第97話 キンケードの意地


 スロープを飛び越え、障害物の少ない東側の廊下を突っ切り、キンケードは表玄関までの最短距離をひた走る。

 十代の頃から出入りしていた、勝手知ったる領主邸だ。どれだけ広くても出入りの許されている範囲であれば構造は熟知している。

 本当は中庭を真っ直ぐ突っ切ったほうが近道なのだが、噴水や石垣を足場にして駆けているのが庭師の老爺に見つかると後が怖い。最近は中庭を見ていないため知っている配置ではなくなっている可能性もあり、安全を取って廊下を疾走した。

 いつもであれば侍女なり従者なりが行き来している一階部分、不気味なほど静まり返って気味が悪い。

 ロビーに出るまで誰とも行き会わず漠然とした不安を覚えた頃、開けたラウンジにその後ろ姿を見つけた。


「カミロッ!」


「遅いですよ。馬はもう呼んでいます、すぐに出られますか?」


「ああ、もうちと状況を教えてもらいたいとこだが、そうも言ってられねぇか」


 杖をついた侍従長はそばに控えていた従者へ何か指示を出してから、体ごとキンケードに向き直った。

 その佇まいも表情も、普段と何も変わらない。冷や汗ひとつかかず、日常の業務をこなしているだけといった様子だ。

 辺りへ漂う緊迫感が嘘のように、涼しい顔をして口を開く。


「今わかっていることはエーヴィに聞いたのでしょう、襲撃者についての目新しい情報はありません」


「ファラムンドたちはどうしてる?」


「アダルベルト様、レオカディオ様と共に執務室へ。リリアーナ様はエーヴィに任せています、まだ裏庭に?」


「ああ、侍女と一緒にこれから戻るだろ。うちの奴らは?」


「先に向かって頂きました。現場にはこちらへ訪れる途中の馬車と客人、門番を含めた守衛六名、自警団員三名がいるはずです。屋敷の防備は守衛部で固めています、目をあちらにばかり向けるわけにもいきませんから」


 後半は少しばかり声のトーンを落としながら、眼鏡のブリッジを押さえるカミロ。その頭越しに半分開いた扉の向こうへ視線を向ける。

 整えられた樹木が均一に並ぶ正門前の道、その先は蛇行し目隠しの植樹もされているため先まで見通すことできない。

 門番や自警団員たちが襲撃者とやり合っているはずの現場は今どうなっているのか。未だ押し留めているのか、もう捕縛が終わったのか、それとも。


「ああ、……やっぱ陽動だと思うか?」


「単身で乗り込んでくるような馬鹿が実在する可能性とは、五分五分で見ていますよ」


「バカの可能性ずいぶん高ぇなおい。まぁ、ここがちゃんと守れてんならそれでいい。あっちは任せとけ」


「ええ、頼みます。……と言いたいところですが、武器を手放しているのでは?」


 レンズ越しの視線の先、自分のベルトへ括り付けた剣をキンケードは鞘の上から叩く。「ま、ちっと色々あってな、もう大丈夫だ」と言ってちらりと裏庭の方向へ視線を投げれば、それだけでおおよそのことは察したのだろう、カミロは軽くうなずいて屋外へ視線を戻した。

 それに並んで、植樹の先を透かすように睨みつける。


 襲撃者はひとりだとエーヴィから聞いてはいるが、それは屋敷に向かう途中の自警団員からもたらされた情報でしかない。

 表門で騒ぎを起こし、警備の目を引き付けている隙に主力が屋敷を襲撃する手筈と見るのが常道だ。まさか本当に、たったひとりで領主の屋敷を襲撃しようなんていう常識知らずのバカがいるとはとても思えない。

 それでも、カミロは五分として見ている。判断を偏らせない冷徹さは相変わらずだし、その眼鏡の下ではもっと他のことまで考えているのだろう。足をやられても頭さえ鈍っていないのなら後は任せられる。

