【白と赤/コンティエラの街】

第110話 老婦人との語らい


「では、本日はここまでといたしましょう」


「ご指導ありがとうございます、バレンティン夫人。本日の授業も大変興味深いものでした、また次回もよろしくお願いいたします」


 両手を揃え、教えられた通りの角度で礼をして、口角を上げるだけのあえかな笑みを浮かべる。

 しかめっ面の老婦人は教え子のその様子を一瞥すると、嘆息とも侮蔑ともわからない息をひとつ吐いてからうなずいた。


「……そのわざとらしい笑い方はともかく、作法と口調だけはまぁ、及第点でしょう」


「表情の作り方は、鏡を見ながら練習したほうがよろしいでしょうか?」


「余計にわざとらしくなるだけです。この先数年は大して客対応もないでしょうし、その間に精進なさい」


「はい、わかりました」


 リリアーナは見送りのために席を立ち、いつも通りに扉へ向かおうとしたが、老婦人が椅子に深々と腰を掛けたままのためその場で立ち止まる。

 いつも授業を終える時刻まではまだもう少し。他に何か話でもあるのかと、立ち上がった席にもう一度腰を下ろす。

 対面にそんな様子を見ても特に何か言うでもなく、エドゥアルダ=バレンティン夫人は優雅にカップを傾ける。そばに控えていたエーヴィがこちらのカップにもお代わりを注いでくれたので、ひとまずそれを飲むことにした。

 だいぶ慣れてきたとはいえ、やはり礼儀作法の授業は一番緊張する。意識はしていなかったが喉も乾いていたらしく、すっと通る苦みのない香茶がおいしい。


 少し前に起きた強盗騒ぎに巻き込まれた夫人だが、その次の日からはいつもと変わらず授業が行われた。

 襲撃の直後から守衛の手当てをしたり、自警団ごと彼らを座らせて数時間に渡り説教をしたりと、何やら知らない所で大活躍だったらしいが、そんなことはおくびにも出さず――話題にすら出さず、翌日に顔を合わせても普段通り。

 乗っていた馬車が襲われたのは災難だったが、そもそも夫人が怯えたり怖がったりするところなんて想像もつかない。こちらが心配をしたところで余計なお世話というものだろう。


 ここの所、というよりもカミロからの助言を受けてからは、苦手としていた礼儀作法の授業もそれなりにこなせるようになっていた。

 習い、覚え、実践する。要はそれだけなのだから、生前がどうとか自分らしさがどうのとか、そういう余計なことは払拭してしまえば良いのだ。

 コツさえ掴めば後は楽なもので、時節の挨拶や招待を受けた際の対応などは合格点、言葉遣いの組み合わせと表情の作り方は要練習といったところだろうか。

 考え方を切り替えるだけでこうも違うとは、やはり先達のアドバイスはためになる。


 体調を崩していたあの日、カミロから受けた助言はごくシンプルに、「演じれば良い」というものだった。

 自分の本来の口調とは異なる、浮かべる表情も感情の発露ではない、そういった面から苦労していた『令嬢らしい作法』だったが、教えを受けることで自分らしさを上塗りしようとするから上手くできなかったのだ。

