第112話 父と次兄とお見送り


 今日はカミロとエーヴィを伴って、街を散策することになっている。

 朝食後から姿の見えない金髪の侍女を探しロビーで視線を巡らせると、大階段の反対側から口と両手を大きく開いたファラムンドが速足で近づいてきた。


「おおおおおおおリリアーナ! なんと、なんと愛らしいことか我が娘よー! やはり俺の着想に間違いはなかった、この冬の仕上がりも絶品だ、色合いもミミもフードも最高、特におさげ髪がイイッ!」


「この髪はフェリバがやってくれたんだ。彼女も何やらこの上着と父上を絶賛していたぞ、完全に分かっているとか感服するとか……?」


「フハハハハ給与査定三十点加算! いつも髪を結ってくれる侍女だろう、先日のまとめ髪も実に良かった。あの子は有望だ。リリアーナの可愛さをよくよく理解している侍女がついてるのは心強いな!」


 髪の結い方が気に入ったのか、ファラムンドの中でフェリバの評価が上がったらしい。フェリバはいつも良くしてくれるし働き者だから、それに見合った待遇改善がなされるのは自分にとっても喜ばしいことだ。


「いやぁ、色は最後まで迷ったんだが、濃いグレーにして大正解だったな、リリアーナの上品な愛らしさをこれでもかと引き出している。あえて装飾を最低限に絞ったことで裾の広がりとフリルが生き、ポイントのボタンが良い仕事をしてる。そして瞳とリボンを差し色とした気品溢れる調和。あぁ才能が怖い。俺は天才か? 領主を辞めたら服飾職人になるべきじゃないか?」


「ご自身の仕事を全てきちんと処理しきって、後継を育てて、引継ぎをしっかり終えて、諸々の面倒事の始末をつけられたら老後はどうぞお好きになさってください」


 こつりと杖をついたカミロが横に立つ。そちらを見上げると、いつの間にか斜め後ろにはエーヴィが控えていた。相変わらず気配が薄弱で気づかなかったが、ファラムンドと一緒にロビーへ来ていたのかもしれない。

 自身を抱きしめるようにうねうねしていたファラムンドは、そこから半回転してカミロを睨みつける。


「おのれ陰険眼鏡め、この俺の華々しい第二の人生を阻むだけでなく、リリアーナとの親子水入らず仲良しお出かけ権まで奪うとは許せん……!」


「ご自身が撒いた種でしょう。だからあれほど溜め込む前に返信をと申し上げましたのに。その意気でどうぞ本日のご対応を乗り切ってください、夕刻までに追い返すのをお忘れなく」


 歯ぎしりしながら身を震わせる領主に対し、侍従長の男はぴしゃりと言い放つ。

 どちらのほうが立場が上なのかわからないやり取りだが、それだけ気心が知れた仲ということだろう。おそらくカミロの言うことが正論なのだということくらいは、何となく理解できる。


「誰か客人が来るのか?」


「少々面倒な方がいらっしゃる様ですが、旦那様にお任せして構いません。リリアーナ様はどうぞお気になさらず、心ゆくまで本日のお買い物をお楽しみください」


 自分が屋敷にいたところで、客をもてなす足しになるわけでもない。

 カミロの言葉にうなずいて何か激励でもとファラムンドのほうを見ると、がっくりと肩を落としてうなだれていた。そこまで面倒な客なのだろうか。何だか自分ばかり気楽に遊びへ出てしまって申し訳ないような気すらしてくる。

