第98話 襲撃者の混乱


 男には自らの身に起きていることが信じがたく、とても現実とは思えなかった。

 だが斬鉄刀を握る手の痺れも、打たれた肩の鈍痛も、これは決して白昼夢などではないと伝えてくる。

 両手も肩も痛い、痛い、わけがわからない。

 いつもならどんな相手だろうと、たとえ自分の倍はあろうかという体格の相手でも、刀のひと振りで薙ぎ倒すことができた。

 木っ端な者ならまとめて吹き飛ばすことだって、なまくらをへし折ることだって容易かった。

 それなのに、今目の前にいる男は何だ。

 ちゃんと斬りつけているはずなのに、刀がおかしな方向へいってしまう。薙ぎ払ってやろうとしても、半身を返すだけで簡単にかわされてしまう。斬り結んでそのまま吹き飛ばしてやろうとしても、力の入る角度をずらされる。まるで上手くいかない。

 それにこちらが一撃を外すたび、かわされるたびに、どうしようもない隙ができていることは自分でもよくわかっている。

 だというのに、この髭面の男はそんな絶好の隙を攻めてこない。両断できる好機はいくらでもあった、何度死んでいてもおかしくない。それなのにどういうわけか、ぴかぴかと光る銀色の剣をこの身に突き立てててこないのだ。

 ……まるで自分が遊ばれているみたいに。「剣術ごっこ」と言っていた通り、真剣の立ち合いなどではなく、これはごっこ遊びだとでも言うように。


 おかしい、おかしい、こんなのはおかしい!

 自分のほうが絶対に強いはずなのに、どうして!

 これは何かの罠なのだろう、きっと何か仕掛けがあるに違いない。そうでなければおかしい。やっぱり「門」なんてくぐるべきじゃなかった!



 寒い頃に始めた武器探しは、もうじき季節が一巡りするほど続けていた。だが未だこれといったものには出会えていない。

 いくつか立ち合いを望んできた相手も、幌のついた荷馬車に同行している剣士たちも、皆ろくな武器を持っていなかった。きっと腕前が大したことないから、所持している武器も三流以下なのだろう。

 強い武器が必要だ、自分のための武器が。それにはもっと強い相手、もっと凄い武器を持った相手と戦わなくては意味がない。強い武器を携えた強者は一体どこにいるのか。

 中央へ向かうより、ベチヂゴの森に近いほうが強い者が多いと聞いたことがあったが、それはもう昔の話なのか。次に暖かくなったらこの一帯を離れて、更に西へ向かうべきなのかもしれない。

 そんなことを考えながら丘に生えた木のそばで獲物を物色していると、遠目に一台の馬車が見えた。

 黒い箱のような形をして、御者も馬もじゃらじゃらと飾りをつけている。これまで見てきた幌付きの荷馬車とは違って、ずいぶんと立派なものに見える。

 立派な馬車なら、きっと立派な者が乗っているのだろう。

 立派な者なら、きっと立派な武器を持っているに違いない。

 そう思い立つなり丘を駆け下り、黒い馬車の追跡を始めた。いつもは無視している、南側の一本道を走っているようだ。あちら側にはまだ何があるのか知らないが、どこかに止まった所で立ち合いを申し込もう。


 標的まで距離はあるが、見晴らしが良いため見失うことはない。

 走って追ううちに、黒い馬車は大きな門をくぐったところで停止した。門の両脇には建物のようなものがついているが、その向こうにも丘と草原が続いているから街の入口というわけではないようだ。

 街には近づいてはいけないと言われているし、約束もしてしまったから入ることはできない。だからこうして帯剣した者が通りかかるのを探しては、ひとりずつ立ち合いを申し込むなんていう面倒なことをする羽目になったわけだが。

 大きな門でも、街でないのなら近寄っても構わないだろう。

 半分開け放たれた金属製の柵をくぐり抜け、とうとう追いついた馬車に向かって声を張り上げた。


「馬車の主よ、我は一騎討ちを申し出る。おのが手にする武具を賭け尋常に勝負せよ!」


 すると、扉を開けることも返事をすることもなく、黒い馬車は再び動き出した。

 頑丈すぎて中まで声が聞こえなかったのかもしれない。先に御者を抑えようと前に回り込んだら、門の脇の建物から槍を持った男たちがわらわらと出てきた。

 揃いの得物だが、今まで見たことのない立派な槍だ。これはこれで好都合、先に御者を叩き落として馬車の脚を止めてから、槍を持った男たちに向き直る。

 その時、門の外から馬が一頭駆けこんできた。

 手綱を取っているのは黒い服を着た若い男だ。槍のひとりと何か話してから、すぐに走り去ってしまう。

 腰に剣を下げていたのが見えたから、この場が済んだら追いかけよう。


 同じような服を着た四人の槍男たちは、これまで相手にしてきた雑魚とは少し違ってそれなりに手こずった。

 ただ刀を振るうだけでは避けられるし、槍の間合いは慣れていないからやりにくい。個々の練度も高いのだろう、刺突は素早く、一度斬りつけて跳ね飛ばすくらいではすぐに起き上がってくる。

 一騎討ちを望むと言っているのに同時にかかってこられたせいもあるが、それでも自分と比べれば脆弱だ。仲が良いらしく、妙に協調の取れた攻撃を仕掛けてくる中を掻いくぐり、ひとりずつ仕留めていく。


