第108話 間章・おとな魔王さまは食糧事情を改善したい。③
森から姿を現した巨躯の老人、煉瓦のような赤黒い肌に額の角、白髭をたくわえたその姿は知識にある
周囲の気温は平地よりも低めだが、腕や足腰に毛皮の装備品をつけただけの衣装は露出が多い。隆起した筋肉と、溶けた鉄のように熱い血潮のお陰で寒さは感じにくいのだろう。
顔こそ老人のものだが、その体躯は見事なもので、鍛え上げられた二の腕など自分の胴回りと同じくらいありそうだ。
そんなことを考えながら観察する相手の表情には、警戒の色が濃い。顔中のしわを寄せるようにして眉間や口元を歪めている。
森から姿は現したものの、互いに全身の見える位置でぴたりと足を止めた。
「お前はこの付近に住む鉄鬼族か? 少し話を聞きたいのだが良いだろうか?」
「Ψし▼ら所Φ何ば◇※いら、しЙ者%こな#ええ◆@¥はね。な◎誰℃?」
「ん? ……何だって?」
<解析:言語の訛りがひどいようですね>
訛りというもの自体は知っていたが、意思の疎通が難しいほどのものは初めて耳にした。
他の種族と長く交流を持たずにいたから、自分たちの界隈でのみ通じるものが口伝で少しずつ変化していったのだろう。
それはそれで興味深いが、今は意思の疎通ができないと困る。念話という手段もあるが、あれはわかっている相手でないと驚かせてしまうので、普段はあまり使いたくない。
「いくらか聞き取れる箇所はあるし、こちらの言葉は通じているかな? すまないが、もう少しゆっくり話してくれ」
「……こしたら所で、何ばしていら。しそ者がこながいい場所ではね。なは誰だ?」
「うん、助かる、今のは何となくわかるぞ。我は第六十七魔王デスタリオラだ。ここには水源と食料を求めてやってきた、お前たちの縄張りを荒らしてしまったのであれば謝罪しよう」
しわがれた声を何とか聞き取りそう返すと、老人は形相をさらに険しいものにして眦をつり上げた。
怒張する筋肉と浮き出る血管。鍛え抜かれた全身から怒気のようなものが吹き上がる。
冷えた外気に白い湯気が立ち上り、全身を覆う。体温の急上昇によるものだろう。
なぜだかわからないが、完全に戦闘態勢だ。
老人は腰に下げていた手斧を抜き放ち構える……かと思いきや、それを近くの木に打ち付け、手を放す。戦闘用の武器ではないということだろうか。
素手のまま何かを掴むように指先を曲げ、腕と足を大きく広げる構え。
こちらを睨みつけるしわだらけの顔、髭にうもれた口が開かれる。何か言うのかと思えば、烈火のごとき叫びを上げていきなり襲い掛かってきた。
「ほんっとに、話し合いよりまず
体積は自分の三倍以上ありそうな体躯だが、初速から重量を感じさせない勢いで突っ込んでくる。
一歩の距離が違うから接近も早い。しかもただの突進ではなく、振りかぶる力に勢いを足しているようだ。
剛腕から繰り出される右の貫手をかわし、続く左手の拳を杖でいなして数歩分の距離を取る。こちらから見て数歩でも、老人ならば一歩を踏み込むだけで間合いだろう。
踏み込みと初撃から、右が利き腕と見てそちら側に回り込んだが、崖っぷちという足場の悪さからそう動き回ることもできない。
突進の速度は相当なものであったのに、老人は巧みに重心を移動し、踏みしめる足で即停止して見せる。
「巧いな……」
見た目によらず力や勢い任せの戦い方ではない、可動範囲と自身のリーチを良く理解している。
崖を背にしては回避が左右に限定されるし、あの速度と長い腕であれば十分に捉えることができるだろう。それをさけて安易に踏み込めば、もうそこは剛腕の間合いだ。
自身の四肢による格闘に熟達している。
それを見て取り、ほんの少し胸の内へ沸き立つものがあった。興味よりもう少し快いもの、愉快さというのが近いだろうか。
携えていたアルトバンデゥスの杖を地面に突き刺し、手を放した。
そして足を前後に開き、重心を落とす。
肉体構造への理解はある。徒手格闘についての知識もある。だがいずれも実地で試したことはない。
固めた呼気を吐き、後ろ脚を踏みしめると、対面でしわだらけの老人が唇を広げて歯を見せた。
威嚇の表情か、それとも嗤っているのか。