 また以前のように頭を撫でたら元気が出るかなと思ったけれど、整髪料をつけているようなので手を止めて、かわりに身厚の肩を軽く叩いた。


「がんばってくれ、父上。わたしばかり好きに過ごさせてもらってすまないが、その、応援はしている」


「リリアーナァァァ――! 我が愛――ッ!」


 吠えるように叫び、噴射する勢いで立ち上がったファラムンドから飛び退く。

 家族からの応援は効果があると自身でも実感しているが、父には殊更効き目があるらしい。握りしめた両手を高らかに掲げ、天に向かってぶつぶつと何か呟いている。

 少しばかり挙動はおかしいけれど、とりあえず元気が出たようで良かった。

 安堵し、前衛的な彫像を思わせるポーズで立つ父を眺めていると、その長身の陰からレオカディオがひょっこりと顔をのぞかせた。


「何だ、レオ兄まで見送りに来てくれたのか?」


「うん。廊下を歩いてたら父上が騒いでる声が聞こえて、何かなーと思ってさ。リリアーナはこれからお出かけ? 朝食でもなんかウキウキしてたけど、街へ行くの?」


「そうだ。久しぶりに買い物とか見学とか、色々な」


「ふーん、そっかぁ。今日は寒いけど天気もいいし、楽しんできなよ!」


 朗らかな笑みを浮かべながら頭の後ろで手を組む次兄は、普段よりも幾分軽装だった。

 移動中ということだし、これから裏庭で乗馬か剣術の稽古でもするのだろう。その後ろには彼のお付きの侍女が控えている。

 待たせているカミロと合流して外に出るだけのつもりが、ずいぶんと見送り人の多い出立となってしまった。

 エーヴィと共に動かずにいたカミロのそばまで戻り、虚脱から立ち直った父と笑顔の次兄、その他の従者や侍女たちに軽く手を振る。


「では行ってくる」


「うん、行ってらっしゃーい」


 大げさなほど腕を振るレオカディオに笑みを返し、リリアーナは三年振りにエントランスの正面扉から屋敷の外へ出た。


 広いポーチを降りた先には、やはり五歳記の時と同様に馬車が停められている。

 かつて乗ったものよりいくらか小さく、装飾も少ない。ファラムンドたちが普段の移動に用いている馬車なのだろう。

 繋がれた馬だけは以前と同じ白馬だ。リリアーナのことを覚えているのか、視線を向けながら嬉しそうに毛並み豊かな尻尾を揺らした。

 すでに御者たちの準備は整っているらしい。先導するエーヴィが扉を開き、カミロが片手を差し伸べる。


「リリアーナ様、どうぞ」


「うん」


 その手を取り、ステップに足をかけて馬車へと乗り込む。

 前回より小さいとは言っても、子どもの体からすれば十分な広さを持っており天井に頭をぶつけるような心配もない。

 内装は簡素ではあるが天鵞絨ビロード張りの座面は意外と柔らかく、以前と違って窓のカーテンが開けられているのは嬉しい。これなら道中の景色を眺めることができるし、街中の様子も観察できるだろう。

 エーヴィに促されて、長椅子に置いてある綿でふくらんだクッションへ腰を下ろした。ふかふかだ。

 最後にカミロが乗り込み、扉が閉じられる。窓越しに御者へ合図を送ると、ゆっくり馬車が動き始めた。

 警戒していた振動は思ったよりも軽い。車輪の音が少しだけ異なるし、どうも座っているクッションのせいだけではないようだ。

 車内や座面を観察するこちらの視線から、何を訝しんでいるのか察したのだろう。対面に座るカミロが口を開いた。


「車軸や接続部分に改良を加えまして、以前よりは乗り心地も改善しているかと思われます。ですが、もしご気分優れないようでしたら仰ってください。急ぐ行程でもありませんし、途中で降りて休憩を取ることもできます」


「ん、わかった、何か不都合があればすぐに言う。確かに、前よりだいぶ揺れと音が小さくなったな」


「お屋敷から街までの道は、余所よりは余程なだらかなのですが、振動に関してはやはり馬車本体の問題ですね。これは車体の造りを検討して試作を重ねた結果です。使用する素材を色々と試しているところなので、もう少し時間をかければもっと揺れは小さくなるでしょう」


「ほう、街の職人たちの努力の賜物か。試行錯誤から良いものが生まれたなら結構。製造法などが確立したら、それを広めるなり知識を売るなり、他へ役立てることもできるだろうし」


 感心してうなずいていると、カミロは返答の代わりに口元へ微笑を浮かべた。

 窓の外には尖った植木が列をなしている。イバニェス邸の前庭は広大だ、もう少し進めば表門が見えてくるだろう。


「それと、今回はこのままカーテンを開けておいて良いのだな?」


「はい。街に入りましたら馬車の中でもフードを被って頂くことになりますが、カーテンはリリアーナ様のお好みでご自由になさってください。外光が眩しいようでしたら閉めますので。……寒くはありませんか?」


 首を横に振ると、カミロは手を伸ばしてガラス窓を少しだけスライドさせた。

 隙間から外の清涼な空気が流れ込んでくるが、外套の中もしっかりと着込んでいるから寒くはない。

 前髪を揺らす風にあたりながら、ガラス越しに晴れ渡った空を見上げる。どこまでも澄んだ青色は雲の面影もなく、からりと晴れている。

 ガラガラという車輪の音も、きつくない程度の揺れも馬車の醍醐味と思えば案外心地よい。

 単調なその音に耳を傾けながら、リリアーナは遠い稜線を眺めて微笑みに目を細めた。絶好のお出かけ日和だ。


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