第84話 落葉滴る中庭②


 中庭への出入り口を振り返ってみても、まだエーヴィは迎えに来ていないようだ。

 収蔵された衣服についてカステルヘルミが粘っているのだろう。面倒を押しつけてしまったようでちょっと悪いことをしたが、これも仕事の内と思って頑張ってもらいたい。


「それから、リリアーナ様。……例の栞の件ですが、使用されていた紙の出所が判明いたしました」


「ん、あの珍しい質感の紙だな」


 話題が切り替わったことで、幾分カミロの声もトーンが落ちた。

 周囲には誰もいないし、廊下の窓も距離があるため誰か通りかかったところで聞かれることはない。それでも声を潜めずにはいられない内容なのだろう。

 今日聞きたかった話の本題だ。傍目にはリラックスした様子で座ったまま、報告の声へ耳を傾けた。


「南西のヒエルペ領……紙の産地として知られる場所ですが、そちらの工業組合で確認が取れました。本の用紙などを作る大きな工場ではなく、職人が家族と営んでいる小さな工房が、新製品の見本として切り出したものだそうです」


「新しい紙のサンプルか、元々栞として作られたものではないと?」


「ええ、実験的に作られた紙なので大量には卸せないそうですが、見本として小さな紙片を方々へ配ったらしく。……昨年末、その大きさでまとまった数を仕入れたいという発注が入り、三色を計八十枚ずつ納品したとのことです」


 あの栞と同じ加工がすでに為されているかはわからないが、元となる紙を二百四十枚入手したらしい。だが、そもそもあの紙でなくては作れないという代物でもない。

 質感と色合いが良く、簡単には捨てられなさそうな珍しい紙が、栞へ偽装するのに適していたというだけのことだろう。

 せっかくの新商品をろくでもないことに使われた工房には災難なことだ。


「発注元はヒエルペ領のとある魔法師会でしたが、その登録を洗ってみると実体のない架空名義だということが判明しました。現在はヒエルペの領主にも話を通して、調べを進めている最中です」


「他領も巻き込むとは、意外と大がかりな話になってしまったな。父上に何か面倒事は降りかかっていないか?」


「その点はご安心ください。そもそも虚偽の登録を見過ごしたということで、ヒエルペ領側が体面を保つためにも捜査へ乗り気になってくれております。こちらから変に手出しをするより、その調査結果を待とうかと」


「ああ、それが良さそうだな」


 独自に調査して終わるどころか、他領にまで飛び火するとは。

 イバニェス領内で作っている紙ではないとわかっていた以上、その点は仕方ないかもしれないが、他領からそんな話を聞かされたヒエルペの領主もさぞ驚いたことだろう。

 栞を作った何者かは、思いのほか大きな規模ではかりごとを巡らせているのかもしれない。

 こちらへ送りつけられた栞以外の二百枚余りは一体どこにあるのか。構成を刻まれた状態でそこいらにばら撒かれて、変な被害を出していなければ良いのだが。


「それから、レオカディオ様への聞き取りもそれとなく。あの本は巷の流行を耳にして興味を持ち、懇意にしている商人へ命じて中央で仕入れさせたものだそうです。栞は受け取った時から挟まっていたとのことで」


