第113話 馬車内談話①
馬車に揺られ心地よい風を浴びながら、窓の外に広がる前庭の風景を眺める。
道沿いの植木以外は、ほとんど草花の生えるがままにしてあるのだろう。さすがに庭師の手入れを行き届かせるには広すぎる。
冬の季にさしかかっているため、以前キンケードと馬に乗ってこの風景を眺めた時よりも緑が少ない。ゆるやかな丘にちらほらと低い草が残っているくらいだ。
このあたりは降雨にも水源にも恵まれているし、そう深くない場所に地下水だって流れている。緑の季節を過ぎたとはいえ、荒涼とした様子はなくのどかなもの。
巡る気候は安定しているらしく、大嵐や干ばつが起きたという話も聞かない。
イバニェス領は恵まれた、豊かな土地だ。耕作には困らないだろうし、家畜たちが食む草も豊富に生えている。
その豊かさをさらに向上させ、領民たちの暮らしをより良いものにしようとするファラムンドの努力が、コンティエラの街の賑わいにも繋がっているのだろう。
良き領主であり、良き父親だと思う。キンケードが言っていた、若い頃のことも気になるから次に顔を合わせたら昔話をねだってみよう。
そんなことを考えながら均一に並ぶ植木と、その向こうに広がる丘を眺めてふと思い出したことがあり、「そういえば」と正面のカミロを見る。
「キンケードが強盗とやり合った辺りは、もう通り過ぎたのか?」
「もう少し進んだ所ですね。ですが踏み荒らされた痕跡などはすでに整えましたから、もう何も残ってはおりませんよ?」
「そうか。いや、少し気になっただけだ。逃げた強盗も早く捕まるといいな」
「ええ……。犯人が置いて行ったという巨大な剣は、街の自警団詰め所へ移送し保管させております。二振りとない物と思われますから、直接取り返しに来るか、何らかの接触を試みるでしょう」
その時こそ捕縛を、と。カミロは眼鏡の縁を押さえて剣呑な眼差しを隠す。
一年近くも捕まえることができないでいた相手に、屋敷の敷地内へ侵入されたのはそれなりに業腹だったことだろう。
人質ならぬ剣質は、神出鬼没だった強盗を自警団側に有利な場所へおびき寄せる絶好の餌というわけだ。そのためにキンケードが休日返上で常駐しているのだから、取り返しに来るならなるべく早く来れば良いのにと思う。
商人らの馬車を襲って武器を集めていた割に、得物を持ち替えることはなかったと聞くし、きっとその大きな剣は奴にとっても特別なのだろう。
人並み外れた怪力なら、それくらい頑丈な武器でなければ使用に耐えないのかもしれない。
「そもそもあの時に捕らえることができれば一番だったのですが」
「まぁ、そう言うな。無事に撃退できたのはキンケードのお手柄だ、せいぜい労ってやってくれ」
「それはそうと、リリアーナ様。もしやあれに何か助言などされましたか?」
質問の形を取っていながら、妙に確信めいた様子でカミロは訊ねた。
別に詰問という雰囲気でもないし、こちらがはぐらかそうとすればそのまま話題を流してくれるのだろう。何も気づかなかったふりをして。
だが、カミロになら答えられる範囲で教えてしまっても構わない。何か害があるわけでもないし、情報の開示という面でこの男とはなるべくフェアでありたいと思う。
魔法についても、カステルヘルミと同程度のことはそろそろ明かしてしまっても良いのかもしれない。
カミロはいつも自身の職務の範囲で、出来得る限り情報を伝えようとしてくれている。互いに何か隠し事を抱えているのがわかっているからこそ、それに応えるのが誠意であり、信頼というものではないか。
「助言、というほどのことでもないが、カステルヘルミ先生と一緒にほんの少ーしだけ手助けをしてやった」
「魔法師の方と?」
「うん。だが先ほども言った通り、強盗に勝てたのも追い返したのも、キンケード自身の手腕によるものだ。事件が解決したら褒賞を弾んでやってほしいし、剣が折れたとか短剣を奪われたとか言っていたから、その辺の補填も頼む」
「それは、もちろん。備品についての手配はご心配なく。……ああ、もしや、あの熊の置物で何かされたのですか?」
カミロは口元に手をあてながら、わずかに首をかしげる。ほとんど正解だが、一応まだ「何か」の内容は伏せておこう。
強盗騒ぎが落ち着いたあと、銀色に変わってしまった熊の置物についてはすでに軽く釈明を行っていた。「魔法の授業で使った」ということと、「意図せず変色してしまった」という二点のみの説明ではあるけれど、どちらも偽りではない。
客室にわざわざ置かれている物だから、それなりに高価な品かもしれないと心配していたのに、表面の鍍金の色が変わるくらいどうということはないらしい。