 そうして手に入れた槍は三本。

 一本は薙ぎ払ったときに折れてしまったが、三本もあれば十分だ。いずれも立派なものだから、これまでの剣よりは強いかもしれない。槍はあまり得意としていないけれど、練習すればそのうち慣れるだろう。

 久しぶりに良い収穫だ。そう喜びながら倒れ伏した男たちから槍を回収していると、馬が去った方向から新たに数頭の馬がこちらへ走り寄ってきた。

 さきほど通っていった若い男、それと同じ服を着ているのが更にふたり。銀色の鎧を着たのがふたり。

 それを見て、思わず笑いがこみ上げる。ここは街道で荷馬車を探すよりずっと効率がいい。


 どうやらこの細い道の先には何かがあるようだ。

 新たな獲物を仕留めながら足を進めていると、さっき倒した槍男や、武器を取り落としたままの銀鎧たちがしつこく襲ってくる。

 どいつもこいつも弱いのだから、さっさと降参して武器を差し出せば痛い思いをせずに済むのに。

 そうして粘る男たちを打ち倒し、最後に残った若い男を仕留めようとした時、更なる増援がやってきた。

 仕合いの最中だというのに、無礼にも馬で割り入ったのは髭面の大男だ。


「邪魔を、するか! 立ち合いの最中ぞ!」


 苦言を呈すると髭面は何やらわめいていたが、揃いの黒い服を着ているのを見るに、きっとこの若い男の仲間なのだろう。

 仲間がやられそうになっている所を見つけ、とっさに助けに入ったのなら仕方ない。仕切り直しをして、増えた獲物ごと叩きのめせば良いことだ。

 ……そう考えていた何もかもが、髭面の抜き放った剣を見て吹き飛んだ。

 銀色に輝く刀身。傷ひとつ、刃こぼれひとつないのが見て取れる曇りなき刃。

 鍔も柄もありふれた、安物じみた見た目をしているというのに、刀身だけが嘘のように美しい。飾り気のない愚直な刃は、ただ斬るためだけに極められたとでもいうように鏡の如き輝きを放っている。

 鋼をどうしたらあそこまで鍛え上げられるのだろう、これまで見たこともない美事な逸品だ。


「……なんだ、その剣、綺麗だな、どこで手に入れた、業物か?」


「散々集めてもまだ足りねぇってのか? この剣が欲しけりゃオレに勝ってみろよ。ただし、テメェが負けたら今まで巻き上げた武器を全部返してもらった上でお縄にしてやらぁ、覚悟しなっ!」


「武器を、その剣を、よこせ……っ!」


 叫び、一閃。

 勝って、手に入れる。

 その刃は自分にこそ相応しい、やっと出会えた自分のための得物だ。気迫のすべてを斬鉄刀に乗せて振りかぶる。

 そうして大上段から力いっぱいに斬り下ろした、絶対の一撃。当たりさえすればどんな相手だって沈めてきた渾身の一刀が、どういうわけか髭面の持つ剣に受け流された。



 ……そこからは、理解不能の一言だ。

 わけがわからない。どうしてこうなったのだ。一体何が起きている?

 どれだけ刀を叩きつけても一撃が入らない。その刀身の上を滑るように抜けてしまう。

 どんなに力を込めて薙ぎ払っても全く効かない。簡単にいなされ、斬り結んでも力だけで圧しきることができない。

 自分のほうが強いはずなのに、どうして!

 何度も隙を見せているのになぜ斬りつけてこない!


「ウォォアァァアアァァァ――!!!」


 叫びと共に振り下ろした全力の一撃は空を切り、地面へとのめり込んだ。

 渾身後の硬直、すぐには動けない、両手は塞がり退がれる体勢でもない。

 ――取られる!


 そう覚悟した時、視界の片隅に光るものが見えた。

 とっさに体を捻ったのは反射的なもので、意図して避けようとしたわけではない。それでも巻いた布を掠めて、ぎりぎりの所で銀の切っ先をかわしきる。

 首を回して見れば、倒したはずの銀鎧がこちらに槍を突き付けていた。

 磨かれた兜の中、歪んだ顔と目が合う。真剣での立ち合いの最中に、死角から襲い掛かるとは何という恥知らずだろうか。

 柄を握る手に力が籠る。

 沸き上がった怒り。

 行き場のなかった苛立ちと焦りがそこに殺到し、体中が瞬時に熱される。どくりと心臓が鳴った。

 怒気に煽られて血が沸騰する。


「がぁぁぁァァァーッッッ!!」


「――……ぐっ!」


 唸り、叫び、地面から抜いた刀をそのまま横薙ぎにした。

 鉄の重みと揮った全力。鎧ごと真っ二つにするはずのその一撃は、横から飛び込んできた髭面によって防がれた。

 だがおかしな体勢で割り入ったせいだろう、これまでぬるりと受け流されたきたのとは異なる感触。力が逸らされていない。真っ向からこちらの斬撃を受け止めた様子で、鎧男ごと背後へと倒れ込んだ。


 好機!

 もうなりふりも何も関係ない、構わない、ここで仕留める!

 熱い。暑い。茹った頭と熱された体はもう止められない。何も考えられない。力を揮うことしか、戦うことしか、壊すことしかできない、衝動のままに。

 重なったふたり分の胴体へ向け、目一杯の力を込めて刀を振り下ろした。


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