第107話 間章・おとな魔王さまは食糧事情を改善したい。②


 僅かな月明りに照らされた岩に足をかけ、頑丈そうな部分を見繕って転々と飛び移る。

 そうして歩いていると次第に霧がたちこめ、水の匂いが濃くなってきた。このあたりになると転がる石にも丸みがなく、山から崩れ落ちたような鋭い岩が多い。

 水音を頼りに藪をかき分けながら岩の上を進めば、轟々と流れ落ちる滝が見えてきた。


「あれか……。この上はもう川ではないな」


<肯定:岸壁の割れ目から流れ落ちているようです。岩山に浸みた水が、中で合流しているのでしょう>


 アルトバンデゥスの言う通り、眼前に聳える巨大な岩にはたくさんの亀裂が入っており、そこから幾筋もの滝となって落ちた水が川を形成しているようだ。

 清涼な水の粒子が肌や髪にまとわりつく。

 城近辺の乾いた風とは異なる、じっとりとした土と植物と水で満ちた生命の匂い。

 景観も雰囲気も中々悪くはないが、滝壺から幾分離れているのにローブまで濡れてきた。

 そうして霧を浴びていると、どさくさに紛れて土着の精霊たちまで寄りついてくる。こんな岩場の山奥だ、来客が珍しいのだろう。挨拶がてら手を振ってやると、その手にまで纏わりつく。


「下手にあれを崩すわけにもいかんな。想定以上に水が噴き出しても厄介だし、それで川を氾濫なんてさせたら本末転倒もいいところだ」


<確認:状態を巻き戻すことはできますが。やはり様子を見ながら慎重に削っていきますか?>


「そうだなぁ、やり直しをあてにして無暗に壊すよりは、それが無難だろう。こんな深夜だ、あたりに住んでいる者たちをあまり驚かせたくもない」


 どこから手をつけるか、岸壁から流れ落ちる細い滝を見上げながら思案する。

 何も流れる水を倍増させなくとも良い。ほんの何割か川の水嵩を増すことができれば、耕作用には十分だろう。自ら食料を確保できないような、弱小部族らの食い扶持を賄えれば良いのだから。

 川の水量を増やし、城付近までの支流を作ったら、灌漑設備の工事などは彼ら自身にやらせるつもりだ。

 何でもかんでも世話をしてやるのでは、臣下というより扶養、もしくは「飼っている」も同然。

 城に住まう者たちをそんな風に扱うつもりはないし、甘やかして生き延びさせるだけでは何の意味もない。

 自らの手で耕作して作物を収穫できるよう、畑の作り方を教える。

 水源を確保して、耕作地へ水を引き込む水路の作り方を覚えさせる。

 脆弱で短命な種族ではあるが、そうして得た知識は親から子へ、またその子へと継がれ、この力が支配するキヴィランタにおいて彼らが生き抜く力になるだろう。


 今は庇護してやれても、自分の統治だって永続的なものではない。

 『魔王』はやがていなくなるものだ。そう遠くない未来、『勇者』に討ち滅ぼされて魔王城が再び廃墟となっても、そこで自活できるようにしてやれればと思う。

 それに、次代に発生する『魔王』がどんな方針を持つかもわからない。もし反りが合わず城を離れようと、水の扱いと畑の作り方を覚えておけば、きっとどこへ行ってもそれなりに生きていけるはず。


