第106話 間章・おとな魔王さまは食糧事情を改善したい。①


 澄み渡った空は見晴らしがよく、遥か高くまで遮るもののない蒼穹が続く。

 顔を上げ、一面の青に目をこらせば、陽光に負けじと星たちの小さな瞬きが見えた。うっすらと爪傷のような白い月も浮かんでいる。

 楽に慣れすぎるのはいけないと思いながらも、空を進むのは心地よい。翼竜の背に跨るデスタリオラは、わざと障壁を緩く設定して吹きつける風を楽しんでいた。

 乾いた地表では強風と砂埃がセットだから、こうして混じりけの少ない風を楽しめるのは高所ならではだ。

 歴代の『魔王』には翼を有する姿の者も多かったようだが、残念ながら自身の背には何もついていない。骨格や表皮をいじれば翼を作り出すことも不可能ではないけれど、あまり気分の良いものでもないので、今のところその方面へ手を出すつもりはない。

 浮遊の構成をもう少し調整すれば、自身でも空を自在に飛ぶことができるだろうか。今度手の空いた時に少し試してみよう。


『このまま、真っ直ぐ川を遡れば、よろしいのね?』


「ああ、頼む。テルバハルムまでは、お前の翼を借りてもまだしばらくかかりそうだな」


『そうね、私はしょっちゅう行き来しているし、のんびり飛んでも、何とも思わないけれど。他の種族の皆さんには、時間というものが、長く感じるかしら? もう少し、急ぎましょうか?』


「お前が疲れないようならそうしてくれ。我もさして時間経過を気にしないたちだが、城へ残してきた者たちが心配だ」


 すぐに飢え死ぬことはないと言っていたが、そのすぐというのが具体的に何日なのか確かめておけば良かった。

 彼ら弱小種族たちと自身とでは時間の感覚どころか、寿命の概念すらも異なるのだから。


 魔王城に棲息する小鬼族や白蜥蜴らが数匹が死んだところで、何か影響が出るわけでもない。これまでだって食料が手に入らなければ飢えて死ぬこともあったろうし、元々短命の種なのだから何をせずともころころと死んでいく。

 だが、城の近辺で食料が手に入らなくなった原因が自分にあり、尚且つその城の主が自分なのだから、やはりそれなりに世話をしてやるのが道理だろう。臣下の扶養も魔王の仕事の内だ。

 食料の確保は自分たちで賄えるという大黒蟻オルミガンデとは異なり、廃れた城を寝床としていた大半の者たちにその手段はない。

 何より、その内の数名には魔王城へ到着したその日から細々とした作業を手伝ってもらった。小鬼族の兄妹に、ひどく無口な白蜥蜴、髭を生やした石工の穴土竜。

 彼らの働きに報いる正当な対価として、安全な住処だけではなく生きていけるだけの食料も賄ってやるべきだろう。

 ……話し相手は貴重だから、死んでほしくもないし。


『お急ぎということなら、もうちょっと、速度を上げましょうか。落ちないように、気をつけてくださいね』


「ああ、こちらは大丈夫だから構わなくていい」


『珍しく一緒の遠出だから、張り切っちゃうわ。でもこの川の上の方、何かあったかしら?』


「うむ。この川に支流を作って魔王城の近くまで水を引き込みたいと思っているんだが、本流が細って、元々それを頼りに生活していた者たちが困ってもいけないしな。水量を増やせそうか、源流の確認をしたいんだ」


 北方の山の峰から流れ出す川は、あまり水深もなく水が豊かとは言えない。それでもこの乾いた土地では貴重な河川だ。水場として利用している住民たちは多いだろう。

 いくら今代の『魔王』だとは言っても、できることなら長くそうあったものまで好き勝手にいじりたくはない。本流はそのままに、支流を一本増やすことができれば事足りるのだから。


『……川を、作るんですの?』


「うん、城のそばの平野に耕作地を整えたいんだ。そのために近くまで川の支流を作って、水源の確保をしたい。水場ができれば植物も生えて、それを目当てに食用となる魔物たちも寄りつくだろうしな」


