第109話 間章・おとな魔王さまは食糧事情を改善したい。④


 力は抜けても、気を失ったというわけではないだろう。

 腕を解放しアルトバンデゥスの杖を突き刺した場所まで戻ると、老人はうずくまったままの体勢で低く唸りながら顔を上げる。


「……儂のごどば、なしで殺ざね?」


「殺す? いや、先にお前が襲いかかってきただけだろう。挨拶代わりに戦うのが鉄鬼族の風習というなら、まぁ仕方ないが、他種族にまでいきなり戦闘を吹っ掛けるのはどうかと思うぞ」


「なは『魔王』のんだべ?」


「……? 『魔王』かと問うているなら是だ、我が名は『魔王』デスタリオラ。わりとつい最近に就任したばかりでな、城を改修したり臣下を集めたりしている最中なんだ」


 老人は右の肩を押さえたまま、ゆっくりと上体を起こして座り込んだ。

 憤怒に歪んでいた表情はいくらか和らいでいるが、元々のつくりが険しいため正直あんまり変わりがない。

 それでも目には冷静さと困惑の色が見て取れる。どうやら対話に応じてくれる気にはなったようだ。

 垂れた右腕は肘がまだ不自然な方向に曲がっており、肩も外れているはず。いくら回復力に優れた鉄鬼族とはいえ、あのまま自然治癒しては後に不具合が残るだろう。


「その腕は治してやれるが、」


「かまね、すぐさもとん治ら。それしりも、なは『魔王』のばて殺さねのだな。よぐ見だきや小っちゃし、知っていらどはんでねぇしだ」


「ち、小さいって言ったか今? いや、我だってな、翼とか角とか生やそうと思えば生えるんだぞ? 体格と殺さないことは全然関係ないと思うぞ?」


<補足:過去の『魔王』には自身へ従わない種族に対し、森ごと集落を焼いたり一族を皆殺しにしたりという、見せしめを行った方もございます。かつて血縁がその被害に遭い、『魔王』に対する警戒が強かったのではないかと>


「ああ、前にもそんな話を聞いたな……。そうか、鉄鬼族も昔の『魔王』に酷い目に遭わされたか?」


 こちらの問いかけに、老人は力なくうなずいた。

 何代前の『魔王』の所業かは知れないが、長命な鉄鬼族ならば数百年前の出来事でも、祖父や曽祖父の代の話として身近に聞いて育ったことだろう。方々へ出歩いても遭遇しなかったのは、『魔王』という脅威から隠れ住んでいたためかと納得する。

 これだけ強靭な種族なのに、他の弱く小さな者たちよりも警戒を強く持っているのは、「恐ろしい話」が自身にとって遠い昔の出来事ではないせいだ。

 小さい者ほど生命のサイクルが早く、文字に残す習慣もないため、過去の陰惨な出来事が早々に失伝してしまうのかもしれない。


「なるほど。これだけ巨大で強靭なのに、小鬼族よりも臆病にしているわけだ……。老人、小鬼族は知っているか? 我よりも先に魔王城に住み着いていた種族なんだが。城で働いてくれている彼らの食料が不足してな、我はそれを賄うためにここへ様子を見に来たのだ」