 元々砦じみた屋敷なのだ、本当に敵の主力隊がこちらに回り込んできたとしても、十分対処はできるだろう。これまでと同じように、自分は自分の仕事をしていればいい。

 聞こえてきた蹄の音に広い玄関ポーチへ出ると、厩番の男が預けていた馬を引いてくるのが見えた。


「そんじゃ行ってくるぜ! 戻ったらお前らには言いてぇことがいくつもあんだからな、がっぽり耳掃除して待っとけ!」


「給料分の仕事をして見せたら、甘んじて聞きましょう」


 手綱を受け取った愛馬に跨り、掛け声ひとつ。賢い馬にはキンケードの意気軒高とした様子が伝播したのだろう、高らかな嘶きを吐き出して駆けだす。

 道沿いに木が植えられているためショートカットはできないが、整えられた道を行くほうが早い。何度も往復して慣れた道だ、そのまま急かす必要もなく馬は全力で疾駆する。

 前庭は広く、表門までは馬の足でもしばらくかかる。キンケードは手綱を握りしめ、足並みに任せて上体を倒しながら一直線に表門までの道を駆け抜けた。





 カミロの話では馬車と客人、守衛六人、自警団員が三人ということだったが、剣戟の鳴り響く場に到着した時、そこには倒れ伏す人間を合わせて四人しか見当たらなかった。

 駆ける馬の勢いを殺さぬまま、やり合うふたりの間に割って入る。

 一度通過してからその場を往復し、強引に距離を空けさせた。形ばかり対峙してはいても、片方はもう腕も上がらない様子で息も絶え絶えだ。顔を上げ、駆けつけたのがキンケードだと分かるやいなや剣を下して呻く。


「ふ、副長……っ!」


「遅れて悪ィな、ナポル、よく持たせた!」

 

 すぐに馬から飛び降りて、軽くその全身を見分する。制服のあちこちが破れ、利き腕を押さえてはいるが深手は負っていないようで息をつく。

 少し離れたところに倒れているのは片方が見慣れた制服で、もう片方は領主邸の門番だ。両者とも全く動かず、この場所からは呼吸も確かめられない。


「生きてんのか?」


「た、たぶんまだ大丈夫です。門のとこに馬車とアージたちが……そっちは、わかりません、すんません」


 手練れの守衛たちでも押し留められなかった相手をここで食い止めたのだ、働きとしては十分だ。今にも泣き出しそうな表情で童顔を歪めるナポルに、馬の手綱を押し付ける。

 そして、苛立たしげに足を踏み鳴らす侵入者へと向き直った。


「邪魔を、するか! 立ち合いの最中ぞ!」


「なーにが立ち合いだアホか、ここがイバニェス公邸の敷地内だとわかってんのかテメェ。剣術ごっこがしたけりゃウチの修練場に遊びに来いや、せいぜい可愛がってやるからよ」


 くぐもった声で非難を上げる狼藉者へ向け、歯を剥き出しにして威嚇の表情で笑いを見せつける。

 厚身の大剣を無造作に掴み、全身をくまなくボロ布で覆った上から簡素なローブを纏う、異様な風体。その姿を目にし、怒りと興奮がない交ぜになって笑わずにはいられない。

 カミロは馬鹿と陽動を半々と見ていたが、生憎とただの単独バカだったようだ。

 相対するのはこれで二度目。かつて不本意な敗北を喫した相手を前に、凶悪な笑みを浮かべながらキンケードは剣を抜き放った。


「久しぶりだなぁ、ぐるぐる巻き野郎。ちょうどテメェに会いたかったんだ、手間が省けて助かったぜ!」


「……なんだ、その剣、綺麗だな、どこで手に入れた、業物か?」


「散々集めてもまだ足りねぇってのか? この剣が欲しけりゃオレに勝ってみろよ。ただし、テメェが負けたら今まで巻き上げた武器を全部返してもらった上でお縄にしてやらぁ、覚悟しなっ!」


