第131話 つめたい手


 パウントーザと名乗った商工会の副会長は、大きな口で弧を描きながらテーブルの向かいに立った。両生類そのものの粘着質な笑みにどこか既視感を覚える。

 挨拶はして見せても、カミロへ取り次ぎを頼むつもりは全くないらしい。

 不愉快ではあるが、このまま放っておけば来訪の目的くらいは話し出すだろう。そう思い黙っていると、岩蛙が口を開くのを遮るようにカミロが手にした杖で軽く床を打った。

 敷物に音が吸い込まれてなお、ゴツンという振動が椅子伝いに響く。

 まさか無視して通り過ぎようとしたまま忘れていたわけでもあるまいに、すぐそばに直立する黒衣の男へ、はっとしたように招かれざる客三名の視線が吸い寄せられる。


「バウントーザ様。本日この店の二階は、リリアーナ様のプライベート利用にて予約をしております。無断での乱入はいささか礼を失するのではありませんか?」


「無断も何も、先に礼を失する行いをしたのは君たちのほうだろう! 私はきちんとお屋敷へ訪問の連絡をしていたはずだがね!」


「ええ、ご来訪頂いた際にお聞きになられた通り、本日のご予定は以前から決まっていたものです。後から無理な割り込みなどせず、日を改めるのが筋というものでは?」


 この男たちが屋敷へ来ることになっていたという話は初耳だ。

 自分たちが発ってから入れ違いに屋敷へ着いて、そこで所在を聞かされたのだろうか。

 ……いや、突然の闖入者をカミロは訝しんでいたから、全く予定外の出来事なのだ。彼が昼食に訪れる店を知られるはずがないと思っていたのなら、ファラムンドや侍女たちがこの店のことを明かすとは考え難い。

 入れ違いに屋敷へ着いて、それから街へと戻る間の一体どこで情報を得たというのか。

 平坦な声に諭されるパウントーザは歯軋りをしながらも笑みの形を崩さず、テーブルへと向き直る。


「いやはや、私共はリリアーナお嬢様へご挨拶とほんの少しお話がしたかっただけだというのに、頭の堅い使用人ですな! ハハハハ! 私は街のまとめ役ですので色んな店に顔が利くのですよ、どうです、もっと良い店でおいしいお食事でも?」


「カミロの言う通り、わたしが市井の見学に出る日取りは以前より決まっていたものです。本日の行程を変えるつもりはありませんの。お誘い頂いたのに申し訳ありませんが、お引き取り下さいな」


「いやいや、そう仰らずに! 中央で流行しているお菓子をご用意しているのですよ、きっとリリアーナお嬢様もお気に召すはず!」


 すげなく断ってみても岩蛙に退く気はないらしい。

 呼ばれてもいない場へ突然乱入して、これだけ失礼な態度を見せておきながらしつこく他の店へ誘おうとする。その狙いが全くわからない。

 まさか、こんな誘いを受けるなんて本気で思っているのだろうか?

 自分を食事で釣って得られるもの。領主の娘を抱え込むメリット。どんな魂胆があるのかと考えてみてもすぐに浮かぶものはなかった。

 時期領主となる兄たちならともかく、未だ十歳記も終えていない娘を手懐けたところで、ファラムンドへ取り入る足掛かりにもならないだろう。

 何か裏があるのではと勘繰ってはみても、こうした探り合いは不得手だとよくわかっている。腹芸の得意そうな男だし、この場での対応はカミロに一任しておいたほうが良さそうだ。