「あのこまい奴きやぁがへさしていらか、んだか……」


「臣下は欲しているが、その求めに反したからといって危害を加えるつもりはない、安心するといい。怖がられるなら、お前たちの集落にも近寄らない」


「……んだか、わがたん。がっこはたぐさんあらし食いもん欲しだば分いてやる、こっさあべ」


 相変わらずくぐもった早口で聞き取るのが難しいが、何やら食料を分けてもらえるようだ。

 老人は上体をふらつかせながらも、足の力だけでしっかりと立ち上がった。

 あれだけ脳を揺すって延髄そのものにもダメージが入ったはずなのに、もう立てるのかと驚く。押さえている右腕も、強がりではなく本当に修復の魔法など無用らしい。

 これまで複数の種族と戦闘をしてきたが、その中でも群を抜いて強かった。

 鍛え抜かれた肉体も技も見事なものだ。鉄鬼族とは四肢を用いて戦うということに特化してきた種族なのだろう。老齢でこれだけ強いのだから、最盛期の若者など如何ほどか。

 そんなことを考え感心していると、白髭の老人はしわに埋もれそうな目を細めながらこちらを眺めた。


「ながきらきら光っていらは『魔王』だかきやな? 聞いてたものどはずいぶんでねぇたげ綺麗ぇだの」


「光って……?」


 その言葉に自身の手を、衣服を見下ろす。細い滝で接触した名残りか、まだいくらか辺りの精霊たちがまとわりついて、微細な光を放っている。

 これを指しているのだとしたら、老人も精霊眼を有しているのだろう。垂れた目蓋としわに阻まれて、虹彩の紋様までは見て取ることはできない。

 種族的に、扱う魔法で言ったら肉体強化や治癒促進の類か。もし自分の知らない構成も使っているようなら、そのうち見せてもらいたいものだ。


 手を伸ばし、腕にまとわりつく精霊たちを促すようにして指先へ小さな構成を浮かべた。

 周囲に充満している水分子を集めて冷やし、氷の結晶に。六回対称の様々な図形を成した雪が、自分の周囲だけにちらちらと降る。

 霧が固まったことで少しばかり空気がクリアになった。

 その中で集まっていた精霊たちは金色の輝きを強めながら、舞い散る雪に混じって踊りだす。

 乾いた平野部ならともかく、もう少し山の上に行けば雪くらい珍しくもないだろうに。まるで初めて見る気象現象を喜ぶ幼子のように、構成の周囲を飛び回るその舞踊は妙に楽しげだ。

 もしかしたら来客どころか、魔法の構成自体が珍しいのかもしれない。

 だとしたら、この辺に住まう者や鉄鬼族はあまり魔法を行使しないのだろうか。これだけ汎精霊が満ちているのにもったいない。


「何だお前たち、構成が珍しいのか。ずいぶんと退屈していた様子だな」


<観測:あまり大きな構成を回して楽しませると、このままデスタリオラ様についてきそうですね>


「ついて来るのは別に構わ……いや、こいつらには水の転送をしてほしいから、この場に留まってもらわねば困るな。これだけ喜んでいるのなら、妙な小細工をせずとも構成を回し続けてくれそうな気もするが」


 こちらは水を転送してもらえれば助かるし、そのための構成が土着の精霊たちの暇つぶしになるなら双方にとって何よりだ。

 こんな変化に乏しそうな場所で、長い年月を退屈して過ごすのはつらいだろう。

 実際精霊たちがどう思っているかは知る由もないし、自分は退屈などする暇もなく日々忙しく動いているから、その気持ちを理解することはできないけれど。


「……魔王城の妙に反抗的な精霊たちも、もしかしたら退屈しているのか? そういえばまだ城では大した魔法を使ったこともなかったし、今度何か適当な構成を回させてみるか」


<提案:城の裏手へ溜め池を作られるのでしたら、そちらは臣下の手を使わずデスタリオラ様の魔法で掘削されるのがよろしいかと。ここらで一発、誰が主なのか、力の程をはっきり見せつけてやりましょう>