「武器を、その剣を、よこせ……っ!」


 間合いまで三歩。キンケードは抜き放った剣を低く構え、踏み出しと同時に利き手側へと振る。

 相手の構えは前回見たものと変わらない。初手の予想通り、何の工夫もなく大上段に振りかぶられた大剣が、鋭く唸りを上げながら斬り下ろされた。

 読んだ軌道に横薙ぎを打ち込み、愚直な一撃を受け流す。

 そこから横方向への勢いを殺さずに一回転して、がら空きの脇腹を狙う。

 どれだけ膂力に優れていても、一度振り下ろしたばかりの体勢から再び剣を構えるまでには隙が生じる。地に刺さりかけた剣を上げるのを諦めたのか、それとも反射的な行動か、素早く地へつけた刀身を盾にしてキンケードの二撃目を防ぐ。

 互いにすぐさま体勢を立て直し、再び力任せに振られた大剣は斜めからキンケードを襲った。

 間合いが近すぎる。かわすのも流すのにもやりにくい角度だが、単純な剣筋は目で追うだけで対処可能だ。

 正面から一度受け、巨岩を叩きつけられたような剛力を切っ先に向けて受け流す。


「……っらぁ!」


 気迫と共に、体当たりに近い形で相手を剣ごと跳ね返した。

 いくら剛腕といえど、体躯と重量はキンケードが勝っている。力負けした相手は体勢を崩し、たたらを踏みながら数歩退がった。


 ここまで三合。

 身厚の鋼の剣と打ち合ってもなお、手元の刀身には刃こぼれひとつ付いてはいない。わずかも欠けることのない銀色の刃が、曇りも知らない様子で白い空を映している。

 もはや『丈夫な剣』どころではない。

 刃同士で打ち合って刃こぼれもしない剣なんてキンケードの知る限り、それこそおとぎ話や勇者の冒険譚に出てくるようなものしかない。中には実在する剣もあるのだろうが、ほとんど空想上の代物だ。

 魔法での強化について詳しいことなど何も知らないし、工程を目の前で見せられても、土の中に埋まってから出てきたとしかわからない。

 だが、打ち合ってその効果は確かめられた。元々疑ってなどいないが、強化を施した本人の言う通り、この剣は決して折れないし錆びることもない。

 ――それこそ本当に、竜種の首をも落とせるだろう。


 この後のことを考えれば頭も痛むが、今は先のことよりも目の前の獲物が先決だ。領主邸への襲撃を未然に防ぐのはもとより、今度こそ仕留めて自警団の名誉挽回といかなくては。

 自分がしくじったせいで、自警団そのものの威信が揺らいでいる。この数ヶ月は敗北自体より、失われた信用と風評がキンケードを苛んでいた。

 戦うことしか知らないこの肩には数々の信頼が懸かっている。


 剛腕を揮う強盗。岩の魔物でも相手にしているような馬鹿力は健在だが、それを受け流すだけの技量はある。斬り込む間合いも見えている。

 その技についてこられる、斬り結んだ時点で折れてしまわない剣がここにある以上は、もう負ける気はしない。

 ――いける。

 キンケードは確信を胸に、柄を握る手へ込めそうになる余分な力を抜いた。土を踏みしめ、重心を移し、次撃に備える。

 これまで負け知らずで、自らの力に絶対の自信を持っていたのだろう。思い通りにいかず、ボロ布を纏った相手は再びその場で地団太を踏む。

 年季の差、修練の差、それだけではない何か。頭を使うことが苦手な分、体を動かすことで積み上げてきたものがある。……こちらも魔法の力を借りている以上、あまり格好つけたことは言えた立場ではないが。


 浮かびそうになる笑いを引き込め、油断なく構える。

 腕自慢の不届き者に、剣は腕力だけで振るものではないということを見せてやろう。


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