 このあとは露店通りや菓子店へ立ち寄る以外にも、ノーアを送るために聖堂へも向かわなくてはいけない。あまり長く足止めを食らっていると時間がなくなってしまう。


「アレー? 知ってるヒトの声が聞こえルと思ったヨ。副会長サン、どーしタのこんな所で?」


 早く切り上げるためにカミロへ任せようと決めたところで、ポポの朗らかな声が二階に響き渡る。

 小分け用の袋を持ってくると言って衝立の向こうへ行ったはずだが、どういうわけか階段を上がってきた。


「アレアレー、ジャントール君もいる、久しぶりだネ!」


 ポポは大股で近寄るなり、岩蛙の陰にいた少年の手を取って激しく上下に振る。

 有無を言わさぬ挨拶に目を白黒させている少年を解放すると、次はその父親の肩を遠慮なく叩きだした。


「いだ、痛っ、痛い! やめんかポルナロッペォ!」


「ウフフフ、こめんネ、ポポとっても力持ち!」


 そう言って筋肉の張った肩をすくめると、こちらにウィンクを寄越す。

 階段を使って二階に来たということは、下の様子はすでに知っていると見て良いのだろうか。とすると今の目配せは、状況はわかっているという合図なのかもしれない。


「くっそ、邪魔をするでない! 第一なぜ貴様なんぞの店に領主の娘が来るのだ!」


「ポポのお料理が、オイシイからだヨー!」


「貧乏人向けの大衆食堂ごときが、何をえらそうに! ともかく、お嬢様はもっとふさわしい店へご案内してやるから貴様はすっこんでおれ!」


「む」


 ポポへの暴言に、取り繕っている表情が崩れそうになった。

 平常心、平常心と頭の中で唱えながら、練習した外向けの顔を何とか維持する。


「副会長サン、レディの前で乱暴な言葉よくないネ。お店の中からお客を横取りすルのも、ルール違反ヨ?」


「うるさい、金なら後で払ってやるから黙っておれ! 私は大事な話があるのだ、こんな妙な店では雰囲気も何もあったもんではない!」


「パウントーザ様、本日のリリアーナ様のご予定はすでに埋まっております。どうぞ日をお改め下さい」


「そんなことを言っても騙されんぞ、釣書を何度送ったと思っておる! 今までろくな返事も寄越さずに、こちらから出向いてやれば屋敷にいないと抜かす、あの若造めが!」


 ポポとカミロからの真っ当な申し立てを振り払うように、岩蛙は叫びながら大きく手を振り回してふたりを退ける。


「下手に出てやっているのに舐めおって! うちのジャントールと連れ合わせれば領主としても得ばかりだろうが、そんなこともわからんのか! 職務もろくにできない青二才め!」


「お言葉が過ぎます、どうぞ口をお慎み下さい」


「うるさい、黙るのは貴様だファラムンドの腰巾着めが! 立場をわきまえろ、私に意見するなど許されると思っているのかっ!」


「……父上が、職務を満足にこなせていないと仰いますの?」


 カミロに任せるつもりでいたのに、我慢できずについ口を挟んでしまう。

 その途端、威嚇の表情でいた岩蛙はすぐさま笑みの形に戻すと、揉み手をしながらこちらを振り向いた。


「いえいえ、いやはや、お父上はまだお若いですからね、お仕事に不慣れなことが多くても仕方ないのでしょう! ですから私が色々とお手伝いしている所なのですよ、ええ、その上でより一層仲良くしたいと思い、今回は私の息子をお連れした次第でして!」


 岩蛙は傍らの少年の肩を抱き、ぐいと前に押し出す。

 たたらを踏んで転倒を免れた少年は緊張のためか顔面を真っ赤に染めながら、こちらへ向かって小さく礼をした。


「こちらは息子のジャントールです! 年頃も同じで、教養もしっかり身につけさせておりますから話も合うことでしょう! 将来は私の跡継ぎとなって街を切り盛りする領内の重役ですよ! 将来の伴侶として、ぜひこの機会にリリアーナお嬢様をエスコートさせて頂ればと!」


「将来の伴侶……? わたしの伴侶は父上が決定されることです、あなたが誰と引き合わせようと意味はありませんよ」


「いえいえ、まだ領の利に関してきちんと理解しておられないだけなのですよ、お父上は! ジャントールとお嬢様の婚姻が決まれば、一度は瓦解した街との結束が再び強固なものとなり、領民たちの暮らしも、領の経営も安泰となることでしょう!」