猛々しい熊は今もカステルヘルミの部屋に鎮座している。……何となく、最初に見た時と形状がどこか変わっているような気がしたのだが、誰も何も言わなかったからきっと気のせいだろう。
魔法が関わっている熊の変色と、キンケードへの助力を繋げてみせた時点で、もうカミロにも薄っすらと察している部分があるのではないだろうか。
この男のことだから、こちらから何か言わない限り突っ込んだ質問を投げかけてくることはないのだろうけれど。そういう点も、信頼の一片だと受け取っておこう。
カミロの問いには肯定するでも否定をするでもなく、分かりやすい笑顔を浮かべて応えておいた。
そんなやり取りをしているうちに、窓の向こうに表門が見えてきた。
門番たちが控えている四角い建屋がふたつ、その間を繋ぐように設えられた黒い柵。
馬車が近づくと、槍を持った守衛たちがこちらに向かって敬礼をした。馬車は速度を緩めることもなく、その進行にあわせて黒い外門が開かれる。
「襲われた守衛たちも全員無事だったそうで、何よりだ」
「はい。負傷した者もすでに全員快復し、職務に復帰しております」
領兵を置いていないイバニェス領ではあるが、屋敷にはきちんと防衛を担当する守衛たちがいるようだ。
屋敷の中で見かけるのは忙しそうに行き交う従者や、持ち場で働く侍女ばかりで、普段はあまり守衛の姿を目にすることはない。居住棟から離れた場所で訓練でもしているのだろうか。
表門を通過したあとは、ずっと緩やかな丘陵地が続く。
窓の外から視線を戻し、何となく隣に座っているエーヴィの様子をうかがってみるが、気配の薄い侍女は馬車に乗り込んだ時から微動だにしない。話に加わるでもなく、膝の上で手を重ねたままじっと視線を伏せている。
カミロと会話を交わす間もその様子に変化はなく、置物を添えられているような気持ちになる。
前回の馬車でも、自分とカミロの隣に座った侍女たちは一言も言葉を発することがなかった。顔も名前も知らない、こちらに干渉してこないお伴の侍女。……だからこそいないものとして扱い、精白石の件などをカミロに話したのだが。
「どうかされましたか?」
「ん、いや。五歳記の時からは、ひとり欠けてしまったなと思って」
「……誰から、その話を?」
それまでの会話と何ら変わらない声音ながら、潜む雰囲気がワントーン落とされる。
死んだ侍女について知らされることは、やはりカミロにとって意図するところではなかったようだ。別に、顔見知り程度のヒトが命を落としたところで、さして気にしたりなどしないのに。
――今の『リリアーナ』の精神は生前よりも脆弱になっているから、ショックくらいは受けるかもしれないけれど。
「話の出元はともかく、わたしにも関わることなのにこれまで伏せていたお前や父上も悪い。名前も知らないし、もう顔も覚えていない侍女だが、会ったことのある相手だ。あの死体が誰だったのかくらい教えてくれても良いだろう、慮ってくれたのは理解して……」
つらつらと連鎖的に文句がこぼれてしまい、口を噤んで手のひらを見せた。失言だ、こんなことまで言うつもりはなかった。
「いや、黙っていたことを責めるつもりはないんだ。すまない、これではただの八つ当たりだな」
「いいえ。申し訳ありませんでした、リリアーナ様の関わったことのない人間だということにしておければと、愚考いたしました。大変失礼な真似を」
「もういい、この話はおしまいだ。わたしのほうこそ、今頃こんな話題を出して悪かった。今日は楽しいことで埋め尽くすつもりだからな、切り替えていこう」
そう言って手を二回叩く。
生前とは手の大きさも硬さも違うから、意図したのとは異なるぺちぺちという何とも締まりのない音が鳴った。以前はもっとこう、室内に緊張感を呼び戻すような、張りのある音が鳴ったのに……。
何とも言えない気持ちに唇を引き結び、手を下ろしながらちらりとエーヴィの顔をうかがってみる。やはりその面持ちに変化はなく、話に加わる気もないようだ。
何を思っているのか、仮面じみた表情からは欠片も読み取れない。
一緒に行動するような同僚が命を落としたのだし、受けた衝撃は大きかったことだろう。不用意に彼女の前で持ち出すべき話題ではなかった。
ヒトの感情は繊細で難しく、扱いにくい。自分がどう思っているかばかりでなく、もう少し周囲の人間の心情も測れるようになろう。
何となくそんなことを考えたが、教えられるままをなぞるだけの礼儀作法よりも余程難しいかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます