第104話 リテイク
中庭沿いの長い廊下を進んだ先、両開きの扉をトマサが開くと、少し離れた草地のあたりで髭面の男が手を振っていた。
待ち合わせの時間よりも少し早めに着いたはずだが、キンケードのほうはもっと早くから来ていたようだ。「よ、おはよーさん!」なんていつもの調子で声を上げてから、トマサの無言の睨みを受けて「おはようございます!」とわざわざ言い直した。
こちらに向かってくる男に軽く手を振り返しながら、石造りのスロープを降りて裏庭へ出る。
「おはよう。ずいぶん早いな、一応は客なのだからもっとゆっくりしていても良いのだぞ?」
「いやぁ、朝一は体を動かさねーとムズムズするからよ。ただの日課だ」
「なるほど。自警団ではいつも朝の訓練をしている時刻か」
「そーいうこと」
そう言いながら、ゆっくりと屈伸をして足の筋を伸ばしている。
制服の上を脱いだ軽装は見ているこちらが寒いくらいだが、本人は何も気にならないようだ。自分たちが到着するまで裏庭を軽く走っていたのかもしれない。
クチナシが植えられている柵の向こう側は柔らかそうな草地が広がっているから、走り込みや鍛錬をするにもちょうど良いだろう。そういえばふたりの兄たちも、あの辺で乗馬や剣の訓練をしているのだった。
ストレッチを続けるキンケードはひとまず置いて、周囲を見回してみる。
裏庭へ来た目的のひとつだった、熊の置物とカステルヘルミの首飾りの箱は、『領地』としたクチナシの木の根元に並んで置かれていた。
あの後、アーロン爺がみつけてここへ置いてくれたのだろうか。
箱の中には、きちんと塊になった銀の粒が入っている。それを確認し、両方をカステルヘルミへと手渡す。
「そうか、それ置いたままだったんだな」
「ああ。すっかり忘れていてな。……昨日はあの後、何やら私が休んでいる間にひと悶着あったそうではないか」
「あー……。オレも飯食ってあの部屋で寝てたからな。散々な目に遭ったのはナポルや門番たちだ、次に顔合わせたらせいぜい労ってやってくれや」
肩を押さえ外側の筋肉を伸ばしながら、苦い顔をするキンケード。
それを受けてこちらもつい苦笑いが浮かぶ。
昨日は武器強盗による襲撃騒ぎがあったせいで、午後一番の予定に礼儀作法の授業が入っていたことをすっかり忘れ去っていた。
授業自体が中止となるのはやむを得ないし、こちらは夕方までぐっすり眠っていたせいで教師の到着も知らされず、侍女たちから顛末の報告を受けたのは夕食を終えてからのことだ。
話を聞くと、どうやら教師であるエドゥアルダ=バレンティンの乗った馬車が強盗の目に留まり、それを追って屋敷の敷地まで入り込んだらしい。
馬車自体は襲われることもなく、足止めのため御者が引きずり降ろされて軽傷を負った程度だという。
気丈な老婦人とはいえ、さぞ恐ろしい思いをしただろう……と言った時の、トマサとフェリバの無の表情は忘れない。
キンケードが強盗と戦い、それを撃退して屋敷へ戻った頃、表門ではエドゥアルダが手ずから負傷した守衛や自警団員たちの応急処置をしていたらしい。
キンケードの指示でそこへ合流した団員共々、門番の控室にあった道具で手当てをしたが、幸いにも皆が軽傷で済んだとの知らせにはほっとした。
武器強盗はこれまで死者を出していないと聞いてはいたが、やはり意図して殺さないように留めているのだろう。「一騎討ち」や「立ち合い」なんて言うわりに、命まで奪う気はないようだ。
そして屋敷からの迎えが来るまでの間、エドゥアルダ夫人は門の前に負傷した男たちを全員座らせて、長々と説教をしていたという。
普段からの鍛錬がなっていない、機敏さに欠ける、職務への姿勢に問題がある、気構えが足りない、そんなことで務まるつもりか、給料喰い、等々……。
迎えの馬車が到着してもなお厳しい叱咤は続き、なぜか迎えにきた従者たちをも巻き込んで日が傾くまで続けられたらしい。
……実に、災難なことだ。
「オレは報告が先だと判断したって理由もあるんだが、あっちに行かなくて大正解だったぜ。ナポルたちにはちと悪いことしたが、まぁ人生経験ってやつだ、あのガミガミも何度か聞いてりゃそのうち慣れる」
「うむ。……ん? お前もエドゥアルダ夫人を知っているのか?」
「あぁ。もうずっと前からこの家の人間の行儀作法をみてるんだ。オレなんかナリも言葉もこれだからよ、何かとうるせぇからあんま近寄りたかないが。お前さんの母親だって、あの婆さんが一から教えてたんだぜ?」