「……ん?」


 そんな感慨に浸っていると、鼓膜が重なる水音の違和感を拾った。

 岸壁から流れ落ちる水は何本もの滝になっているから、打ち付ける水音が重なっているのは何も不思議なことではない。

 滝を見上げながら聴力を研ぎ澄ませる。

 ごうごうと大量の水が流れ落ちる音が響き、空気伝いの振動が体中を震わせる。水音がやけに重い。


「何だか、音に比べて、滝が細いような気がするんだが?」


<探査:………………アッ>


「あって何だ、あって。何か見つけたのか?」


<報告:申し訳ありません、デスタリオラ様。この奥、現在見えている岩壁の側面にも大きな滝がございます>


「なるほど、この音はそっちの滝か。遡ってきた川の源流というわけではないようだが……ちょっと覗いてみよう」



 せっかくここまで登ってきたのだし、もっと大きな滝があるなら見てみよう。水量が多いなら、そちらから余分な水を引き込むこともできるかもしれない。

 何せ滝の実物を目の当たりにするのは初めてなのだ、これより大きな滝があるなら見物がてら寄ってみても良いだろう。

 ――そんな、軽い気持ちだった。


「…………」


<…………>


 アルトバンデゥスの杖を携えたまま、デスタリオラは絶句していた。

 『魔王』となってからそう驚くようなことはなく、これまで想定外の事態が起きようと、さして精神への影響はなかった。

 心に大きく波風が立つような衝撃も、歓びも、恐怖も得られない。己の無感動さは『魔王』が備える精神異常耐性ゆえのものだろうと、そう考えていた。

 だというのに、そこへ広がる光景を目にし、驚きのあまり口をぽかんと開けて言葉を失う。


「……驚いた。今までで一番驚いた、これはすごいな」


 岸壁の横手へ回るため針葉樹の隙間を進むと、突如木々が途切れて崖になっていた。

 底は遥か下方に荒れる海面が見えるが、そんなことより。そう、下なんてどうでも良い。視線は上方に釘付けとなって動けない。

 見上げる先には、測るスケールを見失うほどの膨大な水が――もう水という言葉では表せないような途方もない質量が、岩壁の裂け目から海へと流れ落ちている。

 正に大瀑布の名が相応しい。すさまじい轟音と光景に圧倒され、言葉も出ない。

 ここが海のできる場所だと言われても、今なら信じてしまいそうだ。


<謝罪:川の源流にばかり探査を向けておりました、申し訳ありません>


「いや、お前が謝ることはない。元々それを探していたのだから。……にしても、とんでもない量の水だな」


 ここがキヴィランタの東端というわけではないから、海側の崖が深く切れ込むような地形になっているのだろう。

 体ごと振動させる爆音の元から視線を剥がし、反対側へと目を向ける。崖の際に続く針葉樹の先には、真っ黒い海が広がっていた。

 覗き込んだ崖の下は霞がかっているが、目をこらすと波が打ち寄せ、光源のない暗がりに飛沫が舞っているのが見える。

 崖は下に行くほど風と水で削れているため、覗いただけでは波打ち際がどうなっているのか視認することはできない。

 ここまで高度があると、さすがに自分でもそのまま飛び降りれば相応のダメージを食らう。

 浮遊を使えば下まで降りることも戻るのも容易いが、今は他にやることがある。ほんの少し、少ーしばかり好奇心がうずきを上げるのを、ぐっとこらえて視線を戻した。


「テルバハルム山脈にぶつかった空気や雲の水分が、ほとんどここへ流れ出ているのか」


<肯定:この水量を見ますと、おそらくは>


「もったいないことだ、元々水がある海へさらに水が流れるなんて」


 この滝の水が全て川となって、キヴィランタの土地を潤していたら。

 ……そんな益体もない想像をしてしまう。

 これだけの水量があれば、どこもかしこも乾ききったキヴィランタの地表に、いくつもの河川を生み出すことができる。

 水量豊かな川の周辺には草木が根を張り、数十年もすれば砂と岩ばかりの平野部だって緑に覆われるに違いない。

 さすがに自らの手でそこまで土地を改造してしまう気はないけれど、植生が豊かになれば食料の確保に苦労する者たちもずっと減るだろうに。


 目を閉じ、しようもない夢想を振り払う。

 それこそ甘やかし以外の何物でもないだろう。キヴィランタの土地はこれまでの長い歴史の間も、ずっとこうだったのだから。

 生きられなければ死ぬ、適応できねば滅びる。

 生命として当然のことだ。

 何も自分が『魔王』となったからって、そこまで世話をしてやる義理はない。


「この知識と力は、そんなことのために持って生まれたわけでもあるまいに」


 自分に与えられた『役割』。

 それを忘れたことなどないし、そこから外れるつもりはないのだ。

 ただ、崩れた魔王城を改修するのも、臣下を集めるのも、城の住民たちの食い扶持を確保するのも、その後のために世話をしてやるのも、『魔王』としての役目の範囲内だと判断しただけ。


 だから。

 もしも。


 もしもこの魔王領キヴィランタに住まう全てのモノたちが、『魔王デスタリオラ』に従うという意思を見せたなら。全ての住民たちが自らの意思をもって傘下へ降るというなら。

 その時は臣下への保障と庇護の一環として、乾いた地表に新たな川を造り、土地を潤すこともあるかもしれない。

 ほんの片手間に、魔王の役目のひとつとして。


「……さてと、ぼんやりしていても仕方ないな。今日のところは水源の様子を見て、適当な食料を持ち帰るために出てきたのだし」


<確認:川の水源である細い亀裂を、崩して行かれますか?>


「うん。それはそれとして、なぁアルトバンデゥス」


<応答:……はい、何でしょう>


 何やら身構えるような思念が返ってくるが、別におかしなことを言うつもりはない。

 杖を掲げ、青い宝玉へ莫大な水量を垂れ流す滝を映す。視覚情報をそこで受け取っているのではないとわかっていながら、見せつけるようにしたままアルトバンデゥスの杖へ囁きかけた。