『お腹が空いているなら、私が獲ってきますよ、肉でも果実でも!』


「いや、我は食事を必要としない。飢えているのは城にいる小さな種族だ」


 ここ最近、キヴィランタの各地へ赴いては臣下に欲しい者を説得かくとうしたり、説得しょうぶしたり、説得せんめつしたりと忙しくしていたのが功を奏し、魔王城にはそれなりに居つく住民が増えてきた。

 崩れていた各所の補修も進んでいるし、移住してきた者たちがそれぞれに新たな住居として部屋を整えたりと、廃墟同然だった城は俄かに活気づいている。


 そんな中で、自身に必要がないからとうっかり見落としていたのが城内の食料事情だ。

 元々住んでいた者たちはそれぞれに食い扶持の確保がされているのだろうと、余所から来る者たちにばかり気を取られてしまったのもいけなかった。

 新たに増えた強靭な者たちが城の付近で狩りをするため、小動物は狩り尽され、元々少ない植物や果実も軒並み採取し尽くされてしまった。

 そのため、弱小種族の者たちは食糧を手に入れることができず、ここしばらく飢え続けている。

 ……というのが、今朝方に目の前で卒倒した小鬼族の兄妹、ウーゴとウーゼから得られた言だ。

 顔を合わせるなり、こちらに向かって礼をしたと思ったらそのまま前のめりに倒れるから、さすがに驚いた。

 体調が悪いのかと思って話を聞き出せば、腹を空かせて死にそうだと言うから更に驚いた。

 一族揃って飢えているなんて、もっと早く言えば良いのに。普段の会話には応じるし、他の小さな者たちより気さくに接してくれるが、まだまだ遠慮や怖れがあるようだ。

 そんなに怖ろしい外見をしているだろうか、とまた自身の顔をさわってみても、やっぱりわからなかった。


「……まぁ、そんなわけで、畑や水場を作るための下準備なんだが。城へ来るたびに何度も足代わりにしてすまないな、セト」


『うふふふ、とんでもない。魔王様のお役に立てて光栄ですし、敬愛する殿方と、一緒に飛べるなんて、翼竜冥利に尽きますわ!』


「一緒にというか、背に乗せてもらっているだけだが……そのうちしっかりと礼はしよう」


 念話で伝えながらセト自身でも笑っているのだろう。竜の口から吐かれるゴッフフという荒い息とともに胴体が振動している。

 この真下がちょうど肺腑のあたりか、と思いながら、墜落死寸前のところで臓器の修復をした夜のことを思い出した。

 翼竜もブレスの一種を吐くというから、せっかくならもう少し気管の辺りを観察しておくべきだったか。いや、急を要する事態だったし、そんな悠長なことをしていたら死なせてしまう所だが。それでもちょっと惜しいことをした。

 そうしてセトの内臓に思いを馳せていると、翼竜は飛びながらくねくねと体を揺らした。


『お礼だなんてっ。つがいになってもらえたら、一番嬉しいのですけど』


「……ん。その件はすまないが、やはり無理だ。この身では子も成せないしな」


『私、魔王様とおんなじ、ヒト型にもなれますのよ? こう、殿方には、胸と足の付け根あたりが、バーンとせり出してる感じが、よろしいのでしょう?』


 子を成せないからと断っている言葉を、形態のせいだと受け取ったのだろうか。たとえ同じ種族の形をしていたとしても、『魔王』は子孫を残すことはできないのだが。

 手を伸ばし、姿を変えても添い遂げたいなんて健気なことを言う翼竜の首元を撫でる。

 頸椎までを覆う羽根は柔らかく、真珠のように艶やかな鱗はつるりと手触りが良い。


「お前がヒト型になんてなる必要はないさ。この純白の羽根も、輝く鱗も見事なものだ、なくしてしまうには惜しい。セトはこのままが一番美しいよ」


『ふぉっ、おふぉほほ、美しいですってー!!!』


<警戒:飛行体勢変化、備えてください。あとデスタリオラ様のそういうとこー!>


 途端に、セトは何やら叫びながら縦方向に旋回飛行を始める。

 アルトバンデゥスが警戒を呼び掛けるが、はじめから風避けの障壁は展開しているし、座面に体と杖を固定しているから振り落とされる心配もない。ただ、逆さになるたびに髪が逆立つ。