「まぁ、こんな簡単な構成を回して喜ぶくらいだからな。働くのが楽しいというなら、少し大きめのを試してみるのも良いかもしれない」 


 ――――。


 その時、方向の知れないどこか、近くか遠くかもわからない場所で、くすくすと忍び笑う声が聴こえた気がした。

 顔を上げて気配を探ってみてもそれらしいものは何もない。

 葉揺れの音か、滝の轟音が奏でたノイズだろうか。

 少し離れた場所に立つ老人の方を見ると、先ほどと変わらず細い目をさらに細めながらこちらを眺めていた。やはり構成が、それとも雪が珍しいのだろうか。


「いものば見だ。めごいす、強いす、せがれの嫁ッコさ欲すいくれだ」


「ヨメッコ?」


<提案:アー! さきほど食料を分けてくれるとか言っておりましたし、そろそろ移動しましょう!>


「そうだな。水源の確認はできたし、食料を持ってそろそろ帰らねば。老人……、ええと、お前の名は何という?」


黒鐘くろがね。剛鉄の黒鐘くろがねだ、儂がごの辺りのモン取りまどまなぐてぃら。こっちさついてあべ」


 そう言うと、黒鐘と名乗った老人は踵を返して針葉樹の森へ入った。

 辺りの者を取りまとめている……ということは、この周辺に住まう鉄鬼族の長のようなものだろう。

 力こそ全てというような文化を持っている種族なら、これだけ強い者が長を務めていることにも納得だ。

 太い木々の合間を縫い、老人の背を追う。歩みを進めるうちに木の間隔が少し開き、植生が異なるらしく周囲には別種の樹木も散見するようになってきた。

 その隙間の向こうには岸壁の間にぽかりと空いた洞窟が見える。あそこを住処としているのだろうか。

 少し開けた場所で足を止めた老人は、木のひとつに手を添えてこちらを振り向く。

 青々とした葉を広げる背の高い木だ。深緑色の葉の間には、黄金色をした大きな果実がいくつも実っていた。柑橘らしい、涼やかな香りがする。


「こいば、なさやろう」


「この実を分けてくれるのか、助かる。これだけ大きな果実なら食いでもあるだろう」


 それなりに数がいるから、もし足りないようであれば帰路に魔物を仕留めて持ち帰ればいい。

 小鬼族の食の好みは聞いていないが、果実ならそのまま齧れるし、魔物の肉は捌いて焼けばたぶん食べられるだろう。

 さて何個分けてもらえば良いかと思案していると、黒鐘は鼻息を荒く吐き出し、無事なほうの腕で木に抱きついた。

 もしやと思い静止する間もなく、全身の筋肉を隆起させ、植わっている木を引き抜こうと踏みしめる両足へ力を込める。


「いや、待て、まだ右腕も完治していないだろう。そんな無茶をせずとも、」


 抜くなら自分が抜くし、どうしてもやりたいならまず右腕を治してやる。

 そう留めようとしたのだが、めりめりと有機的な音を響かせた大樹は老人に抱きすくめられるまま斜め倒しになり、根を千切り、やがて土中から引っこ抜かれてしまった。

 土に空いた穴を前に、黒鐘は引き抜いた大木を肩に担いでにやりと笑う。

 広く根を張っている、自分が腕を回して両手を握れるかという太さの樹木だ。力自慢の鉄鬼族とはいえ、さすがに呆れてしまう。

 そうして言葉をなくしていると、担いでいた木を軽い手土産のように渡そうとしてくるので、さすがに今度は手で留めた。


「待て、待て、わかった、木ごと譲ってくれるんだな? ええと、インベントリにこのまま入るか?」


<肯定:有機物ですが単体を抜いてあるため、材木として収納可能です>


「そうか、ではありがたく受け取ろう。このまま城の中庭に植えかえて世話をすれば、また実をつけるんだろう?」


<肯定:よく日光の当たる場所で、土に肥料を含ませて生育すれば城の庭でも問題なく実るかと>


 両手を伸ばし、黒鐘から受け取った木を重みを感じる間もなく収蔵空間へと放り込む。

 異層へ消える間際に、甘い香りが鼻先を掠めた。

 艶やかな黄金色の果実。これだけ見事な大玉なのだから、きっと食べたらうまいのだろう。小鬼族の兄妹たちも喜んでくれるに違いない。

 自分は食事の必要がないため口にするつもりはないが、今後の参考に味の感想は聞いておこうと思った。


「感謝する、黒鐘。城の小鬼族たちも喜ぶだろう、鉄鬼族の長が譲ってくれたのだと伝えておこう」


「こいぐきゃ構ね、よぐ世話ばしてやてぐれ」


「それで……、後ろにいるのは、お前の村の者たちか?」


 木々の陰、または洞窟のある岩壁の縁などに、こちらの様子を伺うようにして隠れる顔がちらほらと覗いている。その臆病な様子は、体が大きいだけで小鬼族たちとほとんど変わりがない。