「懇意にしているというのは、やはり……?」


「ええ、アイゼン氏でした。今は行商で他領を回っていますが、冬の季にはまたこちらへいらっしゃる予定になっております。その際にぜひ、をお伺いしようかと」


 カミロは微妙に凄みを含んだ声音でそう締めた。

 イバニェス領へ余所からおかしな物を持ち込まれて、腹に据えかねている部分もあるのだろう。

 ヒエルペの調査で判明するのが先か、それともこちらへ訪れたアイゼンに口を割らせるのが先が。


 魔法師会を偽って仕入れられた紙が、三色というのも気にかかる。あの栞に刻まれていた精神操作の効果以外に、もしかしたら他の構成があるのかもしれない。

 どんな物があるのか個人的な興味はあれど、新たな被害が出る前にさっさと解決してもらいたい所だ。……その後で、回収した他の栞を見せてもらうくらいは許されるだろう。


「そういえば、カステルヘルミ先生にはもうあの栞を見せたのか?」


「いえ、今は調査のため手元にはありませんので。ですがお話を伺ってみたところ、中央で類似品を目にしたり、その噂などを聞いたことはないと仰っておりました」


「そうか。……いや、魔法師の目で見たら何かわかるかなと思っただけだ、気にしないでくれ」


 その報告を聞き、何食わぬ顔をしながらほっと胸をなで下ろした。

 もしカステルヘルミに栞を見せていたとしても、紙面に刻印された花のような模様しか見えず、ろくでもない受け答えをしていたに違いない。

 せっかく『中央の優秀な女魔法師』として招いたのに、構成も視えない魔法師未満であることが発覚したら、役立たずとして解雇されてしまうかもしれないのだ。

 この屋敷の中で「魔法師らしいこと」を求められても迂闊には応じないよう、後でしっかり釘を刺しておかねば。


 それにしても、この短い期間で他領の工房をよく調べ上げたものだ。まだ犯人特定には至っていないが、報告まで時間はかけないと言っていた通り迅速な結果を上げてきた。

 カミロ自身は長く屋敷を空けることはなかったはずだから、誰かに命じて調べさせたのだろうか。


「あの栞については、先日報せを出したサーレンバー領主からも返信がありましたが、あちらの令嬢の手元にはなかったそうです。今後も注意をする旨と報せの感謝、それからリリアーナ様のお体を心配される言葉が添えられておりました」


「そうか……、それなら良かった。あんなもので惨い記憶を掘り返されたら、たまったものではないだろうからな」


 幼い頃に両親をまとめて失ったというサーレンバー領の令嬢。自分が見た夢のように、大切なものを目の前で失う苦しみを再度味わうことにでもなればさすがに哀れだ。

 老成した精神を持つリリアーナとて、あの酷い夢をもう一度見るのは御免被る。


「……ときに、リリアーナ様。歌唱の鑑賞にご興味はお有りでしょうか?」


「なんだ急に? ずいぶんと話が飛んだな?」


 あまりに唐突な転換はカミロらしくもない。

 その横顔を見上げてみても、特に変わった様子はなくじっと目の前の花壇へ視線を注いでいる。


「サーレンバーの現領主ブエナペントゥラ様より、度々リリアーナ様のご招待を望まれるお手紙を頂いておりまして。冬の季のはじめには人気の歌い手がサーレンバー領へやってくるとかで、先日のご返信にはその舞台のチケットも数枚同梱されておりました」


「ああ、なるほど、それで歌の鑑賞か。フェリバが歌っているのを聞いていても心地よかったし、それなりに興味はあるな。望めばわたしもサーレンバー領へ連れて行ってくれるのか?」


「……旦那様が大層渋っておいでで、ずっと断り続けているのです。もしリリアーナ様ご自身が望まれていると聞けば、容易く折れるのではないかと」


 そうか、と納得しながら上げていた視線を花壇に戻す。

 この時期は土を休ませるため何も植えておらず、煉瓦に囲まれた土の上は所々に雑草らしき若葉が芽を出している。

 これはこれで趣があるけれど、そのうちアーロンが手入れのために摘んでしまうだろう。休ませている土の養分を雑草に取られるわけにはいかない。


 花の季の訪れまでは中庭も寂しい様子になるし、裏庭のクチナシもじきに見頃を終えてしまう。見るもののない散歩はつまらない。寒い時期はとにかく退屈なのだ。

 ただでさえ外出を止められて、この三年間は好奇心の矛先をぐっとこらえ続けてきた。領道の件もあったことだし、ちゃんと我慢をしていた。

 ……だから、街でも隣領でも中央でもいい、そろそろどこかへ出かける機会があっても良い頃合いではないだろうか。


「うん。もしサーレンバー領へ向かうなら、わたしも連れていって欲しい。父上が渋っているのは領道の件か?」


「おそらくは。ここから連れ出して、危ない目に遭わせるのではと危惧しておいでなのでしょう。心中はお察しいたしますが、そんなことを言っていてはリリアーナ様をいつまでも閉じ込めておくことになりかねません」