 初めから演じるつもりでいれば、意外とどうということはない。身近なところで作法はトマサ、笑顔はフェリバ、口調はカステルヘルミが良い手本になっている。

 自分は自分のまま、所作や口調のみ彼女たちを真似て『貴公位の令嬢』の立ち振る舞いを演じれば良い、という発想の転換。

 根本的な解決にはなっていないかもしれないが、そもそも中身が令嬢ではないのだから、もうこれで行くしかないだろう。

 カミロにも一度報告をしてみたのだが、苦笑を浮かべながら「十分です」とうなずいてくれた。あの男がそう言うのなら、たぶん大丈夫なはずだ。


 授業の手応えに満足し、香茶で喉を潤しながら一息ついていると、夫人はカップを置いて厳しい目を向けてきた。


「明後日、コンティエラへ行くそうですね」


「はい。三年振りの外出なので、とても楽しみにしております。この冬にアダルベルトお兄様が十五歳記を迎えられますから、お贈りするプレゼントを用意したくて」


「ええ、あの子ももう十五歳……。父親と違って勤勉な様ですが、このまま弛まず勉学に励んで、イバニェス家嫡男としての自覚をしっかり持ってもらいたいものです」


「アダルベルトお兄様は真面目でお勉強も熱心な方ですよ。書斎でお会いするたびに色んなことを教えてくださいます。わたしのお誕生日にも、いつも素敵なプレゼントをくださるので……お役に立つ物をお贈りしたくて」


 エドゥアルダの口から兄の話が出るのは珍しいことだった。アダルベルトが勤勉な性格だという評価は素直に嬉しいし、同意するところだ。

 そもそも授業に関わること以外を、彼女とこうして話すのは初めてかもしれない。

 礼儀作法の把握が上手くいっていることに調子付く気持ちと、久しぶりの外出を前に浮かれる心が、もう少し雑談をしても良いかと続く話題を舌に乗せる。


「バレンティン夫人も、街でお買い物をされることはあるのですか?」


「自ら店舗へ赴くなど無駄なことはいたしません。必要なものがあれば屋敷へ商人を呼びつけて、用意させた品の中から選ぶのです。あなたも、ゆくゆくは懇意にする商店を持って、物の見定め方と選び方を覚えなさい」


 たしかに、着衣の発注などは採寸から布選びなどを屋敷の中で行っているし、馬車を引いて屋敷へ出入りしている商人たちはそういう用で来ているのだろう。荷運びの馬車以外にも、日々様々な者が来訪していることは知っている。

 立場とそれに付随する商いのやり方に異論はない。だが、自ら店へ赴くことを無駄と断ずるのはいかがなものだろうか。


「そうした購入の仕方も、父上に教わりながら覚えていきたいと思います。ですが、わたしは自らの足で街を歩くことも、店で品を見ながら選ぶことも、無駄だとは思いません」


 老婦人の片眉がぴくりと上がる。

 あまり反論をして機嫌を損ねるものではないとは思うけれど、自分の考えを述べるくらいは許されるだろう。


「領民たちの暮らしぶりや、商店に並ぶ食料品の多寡、露店の並ぶ通りの賑わい、そういったものを直に目にすることで見えてくるものもあるはずです。流通も交易も、まだまだこれから学ばなければならないことは多い立場ですから、なおさらに」


「貴公位の令嬢がそんなことを学んだところで、女が政務に関わる機会などありませんよ」


「バレンティン夫人はご自身が名代となってお仕事をされていらっしゃると聞きました。お屋敷の出納も直轄地の管理も、夫人が取り仕切っていらっしゃるのでしょう?」


 早逝した当主に代わり、嫁入り間もない頃から屋敷を取り仕切ってきたデキる女主人であるという話は、トマサやフェリバからも聞いている。なぜかアルトまでその辺の話を知っていた様子だが、どこかで聞き耳でも立てていたのだろうか。

 ともかく、女人であっても領内の仕事はこなせることを体現しているような女性なのだ。その口から女は政務に関われないなんて言わせはしない。


「領の内政と、一家を取り仕切ることでは、まるで話が違いますよ」


「いいえ、違いはありませんバレンティン夫人。守る範囲が大きいか小さいかの差でしかない。人を従え、指示を出し、金銭の動きを把握して物流を促し、彼らの暮らしぶりを豊かにする。その働き自体は何も変わらないでしょう」


