第111話 新しい装いとお出かけの朝


 姿見の前でリリアーナの支度を整えるフェリバは絶好調に機嫌がよく、手を動かしながら今にも鼻歌を歌い出しそうだった。

 同じく髪や衣服を任せきりでいるリリアーナ本人のほうも、いつになくご機嫌で喜色が顔面に漏れ出ている。その様子をそばで見るトマサにも伝染し、身支度が進められる室内は浮かれた雰囲気に包まれていた。

 上着のフードを脱着しても髪型が崩れないよう、今日は二つに分けて低い位置で結った髪を前に垂らしている。

 フェリバは慎重に結び目の調整をしてから、飾り紐を通して蝶の形に結んだ。


「……うん、これでいいかな。リリアーナ様、ちょっとこちらに袖を通してフード被ってみてもらえますか?」


「わかった」


 トマサが広げた上着に片腕ずつ通して羽織り、前の合わせなどを任せる。

 厚みのあるグレーの生地は何かの毛を織ったものなのだろう、とても柔らかく暖かい。ファラムンドがこの冬のために新しく仕立ててくれた外套だ。

 きちんと採寸をしてあるため身頃もぴったりで、左右に大きなポケットがついていることも嬉しい。

 着衣や身なりに頓着しないたちではあっても、やはり新しいものというのは心が躍る。手触りのよい表面を撫で、窮屈さも感じないことに満足をしながら、リリアーナは後ろに垂れていたフードを頭に被った。


「あ、あ、あ~~~最高です、リリアーナ様最高に可愛い! さっすが旦那様ですね、完全にわかってるーって感じですよこれはもう、感服しちゃいます!」


「フェリバ、言葉遣い……。ともかく、新しいコートも大変お似合いですよ、リリアーナ様」


 ふたりの侍女からの絶賛を受け、改めて姿見に映った自分を見つめる。

 濃い炭色のなめらかな毛織生地は落ち着いた風合いで、無駄な装飾が極力削がれている意匠はリリアーナの好みだった。髪に結われた紅色の紐とも良く合っている。

 腰のあたりに切り返しがあり、少し膨らむような形になっているのは、中に着る衣装に合わせたものだろうか。足に干渉しないほうが動きやすいためここも構わない。

 前の合わせは大きめのボタンがついており、手袋をしたままでも外すことができそうだ。ポケットや袖口にも揃いの飾りボタンがついている。ここも別に構わない。

 唯一気になるのは、被ったフードの上だ。


 ……頭の上部、左右に三角形の突起がついている。

 縫い付けられたものではなく、フード自体がその形になっているのが不可解だった。今の自分の頭には鋭い角も獣の耳もないというのに。


「この、頭上の耳らしき突起は、一体何なんだ……?」


「チャームポイントですよ~」


「何か意味があるのか?」


「可愛い。意味なんて、それだけで、十分です」


 握りこぶしを固めて力説するフェリバの勢いに押され、そういうものかと納得しておく。

 別に耳らしきものがついていてもさほど邪魔というわけでもないし、フェリバから見てこれが好ましいのであれば、このままでも良いだろう。

 そもそも、この外套を発注したのはファラムンドだ。日々仕事で忙しくしている合間に、わざわざ娘のための新しい衣装を仕立ててくれた。その心遣いに対し感謝こそすれ、文句など出てこようはずもない。

 しかも、今年はこれを着て外に出ることが叶うのだ。去年までの、新しく仕立てても外出に着用することのないまま身の丈が合わなくなってしまった外套とは違う。


「まぁ、暖かいしフードの形状については問うまい。今年はちゃんと外出に着られてよかった」


「そうですね。去年のもすっごく可愛かったんですけど、中庭のお散歩にしか着られなくて残念です」


「まだ時間は大丈夫そうか? 支度が済んだら出立としか聞いていないが」


「いつでも大丈夫ですよー。侍従長は今日一日空けてあるんでしょうから、待たせちゃってもリリアーナ様はなんにも気にしなくって平気です。男は女の身支度を待つ生き物なんだって、私も行儀見習いの時に教わりました!」


 何やら理不尽極まりないことを自信満々に宣言するフェリバだが、予定を空けてあるからといって待たせて良いものではないだろう。身支度は済んだから、あとは持ち物の確認をして階下へ降りよう。

 ファラムンドに並んで忙しい身の上の男だ。今日の時間を作るために、前後して相当な無理をしているに違いない。

 その点については申し訳ないと思いながらも、久しぶりに街へ行けることも、気心の知れた相手と歩けることも正直とても楽しみにしていた。


「てっきり今度もキンケードがついてくると思っていたから、カミロが伴をするのは意外だったな」


「あれは当面、街の詰め所から離れられません。賊を逃がすどころか後先考えず適当なことを口走るからです、身から出た錆、自業自得です。一件が片付くまではリリアーナ様のおそばを歩くなど言語道断」


