第83話 落葉滴る中庭①


 両開きのガラス戸を押し開け、地面がぬかるんでいないことを確かめてからステップを下りる。

 ここのところ曇っているだけで雨の降らない日が続いており、中庭のそこかしこにあった水たまりも姿を消していた。

 葉を濡らしているのは朝露だろう、見上げると曇天を透かして梢がきらきらと光っている。


 石が敷かれた通路を辿って奥の噴水まで歩く。

 見つけてからしばらく経過しているため、もしかしたらもう室内へ戻っているかもと思った後ろ姿は、まだ同じ位置に佇んでいた。

 噴水の手前に立ち、動きを止めたその水面をじっと見つめているようだ。


「カミロ」


 こちらの接近にはとうに気づいていたのだろう。声をかけると男は驚いた素振りもなく振り向き、礼の形を取る。

 いつもと違って杖は突いておらず、横にして左手に握っていた。土で汚さないためだろうか。


「リリアーナ様、この時間にお散歩へいらっしゃるのは珍しいですね」


「ああ、カステルヘルミ先生がまだ不慣れだから、エーヴィと一緒に屋敷の中を案内していてな。今は衣服を収めた部屋について話をしているようだから、もう少ししたらここへ迎えに来ることになっている」


「そうでしたか。新しくお迎えした先生とは仲良くされている様で何よりです。旦那様もご安心なさるでしょう」


「お前こそ、中庭でぼんやりしているなんて珍しいな、休憩か?」


「ええ、そんなところです」


 石の通路を進んでそのままカミロの横に立ち、噴水の中をのぞき込む。溜められた水かさは低く、枯れ葉がいくつか船のように浮かんでいた。

 雨の季の間は中庭を訪れる物好きも少ないため、噴水はしばらくその動作を止めたままでいる。乾きの風が吹いて冬がやってきたら、また動き始めるのだろう。


「この噴水は、旦那様のお祖父さまが職人を呼んで造らせたものなのです」


「というと、わたしの曾祖父か。そんなに年代の古い設備ではなかったのだな」


「ええ。一度地面深くまで掘って、地下水を汲み上げる途中に水車のような機構を噛ませ、それを動力源としているのですよ。安易に精白石を使って動かすのは邪道だとか仰って」


 表情の動かないカミロはいつも通り平坦な語り口調だが、その声音はどこか楽しげだ。伝聞という様子でもないし、曾祖父を慕っていたのだろうか。


「わたしの曾祖父なんて言ったら相当な年齢だろう?」


「そうですね、もうお亡くなりになられて十三年になりますが、晩年まで矍鑠としてお元気でいらっしゃいました。変わった道具や新しい技術がお好きで、珍しいものを見るとすぐ手を出したがる困ったところもありまして」


「それで、この噴水か。貴公位の屋敷には珍しくないのかと思っていたが、余所にはないものなんだな?」


「ええ。中央の工房で試作品をご覧になり、それならイバニェス家の汲み上げ水を使っていいから造ってみないかと。そのまま職人たちを雇い上げて屋敷へ連れ帰り、数ヶ月がかりで工事をさせたのですよ」


 曾祖父の話を聞いたのはほぼ初めてのことだが、領主でありながらずいぶんと破天荒な人物だったようだ。その点で言えば、他にはない施策に取り組んでいるファラムンドも、確実にその血を引いていると言えるのかもしれない。

 今は亡き曾祖父、あと五年ほど踏ん張ってくれたら会うことも叶ったのだが、惜しいことをした。面白い人柄のようだからぜひ一度話をしてみたかった。

 カミロが慕っているほどなら領主としての能力に秀で、きっと人格にも優れた男だったのだろう。


「カミロは曾祖父のことが好きなんだな」


「ええ、私は大旦那様に拾って頂いた身ですから」


 ほんの少し、寂寥を滲ませた声で唇の端を持ち上げる。

 それからカミロは四半ほど噴水の縁を回り込んで、そこへ胸元から引き出したハンカチを広げた。白手袋をはめた手が無言で促す。

 別に立ち話をしていても疲れはしないのだが、廊下の窓から容易く見えてしまうこの場所では、並んで話すのも体面が悪いのかもしれない。

 花壇とその横へ植えられた木々を眺める角度。どんな内容の言葉を交わしていようと、外目には植物を鑑賞しながら休憩している令嬢と、そばへ控える従者に見えるだろう。


 リリアーナはワンピースの裾を押さえて、敷かれたハンカチの上へ腰を下ろした。


「……先日、アダルベルト兄上から聞いた。侍従長が何かわたしに話があるようなことを言っていたと。朝食後でも書斎にいる時間でも、お前の手が空いたタイミングで声をかけてくれて構わないんだぞ?」


「以前は書斎でお時間を頂きましたが、あまり鍵のかかる部屋でふたりきりというのは立場上、問題がございまして。お部屋へ伺うのも、頻繁に過ぎると同様に……」


「面倒なものだな」


 外に漏れると困るような話をするのに書斎はうってつけだと思っていたのだが、そこも自室も使えないとなると難しい。

 今のところ、他にリリアーナの立場で自由にできる部屋には心当たりがない。


「お付きに加わったことですし、次の機会がありましたらエーヴィを伴って書斎へお伺いいたします。同様に、何か私へ内密のご用がございましたらエーヴィにお伝えください」


「ん? わたしは別に構わないが、ずいぶんとエーヴィを信頼しているのだな?」


「信頼とはまた少々異なりますが……。侍女に就く前からここで働いておりましたので、彼女は何かと小回りが利きます。リリアーナ様も必要があれば何でもお命じください、大抵のことはできます」