 いつも通り身軽なローブ姿で、威厳の足しにとインベントリから引き出した肩鎧以外、余計な装飾品はつけていなくて良かった。内臓の浮くような感覚も新鮮だ。

 万が一、空中での戦闘などになればこうして回転することもあるだろうし、次までに重力固定について考えておこう。


 不用意に力場を設定すればまたセトの臓腑が潰れかねない。どんな組み合わせで構成を描けば良いか、頭の中で試行をしているうちに日が傾き、気づけば空が鮮やかな焔に染まっていた。

 自室から見る四角に切り取られた空も風情があるけれど、やはり見渡す限り一面の色彩は圧巻の一言だ。

 思わず息を飲んで、黄金と名残の青が混ざる様子を眺めた。

 光量が落ち、異なる色同士のグラデーションは、染みるようにして暗色の層が増える。

 太陽が沈み、昼の青色はやがて宵の紺色へと染まってゆく。

 そうして辺りが暗くなる頃、視界を遮るほどの標高を誇る山々はもうすぐ目前まで迫っていた。


 絶界のテルバハルム山脈。

 魔王領キヴィランタの北方にそびえ、延々と連なる山々。麓にはまだ樹木も見られるが、その中腹からはこうして目前にしてなお想像を絶する岩の塊だ。

 地面が隆起したとして、ここまで岩壁然とした地形になるものだろうか。その斜面は急勾配どころではなく、足で登るのは不可能。翼があっても絶えず吹き荒ぶ風が接近を拒む。

 この反対側には古代竜の群れが棲むと言われているが、特に用もないしこの先も行くことはないだろう。


「テルバハルムの標高は雲よりも高いからな。この山に雲や風が当たって水が落ち、岩を通って川として流れ出ているらしい。……あまり詳しくはないのだが」


<肯定:水分のサイクルとしてはその認識で問題ありません>


『へぇぇ、川の水が、どこから出ているかなんて、考えたこともなかったわ』


 山の麓は見たところ針葉樹の森が広がっているが、ベチヂゴの森ほどの密度は感じない。

 気温が低く、山に遮られて日照も少ないせいだろう。

 山へ近づくにつれ大きな岩なども散見する。ひとつひとつが魔王城の半分くらいはありそうだ。


「セト、川を視認できるところまででいい、あとは歩いて行く」


『はーい!』


 なだらかに高度を落としたセトは、森の中を流れる川のそば、やや低い岩のひとつに降り立った。

 その背から飛び降り、腕のあたりを軽く叩いて労う。


「助かったよ、ありがとう。用が済んだら合図をするから、それまでは好きに過ごしていてくれ」


『わかりました、お気をつけて、愛しいお方』


 森の中ほどまで飛んで来られたから、徒歩でも水の湧いている地点までそうかからないだろう。

 周囲を満たすのは闇の帳、夜啼鳥の声と獣の遠吠え。

 そして絶えず流れる川のせせらぎ。それらに耳を傾けながら、大小の石が転がる河原を遡る。

 水源に近いというのに、川幅はあまり変わらないようだ。周囲に転がっている石を見る限り、以前はもっと水量が多く川幅も広かったのかもしれない。

 だとしたら、少しばかり水の流れを増やしても問題はないだろう。


<もうしばらく行った先、岩壁の間に滝があるようです>


「なるほど、その辺が水源かな。さて、簡単に増やせそうなら良いのだが、山から落ちてくる水も一定だろうからな……」


 日の落ちた森の闇夜を気にもせず、木々の隙間を見通しながら岩の増えてきた河原を上る。

 空に雲はなく、星の瞬きとか細い月がその足元を仄かに助ける。

 そうしてさくさくと夜のハイキングをこなすデスタリオラの耳にも、やがて大量の水が打つ滝壺の音が聞こえてきた。


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