す。

 すでに過ぎたことであり、与り知らぬところで伝聞が変形していたのだから、全てが自分のせいというわけでもない。

 それでも投げた小石がそんな大波となって数十年先にまで影響を及ぼすとは、頭痛だって覚えもする。


 当時の「森から出ないように」という通達には強制力を持たせず、それぞれの判断や生態に任せていた。

 そもそもの理由がキヴィランタにおける労働力の確保だ。

 無為な争いで住民の命が失われてはもったいないから、意思疎通の叶う者もそうでない魔物も、貴重なリソースとして領地内に留まってもらうために通達を出した。

 森から魔物が漏れ出なくなれば、ヒトの側だって被害が出ずに助かるだろう、くらいのことは考えたこともある。あくまで二次的な副産物としてだ、自ら治めるキヴィランタの外になど何の配慮もしていない。

 それがまさか聖王国中から魔物がいなくなり、素材が高騰する原因になるなんて。『魔王デスタリオラ』がヒトから散々に嫌われていたのは知っているが、そんな所でも恨みを買っているなんてこれまで想像もしなかった。


(まさか、ヒトの間で精霊眼が減っているというのは、魔法で対抗するべき脅威が、魔物自体が生活圏からいなくなっているせいなんてことは……。いやいや、まさかな、ははは)


 こめかみをぐりぐりと揉んでから、姿勢を崩さないまま椅子の背もたれに体重を預ける。そうして冷めきってしまったお茶を一口飲んで息をつく。

 せっかくポポのパンケーキを食べて疲労が回復したばかりなのに、何だか無駄に気疲れしてしまった。


「そ、そうか……。そういった事情があるのなら、サルメンハーラの富と重要性が何となく理解できる。今や安定して魔物の素材を入手できるのは、その自治領のみというわけだな」


「そうだね。街を越えて自分で森に入れば魔物を狩ることはできるだろうけど、そんなのは命知らずのやることだ。自分たちの命を懸けるより、金を積んで手に入れたほうが早い」


「うむ。狩りを生業にしている者がいるなら、任せたほうが確実だろうな」


「一言で言えば、そういう利権の天秤の上に成り立ってる場所だよ、サルメンハーラは。聖堂や官吏を置かないせいで中央聖堂からは睨まれているけど、聖王国からしたら勝手に魔物を倒して素材を流通させてくれるなら誰だっていいんだ。遠方だから武力でどうこうするのも手間だし、税に関しても目こぼしして、放置していたほうが双方に得ってこと」


「なるほど。聖王国内でも微妙な扱いというわけか」


 ふたりの説明のお陰でサルメンハーラの置かれている状況と、魔物の素材に関する事情はおおむね飲み込めた。

 いずれも自分の知らなかった事柄ばかりだ。

 書斎の本にはそれにまつわることは何も記載されていなかったが、流通や交易に関わる話だから、関連する書籍は別の場所に置かれているのかもしれない。

 カミロも屋敷へ帰ればもっと詳しいことがわかると言っていたし、おそらくファラムンドの執務室にならその辺の資料も揃えてあるはずだ。開示してもらえる類のものなら後で遠慮なく見せてもらおう。


「うん、大体わかった、感謝する。ノーアはとても物知りだな」


「別に……。知っているからといって、何が変わるわけでもないし」


「そうでもないだろう、知識の幅と量は手札になる。何でも識っておけばいずれ何かしらの役に立つはずだ。現に今、説明をしてもらえてわたしは助かったのだから、お前の知識は無駄ではないと実証しているぞ?」


「詭弁だな」


 本心からの言葉であっても、言われたほうはあまり嬉しくもなかったようだ。ふいと横を向く白い顔を眺めながら、ぬるくなったお茶を飲み干した。


「リリアーナちゃん、お茶のおかわりいル?」


「いや、もう十分だ、ありがとう。これ以上飲むと腹が膨れてしまうからな」


「そーいえば、コノ後もどこか食べに行く予定なんだよネ。ドコのお店行くの?」


「街の露店や屋台を色々と見て回りたいと思っている。それから硬い焼き菓子を売っている店だ」


 香茶のポットを手にするポポに断りを入れて、テーブルにそっとカップを置いた。

 持ち手のついていないティーカップは慣れないが、両手で包むように持つとなかなかしっくりくる。そのうち部屋にも同じものを用意してもらおう。


「カタいお菓子……赤煉瓦通りのおかみサンのお店かナ? お菓子、お持ち帰りすル?」


「そうだな、侍女たちにも土産を買っていけるならそうしたい」


「ウン、それならポポ、リリアーナちゃんに小分けする袋あげル! ちょーど良いのあるヨ、スグ持ってくるからチョットだけ待っててネ!」


 嬉しそうにそう言うなり、引き留める間もなくポポは大きな身を翻して衝立の奥へと消えた。店の二階部分はこの部屋だけでなく、階段の反対側に隣室があるようだ。

 店の外観や中に入った時の広さを思い出しながら室内を見回してみるが、幅などはほぼ同じように見える。だとすると衝立の向こうは隣の建物と繋がっているのかもしれない。下は他の客も利用する飲食店のようだから、隣は厨房か倉庫だろうか。

 ポポの消えた衝立の奥を見ながら間取りについて考えていると、椅子にかけているポシェットがわずかに振動した。


<リリアーナ様、上着をお召になられたほうが良いかもしれません>


 不意にそれまで黙っていたアルトから、緊張を孕んだ警告の声が届く。

 何かあるのかと部屋の奥へ向けていた視線を戻すのと同時に、カミロが席を立つ。


<何やら、階下へおかしな動きをする者が来ております。揉め事になる可能性が、>


 その言葉を全て聞き終えるより前に、階段の下から何かが割れる大きな物音と、男の怒声が響いてきた。


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