 領主として内政をまとめ上げるのも、家主として屋敷を取り仕切るのも、……魔王として領地を守るのも、やることにそう大差はないのだ。

 今の生まれや暮らしには満足しているから、何かを従えるほどの立場になるつもりはないが。

 せいぜい、父や兄たちを手伝って、この領を豊かにしたいと思うくらいで。


「わたしは領主を継ぐことはできませんし、この家にいて父や兄たちを手伝うことも、そう長くはできないかもしれない。それでも、きっと、知ることは無駄ではありません」


「……」


「以前、たった一度だけでも街へ行って得た知見は大きなものでした。そうして直に触れて得る知識も経験も、蓄えていけばいずれ役立つこともあります……それらはきっと、わたしの人生の糧となると思うのです」


「ふん、八歳の娘子が何を偉そうに」


 それもそうだな、と自分でも思う。

 エドゥアルダとは歩んできた人生も、見ているものも、考え方も異なる。だから自身の思うところを告げたところで、それを理解してもらうことは困難だろう。彼女の言い分を自分が飲み込めないのと同様に。

 わかり合えないなりに、互いに「そういう考えもある」という把握ができれば十分だ。

 身の安全や立場を考慮すれば、屋敷へ商人を呼び寄せての買い物も理に適ってはいる。そのこともちゃんとわかっているからこそ、実地での経験も無駄ではないと伝えたかった。


 そして、店の話でひとつ思い出したことがある。

 機会があれば、誰か大人の女性に訊いてみたいと思っていたところだからちょうど良い。この雑談の隙になら訊ねても答えてもらえそうだ。


「バレンティン夫人、街でのお買い物について一点、ご相談があるのですがよろしいでしょうか?」


「何です?」


「貴金属を扱うお店で、小さな銀塊から装飾品を作ってくれる職人につてのある所をご存知でしたら、紹介していただきたいのです。わたしの魔法の先生がつけるものなのですけれど」


「あの中央から来たとかいう派手な魔法師ですか。銀から装飾品ね、ふむ……」


 ひとつ唸ると、夫人はそばで控えていたエーヴィに指図して筆記具を持ってこさせた。そこへ何かを書きつけて、一度折った紙をこちらへ差し出す。

 受け取った紙を開いてみると、店名らしき名称と、道の名前などが書かれていた。

 コンティエラの街の通りなどはまだあまり把握しきれていないが、同伴する者にこれを見せれば場所はわかるだろう。


「そちらは懇意にしている装飾品店です。奥が工房になっていますから、素材を持ち込めば見繕ってくれるでしょう。……こちらからも伝えて、名乗るだけで話が通じるようにしておきます」


「ありがとうございます、そうしていただけると助かります」


 キンケードの剣の強化に提供してもらったカステルヘルミの首飾り。何かいわくのある品のようだが、女性の装飾品というのは大切なものらしいから、使える形で返すことができそうでほっとした。

 色のついた石はインベントリから引き出したものがいくつか手持ちにあるし、それらを使用して何か作ってもらえば良いだろう。

 残る問題は、加工賃が今の自分に支払えるかどうかという点だが……これは後でカミロに相談してみるより他ない。

 前回の買い物の際に手渡された金銭は、あの潰れた馬車の中で失われてしまった。まだ金貨も銀貨も残っていたから、あれがあればそれなりの足しになったろうに。


 そもそも、アダルベルトへの贈り物を買うための金銭だって新たに入手しなくてはならない。

 自ら稼ぐ手段がない以上、相当額をファラムンドから小遣いという形で得る必要があるわけで……ここはカミロがしつこく言う「子どもらしい我が侭」の出番だろうか。

 まだ仕事に就ける年齢ではないし、自分で金銭を入手できないのは仕方がないにせよ、やはり不自由は感じる。どうにか、今の自分でも正当に金を得る方法があれば良いのだが。

 何かを作るか、売るか、依頼をこなすか。金銭とは何らかの望みを果たすことで、対価として得ることができるもの。


 リリアーナは空になったカップの縁を親指でなぞりながら、生前でもしたことのない金策について思いを馳せた。


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