 興奮に顔を赤らめる岩蛙は、自分の主張が最良のものであるとばかりに両手を振り上げる。

 領のため、民のためと口では言いながら、自らの利しか頭にないのは誰が見ても明らかだ。微笑を作ったまま小さく嘆息した。

 一体何の目的があって乱入したのかと思えば、見合いを強行したかっただけとは聞いて呆れる。

 誰を伴侶とするのか、どんな利益を取るのかは全てファラムンドに任せているが、もし本当にこの少年と婚姻を結ぶことがであるなら、とっくに候補に挙がっているはずだろう。

 何度も屋敷へ打診をして、それでもすげなく追い返されるようなら、つまりはそういうことなのだ。


「わたしは父の決定にのみ従います。お引き取りを」


「そう仰らずに!」


 早々に話を切り上げようとしても、岩蛙はしつこく食い下がる。

 対外用の顔を貼り付けていられるうちに立ち去ってもらいたいのに、これだけはっきり断ってもまだ諦めないというのか。


「お嬢様、聞けばお屋敷で大変な不自由をされているそうではありませんか! わが家へいらっしゃればお食事もドレスも装飾品も、外出やお買い物だって毎日何でも自由にできるのですよ!」


「…………」


「あんな乱暴で粗雑な男が父親ではさぞお困りのことかと! わかっております、大丈夫ですよ、うちのジャントールはこの通り繊細で心根の優しい男です、全てお任せ頂ければ他の誰よりもお嬢様の支えとなり、幸せにして差し上げることができるでしょう!」


「…………」


 口角を持ち上げた粘着質な笑み。そして「わかっております、大丈夫です」という言葉に既視感がつながった。

 この男はあの聖堂から遣わされた官吏とそっくりだ。

 安心しろと言って笑みを向けておきながら、自身の欲を満たすことしか頭にない。

 それを思い出した途端、胸の奥へ抑えていた嫌な気持ちがとぐろを巻いて湧き上がる。


 商工会の副会長という職に就いているだけの岩蛙に、なぜ領主が強く出られないと言うのか。街の商店をまとめる立場というものが、そこまで複雑で重要視されるようなものなのか、どうしてもわからない。

 なぜ、ファラムンドがこんな男から馬鹿にされなければならない?

 なぜ、日々身を削るように政務へ取り組んでいる父を罵倒されて、反論を我慢しなくてはいけない?

 ポポの店をけなされて、自分の大事な時間を奪われて、大切な人たちを貶されて。目の前の男に対しどれだけ怒りを覚えても、それでも、自分は『リリアーナ』だから、被った令嬢らしさは守らなくてはいけない。領主の娘という立場を忘れるわけにはいかない。

 きっとファラムンドもカミロも、同じように怒りを覚えて、そしてずっと我慢をしてきたはずなのだから。


「………………」


 喉から出かかる言葉を飲み込み、代わりにひたと見つめる。

 こんなやつに自分の幸せを語られたくはない。

 お前などに何がわかるというのか。

 何もわかっていない。

 なにも。


 悔しい、腹立たしい、許せない。

 数年振りにふつふつと沸く怒りの感情。今はもう以前よりずっとそれをコントロールできるようになったはずだから、肺腑を焦がすようなこの怒気に理性を押し流されないよう、ゆっくりと押し留める。

 少しずつ押さえて、押さえて、圧縮して。


「ひっ……ぅ……っ」


 顔色を赤紫にした少年が白目をむいた。


「ぁぁア……、ぅア……?」


 テルバム杉の彫刻とそっくりの男が目を丸くしてこちらを見ている。


「ウ……ウグ、ゥ! ……ッァグ!」


 岩蛙が顔面に脂汗をだらだらと流しながら胸元を握りしめた。

 喉の奥を絞られたような奇妙な声をあげている。


 怒りが漏れないように胸の中でせき止めながら、ただそれを視ていた。

 空虚に、無感動に、言葉も状況もすべて忘れて何の感慨もなく苦しむ三人を目前に置いて。




 そうしていると不意に、視界が暗くなった。

 熱を帯びていた目元が何か冷たいもので覆われている。

 ひんやりとしてとても心地よい。

 隙間から漏れる光。

 目蓋を閉じると真っ暗になった。

 どこか頼りない、この柔らかな感触には覚えがある。


「そのくらいにしておけ。きみの眼は、こんなくだらないことに使うためにあるんじゃないだろう」


 耳のすぐそばで、ノーアの囁く声が聴こえた。


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