「それはさすがに嫌だなぁ……」


 心配してもらえるのは有り難いし、自分へ注がれる父の気持ちを嬉しくも思う。その反面、あまり過保護にされ過ぎても困るというのが正直なところだ。

 自分の身は自分で守れる、なんて言うことはできなくても、せめて一般的な令嬢くらいの警備体制でたまの外出を許可してもらいたい。……一般的な令嬢とやらの実状は全く知らないけれど。


 視線を落とすと、真っ直ぐに伸びたカミロの足が目に入る。

 普段歩いている時に片足を庇うような様子は見られないが、歩行に杖を要するくらいなのだから、立ちっぱなしでいるのも辛いのではないだろうか。

 とはいえ、隣を勧めたところで承諾するような男ではない。あまり長話をせずに、必要な報告を聞けたのなら早々に切り上げるべきだろう。


「リリアーナ様」


「ん?」


 呼ばれて顔を上げると、カミロは視線だけをこちらへ向けていた。

 眼鏡の太い縁が邪魔をしてあまり表情をうかがうことはできないが、いつも鋭角を保つ眉が少しばかり下がっているようだ。


「……私の足は、本当に大丈夫ですので。あまりお気にされませんよう、どうか」


「何で考えていることがわかるんだ」


 思わず頬のあたりに手を当てて唸る。

 すると、カミロは苦笑じみたものを浮かべた顔をこちらへ向け、横に携えている杖を揺らして見せた。


「いつもこの杖を見ておいででしょう。さすがに、何をお考えかくらいはわかります」


「ぐ」


 そう言われるまで意識はしていなかったが、確かに屋敷内でカミロと会うと、まず杖に目が行っていたような気がする。


 三年前の潰れて赤く染まった馬車の中、瀕死のカミロを前にして自分はその場で成し得る最善を尽くした。――それでも、どうしても不完全な修復に対する未練と悔恨を拭えない。

 もっとちゃんと治せていたら、慢心せずあの場で確かめていたら、こんなことにはならなかったのではないかと。

 いつも、カミロの杖を目にするたびにそんなことを考えていた。


 会うたびに向けるあからさまな視線。そんなもの、口に出さずとも、気にしていますと顔に書いているようなものだ。

 何でも表情に出るカステルヘルミのことをとやかく言えはしない。


「本当は、杖なんてなくても歩くのに支障はないのですよ」


「……」


 そうは言うが、あの事件以降カミロが杖を手放しているところなんて見たことがない。

 気にしているということがバレていたせいで、逆にカミロへ気を遣わせてしまったかもしれない。感情のコントロールも表層の取り繕いかたも、まだまだ未熟だと実感する。

 喉から返事すら出ない様子をどう受け取ったのか、数歩の間を空けて横に立っている男は困ったように首を傾けた。


「この杖は、なくても平気なものです。ですので、ないものと思って頂ければと」


「……?」


「見えない、持っていない、ここにはない物と思ってください。……難しいでしょうか?」


 いつも理路整然とした語り口の男が、唐突におかしなことを言い出すものだから反応が遅れてしまった。

 気にするなという言葉はまだわかるが、ない物として扱えとは。

 自分は相手を気遣うくせに、その気持ちが自分へ向けられるのは苦手だとでもいうのか。それにしたってフォローが下手すぎる。もう少し他に何か言い様はなかったのか。

 何だかおかしくなってしまって、笑いをこらえながらうなずいて見せた。


「わかった。杖なんて見えない、カミロは何も持ってない、そういうことにしよう。……先日もらったアドバイスの通りにしていたら、そう振る舞うのは得意になってきたんだ。お陰で色々と役に立っているぞ?」


「私などの言葉が、お役に立てているなら何よりです」


 侍従長としての顔を作るピースがひとつ剥がれかけた男は、笑いまじりの声でそう応えると、眼鏡の奥でそっと目を細めた。


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