「そうなのか、それは初めて聞いた」
母親の話がキンケードの口から出るとは思わなかったが、そういえばファラムンドとは旧知の仲だと言うから、母親と知り合いでも何もおかしくはない。
だが、エドゥアルダからも母親に教えていたという話は聞いたことがなかった。あまり雑談などする性質ではないから、単に話題に出さなかっただけかもしれないが。
教えを受けていた頃の母も、少し前の自分と同じように、言葉遣いや礼儀作法で苦労をしていたのだろうか。
「何だ、知らなかったか。つか、ファラムンドがまだ話したがらないんだな、自分が寂しいからってどーなんだあの野郎。嬢ちゃんのほうが寂しいだろうに、母親の話くらいしてやればいいのによ……」
「問題ない。顔も知らない相手だし、特に寂しいという感情は湧かないな」
「そんなもんか?」
首をかしげるキンケードに、そんなものだとうなずく。
父や兄がいなくなってしまえば寂しいと思うかもしれないが、元々いなかった相手に対しどうこう思うことはない。
知らない人物よりも、今の自分を大切にしてくれる周囲の者たちのほうがよほど大事だ。
「……あぁ。だが、あの父上が伴侶として選んだ相手だ。どんな人物であったのかは少し気になるな」
「そ、そこはわたくしも気になりますわ!」
「はははは、寂しかないって言っても、やっぱ気になるんじゃねーか。その辺の話は長くなるからまた今度、ゆっくり時間の取れる時にでもしてやるよ! ファラムンドが若ぇ頃のしょーもねぇ話とか。……今もわりとしょうもねぇなアイツは」
やけに食いつきの良いカステルヘルミは、銀色の熊を抱えたまま興奮の面持ちでキンケードを見ている。ファラムンドの若い頃の話が気になるのだろう。そこは自分も聞いてみたい。
話しながら各所の柔軟体操を終えたキンケードを見上げる。
昨日、その表情もうかがえないほど群がっていた金色の光はだいぶ散ったようだが、まだちらほらと男の周囲を舞っている。
精霊たちに好かれそうな性質だから、群れていた中からいくらか残ったのかもしれないし、未だ警戒態勢を続けているのかもしれない。
こちらの視線で何を視ているのか察したのだろう、キンケードは肩のあたりを払いながら口を尖らせた。
「まーだ何かくっついてんのかよ?」
「多少な。どうせ見えないのだから気にするな、くっついていても害はない」
「そうは言ってもなぁ……。ああ、昨日の件だが、その見えないモンが何かしてくれたのかな。体勢を崩して危なかった時に、ヤツの剣が空中で弾かれたことがあった」
<おそらく精霊たちが、『護れ、守護せよ、何者の凶刃も通すな』というご命令を遂行したのでしょう>
「ああ。群がるのはどうかと思うが、守ってくれたのなら感謝しよう」
屋敷を守れという命令と構成ではあったが、ずいぶんと拡大解釈をしてくれたものだ。自身の意図、描き込んだ構成の内容から外れていることは気になるものの、実際に役に立ったのだから良しとしておこう。
命令の枠を超えて剣を弾いたり負傷を癒したりと、このあたりの汎精霊たちはずいぶんと働き者なようだ。
そこで、キンケードが何やら目配せを送ってきた。
「そんで、この剣の手直しを頼むんだったな、嬢ちゃんにはまた手間をかけちまって悪いが。ああ、魔法師の姉ちゃんはその熊持って、トマサと一緒にテーブルで休んでてくれや」
「やることは昨日と大差ないから、見学の必要もないしな」
「そうですの? わかりました、ではあちらでお待ちしておりますわね」
木製の露台へ向かったカステルヘルミの背を見送り、キンケードと並んでクチナシの木の間を見る。
切れ味を鈍らせると請け負った剣は、昨日と同じように鞘から抜いて地面に置かせた。……素材の合成をするわけではないから、別に土へ置く必要はないのだが。
「……それで、何の話だ?」
「ああ。悪ぃ、昨日話しても良かったんだが、あん時もトマサたちがいたからな。嬢ちゃんだけに伝えておきたいことがある」
あえてトマサとカステルヘルミの耳を遠ざけてまで一体どんな話があるというのか。横に立っているため表情を伺えないキンケードは、そのまま声のトーンを落として続けた。
「さっきの、剣を弾いたって話だ。オレめがけて振り下ろされた剣を弾いた時、この剣がすげぇ光ったんだよ。オレの目はなんか平気でな、目くらましになったからその隙に斬り上げて、そんでヤツの布が破けて髪も見えたわけだが」
「指向性のある閃光で敵の手を止めたか、働き者な上に器用だな……。それで?」