「どれ、少しばかり手合わせ願おう。我が勝ったら話を聞いてもらうぞ?」
老人はこちらの言葉が終わるやいなや、ぶれるほどの速度で突進してきた。
足元を観察してみれば、素足の長い指が土を握るようにして駆けている。器用な急ブレーキもあの足指の為せるわざかと納得した。
視線移動の間に、空気をも唸らせる殴打が飛ぶ。
頭を屈めてそれを避ける際に、左手でそれを叩いて軌道をずらした。反対側の腕とぶつかるのを狙ったが、そう上手くもいかず角度を変えた手刀が降ってくる。
反転することで空を切ったその腕を打ち据えて、反動で一歩分の距離を空ける。
あえて詰めて腹を狙っても良かったが、一撃を仕損じればすぐ横は切り立った崖の縁。この巨躯とやり合うにはもう少し足場がほしい。
老人は自身の間合いが広いくせに、懐へ入られることを警戒していないようだ。むしろ、それを狙っているのだとしたら何か奥の手があるのかもしれない。
考える暇は与えないとでも言うように、遠心力を存分に乗せた拳と、続け様に鋭い肘打ちが飛んでくる。
まともに受けたら骨にひびくらいは入りそうだ。鼻先を掠めながらも回避すると、肘を振った勢いのまま半回転し、体重全てを乗せた突きが降ってきた。
ほとんど体当たりに近いそれを、後ろに飛び退いてかわす。
巨体が地面へ激突し、重いどころではない音にそばの木立が揺れる。……あれは、さすがに受けたくない。
たわめた筋肉と構えから軌道は予測できるし、目でも捉えている。打撃の回避はできるが、それだけでは勝てない。
こちらからも打って出て、完膚なきまでに叩きのめさなければ老人だって納得はしないだろう。
固めた拳で下方から来た回し打ちの甲を叩き、軌道を逸らす。
自分の手にはダメージがないことを確認し、打った感触から相手側の硬度も推測する。
肉体の強度では勝っている。
膂力でも、まぁ劣っているということはないだろう。
問題は、鉄塊と鉄塊をぶつけ合ったところで変形こそすれ、互いに大したダメージは入らないという点だ。鉄塊をも上回るあの強靭な肉体のどこを殴っても、内側まで衝撃は伝わりそうにない。
弱点である鳩尾や眼球などを狙うという手もあるが、あんまり好みでもないし……と考えながら振り下ろされた右の拳と、それをフェイントとした左の裏拳打ちをいなす。
鉄鬼族は全身どこもかしこも硬そうに見えて、筋繊維と関節は柔軟なのだろう。シンプルな正拳突きにも重心移動を基本とした良い体重の乗せ方をしているし、意外な角度から見舞われる拳や肘も制御が利いている。
単純なパワータイプのようで技巧にも優れている。徒手空拳での戦いの良い手本だ。
巨岩をも貫通しそうな鋭い貫手を間近で叩き、今度は距離を取ることなく、殴打後の隙に一歩を踏み込んだ。
開かれた腕は突きの形を解き、閉じ込めるように回される。
間合いの内へ誘うような動きはこれを狙ったものだろうと思っていた。組み付き、締め上げ、もしくは捻じり切るつもりだろう。
――だが、こちらのほうが速い!
「……ッハ!」
力を込めた両足、伸ばし切った肘、全身のばねを使い一気に掌底を突き上げる。
「ッガ――! っぐゥゥ、」
一撃はもろに顎へ入り、その頭蓋を揺さぶったがまだ緩い。
その隙に囲もうとする腕を抜け、曲がった腿を蹴り、太い肩口まで跳び上がる。
空中で振りぬいた足を、思い切り延髄に叩き込んだ。
「……ッ!!!」
唾を吐き出しながら巨躯が折れ、膝をつく。
だが蹴りによる強い衝撃はこちらにも返ってきた。わりと痛い。そのうち脛当てやブーツでも見繕ってきちんと装備を整えよう。
四肢を地についたまま、まだ視界も戻らないであろう老人はそれでも立ち上がろうと、体を震わせる。
継戦可能な余力を残すつもりはない。
木の幹ほどもあろうかという右腕を取り、背中側に回して肩と肘を固定。「ちなみに、降参するつもりは?」と問えば首を横に振るので、遠慮なく関節を破壊した。
有機物とは思えない硬い音が響く。
くぐもった呻き声と、震える体躯。
そのまま骨の折れた腕を押さえつけていると、やがて老人は抵抗を諦めたのか、うずくまったまま体を弛緩させた。
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