「まぁ、屋敷への侵入は阻止したのだし、手傷も負わせたそうだし。手柄ということにしておいてやれ……」


 眉間に力を込めて気炎を上げるトマサをなだめ、仕方がないと息をつく。

 出かけるならいつでも護衛をすると請け負ったキンケードだが、一晩屋敷に泊まって街へ帰って以降は、ずっと職場から出られないでいるとトマサから聞いている。

 襲撃騒ぎの折、逃げる男に対し「剣を取り戻したければ街の自警団詰め所に来い、自分はそこにいる」と言ってしまった手前、本人が留守にするわけにもいかず、あれ以来休み返上で常駐しているらしい。

 そんな言葉を真に受けてのこのこやって来るかはともかく、もしキンケードが不在の時に強盗犯が来ても対処できる人間はいないのだから、詰め所に軟禁状態になるのも無理はない。

 放った言葉と、逃がしてしまったことの責任、その両方を取ることになっているのだろう。


 屋敷が襲撃を受け、守衛も門番も止めることができなかった中、(剣の強化に自分が力を貸したとはいえ)キンケードだけがそれを撃退することができた。彼が功労者であることは間違いないし、ファラムンドだってその点はわかっているはず。

 無事に強盗を捕らえるなりして事態が解決した際に、きっと褒賞や休暇などで補填をしてくれるだろう。


 胸元を押さえてそこに下げているものを確認し、鏡で背面にも問題ないことを確かめて、鏡台へ置いていたアルトを手に取る。

 上着のポケットに入れることはできそうだが、今日は他にも持参するものがあるから、久しぶりにポシェットの出番だ。

 以前使ったものはカミロの足の修復に使用してしまったため、あの後もう少し大きなサイズで作り直してもらった。アルトがすっぽりと入る本体の左右と裏面にも小さなポケットがついて、収納容量が増している優れものだ。

 外套の上からそれを斜めにかけて、中央にアルトを角まで突っ込む。右側のポケットには持っていく小物を、裏面にはエドゥアルダから受け取ったメモを入れてある。


「……うん、準備万端だ」


「侍従長とエーヴィさんがご一緒なら安心ですけど、街は色々と危ないですから。くれぐれも気をつけてくださいね?」


「わかっている。ちゃんとカミロの言うことは聞くし、はぐれないようにする」


「はい。それじゃあ久しぶりのお出かけ、楽しんできてください!」


 笑顔のフェリバに送り出され、トマサの先導で長い廊下を歩く。

 待ちに待った三年ぶりの外出だ。


 キンケードが泊まった際、ファラムンドたちに外出禁止を解くよう伝えてくれると言っていたが、その約束は十分に果たしてくれたようだ。事が落ち着いた翌々日には、またコンティエラの街へ行っても良いとカミロから伝えられた。

 名目上はアダルベルトへ贈る誕生日プレゼントを選ぶため、ということになっている。

 そのついでに小物店を覗いたり、露店を物色したり、買い食いをしたり、自警団の訓練場を見学しても、別に構わないだろう。同伴することになっているカミロにも、それとなく寄りたい場所の要望は伝えてある。

 もしそちらに許可が出ないとしても、アダルベルトの誕生日までに街へ行くことが叶ったのは幸いだった。ひとまず今回一番の目的は贈り物の入手だ。

 ポシェットの中に忍ばせたものを確かめるように、上から軽く触れる。日頃何かと世話になっている長兄の役に立つもの、彼に喜んでもらえるものを用意できれば良いのだが。


<スリや置き引きのご心配は無用ですぞ、不審者が近づこうものなら、私がビリビリーっとやっつけてやります! リリアーナ様どうぞご安心をー!>


 何やら威勢のよい念話とともにアルトの角が片方ぴんと立ったので、ポシェットの隙間にねじ込んだ。

 こうしてポシェットで持ち歩くなら、ぬいぐるみから宝玉だけ取り出して入れておけば良いのではないかと思わなくもない。

 またフェリバの手を煩わせることになるし、ボアーグルのぬいぐるみにもそれなりの愛着がわいているから一応このままにはしてあるが。


 階段を降り、ロビーを一望できる踊り場へ出ると、そこには外出の支度を整えた侍従長が立っていた。そういえば五歳記の朝もこんな風だったと思い出す。

 今日は仕事の一環とはいえ街を歩くことになるから、あの日とは違って私服らしき装いだ。

 仕立ての良い黒い外套を着込み、紺色の襟巻をかけている。手袋も普段の白い布製のものとは異なり、黒い皮手袋で杖を携えていた。


「待たせたな」


「いいえ、とんでもありません。……新しいコートも良くお似合いです、リリアーナ様」


 いつもと違う出で立ちで、レンズの奥の目を細めて見上げるカミロ。

 着衣も見目も気にしないとはいっても、似合っていると言われればやはり悪い気はしない。久しぶりの外出に、そして父が仕立ててくれた新しい衣装に浮き立つ気持ちが足取りをも軽くさせる。

 ロビーへ降り立ち、リリアーナは演技ではない笑みでその賛辞に応えた。


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