「その光を見たあの野郎が、『この剣を渡した奴は赤い目をしているな』『やっと見つけた』……そう言っていたんだ」
「は?」
<は?>
アルトと揃って間の抜けた声が出る。
言われたことを反芻して、理解が頭へ染みて、愕然とする。
髪の色や得物の特徴を聞いて、別人なのだろうと安堵していたところへ冷や水を浴びせられたような心地だった。
思考の芯から、背骨を伝って体中が冷える。冷たくなった指先をきつく握った。
軽く頭を振り、そこまで驚くほどのことではないと、自身を落ち着ける。
「いや、だが、赤い目をしている者など、わりとそこらにいるよな?」
<そ、そ、そうでございますね、ただの赤い目くらい、わりとその辺にうじゃうじゃいるものですし?>
「まぁ赤銅色の目ってのはたまに見かけるが、嬢ちゃんほど深い赤色は他に知らねぇなぁ」
隣で腕を組んだキンケードが、こちらを見ないまま続ける。
「どうする。この話はまだファラムンドやカミロにもしてねぇ。もしヤツが直接狙ってくるってんなら、嬢ちゃんの身の安全に関わることだ、話しておくか?」
「……」
キンケードが自分だけにこの報告をしてくれたのは、こちらが隠している何らかの事情を慮ってのものだ。
その心遣いを受けてもなお、秘密の開示はためらう。彼には魔法を扱えることも、精霊のことも、アルトのことだってすでに知られているのというのに。それらが全て『魔王』由来の力だということだけは伏せておきたいと思う。
生前のことに関わらせたくない、知られたくないという個人的な願いは、庇護される立場にあってはただの身勝手だ。情報を明かさないせいで、周囲の者に何らかの危険が降りかかるかもしれない。
現に、あの強盗が自分のことを知っているのだとしたら。もうすでに迷惑も危険も及んでいることになる。
この先だって自分のせいで面倒事を呼び込んでしまうかもしれない。
それは、秘密を告げても、告げなくても。
「……わたしの我が儘ですまないのだが、まだ、その件は父上たちには伏せておいてくれ。もう少し、考えたい」
「そうか、わかった。だがお前さんだけの手に余ると判断したら何でも言うんだぞ。あいつらもオレも、ちゃんと話を聞くし、嬢ちゃんの言うことならどんな突飛なことだろうと信じるし、力になるからよ」
「うん、ありがとう」
心からの礼を告げると、大男は腹筋をへこませて声に出さずに笑っていた。
キンケードの立場を考えれば、自分などに配慮するよりも先に領主や侍従長へすべて報告するべきだったのに。ちゃんとひとりのヒトとして見て、こうして対等に、それこそ友人のように扱ってもらえる。
そのことが何だか面映ゆくて、丸くしゃがんで刀身に指先をすべらせた。何だか今は変な顔をしていそうだから、誰にも見られたくない。
すでに刻んである構成に少しばかり描き足す形で、効果を加えていく。
剣の切れ味を鈍らせるといっても、刃を丸めるなんてことはしない。要は斬れなければ良いのだから。
ちょいちょいと二箇所ほどいじり、刃こぼれを自動修復するための「形状維持」の構成へ、「斬撃不可」の効果を乗せた。
傍目には剣を指でつついているようにしか見えないだろう。処置自体はすぐに終わってしまったので、ゆっくりと立ち上がってから剣をキンケードに拾わせる。
「……その剣について、ひとつ、大事なことを伝えておく」
「なんだ?」
鞘へ納めた体勢のまま、険しい顔をした男がこちらを向く。その髭面を見上げ、忠告をした。
「今の状態では、もう竜種の首は落とせない」
「落とさねぇよ! 竜なんか狙わねぇわ! んなもん現れたら真っ先に逃げ出すってのっ!」
「そうなのか……」
昨日、竜の首をも落とせるなんて豪語してしまったから、きちんと訂正をしておこうと思ったのに。
今のままでは骨を断つどころか、体中を覆う鱗で止められてしまうだろう。
もっとも、「斬撃不可」で斬り落とすことができないというだけで、うんと強い力で打ち付ければ気絶くらいはさせられるかもしれない。
部分的にしか鱗を持たない翼竜などは、地に降ろすことさえできれば眉間への一撃で沈められる。水竜ならば頸椎か。
何せ折れないのだから、攻める急所と膂力次第でどんな相手でもどうにかなるはずだ。
それらの情報も添えておくと、キンケードはこめかみを押さえながら「オレは一体何と戦わせられるんだ……」と俯いて嘆いた。
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