 それだけ『魔王』が恐れられているということか、と思ったところで、方々から覗き見ている者たちが黒鐘ほど大きな体をしていないことに気づいた。


「すまねの、今は男たじが狩りさ出ていらきゃ、村さ入れてやらごどはでぎん」


「ああ、だからお前よりも小柄な者が多いのか」


「……小せえもん弱ぇもんば連れで、こごさ移ってぎだ。男たじにも、もう儂ぐらいの大ぎさのはいね」


<把握:東側の鉄鬼族の集落からあぶれた者たちが、移り住んだようですね。集団行動はしていても力がものを言う種族です、強い個体でなければつがいにもなれません>


 強い群れには強いなりのルールがあるようだ。そうして強力な個体同士の血を繋いできたからこそ、強靭な肉体を誇る鉄鬼族はこれまで存続してきたのだろう。

 弱い者同士で多く短くのサイクルを繰り返してきた小鬼族とは、ルーツを同じくしているはずなのにずいぶんと生き方が異なる。良し悪しでもなく、どちらが優れているという話でもない。多種多様ということだ。


「なるほどな。……まぁ、一度は拳を交わした仲だ、黒鐘。この村で何か困ったことがあればいつでも魔王城に来るといい、我が力になろう」


「力ば借りるごどなんてねが、おめこそ来だげぃばまだ来るどい、次は歓迎すんべ」


「ああ。あの滝にはまだ用があるから、近いうちにまた来るよ」


 口を大きく開き、歯を見せて快活に笑う老人。その愉しげな様子が伝わったのか、こちらを覗き見ていた者たちからも緊張の気配が和らぐ。

 黒鐘の言った通り、よく見れば隠れているのはいずれも女か子ども、痩せ細った老人ばかりだ。力が弱い、または体が小さいために元の群れでは生きていけなかった者たち。

 強靭な肉体を持ちながら彼らを庇護している黒鐘は、一体どういう立場だったのか。そのうち機会があれば、今度は拳ではなく言葉を交わしてみたい。

 『魔王』として種族内の争い事に介入したり、ひとつの集落に肩入れするのはどうかと思うが、知人として困難に力を貸すくらいは別に構わないだろう。


 黒鐘とその後ろにいる者たちへ手を振って、再び針葉樹の森へと引き返す。

 空からでも目につくような大岩を見つけたら、そこでセトに合図を送って迎えに来てもらおう。


<疑問:鉄鬼族は、臣下への勧誘はなさらないのですね?>


「黒鐘がいなくなったら、あの村を守る者がいなくなるだろう。今は留守にしているという男共の中に、魔王城で働きたいという者がいるなら別だが……そうだな、次に来た時はそちらに声をかけてみようか」


 強靭な体と膂力を持つ鉄鬼族が臣下に加わったら、城の改修や部屋の片づけも進むだろうし、他にも色々と役立ってくれるはず。まだまだ施工の手を入れたい場所は山ほどあるのだから。

 種族として彼らを従えるだけならば東側にあるという集落へ向かってみるのも手だが、そちらは気が向いたら行ってみよう。きっとまた話し合いの前に戦うことになるだろうが、黒鐘との戦闘経験もあるし、徒手での格闘を試すにはちょうど良い相手だ。


 力で押さえつけて従えるのはいかがなものかと思っていたが、キヴィランタの風習的に強者であることが優先されるなら『魔王』としてそれを示すのもやぶさかではないし、単純に手っ取り早いという利点もある。

 何せキヴィランタでは一番強いということになっている身だ、せっかく強いならそれを役に立てなければ『魔王』でいる意味もない。

 これからもどんどん戦って、どんどん臣下を増やしていこう。


「うん、魔王業も中々順調だな!」


<応答:……そう、ですね……?>


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