「あぁ、うん……そうか、わかった」


 大抵のことはできる、とは。また大きく請け負ったものだ。仕事ができる優秀な侍女だとは思っていたが、新入りのお付きは侍従長自らそこまで明言するほどの能力を持っているらしい。

 これは張り合うとなるとフェリバには分が悪い。今後もあまり自分と比べて落ち込むようなことがなければ良いのだが。


「……では、次のことは次として。今この場での話を聞こうか」


「はい。まずは天井裏を駆けていた小動物についてのご報告から」


 視線はこちらへ合わせないまま、カミロは空いた手で眼鏡のブリッジにふれた。


「採取した羽根の鑑定結果が出ました。この辺りで生息している鳥に該当するものはなく、もしかしたら魔物の類かもしれないという見解です」


「……なるほど」


 ヒトの手による鑑定でも、それくらいのことはわかるらしい。

 未だ羽根の現物を見ることができていないためその特徴などは知れないが、何か従来種との差異でも見つけられたのか。

 最近ではこちら側に魔物が来ることはあまりないはずだ。比較に使える資料なども少ない中で、よく見抜いたと褒めておくべきだろう。


「驚かれないのですね?」


「んー、鑑定に出してもすぐに判明しないようなら、そういう可能性もあるだろうなとは思っていた。時間をかければ詳細がわかりそうか?」


「いいえ、これ以上は領内では難しいですね。中央の当該施設にでも送れば何かわかるかもしれませんが、結果の返答がいつになるか」


「……」


 こちらの手持ち札を明かせないのは心苦しいが、無言のままうなずいて鑑定結果への承諾を返す。卵と鳥の魔物についてはリリアーナ自身にも本当に心当たりがないため、たとえ問い詰められても答えようがない。

 そして、天井裏の小動物という言葉で思い出した。物のついでだから、先ほどアルトに聞いた話をここで報告してしまおう。


「そういえば、先ほど倉庫として使っている部屋のそばでネズミの鳴き声のようなものを聞いた気がする。衣類を収めた階の、真ん中あたりだ。調べてみてくれ」


「それはいけませんね、承知いたしました。早々に調査をいたしましょう。……先日も執務室におかしなネズミが出たばかりなので、しっかり駆除をしなくては。ご報告ありがとうございます」


「執務室にも出たのか、寒くなる前に色々入り込んでいるのかもな……。せっかく大事にしまってある品々がネズミなんかにかじられるのは癪だ、広くて大変だろうが頑張ってくれ」


 物置の賑やかしだろうと、もしかしたら先々何かに使うことがあるかもしれない。長い年月をかけて貯められたイバニェス家の収蔵品なのだから、大事にしなくては。

 話の中で何か気になる部分でもあったのか、ポケットの中でアルトが小刻みに振動する。さりげなく上から圧して綿を潰した。


「取り急ぎ、そちらの部屋の調査は数日内に行いますが、暖かくなる前には屋敷中の天井裏も一斉点検いたします。何ぶん古い建物ですからね、他にも何か見つかるかもしれません」


「そうだな、それが良い。もしその点検でも何も出なければ、紛れ込んだ何かはもう屋敷の外へ逃げてしまったのだろう」


 リリアーナの部屋の天井を駆ける足音を聞いて以降、屋敷の中で同様の報告は上がっていない。それらしい目撃情報もなく、厨房で食材が荒らされたということもないまま何日も経過している。

 何もないと早計にすぎる判断は危険だが、天井裏の一斉点検までして何も見つからないようなら、本当にもうこの屋敷にはいないと思って良いのではないだろうか。



 中庭に風が吹き込み、木々が上のほうで枝葉を鳴らす。

 煽られた葉が一枚、ひらりと落ちてきたので手を伸ばしてそれを掴み取った。端のほうが少し枯れかけているが、まだ瑞々しく緑が濃い。

 この辺りの植生は常緑樹の分布域らしく、冬の季が近づいた今でも青々としたものが多い。この時期になるといつも魔王城の窓から見えたような、赤や黄色に色づく木はあまりないようだ。


 情緒面の振り幅が広くなった今なら、あの景色を見たらまた違った感慨を得るのではないだろうか。

 枝の枯れる寒い季節を前にしながら、最後の灯火を燃やし一面が暖色に染まる山々は見事なものだった。

 リリアーナの目であの風景を見られないのは、少しばかり残念だ。


「……カミロは、寒くなると葉の色が黄や赤になる木を知っているか?」


「ええ、紅葉ですね。北のクーストネン領を越えたあたりでは、冬の季が近づくと山が見事な赤色に変わるようです。ご興味がおありですか?」


「いや、まぁ見たくないわけではないが。色づく時期も限られるし、遠いしな、そのうち……いつか、見に行ける機会もあるだろう」


 屋敷からそう離れていない自領の街にすら行けないというのに、他領を越えたその先なんて、一体いつになれば赴くことができるのか。

 レオカディオやアダルベルトは自分よりも頻繁に外へ出ているようだし、やはり自由と権利を得るにはまだ年齢が足りないのだろう。五歳記をきっかけに書斎への出入りを許されたように、十歳記や十五歳記を過ぎれば自由な外出が許されるのかもしれない。


 手の中の葉を翻し、そっと背後の水面へ浮かべる。

 風に吹かれた葉は水の上を滑るように移動すると、他の葉とぶつかって交差する。

 そのまましばらく水面をくるくる回って、やがて二枚とも噴水の底へと沈んでいった。


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