「水、もったないよな?」


<肯定:そ、そう、ですね?>


「この水が、ほんのちょっと、城の裏手にでも湧いていたら便利だと思わないか?」


<肯定:そ、……そう、ですねぇ?>


 掲げた杖をぐるりと回し、先ほどから考えていた構成の素案を描き出してみる。

 空間接続・接続維持・物質転移の効果を込めたいが、空間を扱うための理論が生得の知識だけでは足りないようだ。

 いまいちしっくりとこない構成陣の素描を前に、指の背で唇をなぞりながら唸る。

 魔王城の地下に広がる大書庫になら、きっと不足を補える書物も収められているのだろう。腰を据えて読み耽りたいと思いながらも、何かと忙しくて後回しになってしまっている。


「こうして、こう、か……? 座標をここに置いて、城のそばに穴を掘って、双方を繋げれば良いかと思うんだが。どうだろう?」


<疑問:穴と言いますと、溜め池でもお作りになられるのですか?>


「ああ、せっかくこれだけ豊富な水があるんだ。川からの灌漑用水路とは別に、魔王城の裏手へ貯水池を作って、上水として利用するための水路を城へ引き込みたい」


<了解:となりますと「空間接続」及び「接続維持」以外に、水を転送するための構成陣自体を保つ必要が生じますので、まずそちらから解決されるのがよろしいかと。残念ながら構成そのものについてはお伝えできる素地がなく……>


「いいや、十分だとも」


 アルトバンデゥスの助言にそう返し、素描の構成を一旦消去する。

 『魔王』としての自分の力が途切れても、水は送り続けたいというこちらの思いはしっかり通じているようだ。

 単なる話し相手としての役割を越えて、言外の意図まで汲み取ってくれる。理解されることの喜びをしみじみと感じながら、周囲を見回してみた。

 せり出した崖と、背の高い針葉樹の森。膨大な水が噴き出る岸壁と、その割れ目。霞の向こう、東側に開けた水平線。

 不変のものはなく、壊れないものもない。

 だが、少し手をかければ数百年くらいはもつだろう。


「……よし、壁面に構成陣を刻む。描画に沿って圧力と熱を加えて強化、動力源は我の力ではなく、土着の精霊たちを集めて彼らに回させるとしよう」


<疑問:岩へ構成を刻んだとして、精霊たちが自らそれを回すでしょうか?>


「命じずともいじりたくなるような、彼らの関心を惹くようなものを用意してやれば良い。描線を強化する際に磨きを入れて、反射した陽光が滝へ当たるように調整しよう。ちょっと面白い構成陣ができそうじゃないか?」


<納得:落ちる水へ構成の投射を、ですか。他に例は識りませんが、試行されるのでしたらお手伝いいたします>


 快い返答がありがたい。転送用の陣については一度城へ戻ってから、地下書庫に収められた蔵書を参照するとしよう。

 こんな豊富な水源が見つかったのは儲けものだ。当初の目的だった川の源泉も確認できたことだし、ひとまず手土産となる食料を確保したら、セトを呼んで魔王城へ帰ろう。

 付近に何か、夜行性の魔物でもうろついていないだろうか。命を刈り取ればインベントリへ収蔵することができるから、どれだけ大きかろうと帰路に影響はない。

 針葉樹の森を振り向き、耳を澄まして気配を探る。

 適当な魔物が見つからないようであれば、果実や木の実でも食用には問題ないと思うのだが……。


「……ん?」


<報告:こちらへ近づく個体あり。鉄鬼族の男性、一体。武具は腰に手斧を下げております>


「鉄鬼族? あれはこんな所に住む種族だったか?」


<情報:東側の岩場を主な住処とする種族ではありますが、度々内部争いを繰り返しておりますので、移住した群れがあるのかもしれません>


 アルトバンデゥスからもたらされる情報に相槌を打ちながら、こちらに接近しているという鉄鬼族の男を待つ。

 普段はあまり他種族と関わることがなく、岩場の洞窟を住処として独自の文化を形成している鬼族の亜種だ。城にいる小鬼族とは比べ物にならない強靭な体躯と膂力を持ち、寿命も長い。

 強いだけならまだしも、とにかく好戦的な性格をしているため、しょっちゅう同族内で争っては無益な血を流している……と自分の中の知識にある。

 もっとも、体が頑丈なので瀕死の重傷を負ってもすぐに回復するらしいが。


 これまで臣下を求めて方々へ向かったけれど、まだ鉄鬼族とは一度も遭遇したことがない。

 あちらからすれば、無断で縄張りに入り込んだ侵入者ということになるのだろう。変な誤解は避けたいし、もし近くに集落があるのなら群れの長と話をしてみたい。


 さて話の通じる相手だろうかと待機していると、暗がりから針葉樹の枝を払い、長躯の老人がのっそり姿を現した。


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